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伊予路 の 文化

頒価三〇〇円
昭和四十年 初 版 発 行
平成三年三月増補改訂版第九集発行
編著者 松 山 市 教 育 委 員 会
(文化教育課)
発 行 松 山 市 文 化 財 協 会
пZ八九九 四八 六六〇三
松山市二番町四丁目七の二
印刷所  セ キ 株 式 会 社
世界の歴史年表
表紙説明 松山城乾門 畦地 梅太郎 木版画 二七a×三六a 一九三六年作

 昭和一〇年、伊予風景制作のため、帰郷し、約半年間松山をはじめ伊予各地に逗留した。
翌年に自擢版画集「伊予風景」 (伊予十景) を完成した。
この伊予風景は高浜四十島(二七・五a×三六a)、面河渓、石鎚霊峰、大洲臥龍、八幡浜の海、法ケ津峠展望、鶴島城ほかである。
はじめに 美しい自然と温暖な気候風土に恵まれた松山市は、古くから文化が開けたところで、昭和四七年に発見された日本ではじめての大規模な生産遺構である古照遺跡、国指定史跡来住廃寺跡、わが国最古 の道後温泉、日本三大連立平山城のひとつ松山城など、われわれの祖先ののこした貴重な文化遺産も数多く守られてきております。また、正岡子規をはじめとして幾多の文化人を生んだ伝統と香り高い文化都市でもあります。 古い文化遺跡を訪ねることによって、松山を見直すかたも多いことと思います。郷土の文化を正しく理解し、これを守りさらに子孫に伝承することが、郷土の新しい文化発展につながるものと信じます。 この小冊子が皆さんの郷土研究の端緒となりその後の研究成果が郷土愛をはぐくみ、美しい住みよい松山市が実現することを心から希望しています。

  平成三年三月
  松山市長 中村 時雄
松山の歴史

松山市史ダイジェスト版として、
市制百周年記念出版『松山の歴史』を出版した。
分かりやすい表現で、気軽く読め、教材としても
利用できる読み物である。
「伊予路の文化」と併読するとよい。
カバーは松山城下町絵図 写真二百余枚
B6 三三四頁 五百円
文化教育課、松山考古館で頒布
発刊にあたって
松山市長 中 村 時 雄
 松山は、慶長(一六〇二)年加藤嘉明が勝山に築城
をはじめ、翌八年伊予郡松前より移ってきて、はじめて
「松山」という名称を公にしました。以来、蒲生、松平家の城下町として栄え、
今日の松山市の基盤が出来てきました。
明治二二年市制及び町村制が施行されるのに伴い、同年十二月十五日、市域五・
二平方`、人口三万二、九一六人の「松山市」が発足しました。
 それから百年の歳月を経て、今や市域二八九平方`、人口四十四万余人を数える、
四国最大、西日本有数の中核都市となり、政治・経済・教育・文化・観光の重要
拠点として、画期的な発展を遂げるに至ったのであります。
 こうした本市の限りない発展は、決して偶然なものではなく、ひとえに古き艮
き伝統と、創造性に富み活力に満ちた市民一人ひとりの英知の賜ものであり、
これら先人のたゆまない努力に対して深い感銘を覚えるものであります。
 さらに、人間尊重、生活優先を基本理念とした「緑と文化の映える生涯教育都
市」を新しい時代の都市像として考えるとき、「温故知新」という言葉のように、
まず郷土の風土と歴史を正しく理解し、人と人とのふれあいを大切にすることが
肝要であると思います。
 そういったことをふまえて、市制百周年記念事業の一環として、古代から現代
に至る松山の歴史のあらましを、一冊にまとめた『松山の歴史』を刊行いたしま
した。本書は市民の皆様に、気軽に読んでいただけるよう記述されてありますの
で、ふるさと松山を正しく理解し、郷土愛をはぐくんでいただくよう念願するも
のであります。
 終わりに、本書編集のために、ご苦労をいただきました編集委員、また資料等
について格別のご協力をいただきました方々に厚くお礼を申し上げます。
あ と が き
 松山市では、市制百周年記念事業の一環として、まず『松山の歴史』を刊行することになっ
た。松山市では、それについての構想を練られた結果、市民の皆様に気軽く読み、松山発展の
過程を理解していただくために、市史のダイジェスト版を編集することになった。
 松山は今からおよそ三九〇年前に、加藤嘉明によってつくられたことは、余りにも有名であ
る。それ以前の松山地域の歴史を調べるためには、さかのぼって悠久の昔に松山平野がどのよ
ぅな状況にあったか、換言すれば考古学上の貴重な遺跡・遺物が展開していたか、また歴史時
代に入って道後を中心として地方文化が発展していたかを知らなければならない。そのために
は、考古学の世界から記述を始め、古代・中世における地域発展の史実を検討する必要がある。
 この方針のもとに、考古編を長井数秋、古代・中世編を景浦勉、近世編を清水正史・浅海泰
之、近現代編を高須賀康生・多田信義に、分担執筆を依頼された。原稿執筆に当っては、平易・
簡潔を旨としたため、新しい研究の分野に及ぶことはできなかった。要するに、本書は松山の
発展を諒解していただく啓蒙書であって、決して学究書でないことをお断りしておく。なお研
究的な問題については、今後計画がすすめられている新しい 『松山市史』 において取扱われる
ことになるであろう。
 本書の刊行に当り、先学の方々のご研究に負うところがすくなくない。その学恩に対し、心
から感謝の意を表する次第である。
平成元年十月二十日
 松山市史編集委員会
代表 景 浦   勉

