【須恵器・陶器】 |
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すえ‐き‥古墳時代後期から奈良・平安時代に行われた、大陸系技術による素焼の土器。良質粘土で、成形にはろくろを使用、 |
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あな窯を使い高温の還元炎で焼くため暗青色を呈するのが一般。食器や貯蔵用の壺・甕が多く、祭器もある。 |
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祝部(いわいべ)土器。斎瓮(いんべ・いわいべ)。 |
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【雲珠】 |
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う‐ず @唐鞍(からくら)のしりがいにつける宝珠の形をした飾り。〈和名抄一五〉A雲珠鞍(うずくら)の略。 |
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【尻繋・鞦】 |
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しり‐がい (シリガキの音便) @牛馬の尻にかけて車の轅(ながえ)や鞍橋(くらぼね)を固定させる緒。 |
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A馬具の名。馬の頭・胸・尾にかける緒の総称。近世には押掛(おしかけ)という。 |
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【氷室】 |
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ひ‐むろ 氷を夏まで貯蔵しておくため特別に装置した室または山かげの穴。季・夏。〈色葉字類抄) |
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【道後温泉】 |
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どうご‐おんせん‥‥愛媛県松山市北東部にある温泉。日本最古の温泉の一で、単純泉。 |
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【沖積層】 |
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ちゅうせき‐そう @沖積世(完新世)に生成した地層、すなわち地質学上最新の地層。沖積統。(ちゅうせき‐とう)沖積層に同じ。 |
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A最後の氷期の最低温期(約二万年前)以後に、台地を刻む谷を埋めて堆積したやわらかで水を含んだ粘土・泥炭など。 |
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【弥生時代】 |
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やよい‐じだい‥縄文時代の後、古墳時代の前の時代。その開始の標識を弥生土器の出現とする考え方と、 |
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稲作の開始とする考え方とがある。紀元前五 〜四世紀頃から後三世紀頃まで。 |
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大陸文化の影響を受けて水稲耕作や金属器の使用が始まり、銅剣・銅矛・銅鐸()のほか鉄器も用いられる。 |
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普通、前・中・後の三期に分ける。 |
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【弥生土器】 |
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やよい‐どき‥(一八八四年(明治一七)東京、本郷弥生町の貝塚で発見されたからこう名づける)弥生時代の素焼の赤褐色の土器。 |
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煮炊き・貯蔵・食事に使用。弥生式土器。 |
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【縄文時代】 |
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じょうもん‐じだい縄文土器を標式とする時代。縄文土器の変化によって草創・早・前・中・後・晩の六期に分け、放射性炭素年代によると、 |
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紀元前一万年前後に始まり、前五〜四世紀まで継続して、弥生(やよい)時代と交代する。 |
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主に竪穴()住居から成る集落を構成し、採集・漁労・狩猟の採取経済の段階にある。遺跡・遺物は千島から沖縄まで分布している。 |
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【縄文土器】 |
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じょうもん‐どき縄文時代の土器。表面に縄文のあるものが多いことから、こう名づける。手づくりで概して厚手。ほとんど煮炊き用。 |
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のちには他の用途のものも次第に出現。時代差・地域差が大きい。縄文式土器。 |
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【古墳】 |
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こ‐ふん高く土盛りした古代の墳墓。わが国では多くは当時の豪族ら有力者の墓。 |
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その形状により円墳・方墳・前方後円墳・前方後方墳・上円下方墳などがある。高塚。 |
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【郷里制】 |
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ごうり‐せい‥律令時代の地方行政組織。大化改新以来の国・郡・里三段階の行政区画を、 |
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七一五年(霊亀一)里を郷と改め、郷をさらに二〜三の里に分割し、 |
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新たに郷長・里正()を任じて、国・郡・郷・里の四段階としたもの。七四○年(天平一二)廃止。 |
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隋・唐の州・県・郷()・里四段階の制の模倣。 |
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【国郡里制】 |
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こくぐんり‐せい律令制の地方行政組織。大化改新後の律令国家では、 |
