古文書に見る三光田の由来 |
道後村の内、三光の田という所あり。五月に至り水をちらし明日早苗取るべしというころ、この泥水中、殊に澄みこる所有り。能く見れば日月星の影をあらわせり。実にふしぎの事に思い、恐れて耕をやむ。---温湯の西五六町に樋股(ひまた)というところ有り。是を すみ田 とも 三光の田ともいう。<予陽郡郷俚諺集 温泉郡の部より抄録>
この書は松山藩家老 奥平氏により編集されたもので、松山藩内全域内の地名の伝説や神社・寺院・城址の由来などが集録されている。完結したのは宝永7年(1710年)である。
<この現象の特定> これは金星の最大光輝の現象を見たこの地の人の言い伝えで、現代の暦に直すと1393年6月12日の事である。(西岡) |
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1393年6月12日夕方6時30分頃の松山の西の空です。こんな空が田圃に映ったのかな? |
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道後村の内、三光の田という所あり |
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現在は保之木(ほのぎ)で桶又(ひまた)桶股(古い字)、愛媛大学キャンパス、昔の錬兵場、その又昔は松山松平藩の馬場と北側の護国神社の間あたりの広い地域を指すので細かくは不明。桶又(ひまた)とは、地図を見ると判ると思いますが、川と川の間、桶みたいな処、と言う事らしい。 |
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数少ない京都伏見稲荷分社「樋又稲荷神社」の看板あり |
この奥左手に京都伏見稲荷分社「樋又稲荷神社」あり |
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桶又に残る数少ない田圃 正面右の山は御幸寺山 |
道後樋又下組中の幟柱 |
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この現象は特別な場所で起きるわけではない。単に「金星の最大光輝の現象」のことである。世界中、何処でも起きている。 |