松山市史料集(全十三巻)
 原始・古代から現代までの、
二十一世紀に語り継ぐ郷土の歴史のすべてを網羅した。
総頁数一万五千余頁、
各巻千〜千五百頁、二〜十三巻
@三千七百円〜五千円で実費頒布。
文化教育課
(ьl八−六六〇三)
「伊予路の文化」 編集・著作・発行 
松山市教育委員会 昭和40年初版 48年第8版
松山市教育委員会文化財課
〒790−0003 愛媛県松山市三番町六丁目6−1
第4別館2階 089-948-6603
伊予路の文化  
表紙  能衣裳  説明
白朱子 地椿 樹万字 繋文様 縫箔
しろじゆす じつばき ぎまんじ つなぎもよう ぬいはく

桃山時代後期
旧松山藩主久松家の所蔵で、
明治維新の際に東雲神社に寄進されたものである。
東雲神社には桃山時代から江戸時代中期過ぎの
能衣裳が110点蔵されている。
他に能面153面、狂言面42面など優れたものが多数にある。
愛媛県指定文化財
はじめに 美しい自然と温暖な気候風土に恵まれた松山市は、古くから文化が開けたところで、昭和四七年に発見された日本ではじめての大規模な生産遺構である古照遺跡、国指定史跡来住廃寺跡、わが国最古 の道後温泉、日本三大連立平山城のひとつ松山城など、われわれの祖先ののこした貴重な文化遺産も数多く守られてきております。また、正岡子規をはじめとして幾多の文化人を生んだ伝統と香り高い文化都市でもあります。 古い文化遺跡を訪ねることによって、松山を見直すかたも多いことと思います。郷土の文化を正しく理解し、これを守りさらに子孫に伝承することが、郷土の新しい文化発展につながるものと信じます。 この小冊子が皆さんの郷土研究の端緒となりその後の研究成果が郷土愛をはぐくみ、美しい住みよい松山市が実現することを心から希望しています。

  昭和五十八年
  松山市長 中村 時雄
インターネット版の「伊予路の文化」です。大いにご活用ください。次々に追記します。お楽しみに。


足湯(道後温泉) アカガシ 秋山好古(あきやまよしふる)
阿沼美神社 赤穂浪士の墓 興聖寺 秋山好古の銅像
安楽寺と履脱天神 足立重信の基「来迎寺」 秋山好古 鷺谷町の「永仰遺光」碑
NHKスペシャル大河「坂の上の雲」 「坂の上の雲」の町つくり 松山市道後鷺谷町
日本の有名人の墓 青地林宗の基「来迎寺」 秋山真之の銅像
小説 坂の上の雲 秋山真之(あきやまさねゆき)
朝湯こんこん・・ 秋山兄弟の生家  秋山真之の墓は青山霊園 
赤穂義士と松山藩


