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山頭火の最後を見守った 高橋 一洵 さんのこと
  一洵は何時帰る 一 奥さんも知らんといふ、のんき坊主、ものを苦に病まぬ風来坊、どんぐり先生、東京へころげていつて人に踏まれて、きょうろんとしてござるまるい姿が 目にみえる。
(昭和15年8月9日、一草庵日記)
 松山商大(私が教職にあったころは松山高商)の教授に高橋一洵(名は始)という教授がいた。早稲田大学法学部出身であったが、何の課目を担当していたか覚えていない。あの有名な種田山頭火という放浪俳人の最後の一年間を心豊かに過ごさせた愛情にあふれ誰からも好かれた人物であり、学生に慕われていた。松山高商、商大を通じて、他の先生は忘れてもこの高橋さんだけは深く記憶に残るであろうような人物である。
(元同志社大学総長 住谷悦治、昭和51年1月「一泡さん」)
  敗戦後、30年の年月をかけて山頭火を俳聖山頭火にまで押し上げて、「山頭火全集」七巻を世に送った、大山澄太氏の文才と情熱を絶賛する人は多いが、高橋一洵なる人物については、あまり知られていない。 私の知る限りでは、山頭火にとって忘れられない人々の中の最後の人である。山頭火の最後を見守った人が、この一洵であったからだ。山頭火の遺体を抱いて号泣した一洵さんの姿は、表現しようのない寂しさであった。 いつでも笑みをたたえ、忘れっぽく、だまされやすく、生涯、貧乏を気にせず、ばろをさげて、どこまでも歩いて行って、人と語ることを楽しんだ高橋一洵の姿こそ、欠陥だらけの人間が、求道と煩悩のまにまに生きつづけた、現代の善財童子の尊い姿であった。
うそだらけの世に水蓮の花咲き      一洵
 (隈江博司、昭和51年1月「一洵さん」)
山頭火の最後を見守った
高橋一洵 先生
母とゆく この細径の たんぽぽの花
御幸一丁目 長建寺 高橋一洵 先生 句碑
高橋一洵 先生 句碑の副碑





歿