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伊台の歴史は古く石器時代・弥生縄文時代にさかのぼる。
大昔、道後は「塾田津」(にぎたず)と言われ船着き場であった。山一つ越えると瀬戸風峠の先は伊台である。海の幸、山の幸の豊富な住みよいところであったと思われる。おまけに日本最古の「道後温泉」まである。白鷺が飛び来たり傷を癒した故事もある。古代人も挙って集まり、文化の栄えたところであったに違いない。
伊台は松山市の中心、松山城の東北約4キロメートルのところに低い山々に囲まれた平和郷である。
東経132度48分、北緯33度52分。北緯の線をたどれば東に別子銅山、徳島の阿南市、和歌山の御坊市、三重県の熊野市、伊豆の御蔵島、西をたどれば九州市の若戸大橋のある若松がある。
東経の線を北にたどれば北条市、広島県の三次市、島根県の出雲市、南は小田町、高知県の宿毛市、土佐清水市などがある。
泰古の昔、伊台盆地は湖沼であったと言われるが、その広さは幅約200メートル位、広いところで500メートル程度、長さは約3キロメートルである。伊台の中央を流れる伊台川は盆地の途中から向きをかえて石手川に注ぐ。
標高は約150メートルで松山城より少し高い程度である。幾万年経過する間に地盤の弱い、字土居方面の地峡(自然の堤防)が漸次低下して水路を通し遂に干涸してしまった。その上に四方から土砂が、或いはくずれ、また流れ込んでいわゆる沖積層を形成し今日の伊台盆地が出来たのであろう。
上古、この地に先住民族(出雲民族?)が住んでいた。彼らは農業を営まず、牧畜をなさず、自然の果物、禽獣・魚介を食べて生活していた。又、金属器を持たず、石器土器を使用していた。(石器及び弥生式土器が出土している)伊台には古墳が多い。今、完全に存在するものは無いが古墳跡および古墳に使っていた石はいまだに残っている。千五百年前の古墳と認められるものもあり、古くより文化が進んでいたことを証明する事が出来る。「養老」中、地方条里制がおこなわれ、下伊台字一の坪という記録があることによって証明できる。
海抜150m前後の赤土が多い所に古墳がよく見られる。梅、(氷室)瀬戸風あたり。最近は「炭を入れたもの」が発見された。「氷室」には<馬入らず>という地名もある。
(馬では入れないという意味か?馬に乗って入ってはいけない意味か?「ほのぎ」で地名が残っている) |
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| 1馬具 雲珠(うーず) |
2土師器(はじき) |
1 馬具のなかでも「うーず」と呼ばれるもの。手綱を閉める道具。非常に珍しい出土品です。
馬具 雲珠(うーず)
唐鞍カラクラのしりがいにつける宝珠の形をした飾り。
から‐くら【唐鞍】
平安時代以来、晴儀の行幸などの飾り馬に用いた唐様の鞍。外国使節の騎乗や御禊ゴケイ行幸の供奉グブの公卿、賀茂祭・春日祭の勅使などが用いた。 大和鞍。
2 伊台小学校校庭から出土した土師器(はじき)と呼ばれる土器は、平安時代のもので今から1000年も昔のものです。
この種の土器は日本にも数少なく学問上大切なものです。昭和40年頃、伊台小学校の郷土クラブ発掘。(指導者・薄墨賢衛)
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