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三 亀 甲 花 菱




「三 亀 甲 花 菱」 三つ盛 亀 甲 に 花 菱 ミツモリ キッコウ に ハナビシ
祭神 合祀

宗像三女神(別名を道主貴之神(みちぬしのむちのかみ))として

市杵島姫命(いつきしまひめのみこと)

湍津姫命(たぎつひめのみこと)

田心姫命(たごりひめのみこと)

大国主命(おおくにぬしのみこと)

小彦名命(すくなひこなのみこと)

塩土神(しおづちのかみ)

崇徳天皇(すとくてんのう)
事代主命(ことしろぬしのみこと)

蛭子命(ひるこのみこと)

保食神(うけもちのかみ)

   

☆ 厳島(いつくしま)神社の由来
 昔の厳島神社の位置
☆ なぞ多き「熟田津」は此処だ!!
☆ 開運招福伊予七福神まいり
☆ 秋まつりに奉納される「虎舞」
☆ 芭蕉と樗堂の紗空楽都閑(さくらつか)_
 
☆ 秋祭りの「喧嘩神輿」
 平成三十年 秋祭り 写真集
表忠碑 陸軍大将 秋山 好古 書
新春開運 熟田津三社
熟田津の想像図
熟田津の想像図 昔の厳島神社の位置
神結びの木
表 忠 碑
陸軍大将 秋山 好古 書
(除隊後 北予中学校 校長)
ご祈祷のご案内
ご祈祷のご案内
厳島(いつくしま)神社 社務所 拝殿
お宮参り
一人 7.000円以上
車祓
一台 5.000円以上
厄歳・祝歳
家内安全
商売繁盛
社運興隆
海上安全
安産祈願
受験合格
病気平癒
子供の癇症
ひきつけ除け
子育て全般
その他
5.000円
7.000円
10.000円
15.000円
以上4段階です
何れかをお選びください
厄歳
女 19/33/61歳
男 25/42/61歳
祝歳
70歳 古希
77歳 喜寿
88歳 米寿
いずれも数え歳(満年齢に1歳加算)
厳島(いつくしま)神社の由来
古事記の中の神々の系譜
御祭神(主神)
宗像三女神 ○市杵島姫命(いつきしまひめの みこと) ○湍津姫命(たぎつひめの みこと) ○田心姫命(たごりひめの みこと)
勝岡八幡神社 御祭神の一つにもある三女神と同じ
○市杵島姫命(いちきしまひめの みこと) ○多岐津姫命(たきつひめの みこと)別名 日賣大神 ○多岐理姫命(たぎりひめの みこと)
厳島神社の(いつくしま)は市杵島が変じたもの
御神徳
外難防御の神(すべての災難を防ぎ、福を招く神) 御祭神の宗像三女神は別の御名を「道主貴之神」(みちぬしのむちのかみ)と申し上げ、陸上・海上・航空の安全を守り給う最高最貴の神様でありたまう
交通安全・海上安全・子育て・病気平癒 御祭神はお子様の癇症、ひきつけ除け、すなわち子育て・病気平癒に御神威高い神様で、氏子地域はもとより県内外からも氏子に加入され御祈願される方が多いのは皆様方既にご承知の通りです
由緒
当社は崇峻(すしゅん)天皇の時代(西暦600年頃)筑紫宗像(ちくしむなかた)の神(福岡県宗像郡玄海町に御鎮座)を勧請、文武(もんむ)天皇の時代(西暦700年頃)東山の地(今の古三津新屋敷方面)に神殿を新築、聖武(しょうむ)天皇の神亀元年(西暦724年)安芸の厳島の神を勧請、天慶4年(西暦941年) 橘 遠保 (たちばなのとおやす)、河野 好方、野田 新藤次、社殿を修理し願文を納める。
【聖武天皇】しょうむ‐てんのう 奈良中期の天皇。文武天皇の第1皇子。名は首オビト。光明皇后とともに仏教を信じ、全国に国分寺・国分尼寺、奈良に東大寺を建て、大仏を安置した。(在位724~749)(701~756)
【崇峻天皇】すしゅん‐てんのう 記紀に記された6世紀末の天皇。欽明天皇の皇子。名は泊瀬部ハツセベ。皇居は大和国倉梯クラハシの柴垣宮。蘇我馬子の専横を憤り、これを倒そうとして、かえって馬子のために暗殺された。(在位587~592)( ~592)
【文武天皇】もんむ‐てんのう  律令国家確立期の天皇。草壁皇子の第1王子。母は元明天皇。名は珂瑠カル。大宝律令を制定。(在位697~707)(683~707)
【河野好方】 孝霊天皇から数えて伊予河野家第三十代当主 河野興方の子
承久2年(西暦1220年)伊予水軍の指揮者河野通信心願をこめる。
【河野水軍】こうの‐すいぐん 伊予の豪族河野氏が率いた海上勢力。源平合戦では源氏に応じ、南北朝動乱にも活躍したが、徐々に衰退。
観応2年(西暦1351年)足利尊氏難を避けて三津に寄り、久万の水田2町5反を奉る。
【足利尊氏】あしかが‐たかうじ 室町幕府初代将軍(在職1338~1358)。初め高氏。後醍醐天皇の1字を賜って尊氏と称した。元弘の乱に六波羅を陥れて建武新政のきっかけをつくったが、のち叛いて光明天皇を擁立し、征夷大将軍となり、室町幕府を開いた。(1305~1358)
