よくみれば 薺(なずな)花さく かきねかな 芭蕉 なずな 別名 ペンペン草
筆に声あり 霰の竹を打つごとし 子規
母と行く この細径の たんぽぽの花 一洵
もりもりもりあがる 雲へあゆむ 山頭火
注1
松山藩 家老 菅 五郎左衛門
幕末維新諸隊隊長
新制大隊
松山藩 菅 五郎左衛門 600名 元治元年 幕府 足軽による洋式部隊。周防大島攻撃に参加。
家老 菅 五郎左衛門の住居は東雲高校のある処。
大きな門構えの屋敷だったらしい。
「菅の婆様」
岡田十五郎翁の姉 「菅の婆様 梅女(うめじょ)」は家老「菅五郎左衛門」に仕えた。阿梅(おうめ)の方 梅女(うめじょ)
松山藩主松平定昭(父:藤堂高猷)の正室「邦姫様」の乳母で権勢を誇った。
薙刀を何時も携え、姫様の護衛をしていた。つまり、別式女(べつしきめ)かな。
お宿下がりでは「したにいー(下にー)、したにいー(下にー)」と物々しいお迎えで、「平伏(ひれふ)」したままで、
顔を上げると無礼打ちとか、「お籠を見た者は目が潰れる」などと・・・言われたそうな。本当かなー。
岡田十五郎翁の新池工事では影の力になった。と古文書にある。
祖母「はる」の語り草によれば、寝るときも寝具は用いず、薙刀を傍に置いたまま寝たと言う。昔の人は違う。
薙刀の名手であった、と語り継がれている。
親戚の福田光子も薙刀の名手で、この事が縁で松山藩家老の末裔竹内家に嫁ぎ、今は東京の八王子に居る。
何しろ薙刀の名手で師範ですから、若いころは武道館や靖国神社で試合したり、形を披露したりしていたと聞く。
注2 句碑の奥に隣なり合わせて「菅の婆様」の親戚「福田家、つまり、我が家のご先祖の墓が見える。
向かい合わせに「山頭火」の句碑 もりもりもりあがる 雲へあゆむ
注3 こう‐ほね【河骨・川骨】カウ
スイレン科の多年草。
沼沢などに自生。
根茎は太く横臥、水上に露出する。
葉は長さ30センチメートルに及ぶ。沈水葉は薄く色も浅い。
夏に、長い花柄を水面に出し、黄色の1花を開く。
根茎は強壮・止血剤となる。かわほね。
漢名、萍蓬草。 季節 夏
【萍蓬】 ヘイホウ うきくさ。「萍蓬無定居=萍蓬ニハ定居ナシ」
こうほね(カウホネ)【河骨】
沼地・川に生じる多年草。
葉は一見、サトイモの葉に似て細長く、夏、黄色の花を開く。
かわほね。〔スイレン科〕
かぞえ方
一本
Shin Meikai Kokugo Dictionary, 5th edition (C) Sanseido Co., Ltd.
1972,1974,1981,1989,1997 |