JA5DLGの宿貸しマウス・ホームページ JA5DLGの宿貸しマウス・ホームページ JA5DLGの宿貸しマウス・ホームページ
湯築城跡 南側外堀で見つけた 播州赤穂藩から贈られた 忠臣蔵義士所縁の 櫨の木
元禄16年(西暦1703年)2月4日松山藩預かりの赤穂浪士十名は江戸三田の松山藩邸に於いて、幕命により切腹した
江戸三田の松山藩邸は現在駐日イタリア大使館 〒108-8302 東京都港区三田2-5-4 電話 03-3453-5291 FAX 03-3456-2319
湯築城跡外堀南側で見ーつけた 播州赤穂から贈られた 忠臣蔵 所縁櫨(はぜ)の木 櫨と木蝋 ハゼ(櫨)の木の毒性 医薬品情報21
2006年11月22日、11:21:12 撮影
2006年11月17日、11:23:12 撮影
2006年11月25日、10:20:29 撮影
yurai
道後水利組合 平成十年十月吉日






道後部落



うそくにも関係があるかも知れない。 谷に嫁いで来た。

こうして考えると大洲藩の名産ろ
次は與居島の人である。

中村勘助の娘るりは大洲新
菅谷半之丞は伊予郡松前の生まれであり、

杉野十平
となっていたが、

今はこの木のみとなった。

因みに
山の四季を彩り、

赤穂義士の快挙への思いのよすが
えた。

春は鮮やかな新緑で、

秋は辰砂色の紅葉で松

松山藩ではこれを石手川の堤防と
この堀の堤に植
の記念として、

松山に送り届けてきた。
た播州赤穂の人
々は、

赤穂の特産の櫨の苗木を感謝
の鑑として丁重にあつかった。

後にこのことを知っ

時の松山藩主

松平隠岐守定直は義士たちを武人
○大高源吾忠雄





三十二歳




○貝賀弥左衛門友信



五十五歳




○菅谷半之丞政利




四十四歳




○岡野金右衛門秀包



二十四歳




○木村岡右衛門貞行



四十六歳




○千馬三郎兵衛光忠



五十一歳




○不破数右衛門正種



三十四歳




○中村勘助正辰





四十八歳




○堀部安兵衛武康




三十四歳




○大石主税良金






十六歳




十士の氏名











は江戸三田の松山藩邸に於いて、
幕命により切腹した

元禄十六年二月四日松山藩預かりの赤穂浪士十名
この木の由来




元禄16年(西暦1703年)2月4日松山藩預かりの赤穂浪士十名
江戸三田の松山藩邸に於いて、幕命により切腹した
十士の氏名
大石主税良金 おおいしちからよしかね 十六歳 (筆頭家老1500石大石内蔵助)長男
大石内蔵助嫡男
堀部安兵衛武康 ほりべやすべえたけつね 三十四歳 (弥兵衛50石隠居料養子)馬廻江戸留守居役200石
堀部弥兵衛養子、高田馬場の決闘で有名
中村勘助正辰 なかむらかんすけまさとき 四十八歳 馬廻祐筆頭100石
急進派を説得
不破数右衛門正種 ふわかずえもんまさたね 三十四歳 元馬廻元浜辺普請奉行元100石
内匠頭より閉門されていた暴れん坊
千馬三郎兵衛光忠 せんば(ちば)さぶろべえみつただ 五十一歳 馬廻100石
内匠頭と不仲で閉門されていたが忠義厚く参加
木村岡右衛門貞行 きむらおかえもんさだゆき 四十六歳 馬廻150石
「赤城盟伝」の跋文を残す
岡野金右衛門秀包 おかのきんえもんかねひで 二十四歳 部屋住(亡父金右衛門包住は物頭200石)
恋人から吉良邸絵図面を入手するのはフィクション
菅谷半之丞政利 すがやはんのじょうまさとし 四十四歳 馬廻代官100石
大石内蔵助にしたがい東下り
貝賀弥左衛門友信 かいがやざえもんとものぶ 五十五歳 中小姓近習 蔵奉行10両2石3人抹持
吉田忠左衛門弟
大高源吾忠雄 おおたかげんごただお(ただたけ) 三十二歳 中小姓近習 膳番20石5人抹持
茶の宗匠山田宗偏から吉良在邸の情報を得る
 時の松山藩主 松平隠岐守定直は義士たちを武人の鑑として丁重にあつかった。
後にこのことを知った播州赤穂の人々は、赤穂の特産の櫨の苗木を感謝の記念として、松山に送り届けてきた。
 松山藩ではこれを石手川の堤防とこの堀の堤に植えた。
春は鮮やかな新緑で、秋は辰砂シンシヤ色(あかいこと あか 朱 辰砂)の紅葉で松山の四季を彩り、
赤穂義士の快挙への思いのよすがとなっていたが、今はこの木のみとなった。
因みに菅谷半之丞政利は伊予郡松前の生まれであり、杉野次房十平次は與居島の人である。
中村勘助正辰の娘るりは大洲新谷に嫁いで来た。
こうして考えると大洲藩の名産ろうそくにも関係があるかも知れない。
平成十年十月吉日        道後部落
道後水利組合
忠臣蔵 義士 47名 一覧