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全国を直接に統治するため国・郡・里三段階の行政区画に編成し、 |
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国には国司を朝廷から派遣し、郡には郡司を現地の国造()級の豪族から任命し、里には現地の村落の有力者を里長に任命した。 |
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国と郡とはおおむね自然的歴史的区画に拠ったので規模は一定しないが、 |
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里は五○戸で一里と画一的に編成した純然たる行政村落であった。 |
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【保】 |
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ほ(慣用音。漢音はホウ) |
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@まもること。養い世話すること。「―護」「―育」 |
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Aたもつこと。「―持」「―健」「―守」「―命」 |
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Bうけあうこと。あずかること。「―管」「―証」「―険」 C古く中国で行われた隣保制の単位。 |
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一定戸数で組織され、連帯責任を負う。→保甲法。 |
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D中国の制にならい、律令制で定めた隣保組織。隣接する五戸で構成し、納税・防犯などの連帯責任を負う。五保。 |
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E平安京の行政区画の一。四町を一保、四保を一坊とする。 |
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F平安時代以後の国衙領における所領単位の称。荘・郷・名と並称。太平記三○「国衙の郷―、并びに本家・領家…」 |
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【南北朝】 |
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こくぐんり‐せい‥ 南朝と北朝。 |
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【南北朝時代】 |
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なんぼくちょう‐じだい @中国で、四三九年北魏が華北を統一、江南の宋と対立してから、五八九年隋が陳を滅ぼすまでの時代。 |
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すなわち、漢人の南朝と鮮卑族の北朝が南北に対立した百五十余年間の称。 |
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A一三三六年(延元一・建武三)後醍醐天皇が神器を奉じて京都から大和国吉野に入ってより、 |
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九二年(元中九・明徳三)後亀山天皇が京都に帰るまでの五七年間。 |
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南朝(大覚寺統)と北朝(持明院統)とが対立抗争した。吉野時代。 |
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【検地】 |
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けん‐ち豊臣・徳川政権下、農民の田畑一筆ごとに間竿()・縄などを用いて測量し、段別・品位・石高・名請百姓を定めること。 |
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さおいれ。なわうち。地検。 |
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【小早川隆景】 |
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こばやかわ‐たかかげ‥‥安土桃山時代の武将。毛利元就の第三子。安芸竹原・沼田の小早川家を継ぐ。 |
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毛利輝元を補佐し、秀吉と講和後、筑前・筑後・肥前などを領。文禄の役に碧蹄館で明軍を破った。(1533-1597) |
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【権現】 |
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ごん‐げん仏・菩薩が衆生を救うために種々の姿をとって権(かり)に現れること。また、その現れた権の姿。権化(ごんげ)。 |
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本地垂迹(ほんじすいじゃく)説では、仏が化身してわが国の神として現れること。また、その神の身。熊野三所権現・山王権現の類。 |
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【荘園・庄園】 |
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しょう‐えん 平安時代より室町時代にかけての貴族・寺社の私的な領有地。 |
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奈良時代に墾田などを起源として出現したが、平安時代には地方豪族の寄進による立荘が盛んとなり、 |
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全国的に拡大、不輸不入権も認められるに至った。 |
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鎌倉幕府の守護地頭制によって漸次武家に侵略され、南北朝の動乱以後、急速に衰退に向かい、 |
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豊臣秀吉の時、太閤検地によって最終的に廃止された。荘。 |
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【焼畑】 |
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やき‐ばた原始的農耕法の一。草地・林地などで、雑木・雑草を焼き、その焼跡に蕎麦()・稗・大豆・粟などを播き付ける畑。 |
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地力が衰えると放置し、数年ないし十数年後再び焼畑として用いる。 |
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切替畑。やいばた。やきまき。叢焼(やぶやき)。やぼ。山薙(やまなぎ)。ななぎ。なぎの。「―農業」 |
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【勧請】かん‐じょう @神仏の来臨をこうこと。 A神仏の分霊を請じ迎えてまつること。 |