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伊台のむかし昔の物語
ほのぎ (保乃木)  「薄墨桜と西法寺」 住職 薄墨賢衛の資料から
「ほのぎ地図」で○印は西法寺二十二坊の名残を示す「ほのぎ」です。以下に往時の西法寺二十二坊の名前と「ほのぎ」を列記します。
奥之坊(おくのぼう)・・・野竹   北之坊(きたのぼう)   十蔵坊(じゅうぞうぼう)・・・現在の西法寺がある場所
持佛坊(じぶつぼう)   中蔵坊(ちゅうぞうぼう)   津留坊(つるぼう)・・・津留坊   金蔵坊(こんぞうぼう)
大徳坊(だいとくぼう)   妙行坊(みょうぎょうぼう)   古坊(こぼう)・・・古坊   佐幸坊(さこぼう)・・・左子
黒坊(くろぼう)   御堂(みどう)・・・御堂上   焼御堂(やけみどう)・・・やけんど   黒御堂(くろみどう)・・・堂の前
鏡御堂(かがみどう)・・・鏡堂   春寺(はるじ)・・・春地   大窪寺(おおくぼじ)・・・大窪   木渡寺(きどじ)
西福寺(さいふくじ)   願誓寺(がんせいじ)・・・ぐわんぜ   丈六寺(じょうろくじ)・・・定六   永能寺(えいのうじ)
多聞院(たもんいん)・・・田守   小谷院(こたにいん)・・・小谷   尼が谷坊(あまがたにぼう)・・・あまが谷
荒神坊(こうじんぼう)   八塔寺”(はっとうじ・法頭寺・八頭寺)・・・八頭(やかしら)
中替地坊(なかがえちぼう)・・・中替地   地蔵坊(じぞうぼう)
小さな地名 「ほのぎ」
1 珍しい地名
めのと・・・これは昔の言葉で「乳母」という意味。勝岡城の大切な若君を育てていた乳母が住んでいたところ。
そうべ・・・平安時代の頃藤原氏の庄園時代(吉原の庄)につけられた地名
ゆきのべ・・・現在はゆきのぶとよばれています。
すぐろ・・・焼畑の後、すこし芽が出た頃先が黒く焦げ付いた事をすぐろと言いました。今のすぐらの名のおこりです。
2 お寺の跡が分かるような地名
おおくぼ・・・大窪寺
ぐわんぜ・・・願誓寺
こだに・・・小谷院
やけんど・・・焼御堂
つるぼ・・・津留坊
以上のように西法寺子寺22坊の跡が地名となって残っている。
3 土地の様子を表している地名
赤坂(あかさか)・・・赤土の坂
ふかた・・・排水の悪い深い田
さこ・・・狭い峠道
土居(どい)・・・館の回りに土垣を造る城壁、伊代左衛門尉の陣屋又は館跡、住居
土居の内(どいのうち)・・・土垣の囲いの中
呼び名が地名になったもの
かやだに・・・河野道茂は栢谷殿と呼ばれその一族が住んでいたところ屋敷(やしき)・・・偉い人が住んでいたところ
屋敷(やしき)・・・偉い人が住んでいたところ 保乃木地図
ごかんじょさん・・・石鎚さんを御勧請している山
札畑・・・キリスト教禁止の高札のあった畑
4 番外 勝岡・・・2の西法寺の列の中にある