【江戸時代に歴代藩主】参勤交代で三津浜から上京の祈り、幣帛を奉り、藩内平和の祈願あり。
慶長7年(西暦1602年)現在地へ奉遷
明治4年大国主命(おおくにぬしのみこと)、小彦名命(すくなひこなのみこと)、塩土神(しおづちのかみ)、崇徳天皇(航海守護、造船の神)、事代主命(ことしろぬしのみこと)、蛭子命(ひるこのみこと 恵比寿様=商売繁盛、漁業の神)、保食神(うけもちのかみ 五穀の神)を合わせ祀る。
toramai
 有名なけんか神輿が、十月七日の午前二時より宮出しになるが、
その露払いに、午前○時三〇分より神社の静まりかえった壮厳な神域で、
二メートルもある胴体から脚にいたるまで、黄と茶色で染めあげた虎の、虎舞の荒々しいショーがはじまるのである。
基本は獅子舞と同じで、前と後の二人で虎のおどる役を演じている。
一方、勢子が槍や鉄砲をもつて、虎に対抗するという芝居の系続の流れをくむ。
虎舞の構成は、まず虎を演ずる役者が二人で、獅子舞と同じであるが、虎舞の虎は、低い姿勢と腹ばいの習性が、獅子とちがい、
かなり重労働が要求される。
暗闇の中に、浮かぴあがった「虎舞のセレモニー」は、夜のしじまを、笛、太鼓、かねが鳴りひぴき、それにあわせ、猛虎は乱舞する。
 人間に襲いかかる。武者はねらいを定め、銃の引き金を引く。
虎はもんどり打って、どつと倒れ、のたうちまわり、やがて断末魔に息を引きとり、静寂にもどる。
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三津厳島神社の秋まつりに奉納されている古三津の神輿の鉢合わせと「虎舞」
 今から約四百年前に「岡田兵衛」の提案で古三津の郷土伝統芸能にしようと誕生し、
以来今日までその伝続は、古三津虎舞保存会によって受けつがれている。
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御先祖 「「岡田兵衛」」
 名前の末尾が衛 岡田十五郎の父は 岡田利衛 岡田家は当時この地区では岡田十五郎の一族しか居なかった。
一、虎舞の起源について
賎ヶ嶽(しずがだけ)七本槍の猛将の一人である松山城初代城主、加藤嘉明が淡路の志知城(しちじょう)から、
伊予松前城主となったのは文録四年七月二十一日の事です。
そして慶長二年二月豊臣秀吉の第二回朝鮮出兵に伊予の勇士二千四百人を卒いて出征し、大いに奮戦、敵首千五百三十五を得ました。
超えて慶長三年春、嘉明は朝鮮の山中で、虎狩を行い猛虎を獲得し、その頭と皮を秀吉に献じたところ、
大いによろこばれたと伊予古文書に記録されております。
此の猛虎狩を忍ぶよすがとして、以来毎年十月の秋祭りに、此れをまわしめ今日に至ったものです。
なお、朝鮮虎は尻尾の先が黒いのが特徴であるといわれております。
参 考
伊 予 古 文 書
於高麗  虎狩取  頭皮何も不残目録を添到来候
誠稀有之  儀侯條  別而悦思食候
猶本多若峡守  可申侯也
五月二十五日
秀 吉  朱印
加 藤 左 馬 殿
注 慶長二年春の虎狩りで、中島庄右衝門の部下、遠藤小太郎と森川彦兵衛は各一頭を銃殺したと云われている。
中島庄右衝門、遠藤小太郎、森川彦兵衛 ともに古三津の出身
二、踊りの内容について(約八分)
踊りでの前半は無敵を誇る朝鮮虎が、天下泰平とはかり踊りまわる場面です。そこえ虎狩に参加している勢子が現われ無敵を誇る朝鮮虎と死闘を繰り広げる後半となります。やがて勢子は、悪戦苦闘の末、ようやく猛虎を銃殺すると云う踊りです。
三、踊りの人員構成について
虎使い  二名  (頭一名、尻尾一名)
勢子   一名  (火縄銃を持ち防具を付ける)
笛    二名  (竹笛を用い紺Gハッピに自ダスキをしめる)
太 鼓  一名  (大太戟を用い紺のハッピに白ダスキをしめる)
合 計  六名
踊りの中間での勢子の台詞
(虎の心が)読めたりや、 読めたりや、さては異国の虎狩なるか、 あの笛、太鼓は勢子のもの、
ここは聞こえし千里ヶ原、 虎いなゝけば風おこる猛猷の精とおほえたり、
二十四孝の陽光は孝行の徳により自然とかれし悪孝の難、 その孝行におとるとも、
忠義に勇む我が勇気唐に渡って力を試し、 勢力増します大和力、 虎はおろか鬼でも蛇でも一とくじき。
(近松門左衛門の芝居の様な文句)
以上
玉手箱 昭和八年に四十年ぶりに復活
虎舞は全国的に非常に少ない。東北地方には比較的多く見られるが、愛媛県では古三津虎舞が唯一のものである。