伊台公民館付属(郷土資料室) 伊予弁 イベント情報ほか(459i)
厳島神社 いよ狸サロン いよのお狸賛
伊佐爾波神社 伊佐爾波神社の算額 石手寺
岩堰 伊予源之丞 伊予絣 鍵谷カナ
石手川緑地 伊予豆比古命神社 伊予豆比古命神社(椿まつり)
伊予路おすすめ情報(MAPION) 伊予節 伊予鉄道唱歌
伊予万才の松山名所づくし 岩神神社々叢 イプキビヤクシン
医座寺のホームページ  東大栗 医座山城跡 白山城跡
一遍上人御詠歌32首 一遍上人関連著書の紹介 イヨウスズザクラ(西法寺参照)
井上正夫 井上正夫胸像 砥部焼 井上正夫(舞台大変)
石手寺 石手寺古墳 一体走り(勝岡八幡神社) イスノキ 薬師寺のひょん
中島町 板碑(いたび) 伊予・関が原の合戦 伊予松山藩
俳人石田波郷 伊代の太郎塚 伊代佐衛門太郎の蟹退治
伊予市 伊予豆比古命神社の狛犬 狛犬とは 一草庵(種田山頭火)
イザヨイザクラ 十六日の初桜 一遍上人(宝厳寺参照) 伊予の文楽 伊予源之丞
石手寺と安養寺のこと 石手寺 石手寺のパゴダ 伊予の狸の事なら・・・
伊豫風土記 医薬品情報21


大宝寺 乳母桜 大宝寺と乳母薬師 薄墨桜(西法寺)
上野遺跡 愛媛県総合運動公園 運動公園 写真


円福寺 補稿 エヒメアヤメ 円光寺
円明寺 補稿 円明寺納札 荏原城跡 補稿
松山市恵(荏)原 金平狸 衛門三郎 「玉の石」伝説 愛媛の野鳥の本 紹介
NHKスペシャル大河「坂の上の雲」 愛媛の句碑めぐり 愛媛の映画人
西暦、元号、天皇、干支


おがたまのき(縦渕城跡参照) 大山積神社 温泉まつり
お杖椿 オオムラサキツツジ 成願寺 大原其戎の墓 墓1 墓2
大森彦七のこと 滝姫のこと おたたさん
小栗神社 雄郡神社 「おこよみ焼き」 義農作兵衛
黄檗宗大本山萬福寺 岡田義晴提供(「故郷の面影」三津の歴史)



蟹退治 栗田樗堂 河東碧梧桐の句碑 墓所 補稿
河東碧梧桐  片目鮒 軽太子塚
碧梧桐の生誕地(静渓邸跡) 加藤拓川 鍵谷カナ 伊予絣
鹿島 補稿 葛掛五社神社々叢 蒲生忠知の肖像画 円福寺
蒲生忠知供養碑 興聖寺 蒲生家 勝山と「かつえ山」 長者が平
加藤恒忠 相向寺 上黒岩岩陰遺跡 釜ノロ遺跡
環境学習ルーム 上黒岩岩陰遺跡美川村 「刈屋畑の合戦」
神々の系譜 河童の屁重箱の隅 簡野 道明
何故か蒲田女子高等学校


郷土資料室(伊台公民館付属) 経石山古墳 補稿 来住廃寺跡 補稿
義安寺とホタル 補稿 北谷古墳 補稿 北谷正八幡神社のクスノキ
きりしたんの墓 補稿 義農作兵衛 義農 経が森(大山寺参照)
菊屋新助の基 円福寺 狂言面・狂言衣裳東雲神社 東雲神社
虚子の筆塚 正宗寺 亀水塚 極堂(柳原)
道後ぎやまんの庭 観光案内


「国の史跡」湯築城跡ガイド 栗田樗堂(庚申庵参照) 栗田家菩提寺「得法寺」
空也上人立像 浄土寺 古三津郷土の偉人・岡田十五郎 岡田十五郎の新池
供養堂 大森彦七のこと 履脱天神  安楽寺 補稿 忽那文書 中島
句碑のある風景 騎馬将軍「秋山好古」 久万高原天体観測館
句碑めぐり 句碑索引 雲の下の風景


