「待 御幸 又新殿 也 蘭の花」 | 創業明治15年(1881) 老舗「玉泉堂」本舗 | |||||||||||||||||||||||||||
昭和25年春日 泉殿御行幸 謹吟 黙禅 | 四国道後 温泉煎餅 松山市道後湯の町12−31 | |||||||||||||||||||||||||||
黙禅が「店の飾りにしなさい」と置いていった額 | 089−921−2528 道後温泉駅より徒歩3分 | |||||||||||||||||||||||||||
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酒井黙禅(1883-1972)は、福岡県八女郡水田村に生まれる。本名和太郎。 |
熊本第五高等学校より東京大学医学部を卒業し、東大俳句会に入って句作を始めた。 |
後に、虚子に師事して「ホトトギス」の同人になった。 |
大正9年3月に38歳で日赤病院長として松山に赴任、日赤病院長として1954年まで29年間勤め、生涯句作にも励んだ。 |
「寝ころんで 蝶泊らせる 外湯哉」 小林一茶 |
あの正岡子規も絶賛した玉泉堂の温泉煎餅は予約制で約一ヶ月余り掛かります。 |
明治時代からずっと同じ作り方を続けている伝統の味。 |
創業明治15年(1881)以来120年余、味を変えない、作り方も変えない頑固さ。その味と香りと歯触り。 |
いつまでも心に残る美味しさの「温泉煎餅」「潮煎餅」。 |
潮煎餅は戦後の職人不足で一時途絶えていた玉泉堂のもうーつの看板商品。 |
潮煎餅の缶の美しい柄は、奥様の嫁いり道具の古伊万里のお重から採ったものだという。 |
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「秋もはや 塩煎餅に 渋茶哉」 正岡子規 明治34年 秋 筆 (明治35年9月没) |
私が子供の頃の温泉煎餅の容器は、薄い銀色地に透き通った文字が書いてあった記憶があります。 |
空き缶はお菓子入れとして使っていました。 |
何時も仏壇の横の箪笥の上、猫の飾りが付いた置時計(アメリカ人技師からの贈り物)と並んで置いてありました。 |
煎餅の容器の柄(波に千鳥)は、 |
その昔、鍋島藩から宇和島伊達藩にお輿入れされた姫君の嫁入り道具の一つと言われる古伊万里の、 |
玉泉堂の奥さんの実家では、今も大事に取り扱われているとのことです。 |
参考 道後温泉駅奥 伊予鉄バス操車場横 に鎮座まします 「温泉稲荷」 |
温泉稲荷にある老舗「玉泉堂」本舗の寄付石碑 |