厳島(いつくしま)神社の由来 |
|
古事記の中の神々の系譜 |
|
御祭神(主神) |
宗像三女神 ○市杵島姫命(いつきしまひめの みこと) ○湍津姫命(たぎつひめの みこと) ○田心姫命(たごりひめの みこと) |
勝岡八幡神社 御祭神の一つにもある三女神と同じ |
○市杵島姫命(いちきしまひめの みこと) ○多岐津姫命(たきつひめの みこと)別名 日賣大神 ○多岐理姫命(たぎりひめの みこと) |
厳島神社の(いつくしま)は市杵島が変じたもの |
|
御神徳 |
外難防御の神(すべての災難を防ぎ、福を招く神) 御祭神の宗像三女神は別の御名を「道主貴之神」(みちぬしのむちのかみ)と申し上げ、陸上・海上・航空の安全を守り給う最高最貴の神様でありたまう |
交通安全・海上安全・子育て・病気平癒 御祭神はお子様の癇症、ひきつけ除け、すなわち子育て・病気平癒に御神威高い神様で、氏子地域はもとより県内外からも氏子に加入され御祈願される方が多いのは皆様方既にご承知の通りです |
|
由緒 |
当社は崇峻(すしゅん)天皇の時代(西暦600年頃)筑紫宗像(ちくしむなかた)の神(福岡県宗像郡玄海町に御鎮座)を勧請、文武(もんむ)天皇の時代(西暦700年頃)東山の地(今の古三津新屋敷方面)に神殿を新築、聖武(しょうむ)天皇の神亀元年(西暦724年)安芸の厳島の神を勧請、天慶4年(西暦941年) 橘 遠保 (たちばなのとおやす)、河野 好方、野田 新藤次、社殿を修理し願文を納める。 |
|
【聖武天皇】しょうむ‐てんのう 奈良中期の天皇。文武天皇の第1皇子。名は首オビト。光明皇后とともに仏教を信じ、全国に国分寺・国分尼寺、奈良に東大寺を建て、大仏を安置した。(在位724~749)(701~756) |
|
【崇峻天皇】すしゅん‐てんのう 記紀に記された6世紀末の天皇。欽明天皇の皇子。名は泊瀬部ハツセベ。皇居は大和国倉梯クラハシの柴垣宮。蘇我馬子の専横を憤り、これを倒そうとして、かえって馬子のために暗殺された。(在位587~592)(
~592) |
|
【文武天皇】もんむ‐てんのう 律令国家確立期の天皇。草壁皇子の第1王子。母は元明天皇。名は珂瑠カル。大宝律令を制定。(在位697~707)(683~707) |
|
【河野好方】 孝霊天皇から数えて伊予河野家第三十代当主 河野興方の子 |
|
承久2年(西暦1220年)伊予水軍の指揮者河野通信心願をこめる。 |
|
【河野水軍】こうの‐すいぐん 伊予の豪族河野氏が率いた海上勢力。源平合戦では源氏に応じ、南北朝動乱にも活躍したが、徐々に衰退。 |
|
観応2年(西暦1351年)足利尊氏難を避けて三津に寄り、久万の水田2町5反を奉る。 |
|
【足利尊氏】あしかが‐たかうじ 室町幕府初代将軍(在職1338~1358)。初め高氏。後醍醐天皇の1字を賜って尊氏と称した。元弘の乱に六波羅を陥れて建武新政のきっかけをつくったが、のち叛いて光明天皇を擁立し、征夷大将軍となり、室町幕府を開いた。(1305~1358) |
|
【江戸時代に歴代藩主】参勤交代で三津浜から上京の祈り、幣帛を奉り、藩内平和の祈願あり。 |
|
慶長7年(西暦1602年)現在地へ奉遷 |
|
明治4年大国主命(おおくにぬしのみこと)、小彦名命(すくなひこなのみこと)、塩土神(しおづちのかみ)、崇徳天皇(航海守護、造船の神)、事代主命(ことしろぬしのみこと)、蛭子命(ひるこのみこと 恵比寿様=商売繁盛、漁業の神)、保食神(うけもちのかみ 五穀の神)を合わせ祀る。 |
|