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  伊予人気質

 伊予は詩のくに、歌のくにといって、一応文学の町で通っている。俳句が盛んな松山市は、気候風土もおだやかで環境は詩情に恵まれている、ということは、人情ものんびりしていて詩情的ではあるが、どこか抜けていて親しみがある。そのくせ、小悧巧で、才士型で“伊予猿“ の名で評せられた時代もあった。

 伊予に生まれて伊予に育ち、この年まで伊予に住んでいる私は、他人ごとではなく伊予人気質について考えさせられることが多いのである。そして忘れることのできぬことが一つある。

 それは、十年ほど前の「週刊朝日」の記事に、作家の伊藤整が「松山拝見」という見出しで、松山城と道後温泉をほめたあとに“松山市民、いな愛媛県民の理想の生活というのは、退職資金を貰ったら、お城の見える所に住宅を建てて、伊予鉄の株主優待パスを持ち、毎日道後の朝湯へ行くことだ・・・・・お城の見える温泉町で、俳句とお茶と謡と人の悪口を楽しんで湯に入っている結構な暮しの市民が松山人だ、そして 小細工の悪口の名人が多い“と書いていたことである。

 なるほど、小細工で理屈屋は多い。いま問題の松山市議会の汚職事件にしても、小さい理屈詰めで割り切っているから大多数の議員の大きな道理が引込んでしまうわけである。道理といえば、むかし代議士選で、現職の郵政大臣を落選させて日本一の評判を得たこともあった。

 伊予人は、あまり偉くならんのが無難のようである。偉くなりすぎると郷党の風当たりが強いらしい。“世の中は兎角たぬきの泥の舟漕ぎ出さぬがカチカチの山“(高橋泥舟詠)で、伊予人のことに心得るべき教訓である。

 ところで伊藤整はこういっている、“松山人は律義で使いやすい“と。ほめたのかくさしたのか、思いあたるふしもある。ものを頼まれるとよう断らず、用件を引受けるとおちおち眠りもしないで大きな負担を感じる正直さがある。

 また戦後派には通じないことではあるが、買い物をする場合でも、ヒヤカシは不得手で、店をくぐると 必ず何か買わねばならんという律義さがあることは私も実験者である。ことにそれが日ごろ親しい店であれば、店の方でも素手では帰さぬという心積りがあるらしい。この弱い律義なところは、ある場合にはとても親切になって現われることがあるのも伊予人である。 また夏目漱石の「坊っちゃん」では、バッタ事件の中で、“卑怯な奴だ、・・・・・嘘を吐いて胡魔化して、陰でこせこせ生意気な悪いいたずらをして、そうして大きな面で卒業すれば、教育を受けたもんだと、かんちがいをしていやがる。話せない雑兵だ“とひどいことを書かれている。もちろんおもしろい小説論法ではあるが、ありがたくない次第である。

 学生の生意気なのは今も昔も変わりはない。“そりやイナゴぞなもし“ “なもしと菜飯とは違うぞなもし“ などと皮肉に松山の方言でやりとりしているが、師弟間の親しさと、当時の中学生気質がうかがわれてたのもしいものである。

 当時の松山中学生がナモシの方言を使ったかどうかは論外におくとして、漱石がこの方言を使うことによって松山人気質を表現しようとしている意図は、よくわかるほどにうれしい。いまこのナモシ言葉をめったに耳にすることができぬのは何といっても淋しいものである。ある人は“今さらナモシ言葉など見苦しい“という向きもあるというが、それこそ間違った、自らを卑屈に考える卑怯な伊予人気質である。

 方言こそ、郷土の古い文化と郷愁をうけつぐ無形の教訓で、郷土の誇りとすべきものである。

 標準語がやかましく言われる裏には、大阪弁・京都弁・九州弁の方言が堂々と大阪人・京都人・九州人の土根性を現わす誇りとして適用していることを思わねばならん。

 今日、伊藤整の評する伊予人気質に対しても、すでに六十年前、折角、漱石の「坊っちゃん」によって全国に宣伝された純朴で正直で、どこか抜けているような、おゝらかな響きをもつこの“ナモシ“ の方言こそ、伊予人の気質を堅め、その根性を養う所以のものであろうと思う。

川柳人前田伍健翁も“松山の春松山の秋エーナモシ“と短い句の中でうまいことを詠んだものである。 (「愛媛新聞アド・ニュース」一九六六、一)