源氏蛍 義安寺と螢 計量社会科学ワークショップ 西暦、元号、天皇、干支


鯉幟を揚げない伊台の風習 輿聖寺 補稿 極楽寺の書跡
考古館(松山市立) 古照遺跡 古墳時代の遺跡
古照遺跡高床 古照遺跡調査 古照資料館
古照遺構の意義 興居島 駒立岩
降三世明王像 小林一茶の来松 庚申庵 小林一茶の句碑 湯釜薬師
五色浜 五色浜の石 孝子桜 (十六日の初桜参照 こかきつばた エヒメアヤメ
腰折山 エヒメアヤメ 庚申庵・栗田樗堂と一茶 元は五明牧場
腰折山案内 故郷の面影(「三津の歴史」岡田義晴提供) レインボー・ハイランド(五明牧場)
ことわざ英和・和英辞典 ことわざ辞典



西林寺 西法寺 山雪の馬
山雪の墓 補稿 讃美歌の碑 補稿 祭祀用台付壷形土器
NHKスペシャル大河「坂の上の雲」 坂の上の雲まちづくり 斉藤茂吉歌碑
坂村真民の寿墓 薄墨桜西法寺の縁起 山頭火の句碑
雑学の小部屋 坂の上の雲


小説 坂の上の雲 子規・漱石の文学散歩 杖の淵
城山の植物 城山の植物 補講 城山の野鳥 縄文時代の遺跡
十一面観音立像 相向寺 掘江浄福寺 市駅前 杖の淵
余戸(叔父が家)竹の宮 中の川 国鉄前 道後公民館 石手寺 西林寺 正宗寺
子規自筆の句碑 正岡子規の墓 子規旧邸跡 正宗寺
城南高校の創設 西村清雄翁 時宗の開祖 宝厳寺 重信川
子規堂 正宗寺 東雲桜 東雲神社 子規記念博物館
蛇の釜 杖の淵の伝説 市花ツバキ
浄瑠璃寺 称名寺 補稿 四国遍路と道しるべ
小坂町二丁目多聞院の地蔵尊 東雲神社 成願寺
常信寺 補稿 十六日桜 補稿 浄土寺
正宗寺 補稿 下村為山 松山市の市章 障害者のためのレジャーガイド
司馬遼太郎記念館 重信川 泉わくわく通信 振鷺閣 (しんろかく)
四十島 ターナー島(四十島) 資生堂フェルゼア
市花「椿」 重箱の隅 子規の句集
城めぐり 子規記念館(松山) 字源


椿まつり スナヤツメ 補稿 杉野丈助 砥部焼
菅原道真星占い池 安楽寺 杉浦非水


千秋寺 洗心庵のこと・亀水塚 善応寺
全国自治体リンク 舗装の渡辺組提供 世界の歴史年表 西暦、元号、天皇、干支
Z旗(ゼット旗)


相向寺 素鵞神社のモツコク 漱石から子規に宛てた葉書き

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種田山頭火 大林寺 補稿 浄土宗 竹のお茶屋跡 東野お茶屋跡
松山市南江戸「大宝寺」 高縄山 太山寺 補稿
縦渕城跡 松山市本町「大法寺」 高浜港 高浜駅 伊予鉄の駅
玉の石の伝説 (道後温泉本館 竹ノ下遺跡の木製品 高井の里のティレギ 西林寺
拓川居士の基 相向寺 久万町44番「大宝寺」 伊予鉄ホーム 旅研
手焼き煎餅「たまつばき」 太山寺 柳壟(やなぎ つか)


樗堂 樗堂の墓 広島県御手洗島満舟寺 御手洗島南潮山満舟寺
市内萱町得法寺の樗堂の墓 樗堂直筆の短冊 (なんちょうざんまんしゅうじ)
中国僧即非 千秋寺 中国僧即非の額 長者が平 勝山と「かつえ山」 長建寺の庭 補稿 長建寺句碑
誓いの泉 義安寺 千秋寺関連 黄檗宗大本山萬福寺


