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御 真 言
オン コロ コロ センダリ マトウギ ソワカ
Mantra Om huru huru candari matangii svaha
この真言(Mantra)を唱えれば、寿命が伸び、病が治り、お産が軽くなると言われている。
また眼病に霊験灼(あらたか)なものがある。
西暦661年の昔に遡る古い歴史を誇る   薄墨桜 西法寺
住職の薄墨桜西法寺 おこよみ焼き 寺伝 薄墨桜と西法寺 八舌の鑰(かぎ) 地図でご案内
薄墨桜西法寺の七不思議 密教について ちょっと我が家の自慢 比叡山 延暦寺 御 真 言
薄墨賢衛(前住職)の声
薄墨桜 古図 (本堂 欄間)
本尊 薬師如来 は秘仏で 厨子の中におられます
阿弥陀堂
西法寺 家紋
御真言
オン コロ コロ センダリ マトウギ ソワカ
Mantra Om huru huru candari matangii svaha
この真言(Mantra)を唱えれば、寿命が伸び、病が治り、お産が軽くなると言われている。
また眼病に霊験灼(あらたか)なものがある。
河野家 家紋
このページでは松山市下伊台にある我が家の菩提寺 伊予十二薬師霊場第四番 天台宗大楽山 「薄墨桜西法寺」 の写真を紹介します。
兎に角、一度たずねて見て下さい。静かな静かな所です。健康・除病 薬・病気の神様特に眼病に効くといわれる。
伊予河野家とも深く関わる歴史的にも大変古いお寺で、句碑なども随所に見られます。俳句散策に好適。
ご本尊は「薬師如来」 薬師瑠璃光如来(東方光勝世界)・大医王佛などと言い梵語名Bhaioajya‐guru(バイシャジャ・グル)の意訳である。
平成17年春 新しく出来た 「永代供養塔 観音の丘」 と 檀家有志が建立した「六地蔵」 の紹介
永代供養塔 観音の丘 六地蔵ろく‐じぞう 観音の丘へ涼しき樹下の径
裏の池 振り返り見る故里の山粧ふ 正面参道
薄墨桜西法寺の 十五世薄墨賢衛住職 は永年小学校で社会科の教諭を務められる傍ら、
歴史や考古学を趣味で研究され、薄墨桜西法寺のことは勿論、伊予河野家の歴史や地元「伊台村史」にも造詣が深い。
(「伊台村史」編者のメンバー)
勝岡学校跡(寺子屋?) ご先祖が守った薄墨桜玉垣 一隅を照らす
西法寺縁起  新しい資料を追加します。 松山市道後湯月町宝厳寺も斉明天皇により建立・・・関連
古代西方寺 今から1341年以前の話(2002年現在)
661年 斉明7年1月 斉明天皇が伊予の国の熟田津に御船泊、霊夢を感じ伊城(代)の里「医王台」に伽藍を建立し、
大楽山東光院西方寺と号し、大塔に薬師阿弥陀釈迦の三尊を安置し、法興律師を迎え、天長地久山寿永寧を祈った。
680年 天武9年11月 白鳳9年庚辰(こうしん)天武天皇の皇后様の病気平癒を祈願。お礼に薄墨の綸旨と桜を賜る。
主僧典澄、この桜を薄墨桜と命名。
もう一説に「この花は薄墨の綸旨のように薄墨色をしている。」
また一説では、「藤原良房の遺体を荼毘にした煙が桜に触れ、薄墨色に咲いた。」
・・・つまり、 「792年−661年=131年も古くから西法寺は存在した」 と云う事が判りました。 
副住職 薄墨賢祥和尚の資料から
旧西方寺 今から1210年以前の話(2002年現在)
開基 延暦十一年(792)桓武天皇の頃、一条院宮の開基による。
本尊は伝教大師御作の薬師如来である。当時は伊予国和気郡下伊台村勝岡山の麓にあった。
古代 天台宗に属し本山は比叡山で大楽山東光院西方寺と称す。