紗空楽都閑(桜塚)(さくらつか)

紗空楽都閑(桜塚(さくらつか))



木のもとにしるも膾(なます)もさくら哉



はつさくら華(はな)の世の中よかりけり



「文化十二年乙亥三月」
(正面)



(松尾)芭蕉(左)



(栗田)樗堂(右)



(裏)
「万家人名録」 文化10年(1813)刊より引用
近世伊予第一の俳人 栗田 樗堂
(松尾)芭蕉(左) 「文化十二年乙亥三月」 (栗田)樗堂(右)
開運招福 伊予七福神まいり
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七柱の福徳の神 大黒天・恵比寿・毘沙門天・弁財天・福禄寿・寿老人・布袋 の7神々
道案内パンフレットは各神社に御座います
開運招福、家内安全、商売繁盛
色々願いを叶えてくれる
初詣
「 伊 予 七 福 神 ま い り 」
ご家族そろって ご一緒に
しあわせ祈って 半日コース
長楽寺


所在地 〒791-8044

愛媛県松山市西垣生町1250


電話: 089-972-3496
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喧嘩神輿とトラ昧で有名な三津神田町の厳島神社 秋の大祭 ご案内
収穫の感謝と 翌年の豊作を 祈願する秋祭り
791 8063 愛媛県松山市三津神田町1番地7号   TEL 089 951 1471 FAX 089 951 2220
神輿 上納 10月5日 午後9時頃
子供神輿 宮出し 10月6日 午後7時      子供 虎舞い 奉納
神輿 宮出し 10月7日 午前1時      虎舞い 奉納
神輿 宮入り 10月7日 午後9時頃
宮司 柳原 宰 禰宜 柳原 永祥
祭神は次の3柱[2]
柱は「宗像三女神」と総称される。3
市杵島姫命(いちきしまひめのみこと)
田心姫命(たごりひめのみこと)
湍津姫命(たぎつひめのみこと)
市杵島姫命は神仏習合時代には仏教の女神の弁才天と習合し、
隣接する大願寺と一体化して大伽藍を構成していた。
現在、大願寺は「日本三大弁才天」の1つ[* 3]とされている。