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「南無阿弥陀仏 決定往生60万人」 「念ずれば花ひらく」 坂村 真民 本名 昂(たかし)氏 2006年12月11日(月)逝く(老衰)享年97歳
念ずれば花ひらく 坂村真民   
坂村真民--詩集 念ずれば花開く より 「タンポポ魂   「このひと
念ずれば花ひらく   
苦しいとき 母がいつも口にしていた
このことばを わたしも いつのころからか となえるようになった
そうして そのたび わたしの花が 
ふしぎと ひとつ ひとつ ひらいていった
真民氏が  自ら生前に付けた  夫妻の戒名
詩 国 院 蒲 公 英 朴 真 民 徳 光 院 愛 真 華 久 代
不要 居士号 不要 大姉号
一遍会 ホットニュース抜粋 一遍会 坂村 真民 抜粋
蒲 公 英 (タ ン ポ ポ)   冠毛は白色、風によって四散する
朴: うわべを飾らない自然なさま  朴 僕 ほおのき 素朴 純朴
宝厳寺 住職 長岡 興隆師が付けた戒名 平成26年10月11日ご逝去
詩 国 院 朴 阿 真 民 居 士 南 無 阿 弥 陀 仏
坂村 真民 (さかむら しんみん) 本名 昂(たかし)  明治42年1月6日 熊本県に生まれる。
8歳の時に、父親の急逝によりどん底の生活に落ちる。  5人兄弟の長男として母親を助け、幾多の困難と立ち向かう。
昭和6年、神宮皇学館(現皇學館大學)を卒業。  25歳の時、朝鮮にて教職につき、36歳全州師範学校勤務中に終戦を迎える。
昭和21年から愛媛県で高校の国語教師を勤め、65歳で退職、以後詩作に専念する。  始めは短歌を志し、昭和12年『与謝野寛評伝』を著している。
与謝野寛(よさの ひろし)=与謝野 鉄幹(よさの てっかん)鉄幹は号。四国に移住後、一遍上人の信仰に随順して仏教精神を基調とした詩の創作に転じる。
昭和37年、月刊詩誌「詩国」を創刊、以後毎月、一回も休むことなく発刊し1200部を無償で配布している。
また詩の愛好者によって建てられる真民詩碑は日本全国47都道府県に分布し、その数は現在,海外の20基と合わせると約660基を超えている。
たんぽぽ【蒲公英】ほこうえい
キク科タンポポ属の多年草の総称。全世界に広く分布。日本にはカンサイタンポポ・エゾタンポポ・シロバナタンポポ、また帰化植物のセイヨウタンポポなど10種以上あり、普通にはカントウタンポポをいう。根はゴボウ状。葉は土際にロゼットを作り、倒披針形で縁は羽裂。春、花茎を出し、舌状花だけから成る黄色の頭花をつける。痩果は褐色で、冠毛は白色、風によって四散する。若葉は食用、根は生薬の蒲公英ホコウエイで健胃・泌乳剤。たな。  春 。文明本節用集「蒲公草、タンホホ」
ほお【朴・厚朴】ホホ
モクレン科の落葉高木。山地に自生し、高さ15〜25メートル。葉は大形で有柄長楕円形。5月頃、直径15センチメートルもの帯黄白色で香気の強い9弁の花を開く。果実は長さ約15センチメートル、熟すと糸を引いて赤色の種子を垂らす。材は細工しやすく、版木・建築・器具・木炭に用いる。樹皮は生薬の厚朴コウボクの代用品として風邪などに用いる。ホオノキ。ホオガシワ。「朴の花」は  夏 。
電子 広辞苑第5版より引用
tanpopo
タ ン ポ ポ 魂  tanpopo tamashii

踏みにじられても 食いちぎられても 死にもしない 枯れもしない

その明るさ その根強さ そしてつねに 太陽に向かって咲く

わたしはそれをわたしの魂とする

坂村真民--詩集 「念ずれば花開く」 より
「朴のことば」
すっかり葉を落としてしまった朴が ある朝言いました なんでもないようなことに 深い意義がこもっているのです
世尊は蝶に出会うと いつも合掌されたと言いますが 脱皮の見事さに感動されたのですね わたしたちが葉を落すのも 一つの脱落ですよ
脱皮も脱落も言いかえれば別離ですね 昨日が今日に変わってゆく そのなんでもないことに 深い意義を見出した時 真に生きるとは何であるかを知るでしょう
さあ日が昇ったようです 充実した一日をお送り下さい
坂村 真民 ・ 久代 ご夫妻の墓所  愛媛県 松山市 道後 湯月町 時宗 豊国山 遍照院 「宝厳寺」 一遍上人 誕生の地
konohito

