長建寺 高橋一洵の句碑 注2 山頭火の句碑
母とゆく この細径の たんぽぽの花 高橋一洵
もりもりもりあがる 雲へあゆむ 山頭火
筆に声あり霰の竹を打つごとし 子規
よくみれば 薺(なずな)花咲く かきねかな 芭蕉
松山藩家老菅五郎左衛門の墓 芭蕉の句碑 子規の句碑
松山藩家老菅五郎左衛門の墓注1 秋は紅葉の長建寺 池に咲く「河骨」注3 もっと詳しい河骨の話
季節の花
福田家(本家)御先祖の松田家・蛭子家・・・のお墓(元禄から明治まで)
「菅のばあ様(うめじょ?梅女)」が仕えた 「松山藩家老菅五郎左衛門」 の墓がある「長建寺」
よくみれば 薺(なずな)花さく かきねかな   芭蕉    なずな 別名 ペンペン草

筆に声あり 霰の竹を打つごとし   子規

母と行く この細径の たんぽぽの花   一洵

もりもりもりあがる 雲へあゆむ   山頭火

注1

松山藩 家老 菅 五郎左衛門

幕末維新諸隊隊長

新制大隊 松山藩 菅 五郎左衛門 600名  元治元年 幕府 足軽による洋式部隊。周防大島攻撃に参加。

家老 菅 五郎左衛門の住居は東雲高校のある処。

大きな門構えの屋敷だったらしい。

菅の婆様

岡田十五郎翁の姉 「菅の婆様 梅女(うめじょ)」は家老「菅五郎左衛門」に仕えた。阿梅(おうめ)の方 梅女(うめじょ)

松山藩主松平定昭(父:藤堂高猷)の正室「邦姫様」の乳母で権勢を誇った。

薙刀を何時も携え、姫様の護衛をしていた。つまり、別式女(べつしきめ)かな。

お宿下がりでは「したにいー(下にー)、したにいー(下にー)」と物々しいお迎えで、「平伏(ひれふ)」したままで、

顔を上げると無礼打ちとか、「お籠を見た者は目が潰れる」などと・・・言われたそうな。本当かなー。

岡田十五郎翁の新池工事では影の力になった。と古文書にある。

祖母「はる」の語り草によれば、寝るときも寝具は用いず、薙刀を傍に置いたまま寝たと言う。昔の人は違う。

薙刀の名手であった、と語り継がれている。

親戚の福田光子も薙刀の名手で、この事が縁で松山藩家老の末裔竹内家に嫁ぎ、今は東京の八王子に居る。

何しろ薙刀の名手で師範ですから、若いころは武道館や靖国神社で試合したり、形を披露したりしていたと聞く。

注2 句碑の奥に隣なり合わせて「菅の婆様」の親戚「福田家、つまり、我が家のご先祖の墓が見える。

    向かい合わせに「山頭火」の句碑    もりもりもりあがる 雲へあゆむ

注3 こう‐ほね【河骨・川骨】カウ

スイレン科の多年草。
沼沢などに自生。
根茎は太く横臥、水上に露出する。
葉は長さ30センチメートルに及ぶ。沈水葉は薄く色も浅い。
夏に、長い花柄を水面に出し、黄色の1花を開く。
根茎は強壮・止血剤となる。かわほね。

漢名、萍蓬草。 季節 夏

【萍蓬】 ヘイホウ うきくさ。「萍蓬無定居=萍蓬ニハ定居ナシ」

こうほね(カウホネ)【河骨】

沼地・川に生じる多年草。
葉は一見、サトイモの葉に似て細長く、夏、黄色の花を開く。
かわほね。〔スイレン科〕
かぞえ方
一本

Shin Meikai Kokugo Dictionary, 5th edition (C) Sanseido Co., Ltd.
1972,1974,1981,1989,1997
長建寺にあるご福田家先祖のお墓(元禄から明治まで)