伊予弁は柔らこうて、上品で、古風で・・・ほんでも小説「坊ちゃん」で使われたみたいな伊予弁は、今はもう使いよらせんがな。 |
とにかく、ええとこじゃけん。一回だけでも きとーおみや。また、きとなるけん。 |
お城へいて、東雲から大街道、ほてから港町を歩いて、市駅からチンチン電車に乗って、道後のゆーにでもはいって・・・ほーよほーよ。 |
市駅前 始発 チンチン電車 道後温泉 行き |
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市駅からならボーギーがええわい。梅津寺へいて四十島(ターナー島)でもみといでや。景色がええぞな。 |
正岡子規がこの町で生まれたんで俳句の町じゃ言われとるけん、一句よむんもえーなー。 |
俳句だけじゃのーて、野球も盛んなんよ。「野球」の名付け親が正岡子規じゃ云うて、煩いけんど、本当は中馬庚(ちゅうまんかなえ)たら云う人じゃと言われとらいな。鹿児島の人らしい。人間が大きい。西郷どんじゃ。細か事は言いもうはん。 |
松山は町中が句碑だらけぞな。一回まわってみたらどうじゃろか。 |
椿湯の湯釜には子規の句が書いてあって |
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慶応3年 |
(明治元年) |
<1867> |
10月14日 |
(秋) |
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誕生 |
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女湯 |
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「巡(禮)礼の 杓に汲みたる 椿かな」 |
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明治28年 |
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1895 |
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28才 |
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春 |
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男湯 |
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「十年の 汗を道後の 温泉(湯)に洗え」 |
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明治29年 |
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1896 |
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29才 |
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夏 |
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明治35年 |
<1902> |
9月19日 |
35歳 |
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(秋) |
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没 |
(糸瓜忌) |
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とあるそうじゃが、女湯は見ていてないけん、ほんとかどうかは知らんぞな。 |
この句が子規のもんじゃないたらいうて、困らされた。子規記念博物館にいて聞いたら「間違いない」言われたわい。tokyou |
ほれから「松山には・・よもだ・・が多いけん俳句が盛んじゃ」たらいうお人がおるけんど、その人こそ・・よもだ・・よ。 |
それもあんたその人は、子規記念博物館の館長たらになったんじゃと。(今は名誉館長)えかげんなこと言うたらいかんぞな。 |
彼が若い頃にNHK松山の劇団員じゃったんを知っとるんよ。たしかラジオドラマじゃけど、やりよったんを覚えとるんよ。 |
子規記念博物館 名誉館長 |
天野祐吉(あまの・ゆうきち)さんが平成25年(2013)20日午前10時38分、間質性肺炎のため死去した。80歳 |
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露口茂、佐伯徹、正田百合子、河村孝子・・・水戸宗理PD、仙波PD、関根PD、眞鍋光子PD、・・・。 |
仙波PD云うたらの前田伍健さん「川柳相撲」よ。 |
ノコッタ ノコッタ ○○寄り切って勝負あり。元気のいい伍健さんの声。だいぶ忘れかけとらい。すまん。 |
この頃、小栗のNHKで立ったまんまでミキサーしよった。四角い箱みたいな器械じゃった。もう半世紀も前の事じゃけん忘れたがな。 |
作家、美術評論家 洲之内 徹(すのうちとおる)先生じゃったと思うが、ドラマを書きよった人よ。 |
髪を長う伸ばして、格好いい、おとなしい物静かな先生じゃった。憧れのインテリよ。 |
大正2年(1913)、松山市大街道1丁目の陶器店に生る。 松山東高校(当時松山中学)の校歌を作詞。・・・・・ |
こんな偉い人とは知らずに、よー色んな事を話しよったんよ。 |
終戦頃から1952年上京までの5,6年の間は、松山に居られたと思うが・・・。 |
NHKのラジオドラマを書いたりして。題は忘れたが先生のドラマがあったと記憶しとるが、正確には忘れた。 |
ほれからあれよ シナリオ作家 坂本忠士先生・・・ |
故・坂本忠士氏(1918~93)は松山市出身で、映画界で、シナリオライターや劇作家、 |
また、戦後はNHK松山放送局のライターとして活躍し、晩年は松山市大街道で田都画廊を経営されていた人物です。 |
もー古いんでその頃の人の名前をだーぶ忘れたかい。 |
ほーよほーよ、岡田のあきさんよ。あとでPDになった言う人が居ったがな。 |
わしゃー、その頃駆け出しのミキサーよ。歳は二十歳過ぎよ。今で言うAUじゃがな。マイクで拾ろた声を音楽や効果音と混ぜるんで、ミキサー言いよったんよ。 |
結構センスが要る仕事で勉強になったわい。いま思い出した。 |
ラジオドラマのリハーサルで、露口茂と誰じゃったか忘れたが、劇団の女の子が、効果に回ってSEを付けよったときじゃった。 |
男が女に抱きつくシーンよ。足音で表現するんじゃが、音が真に迫ってないんで、わしがクレームつけての。 |
なかなか上手くいかんので、実演して見せた事があったワイ。何しろ全部生(なま)の時代じゃけん、大事よ。 |
なんでか、よー思い出したワイ。 |
何の話しよったんじゃったかなー。これもはや忘れたよ。ボケたんじゃろか。何処ぞのコマーシャルで聞いた事あらい。 |
「皇国ノ興廃此一戦ニ在、各員一層奮励努力セヨ」の秋山の眞さんが聞いたら怒らい。「よもだ」がバルチック艦隊は破れんぞな。 |
正岡子規も友達じゃけん、一緒になって怒ると思わい。 |
ほてから偉い坊さんの一遍上人も愛媛県松山の出身じゃ。昔の事じゃけん伊予の国の道後よ。 |
河野家の出じゃけん、私とこも河野家流属で縁があるみたいじゃが、遠い遠い昔の親戚よ |
司馬遼太郎の長編小説「坂の上の雲」で話題になった、秋山好古(よしふる)、真之(さねゆき)兄弟も松山出身ぞな。 |
ほなら、この後、伊予弁丸出しの話でもよんどーみや。 |
西岡千頭云う近所においでる「星」のことにえらい詳しい先生の話しじゃけん為にならい。 |
外題は「方言で語る伊予の伝説」云うんよ。おまけじゃけんど道後界隈の写真を付けとくけん、まー見と―みや。 |
ほじゃけど、正岡子規や一遍上人も伊予弁でいよったんじゃろか。だれぞ、知っとたら教えてや。頼のまい。 |
一遍さんが生まれた愛媛県の松山市道後湯月町にある時宗「宝巌寺」と「一遍上人」も見てみてみてや |
伊予弁丸出しのメールの公開もやっとるけん。面白いと思もとるけんど、どーじゃろか。好かったらメールでも頼まい。 |
uguisu |
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最近の話題は、やっぱり「足湯」じゃろ。ちょっとだけ紹介しとるけん、見てみて。 |
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足湯巡りは、下駄のコースと桶のコースを御用意しとるけんな。 |
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