葛籠屑城 城址 補稿 椿まつり(伊予豆比古命神社) 椿神社


手引松 補稿 テイレギ スナヤツメ 補稿 西暦、元号、天皇、干支


得法寺(栗田樗堂) 道後温泉 又新殿(ゆうしんでん) 道後温泉本館 道後温泉本館探検
道後温泉足湯 道後公園 坊っちゃんの間 砥部衝上断層 補稿
道後のビーナス 砥部焼 補稿 椿の湯 道後温泉情報 豊島家住宅
土壇原遺跡 鰌施餓鬼のこと 振鷺閣 (しんろかく) 動物片仮名英語日本語辞典抜粋
道後温泉紹介リンク 動物図鑑



七曲りのこと 補稿 中島町 内藤鳴雪の髭塚 正宗寺


西村清雄翁 讃美歌の碑 補稿 二畳庵の記(庚申庵) 塾田津の里
日本の有名人の墓


額田王(ぬまたのおおきみ) 額田女王 YAHOO検索「額田女王」
額田女王の挿画 なぜか松柏美術館のご案内


年表一覧リンク  関連 「おこよみ焼き」


能面・能衣装・鬘帯(東雲神社参照) 能島水軍村上武吉

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般若心経 般若心経U 石田波郷の句集 白山城跡
幡磨塚 梅津寺 初子祭
俳句の里めぐり 俳句の里めぐりU 俳句のふるさと 句碑検索 芭蕉の花入塚
繁多寺 八社八幡 万翠荘
波賀部神社古墳 櫨(ハゼ)の木と赤穂義士


日尾八幡と書家米山 平井のソテツ 平野焼狛犬
ビャクシン自生地 東野お茶屋跡 平形銅剣
美術館 セキ美術館 ヒトツバタゴ東雲神社 ひょんの木 薬師寺
姫塚 姫だるま 久枝神社(古三津大明神)
緋のかぶら 秘すれば花・・・


不死鳥松山フェニックス 船ケ谷遺跡 補稿 藤原純友の乱
札所 古川七郎氏(能楽者) 船踊り
福見川の堤婆踊 古三津・儀光寺(岡田十五郎翁菩提寺) 古三津大明神の久枝神社
福見川町新宮神社の三本杉 松山市福見川町 ふなやの山頭火句碑


米山 へのかっぱ重箱の隅


舗装の渡辺組提供 宝厳寺と一遍上人 宝厳寺斉藤茂吉歌碑
掘江 星の岡古戦場 ホトトギス六百号記念碑 正宗寺
ホトトギス句碑 坊っちゃんの間 (道後温泉) 妨っちゃんの遺跡
坊ちゃん列車 宝筐印塔 坊ちゃん列車 坊ちゃん列車の歴史
坊ちゃんの間 宝巌寺の金剛滝 全国自治体リンク
法泉寺(松山市松前町) 仏さま と 八百万(やおよろず)の神々 宝珠(湯釜)
正岡子規記念館(松山)



松山市 松山フェニックス(元祖) 松山市の市章・市花・市歌
松山市の市章(下村為山) 松山城 松山城山の植物 環境学習ルーム
松山城山の野鳥 環境学習ルーム 松江の墓 松山市立考古館
松山観光港 松平定長 (明教館 伊佐爾波神社) 松平定行・定政霊廟 (常信寺) 補稿
松平定長(伊予松山藩家系) 松平定長 (世界帝王辞典 正岡子規の句集
松平家家系 正岡子規の墓 宮前文化遺跡を守る会
松が枝町(旧赤線) 松山容子 補稿 子規記念館(松山)


三津の厳島神社 三輪田米山の墓 三津の朝市 三津浜の合戦 「刈屋畑の合戦」
みんなの三津浜 何故か?三津浜信用金庫 松山市中央卸売市場水産市場(魚市場)
参考(伊予・関が原の合戦) 港山城跡 港山城跡U 三津浜
宮原久太夫 興聖寺 三輪田米山 日尾八幡 三輪田元綱の奇行 日尾八幡
みかえり桜 石手寺 三上是庵の墓 三島神社古墳【畑寺】...消滅
三島神社(衣山) 宮内伊予柑 棟持ち柱式高床建造物
三津の歴史(「故郷の面影」岡田義晴提供)


