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  富田 狸通  全国指名手配のウラバナシ 観光ポスターのモデル 道楽院風来狸通居士の全貌

 今年は松山市が国際観光温泉文化都市に登録されて二十年目になる。それを記念して刊行された「道後温泉の観光ポスター」に、私の顔がモデルになって「DISCOVER⇒JAPAN」のキャッチフレーズで国鉄の全国主要駅に貼り出されている。

 貼り出されはじめたのが二月の末ごろからで、三月に入ると「君の顔らしいポスターを東京駅で見たが::」と言ってきた友人が一日に三人あり、つづいて青森・熊谷・名古屋・大阪・鹿児島からも「見た、見た」と便りがあるので「全国指名手配」の効果におどろいた。もちろん、名誉でもない、恥ずかしいことで、家族のものは肩身のせまい思いをしているらしい。

 モデルのウラバナシというのは去年のことで、夏ごろであった。

 松山市の観光課の紹介だといって五人連れの若い未知の男が来て、新作の観光ポスターのモデルに顔を貸してくれと頼まれたが、参議員選や、知事選のそれとちがい、老来何の因縁で、そんな相談にのれるものかと一蹴した。

 ところが「先生(急に敬称となる)は郷土の顔だと聞いてきた、その先生に、先生が最も愛する道後温泉のために、ぜひ、まげて!」と、郷土のため、道後のためという殺し文句には、私は絶対に弱いので、その理屈に押されて、不承々々にモデルになることを引受けてしまった。

 あとで聞いた話であるがこの観光ポスターは、募集して十二種の応募作品中から審査の結果、採用が決まったということである。

  (閑話休題)

 去年の九月から十月にかけて、日本テレビが企画して、竹脇無我が坊っちゃんの役で、田村高広(山嵐)山本陽子(マドンナ)小松政夫(うらなり)らのスタッフで漱石の「坊っちゃん」のロケーションが、道後温泉で行なわれた。その湯の中でのシーンに、エキストラを選ぶとき、映画監督が市の観光課で、私の顔のポスターの原画を見付けて「ぜひ、このご老人の顔がほしい」と、市へ斡旋方を申込んだそうな。市の役人は「このモデルの人は、映画に顔をさらすような人ではない、紹介はできぬ、どうしても、というのなら直接逢ってお頼みなさい」と断ったので、監督さん自らが私を訪ねてやってきた。そしてポスターのモデル出演以上に、しつこく口説かれたので、とうとう又「道後のためなら」ということでしぶしぶ引受けてしまった。

 今度は、ポスターのモデル撮影とはガラッと調子がちがって、夜の十時から温泉客をしめ出して、わずか三分間ほどのワンカットを撮るために延々二時間を要し、私は坊っちゃんとうらなりの演技に加わって、熱い湯の中でグタグタになった。

 それでもこのときは今を時めく人気俳優といっしょに映画に出るというので、遠方の親戚や知人に、私の名演技ぶりを見てもらおうと、前広く宣伝して放送日を待っていた。

 そして六回に分けて南海テレビから放送された「坊っちゃん映画」を、今度こそ、今度こそと放送日ごとにテレビと首っ引きしたが、遂にその熱演のシーンは放送されなかった。ガッカリしたというよりも、期待していた親戚や知人に申しわけなくガックリしたのである。

 もちろん、テレビ局から出演料はおろか記念のタオル一筋も貰っておらず、またNGでカットしたというあいさつも通知もなかった。これがほんとうに「丸つぶれの顔」であった。

 今度の「全国指名手配」の顔も、どこのどなたが撮影したのやら、名刺も貰っておらず、あとで聞いてみると、大阪の若いデザイナーのグループの制作だということだけで、モデル料どころか、記念の原画写真もくれず、ただ市内の印刷会社から菓子箱一折が届いただけである。

 ところで、このポスターは、何と言っても道後温泉独得の湯釜のデザインが力強く利いていて、神像を彫刻した古い石槽の地肌といい、万葉の古歌と山部赤人の名も見えるところに魅力がある。私の口元の横からとび出しているオタマジャクシは、鼻唄の楽譜で、古い湯釜に近代味をマッチしているのだそうである。

 三月二十五日、このポスターが、愛媛県観光協会主催の第一回観光宣伝物コンクール、ポスターの部に松山市から出品して、県下の応募作品二十三点の中から第二席の観光協会長賞をうけて表彰されたので、最近になって「あのポスターの原画は僕が撮影した」という手柄人が現われたが、これも原画を提供しただけで、誰の企画で、どこが誰の責任で制作されたのやら知るすべもなく、温泉地らしくのんびりした話でもあり、いずれにしても名誉でもない間の抜けたモデルのウラバナシである。                          (「愛媛タイムス」昭和四六、四、一九)