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伊台のむかし昔の物語
子供の頃から聞く我が家の口伝では、勝岡家は伊台に住む豪傑の末裔で、
蟹退治をした話が有名と聞いている。その豪傑が伊代左衛門尉とは近年になって知った次第です。
伊代の太郎こと伊代左衛門尉の蟹退治
さて河野家の家臣はその分限録に詳しく載せられているが湯月殿直勤のお旗本和気郡衆十七人の内に伊代左衛門尉があるのである。
西法寺沿革史には彼が住んでいたのでこの地を伊代と称するとあるが、
恐らくは地名を伊代というところに住んでいたから伊代左衛門尉の名前が出たのだと思われる。
又口牌に伊代伊左衛門の蟹退治というのがあるがそれは伊代左衛門尉の間違いであると思われるのである。
その蟹退治というのはその昔実川から流れ出る川は屋敷から土居の溝、
小谷を経て本川に合流していて小谷の湿田の辺りは深い淵でその深さを知らずといわれ、
この淵に大きな蟹が住んでいて村人に危害を加えて仕方がなかったので郷土伊代伊左衛門がこれを退治て吉藤の淵に捨てた。
この淵を蟹ヵ淵というのてある。その後山津浪で小谷の淵は埋まり川は清岡で合流するようになったというのである。
字小谷や境の山崩れの跡は明らかに残っている。
だからこの山津浪は河野家滅亡以後の事であると思われる。伊代の太郎
伊台の昔むかしのお話じゃ。
その昔、伊代の里に悪い悪い蟹が住んどったそうじゃ。
夜な夜な村に出てきてからに、きれいな娘をさろて行きよったそうな。
その話を聞いた伊左衛門は「わしが退治してやろわい」ゆうてからに
村人が止めるのも聞かずに出て行ったんじゃと。
それもそのはず、
今まで蟹退治に行って帰って来た者が一人もおらなんだんよ。
それでも村人は恐る恐る伊左衛門の後をつけて行たんじゃと。
そうこうする内に伊左衛門は蟹がおる洞穴に入って行ったんじゃと。
しばらくすると、「ぎゃー」という悲鳴と共に、
あれよあれよという間に、
蟹の足が洞穴の外に次々にほりだされたんじゃと。
今度は大きい爪が八つ、どさどさっと、
最後に蟹の目玉が二つ、コロンと出てきたのには、
村人たちはその恐ろしさに身の毛がよだち、
呆気に取られて、しばらくは、ものが言えなんだそうな。
しばらくして、
伊代左衛門が悠々と囚われた娘たちを連れて洞穴から出て来たそうな。
目出度し 目出度し
これで伊左衛門の自慢話は おしまーーーい !!!
勝岡 昭 編