JA5DLGの宿貸しマウス・ホームページ
                             西法寺の歴史
開基 斉明七年 (六六一) 斉明天皇が伊予の国熟田津(にきたつ)に御船泊、霊夢を感じ、

国司乎智宿弥字典(おちすくねもりおき)に勅して、法興律師(ほうこうりつし)を迎え伽藍を建立し、

大楽山東光院西方寺(西法寺)と号した。
古代 天武九年 (六八〇) 天武天皇が道後温泉に行幸されたとき、皇后の病気平癒のため西法寺に祈願。

その御礼に薄墨の綸旨(りんじ)と桜を賜る。この桜が後に薄墨桜と称される。
平安時代、西法寺は現在地より奥の勝岡山(かっかさん)にあり、天台宗に属し七堂伽藍を備え、

二十二の子院を持つ一大精舎であった。
中世 弘安年間 (一二八〇頃) 戦乱の世に荒廃していた西法寺を河野通有(こうのみちあり)公が再興。

釈迦如来座像(県指定文化財)を奉納。
天正十三年 (一五八五) 秀吉の四国征伐により講堂が炎上、その後現在地に移転。
近世 天保十四年 (一八四三) 本堂を再建。 天保14年(1843)、西法寺本堂改築のとき玉水町 「初代 伊代屋儀蔵」多額の寄進
文久三年 (一八六三) 薄墨桜の玉垣を造る。 文久3年(1863)西法寺薄墨桜玉垣造成の世話人 (玉垣に二代目 伊代屋一族の名前が見える)
明治三十五年 (一九〇二) 仁王門を再建。
昭和三年 (一九二八)鐘楼堂を再建。
現代 平成六年 (一九九四) 阿弥陀堂・庫裡・位牌堂を増改築。
西法寺の歴史年表(661〜1500)の一部抜粋
西暦 和暦 出来事 住職
661 斉明 斉明天皇が伊予の国に熟田津に御船泊、霊夢を感じ伊城の里 医王台に伽藍を建立し、

大楽山東光院西方寺と号し、大塔に薬師弥陀釈迦の三尊を安置し、法興律師を迎え、

天長地久山壽永寧を祈った。
古代西方寺
680 天武 11 白鳳9年庚辰、天武天皇の皇后様の病気平癒を祈願。御礼に薄墨の綸旨と桜を賜る。

主僧典澄、この桜を薄墨桜と命名。伝説 甲

この桜は薄墨の綸旨のように薄墨色をしている。伝説 乙
古代西方寺
792 延歴 桓武天皇の頃、一条院宮の開基。西方寺と号す。

勝岡山の麓にあった。七堂伽藍を備え、二十二の子院があった。
旧西方寺
872 貞観 14 藤原良房の遺体を荼毘(だび)にした煙が桜に触れ、薄墨色に咲いた。伝説 丙 旧西方寺
荼毘(だび) とは