《一遍上人のお歌》《一遍上人のお歌》 |
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ゆく人を 弥陀のちかひにもらさじと 名をこそとむれ しら川のせき (上人四十二歳) |
はかなしや しばしかばねの朽(くち)ぬほど 野ばらの土は よそに見えけり (奥州江刺郡。上人四十二歳) |
世の中を すっる我身も夢なれば たれをかすてぬ 人と見るべき (奥州江刺郡。上人四十二歳) |
身をすつる すつる心をすてつれば おもひなき世にすみ染の袖 (奥州江刺郡。上人四十三歳) |
のこりゐて むかしを今とかたるべき こ ゝろのはてをしる人ぞなき (武州石浜。上人四十三歳) |
さけばさき ちるはおのれと散る(ちる)はなの ことわりにこそ身は成り(なり)にけれ (相州片瀬浜の地蔵堂。上人四十四歳) |
花はいろ 月はひかりとながむれば こころはものを思わざりけり (相州片瀬。上人四十四歳) |
曇(くもり)なき 空はもとよりへだてね ばこころぞ西にふくる月かげ (鎌倉の公朝僧正へ御返歌。上人四十四歳) |
こころをば 西にかけひのながれゆく 水の上なるあはれ世の中 (駿州井田。上人四十四歳) |
をしめども つひに野原に捨(すて)てけり はかなかりける人のはてかな (野に人の骸骨多く見たまひて。上人四十五、六歳) |
皮にこそ をとこをんなのいろもあれ 骨にはかはるひとかたもなし (野に人の骸骨多く見たまひて。上人四十五、六歳) |
はねばはね 踊(おど)らばをどれ春駒(はるこま)の のりの道をばしる人ぞしる (江州守山閻魔堂。上人四十一歳) |
ともはねよ かくてもをどれ心ごま 弥陀の御法(みのり)と聞(きく)ぞうれしき (江州守山。上人四十一歳) |
こころより こころをえんと心得(こころえ)て 心にまよふこころ成(なり)けり (ある僧にお返し。上人四十一歳) |
すてやらで こころと世をば歎(なげ)きけり 野にも山にもすまれける身を (ある時詠じ給ひける。上人三十八歳) |
法(のり)の道 かちよりゆくはくるしきに ちかひの舟にのれやもろ人 (ある時詠じ給ひける。上人四十一歳) |
とにかくに 心はまよふものなれば 南無阿弥陀仏ぞ西へゆくみち (ある時詠じ給ひける。上人四十六歳) |
ほととぎす なのるもきくもうたたねの 夢うつゝよりほかのひと声 (京都因幡堂。上人四十六歳) |
おのづから 相(あい)あふ時もわかれても ひとりはいつもひとりなりけり (京都市屋道場御化益の頃。上人四十六歳) |
いつまでも 出入(いでいる)ひとの息あらば 弥陀の御法の風はたえせじ (兵庫光明福寺方丈へ御返歌。上人四十八歳) |
となふれば 仏もわれもなかりけり 南無阿弥陀仏なむあみだ佛 (由良の法燈国師が印可を与へし歌。上人四十九歳) |
いはじたヾ こと葉の道をすくすくと ひとのこころの行(ゆく)こともなし (播州弘峰の八幡宮。上人四十一歳) |
書(かき)うつす 山は高根(たかね)の雲きえて ふでもおよばぬ月ぞ澄(すみ)ける (書写山にて。上人四十九歳) |
よにふれば やがて消(きえ)ゆく淡雪(あわゆき)の 身にしられたる春の空かな (書写山にて。上人四十九歳) |
とにかくに まよふ心をしるべにて 南無阿弥陀仏と申(もうす)ばかりぞ (備中軽部の宿。上人四十九歳) |
おもふこと 皆つきはてぬうしとみし 世をばさながら秋のはつ風 (阿州大島の里河辺。上人五十一歳) |
消(きえ)やすき いのちは水のあはぢしま やまのはながら月ぞさびしき (淡州福良。上人五十一歳) |
主(あるじ)なき 弥陀の御名(みな)にぞ生まれける となへすてたる跡の一声 (淡州福良。上人五十一歳) |
名にかなふ こゝろは西にうつせみの もぬけはてたる声ぞ涼(すず)しき (淡州二宮の社。上人五十一歳) |
旅ころも 木の根かやの根いづくにか 身の捨(すて)られぬ処あるべき (淡州遊行。上人五十一歳) |
阿弥陀仏は まよひ悟(さとり)の道たえて たヾ名にかなふいき仏(ぼとけ)なり (兵庫、観音堂。上人五十一歳) |
南無阿弥陀仏 ほとけの御名(みな)のいづる息 いらば蓮(はちす)の身とぞなるべき (御往生近づき給う時詠める。上人五十一歳) |
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