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2015年12月20日 私の大切な友人で、優秀なインフォーマント(informant)でもあるDuncunさんから、次のような「ダジャレ」を記したPunographyなるものが送られてきた。 I tried to catch some Fog.
I mist. Kazuo Ishiguroで翻訳を学ぶ -Never let me go- |
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2013年 3月 4月 2002年12月から2010年4月まで 2002年 12月 |
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2003年 1月 2月 3月 4月 5月 6月 7月 8月 9月 10月 11月 12月 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||
2004年 1月 2月 3月 4月 5月 6月 7月 8月 9月 10月 11月 12月 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||
2005年 1月 2月 3月 4月 5月 6月 7月 8月 9月 10月 11月 12月 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||
2006年 1月 2月 3月 4月 5月 6月 7月 8月 9月 10月 11月 12月 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||
2007年 1月 2月 3月 4月 5月 6月 7月 8月 9月 10月 12月 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||
2008年 1月 2月 3月 4月 5月 6月 7月 8月 9月 10月 11月 12月 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||
2009年 1月 2月 3月 4月 5月 6月 7月 8月 9月 10月 11月 12月 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||
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2012年 辰(56歳) 昨年は2年前の選択が間違いでなかったという手ごたえを感じ始めた1年だった。手探りではあったけれど、このまま終わりたくないという思いで、変化を求め、踏み出した一歩。最初の一年は、二歩、三歩と後退した時期もあったが、今は着実に前に進んでいる。英語を教えることに関して、他との差別化を図るとはどういうことか、それが見えたのが大きかった。ただ、せっかく見えているのに、努力が伴わないもどかしさもあった。今年は、自分のできることはすべてやり、悔いの残らないようにしたい。自分の中での区切りは還暦までの4年間。この4年間は精力的に活動し、「これだけのことをした」と言えるものを残したい。 2年前に自問した「自分の商品的価値がいくらなのか」に対する答えは出ていないが、「自分にしかできないことの質」を高める努力を続ければ、その商品的価値はおのずと高まると信じている。 2011年 卯(55歳) 今年も半年が過ぎたが、大きな変化はない。強いて挙げるとすれば、大会を見据えたランニングを再開したことか。このところ走り込んでいるためか、63kgから57kgにまで落ちた。これまで自分の最適体重は60kgだとずっと思いこんでいたが、57kgひょっとしたら56kgあたりかもしれない。 2010年 寅 1月末で54歳になる。自分の商品的価値は、いくらなのだろうか?54歳とは、そんなことを考える年齢なのかもしれない。還暦まであと6年。自分は、何者なのか。自分にしかできないことがあるのだろうか。 2009年 丑 (このジャーナル−ブログ−を付け始めて8年目に、そしてこのサイトを開いてから14年目に突入) 今日は2008年12月25日で、新年にはまだ一週間ほどあるが、「2009年版一年の計」を書いている。2008年は何かクリエイティブなことをしようと思っていたのに、ほとんど何も残せなかった。振り返ってみれば、時間はあったのに無駄に過ごした時間が多かった。なんとかクリエイティブであろうともがいても、真にクリエイティブであることは簡単ではない。だからこそクリエイティブな人に値打ちがあるのだろう。こつこつ地道であることも尊いと思うが、やはりsomething creative and innovativeを作り上げることに大きな魅力を感じてしまうのは凡人の悲しさか。 今年はできるだけ手書きの手紙を書いてみようと思う。これは凡人でもできそうだから。 2008年 子 さわやかな青空が時折顔をみせたと思うと、すぐに暗く厚い雲に覆われたりと、昨年と同じような空模様だが、吹く風の冷たさは今シーズン一番で真冬を思わせる。 今年は何か形に残せるものを作り上げたいという思いが強い。具体的に考えていることもあるが、サイト上で公開するのはもう少し現実味を帯びてから。とにかく、これまでの年とは明らかに一線を画す年にしたい。 |
