西法寺縁起 新しい資料を追加します。 松山市道後湯月町宝厳寺も斉明天皇により建立・・・関連 |
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古代西方寺 今から1341年以前の話(2002年現在) |
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661年 斉明7年1月 斉明天皇が伊予の国の熟田津に御船泊、霊夢を感じ伊城(代)の里「医王台」に伽藍を建立し、 |
大楽山東光院西方寺と号し、大塔に薬師阿弥陀釈迦の三尊を安置し、法興律師を迎え、天長地久山寿永寧を祈った。 |
680年 天武9年11月 白鳳9年庚辰(こうしん)天武天皇の皇后様の病気平癒を祈願。お礼に薄墨の綸旨と桜を賜る。 |
主僧典澄、この桜を薄墨桜と命名。 |
もう一説に「この花は薄墨の綸旨のように薄墨色をしている。」 |
また一説では、「藤原良房の遺体を荼毘にした煙が桜に触れ、薄墨色に咲いた。」 |
・・・つまり、 「792年−661年=131年も古くから西法寺は存在した」 と云う事が判りました。 |
副住職 薄墨賢祥和尚の資料から |
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旧西方寺 今から1210年以前の話(2002年現在) |
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開基 延暦十一年(792)桓武天皇の頃、一条院宮の開基による。 |
本尊は伝教大師御作の薬師如来である。当時は伊予国和気郡下伊台村勝岡山の麓にあった。 |
古代 天台宗に属し本山は比叡山で大楽山東光院西方寺と称す。 |
七堂伽藍を備え二十二の子院を持つ一大精舎であった。治承元年(1135)伽藍炎上す。 |
中世 弘安年間(1270頃)河野道有が再興を援助。 |
釈迦座像奉納(県指定重文・現存)永徳三年(1383)梵鐘鋳造(県指定重要文化財・現在太山寺所有) |
近世 戦国時代兵火に遭い、現在地に移転っする。この時、西法寺と改めた。 |
文政三年(1820)本堂炎上す。天保十四年(1843)本堂再建(現存) |
現代 明治二十九年(1890)仁王門再建す。昭和三年(1928)鐘楼再建す。 |
平成六年(1994)阿弥陀堂、位牌堂、客殿、庫裏等の増改築を完了する。 |