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元禄16年(西暦1703年)2月4日松山藩預かりの赤穂浪士十名は江戸三田の松山藩邸(現イタリア大使館)に於いて、幕命により切腹した
イタリア大使館 〒108-8302 東京都港区三田2-5-4 電話 03-3453-5291 FAX 03-3456-2319
湯築城跡の外堀南側で見ーつけた 播州赤穂から贈られた 忠臣蔵所縁の 櫨(はぜ) の老木
2006年11月22日、11:21:12 2006年11月17日、11:23:12
元禄16年(西暦1703年)2月4日松山藩預かりの赤穂浪士十名は江戸三田の松山藩邸(現イタリア大使館)に於いて、幕命により切腹した
在日イタリア大使館内 〒108-8302 東京都港区三田2-5-4 電話 03-3453-5291 FAX 03-3456-2319)
10士の氏名
大石 主税 良金 おおいし ちから よしかね 十六歳 (筆頭家老1500石大石内蔵助)長男
堀部 安兵衛 武康 ほりべ やすべえ たけつね 三十四歳 (弥兵衛50石隠居料養子)馬廻江戸留守居役200石
中村 勘助 正辰 なかむら かんすけ まさとき 四十八歳 馬廻祐筆頭100石
不破 数右衛門 正種 ふわ かずえもん まさたね 三十四歳 元馬廻元浜辺普請奉行元100石
千馬 三郎兵衛 光忠 せんば (ちば)さぶろべえ みつただ 五十一歳 馬廻100石
木村 岡右衛門 貞行 きむら おかえもん さだゆき 四十六歳 馬廻150石
岡野 金右衛門 秀包 おかの きんえもん かねひで 二十四歳 部屋住(亡父金右衛門包住は物頭200石)
菅谷 半之丞 政利 すがや はんのじょう まさとし 四十四歳 馬廻代官100石
貝賀 弥左衛門 友信 かいが やざえもん とものぶ 五十五歳 中小姓近習 蔵奉行10両2石3人抹持
大高 源吾 忠雄 おおたか げんご ただお(ただたけ) 三十二歳 中小姓近習 膳番20石5人抹持
時の松山藩主 松平隠岐守定直は義士たちを武人の鑑として丁重にあつかった。
後にこのことを知った播州赤穂の人々は、赤穂の特産の櫨の苗木を感謝の記念として、松山に送り届けてきた。
松山藩ではこれを石手川の堤防とこの堀の堤に植えた。
春は鮮やかな新緑で、秋は辰砂色の紅葉で松山の四季を彩り、
赤穂義士の快挙への思いのよすがとなっていたが、今はこの木のみとなった。
因みに菅谷半之丞政利は伊予郡松前の生まれであり、杉野十平治は與居島の人である。
中村勘助正辰の娘るりは大洲新谷に嫁いで来た。
こうして考えると大洲藩の名産ろうそくにも関係があるかも知れない。
平成十年十月吉日        道後部落                
道後水利組合