富田 狸通 ねらう松山名物俳句料理
惜しいねヤ・・・から
ある日、あるとき-ーーー、
誇り高き松山人柳原多美雄(郷土史研究家)富田狸通(俳人)両氏が会って話した。談たまたま郷土料理のことに及ぶ。
観光文化都市の看板を掲げる松山市に、豊富な素材を生かした独自な郷土料理がないということだった。
「観光は、自然の美をモデルだけでは、ナントモ食い足りぬ。これにうまいものが付随して、さらに格別な味わいが生まれるのじゃが、惜しいもんじやねヤ」
こんなことから「俳句料理」のアイディアが飛び出した。
松山は俳句のメッカである。正岡子規の出生地ということが、この上もない誇りになっている。その子規に、実に食いものの句が多いのだ。食い気が盛んだったという子規は、食いものを通して、ふるさと松山をなつかしんだのである。
愚陀仏庵に五十余日こもったとき、無一文だった子規は、夏目漱石の名前で勝手に料理を注文して食った。それをだまっていた漱石の友情があたたかい。
「子規の食い気にあやかろう」
と、いうわけで、このアイデアに市の観光課も乗り出した。同課では、あらためて柳原・富田両氏のほか、和田茂樹・永田政章・弘田義定氏など、子規を研究している人々に選句を依頼した。
ハゼありタイあり
子規には食物の句がたくさんある。
鯊(はぜ)釣りの大可賀帰へる月夜かな
故郷の秋の白魚御覧ぜよ
秋風や高井のていれぎ三津の鯛
故郷の鮎食ひに行く休暇哉
垣越しに隣へくぱる小鯵鮓
われに法あり君をもてなすもぶり鮓
名物の蒟蒻黒きつりじかな
蒟蒻につつじの名あれ太山寺
筍を小荷駄につけて土産哉
御所柿に雄郡祭の用意哉
牛蒡(ごぼう)肥えて鎮守の祭近づきぬ
選び出せば、松山の土地に関連したものだけでも、まだまだ多かった。
瀬戸の小魚、石手川のアユ、湯山の筍、太山寺のコンニャク、小栗のカキ、山越のドジョウ汁、ヒノカブ、ティレギ・・・・、ふるさと松山の味覚が、子規の句に躍如としている。これらの句は四季別に分けられた。
一応のお膳立てがそろったところで、旅館組合・料理組合・スシ組合に話が持ち込まれたわけである。
子規の俳句と料理の素材を調理の上で、どんな表現に完成させるかーーー、むずかしい技術上の問題もあった。それぞれ「俳句料理」のアイディアを持ち帰って、試作をすることになった。
新春を迎え、まず、試作第一号が、湊町のスシ屋で生まれた。スシは、子規の句に「もぶりズシ」で出てくる。
明治二十五年夏、漱石がまだ大学予備門の学生だったとき中ノ川にあった子規の家をたずねた。母堂が松山のちらしズシを作ってもてなしたという。「われに法あり・・・・」の句は、そのときのことである。上京した子規は、寄宿していた藤野家に大勢の友人を呼び、松山ズシをつけてもらった。
鮓つけて同郷人を集めけり
われ愛すわが子州松山の鮓 子規にとって、松山ズシは忘れられぬふるさとの味だったようだ。
松山ズシはすでに形ができあがったものだから、これは新しく生み出す苦労もなかったという。これに吸いものがついていた。
いまは故人となった富田氏夫人、喜美子さんが主婦の立場で考え出したものがある。手打ちそばを台に、フ、卵焼きにミツバをあしらって伊予ガスリの感じを出したものである。これに句がそえてある。
花木槿(むくげ)家ある限り機(はた)の音
子規堂のある正宗寺の田中宗担住職がいった。
「子規堂にくる観光客に、松山の料理のある店をよくたずねられる。松山には、豊富な素材があるのだから、趣向をこらしてもらいたい。どこにでもあるものではいけない。詩の町、歌の町といわれる特色がほしい。俳句の底を流れる“心“
がくみ取れるような料理があれば・・・・これは結構なことだ」
「観光ブームで、まず温泉と道後にくるが、昔のふん囲気がうすれ、食うものはシナ料理だったりではがっかりする。観光のポイントは道後温泉、それに俳都松山ということになる。子規が残した俳句をうけ継ごう」ーーー狸通氏
「句にある素材をズバリ出して行こう。それから思い思いの趣向が生まれ、やがて、俳句料理の決定版にしては・・・・・」--柳原氏
「新しい創作を・・・・・」雑誌百店の編集者の南氏 俳句料理に寄せる期待である。
子規の句をそえて
富田喜美子さんが残した俳句料理のメモを子規の信奉者でもある三井清さんが手がけてみた。「俳句料理」が飛び出す手がかりにもなろう。
三角に切ったコウヤドウフに青ノリをふりかけ松山城に見立て、ハゼと小鯛の三バイ酢につけたものがオタタのゴロピツを形どった器に置いている。
春や昔十五万石の城下哉
マグロとイカを紅白のツバキにしたサシミ
順札の杓に汲みたる椿かな
ワカメとシラウオの酢もの
白魚の又めぐりあふ和布(わかめ)かな
それぞれに子規の句がそえてあった。
旅館.料理・割烹の店々で「俳句料理」が考えられている。観光松山の新しい名物が、やがてお目見えするだろう。
松山や俳句料理に春は立つ 狸通
(田中宗担、富田狸通、柳原多美雄、南一郎、三井清各氏の座談からまとめた。)(昭和四五、二、七)