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史上に記録された三光現象(田植えの季節、昼間に金星が見えた記録)(古文書より) | 独断と偏見 お国言葉 伊豫の方言 | 日本の星の伝説 |
太陽と月と星の三つが一緒に水面に映る田圃(たんぼ)○●☆ 古文書に見る三光田の由来 推定した場所 樋又(ひまた) 地図で推定した樋又 | ||||||||||||||||||||||||
だいぶ昔の話じゃがな。道後(どーご)村の百姓に助六さんちゅう人がおいでたそうな。何でも道後(どーご)のゆ(湯=温泉)から5〜6町ほど西の、樋又(ひまた)いうとこにたー(田)があってなー。五月(さつき)の田植えごろのことよ。五月(さつき)言うても旧暦(きゅうれき)のことじゃけん今の6月ころよなあー。 代掻き(しろかき)もでけたし、苗とりもすんだし、あしたはいよいよ田植えじゃとおも(思う)て、わー(吾)とこのたー(田)の見回りにいたん(行ったん)じゃそうな。なにしろそのごろはオゴロ(もぐら)が仰山(ぎょうさん<沢山>)おってなあ。せっかくええがい(具合)に塗った畦(あぜ)に穴をあけられて、さあ田植えしょうおも(思う)ても、いて(行って)見たら水が抜けてしもとることも再々(さいさい)あったもんよ。 「水は抜けとりゃせん。こりゃよかった。」おもて(思って)、ひょっと見ると、代掻き(しろかき)した泥田の隅の方が筵(むしろ)1枚分がとこ、水がきれいに澄んどるんじゃがな。「不思議なこともあるもんよ」とおもた(思った)助六さんは、畦(あぜ)にしゃがみ込んで、じっくりと見たんじゃそうな。 ほしたらまあ、何んちゅうことかいな、その水面におひさん(太陽)とお月さんとお星さんが、三つとも一緒に、ちゃーんと映っとるんじゃがな。「こりゃ、らっしょもない(大変な)ことじゃ」とたまげて(魂消て)しもたもんよ。 ひしこで(必死で)走ってもんて「おかあ。おるかや。おおごとのもんぞよ」と、今見たことをつれあいに話したもんよ。嫁さんはおおどな(図々しい)人で、ちいと(ちょっと)ぐらいなことでたまげた(魂消た)りするかや。「てんごのかー(いい加減なこと)おいいなや(言うな)、ひと(他人)が聞いたら、しんけい(気違い)になったんか思うがな」というて信用せなんだそうな。とにかく、無理こ矢理こそのたー(田)に連れてきて「畦(あぜ)の塗りたてじゃけん、足がにえこまんように(取られんように)歩けよ」ゆうて、そろそろ歩かして、たー(田)の隅を見せたんじゃそうな。畦(あぜ)ぶちにしゃがみ込んで水面を見たともたら「ああもったいない、もったいない」と言いもって(言いながら)両手を合わせて泣き出したんじゃと。 さて、このたー(田)をどしたらええもんじゃろかと、夫婦で相談しよったとこへ山伏(やまぶし)さんが通りかかったんよ。こりゃええとこへきておくれたわいと、助六さんは山伏(やまぶし)さんに「拝んでつかさいや」言うてお頼みしたんじゃそうな。 引き受けてくれた山伏(やまぶし)さんは畦(あぜ)ばたに立って、左手に金剛杖(こんごうずえ)をつき、右手に数珠(じゅず)を掛けて目をつむり、しばらく呪文(じゅもん)を唱えよったが、やがて目を開けて「これは日天子(にってんし)、月天子(がってんし)、明星天子(みょうじょうてんし)があらわれなさったんじゃ。もったいない所じゃによって、この場所に注連縄(しめなわ)を張り、人も牛も入れてはならん」と言うたかともたら(思ったら)、いつの間にやらおらんようになったんじゃそうな。 助六さんは言われた通りに注連縄(しめなわ)を張りめぐらし、お神酒(おみき)を供え、その場所へは苗を植えなんだそうな。それ以来、このたー(田)のことを「三光田」(さんこうでん)と呼ぶようになったんじゃと。 仏教では太陽を日天子(にってんし)、月を月天子(がってんし)、金星を明星天子(みょうじょうてんし)と呼び、これを一緒にして三光天子(さんこうてんし)と言うんじゃそうな。それにしても、真っ昼間に三つが一緒に見えるとは不思議なこともあるもんよなもし。こがなことのわけは、天文博士にでも聞いてみてや。 | ||||||||||||||||||||||||
(平成4年7月12日 愛媛新聞 「愛媛の昔語り」西岡 千頭) | ||||||||||||||||||||||||
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