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2007年 曇天ながら、東方から朝日が差してる。今年の干支は『亥』で、方角は北西よりやや北寄り(北西微北)、五行は水気、陰陽は陰とありました。風水を信じているわけではありませんが、ちょうど『亥』の方角に総合公園があるので、2007年の事始として登った。 今年は、これまでやってきたことの成果が問われる年だと思ってる。言い換えると、結果を出さなければならない年だと云うことだ。「プレッシャー」を感じないと云えば嘘になりるが、「心地よい緊張感」くらいに考えられれば、結果は自ずとついてくるものだと信じてる。この一年間は、「今できることを確実にやりとおす」をモットーに、昨年以上に楽しみたいと思う。 2006年 また、新しい年を迎えた。「また」というところに、自分の思いとは別に、淡々と過ぎ行く時間の非情さを感じてる。今はいろいろなことをやり残したまま50歳を迎えようとしているんだなあという心境だ。 昨年末から続けている「冬休み限定英語とイタリア語漬けレース」は、言ってみれば2006年戌年の「初仕事」でもあるので、最後までやり遂げたいと思っている。 今年は、「意識して週単位程度の小さな目標を立て、そのひとつひとつを確実にやり遂げる」ということを積み重ねたいと思う。「小さなことの積み重ねが、大きな目標の達成へとつながる」ことを今一度自分自身で実感しておくことが必要だと感じている。(去年はまったくと言っていいほどできなかった。)50歳を間近に迎え、さすがに体力の衰えは隠せないものの、今のところまだ心身ともに自分のイメージどおり働いてくれている。さて、今の状態があと何年くらい続くのか定かではないが、今年は達成感のある一年にしたいと思う。 2005年 7月から、独学でイタリア語の勉強を始めた。ひと月ばかり経って少し行き詰っていた時に、幸いにも教えてくださる方が見つかり、個人レッスンを受けられるようになった。先生2人に、生徒一人という恵まれた環境で、イタリア語ばかりでなく、イタリアの観光や習慣・食文化についても楽しくお話してもらっている。英語の勉強記と合わせて、イタリア語のお話も紹介したいと思う。 2004年3月 もともとこのページは、『字幕なしで映画を観る』ための学習記録として書き始めたのだが、あちこち手を広げすぎて焦点がボケてきたようです。これからは英語全般に関する情報や学習法・指導法についてのジャーナルだと思ってご覧いただきたい。 2002年12月 ウィン・ランゲージサービスの生徒さんから 、しばしば次のような質問を受けます。 「センセイは、字幕なしで映画分かりますか?」 「どのくらいリスニング訓練をすれば、映画が分かるようになるのですか?」 映画の英語を100%理解するなどという大それた話ではなく、単純に「字幕なしで映画を楽しみたい」というのは、英語を学んでいる人なら誰しもあこがれていることだと思います。そして、多くの人にとって残念ながら、それはいまだに「あこがれ」のままではないでしょうか。 まず、最初の質問に対する答えですが、私のリスニング力もまた、映画を字幕なしで楽しめる域には達していません。それでは、どのくらい理解できているのでしょう。おそらく50%も理解できていないというのが正直なところです。自分では「おおよそ理解できた」と思っている恋愛映画などでも、映像に助けられている部分が大きいと思います。長い台詞や込み入った話になると途中でくじけてしまい、「だいたいこんな話かな」で済ませてしまいますから、これではだめです。少なくとも70%以上は理解できて、初めて「字幕なしで映画を楽しむ」と言えるのではないでしょうか。 では、外国に長期留学することもなく(留学してもそれだけのリスニング力が付くわけではありませんが)、英語を使う環境にない日常生活を日本で送りながら、字幕なしで映画を楽しめるリスニング力を身に付けることができるのでしょうか。また、できるとしたら、どの程度の、どのようなリスニング訓練が必要なのでしょうか。(もちろん映画が分かるというのは、単にリスニング力だけの問題ではありませんが) 映画が分かるようになればいいのですから、単純に考えると、映画を多く観るのが近道のような気がしますが、果たしてそうなのでしょうか。あるアメリカ在住の日本人の方が、ご自身のHPに書かれていたのですが、「映画はリスニング力を高めるための教材としては甚だ効率が悪い」そうです。つまり、リスニング力の向上はあるものの、彼の言葉を借りれば、「悲しいほど遅い歩み」だそうです。この2年半ほどの間に、彼はアメリカで少なくとも400本以上の映画を観ており、その結果たどり着いた結論なので、その言葉には説得力があります。彼は、英語を目的として学ぶ場合、映画はあくまで補助的教材として使うべきだとの考えなのです。ということで、映画を多く観るだけでは、リスニング力の向上はそれほど期待できないようです。 次に、二つ目の質問については、次のように考えています。現在の自分の英語力をベースとして、リスニングに重点を置いた以下のメニューを1年間継続してこなせば、「字幕なしで映画を楽しむことができる」と考えています。(チョー楽観的 !?) 1 英語圏で生活する以上に英語に触れる環境を整える。 (リスニングとリーディングに関する限り、個人の努力しだいでそれだけの環境を作ることは可能) 2 スクリプト付きの音声教材を中心に、シャドーイングやリピーティングで効率的な訓練をする。 (教材は、何度も繰り返し聴き、分からないところはスクリプトでチェックする) 3 ボキャビル用テキスト「1100 words you need to know」で、語彙力の強化を図る。 この楽観的考えを証明するため、実際に自分でチャレンジしてみたいと思います。経過は随時HP上で公開します。メニューの内容は、実践過程で変わると思いますが、まずは圧倒的に不足している「英語を聴く時間」、「英語に触れる時間」を大幅に増やすことからはじめます。(授業の準備に必要な勉強時間などは除き、1日3時間が当面の目標) 1年後、「私はこうして、字幕なしで映画を楽しめるようになりました。」とご報告できることを祈りつつ・・・。 追記 アルクのEnglish Networkという英語雑誌(廃刊)の2002年4月号の特集記事「通訳者の訓練法を盗め!これから始めるリスニング」を執筆しました。もうテキストやCDは手に入らないと思いますが、ここで紹介している勉強法は、リスニング力改善に役立つと思いますので、参考にしてください。 |