七堂伽藍を備え二十二の子院を持つ一大精舎であった。治承元年(1135)伽藍炎上す。
中世 弘安年間(1270頃)河野道有が再興を援助。
釈迦座像奉納(県指定重文・現存)永徳三年(1383)梵鐘鋳造(県指定重要文化財・現在太山寺所有)
近世 戦国時代兵火に遭い、現在地に移転っする。この時、西法寺と改めた。
文政三年(1820)本堂炎上す。天保十四年(1843)本堂再建(現存)
現代 明治二十九年(1890)仁王門再建す。昭和三年(1928)鐘楼再建す。
平成六年(1994)阿弥陀堂、位牌堂、客殿、庫裏等の増改築を完了する。
鐘楼 山王社 本堂
このホームページの 我が家のルーツ 伊代佐衛門尉 薄墨桜西法寺 縁起 などは、薄墨賢衛住職の指導によるものです。
また、寺の歴史を著した 「薄墨桜と西法寺」 は薄墨賢衛住職の編集された貴重な資料です。
鳥獣供養塔 観音の丘へ涼しき樹下の経 延命地蔵尊
境内の池 鳴る鐘の音よき日なり初桜 十三仏様
sesyu
ろく‐じぞう【六地蔵】 ヂザウ
六道において衆生の苦患クゲンを救うという6種の地蔵。
地獄道を教化する檀陀ダンダ、餓鬼道を教化する宝珠、
畜生道を教化する宝印、阿修羅道を教化する持地、
人間道を教化する除蓋障、天道を教化する日光の総称。
異説もある。
ろく‐どう【六道】 ダウ
 〔仏〕衆生シユジヨウが善悪の業ゴウによっておもむき住む六つの迷界。
すなわち、地獄・餓鬼・畜生・修羅・人間・天。
六観音・六地蔵・六道銭・六道の辻はこれに由来する。
六趣。
観音の 丘へ涼しき 樹下の径  梟月
西法寺駐車場の奥にあります。平成7年12月建立。
作者 中山重武 氏 梟月(きょうげつ)は、地元伊台にうまれ、
教員として伊台小学校に勤務したこともある。
退職後、松山俳句協会「柿誌」の主宰者となったが、現職中の平成6年病に没した。
平家物語にも出る娑羅樹と椿が植樹されている
平家物語
(一)(巻一・ 園精舎) 園精舎の鐘の声、諸行無常の響あり。
娑羅双樹の花の色、盛者必衰のことはりをあらはす。
おごれる人も久しからず、只春の夜の夢のごとし。
たけき者も遂にはほろびぬ、偏(ヒトエ)に風の前の塵に同じ。
遠く異朝をとぶらへば、秦の趙高、漢の王莽(オウモウ)、梁の朱 (シユウイ)、
唐の禄山、是等は皆旧主先皇の政にもしたがはず、
楽みをきはめ、諫(イサメ)をもおもひいれず、天下(テンガ)のみだれむ事をさとらずして、
民間の愁る所をしらざ(つ)しかば、久しからずして、亡じにし者どもなり。(下略)
さら‐じゅ【娑羅樹・沙羅樹】
(梵語s la  シャラジュとも) インド原産の常緑高木。
フタバガキ科の植物で、幹高30メートルにも達する。
葉は大形で長楕円形。
花は小形の淡黄色で芳香がある。
材は淡褐色で堅実、建築用または器具用。いわゆるラワン材の一。
樹脂はピッチ の代用。種子から油を搾る。
日本でいう娑羅はナツツバキのこと。
さら‐そうじゅ【娑羅双樹・沙羅双樹】 サウ
(シャラソウジュとも) 釈尊が涅槃ネハンに入った臥床の四方に2本ずつあった娑羅樹。
涅槃の際には東西・南北の双樹が合してそれぞれ一樹となり、樹色白変したという。
双樹の栄枯については経典により異説がある。
平家物語1「―の花の色、盛者必衰の理をあらはす」
しん‐ごん【真言】 〔仏〕
真実の語。
(梵語 mantra の訳語) 密教で、真理を表す秘密の言葉。
呪。陀羅尼。源氏物語手習「心にさるべき―を読み」
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