 紫井戸 村上霄月(せいげつ) 村上霄月邸 村上武吉
村上水軍(日本最大の海賊)


明教館 明月上人の書 (明月と吉田蔵沢) 銘帯文五神五獣五亀鏡


木心乾漆菩薩立像と木造菩薩立像 森松の入端行事 森 一生(かずお) 映画監督



薬師寺のイスノキ 山内神社 太山寺 柳壟(やなぎ つか)
八坂寺の本尊 八ツ塚 衛門三郎 「玉の石」伝説 太山寺
ヤツメうなぎ 野外活動センター (元五明牧場) 弥生時代の遺跡
八百万(やおよろず)の神々仏さま 柳原極堂


湯釜薬師 補稿 雄郡神社 小栗神社 湯山の三木杉 補稿
湯神社 湯築城跡 「国の史跡」湯築城跡ガイド
道後温泉 UNIC 又新殿(ゆうしんでん)
湯釜


横山城跡 吉田挿桃 補稿 与力松
吉田蔵沢の基 余戸の竹の宮 手引松 吉田蔵沢 大宝寺補稿



来迎寺 補稿


竜馬が行く(司馬遼の世界)


ルーム(環境学習)


愛媛県歴史文化博物館


ロシア人(兵)の墓地その1 ロシア人(兵)の墓地その2 ロシア人(兵)の墓地その3
ロシア人(兵)の墓地補稿



湧ケ淵 渡部家住宅 補稿 湧ケ渕自然公園
判らぬ事は何でも・・・重箱の隅
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はじめに 美しい自然と温暖な気候風土に恵まれた松山市は、古くから文化が開けたところで、昭和四七年に発見された日本ではじめての大規模な生産遺構である古照遺跡、国指定史跡来住廃寺跡、わが国最古 の道後温泉、日本三大連立平山城のひとつ松山城など、われわれの祖先ののこした貴重な文化遺産も数多く守られてきております。また、正岡子規をはじめとして幾多の文化人を生んだ伝統と香り高い文化都市でもあります。 古い文化遺跡を訪ねることによって、松山を見直すかたも多いことと思います。郷土の文化を正しく理解し、これを守りさらに子孫に伝承することが、郷土の新しい文化発展につながるものと信じます。 この小冊子が皆さんの郷土研究の端緒となりその後の研究成果が郷土愛をはぐくみ、美しい住みよい松山市が実現することを心から希望しています。  昭和五十八年  松山市長 中村 時雄
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松山市二番町四丁目七の二
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 松山市史ダイジェスト版として、市制百周年記念出版『松山の歴史』を出版した。分かりやすい表現で、気軽く読め、教材としても利用できる読み物である。「伊予路の文化」と併読するとよい。
 カバーは松山城下町絵図 写真二百余枚  B6 三三四頁 五百円  文化教育課、松山考古館で頒布
松山市史料集(全十三巻)

 原始・古代から現代までの、二十一世紀に語り継ぐ郷土の歴史のすべてを網羅した。総頁数一万五千余頁、各巻千〜千五百頁、二〜十三巻@三千七百円〜五千円で実費頒布。 文化教育課 (ьl八−六六〇三)
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松山市教育委員会 昭和40年初版 48年第8版
松山市教育委員会文化財課
〒790−0003 愛媛県松山市三番町六丁目6−1
第4別館2階 089-948-6603
伊予路の文化  
表紙  能衣裳  説明
白朱子 地椿 樹万字 繋文様 縫箔
しろじゆす じつばき ぎまんじ つなぎもよう ぬいはく

桃山時代後期
旧松山藩主久松家の所蔵で、
明治維新の際に東雲神社に寄進されたものである。
東雲神社には桃山時代から江戸時代中期過ぎの
能衣裳が110点蔵されている。
他に能面153面、狂言面42面など優れたものが多数にある。
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