 このひと konohito

  このひとと共に歩いて四十六年 坂ばかりの道であったが 今やっといくらか 平らかなものとなった 

  このひとは生まれながらに 良いものを持ち それが年と共に 豊かさを加えてきた 

  わたしは妻としてでなく 女としてこのひとを見 老いてますます

  駄目になってゆく自分と比べて どんなにしても勝てっこない

  このひとの素質の美に打たれ 世阿弥の言う 散らで残りし花を感ずる

sakamura  平成20年6月8日


7−3

7−2

7−1



一遍堂亭主故新田兼市翁墓 熟田津道後説を唱える 一遍上人に生涯をかけて帰依した 
一遍上人 に生涯をかけて帰依した 「熟田津」 道後説 を唱える 一遍堂亭主 故 新田兼市 翁
新田兼市・房子 夫妻 墓所



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鳩  寿  第 15 号 平成 17 年 9 月 1 日 発 行  抜粋
はじめに
鳩寿第十五号の発行が遅れ、且つこういう形になりましたことをお詫び申し上げます。
父が再びペンをとり原稿にむかう気力がもどることに望みを託し待っておりましたが、これ以上先に伸ばし続けることは、皆様に御迷惑をおかけするばかりと思い終結を決めました。
詩国(鳩寿)の読者の皆様は、一般に言う作品を読む人ではなく、父を愛して下さる方々です。
父が体調を崩しました後は、一層強く素晴らしい読者に見守られていることを実感致しました。
皆様の心にきざまれた父の詩が、皆様の未来を開いてくれることを切に祈り、鳩寿を閉じたいと思います。ありがとうございました。 (娘一同)
長女 梨恵子さん、次女 佐代子さん、三女 真美子さん
後   記
鳩寿第一号にもふれていますが、父が現在心に決めていることを載せておきたいと思います。
一つ・・・・・葬式はしない
宝厳寺(ほうごんじ)に第五番目の碑があり、その下に遺骨をいれるよう設計してあるので、時宗のお経を唱え入れてもらいますが、葬式という形はとりません。骨は骨(こつ)つぼにはいるだけで、(骨つばは用意しております)あとの骨は、わたしの好きな海へ散じてください。
二つ・・・・・香典・供物など一切頂かない
これはわたしが尊敬する伊豆蔵福治郎さまにならいます。(わたくしはうっかりしてお送りしましたら、御遺族が返されました。) そんなことのないよう、妻の場合もわたしと同じく、決して送ってくださらないよう、かたくかたくお願いします。
三つ・・・・・
お別れの会など有形のものはしないでいただきたい。「になる」「飛天となり」 という詩にも書いたように、わたしは天にいるのではなく、花咲けばそこに私が、鳥飛べばそこに私が、いつも皆様のそばにいるのです。
詩国(鳩寿)の送料として皆様からお預かりしている分が残っています。
以前詩国の後記で、犬養道子著「一億の地雷ひとりの私」を紹介しました。
父がとても感動しておりましたので、まとめて犬養基金に寄付したいと思います。
こちらの独断をお許し下さい。
追  記
父の近況を簡単に記しておきます。
自宅(タンポポ堂)にて、日々を送っています。
三月以降体調は一様ではありませんでしたが、現在は比較的落ち着いていると言えましょう。
食事は介助無しでゆっくり時間をかけていただきます。
しかし、水分補給の点滴も毎日欠かせません。
五月以降ペンをとることはありませんが、言いたいことを言い、その記憶力に驚かされることが度々あります。
ほとんどの時間横になっていますが、一日三回起きて食卓につきます(移動は車椅子にて)。
病院の検査で問題点は無いそうですが、残念ながら乾皮症は衰えを見せてくれません。
お医者さん、看護師さん、ヘルパーさん達に助けられ見守られながら、一日一日を大切に過ごしています。
ビデオ『坂村真民 詩魂の源流』『すべての川は海に向かって流れる』が合体し、
詩国500号記念大会・全校51人の山の小学校との交流風景が付け加えられ、永久保存用DVD(105分)が発売になります。
詩集がついて定価4300円(税込)です。発売は11月上旬予定。
申込先=ぼるす出版 〒101・0061 東京都千代田区三崎町2の15の2 電  話   03-3556-9361 F A X   03-3556-9360
「鳩壽」第一号(2002年3月1日号) 抜粋
2 遺言について
 びっくりされると思いますが、これはいつか一度は書かねばならぬと思っていたことです。わたくしに男の子があれば、子供に言っておけばよいが、このことはわたしが書いて、皆さんに伝えておきたいのです。
 『詩国』 にはどうしても書けなかったので 「鳩寿」にはまずこのことを書き、わたし自身も軽い身になりたいと決意して載せました。
その意味で読み、実行して下さるよう願います。
 一つ ・ 葬式はしない
 宝厳寺(ほうごんじ)に第五番目の碑があり、その下に遺骨をいれるよう設計してあるので、時宗のお経を唱え入れてもらいますが、葬式という形式はとりません。骨は骨(こつ)つぼにはいるだけで、(骨つぼは用意しております)あとの骨は、わたしの好きな海へ散じてください。
 二つ ・ 香典・供物など一切頂かない
 これはわたしが尊敬する伊豆蔵福治郎さまにならいます。(わたくしはうっかりしてお送りしましたら、御遺族が返されました。) そんなことのないよう、妻の場合もわたしと同じく、決して送ってくださらないよう、かたくかたくお願いします。
 三つ ・ 妻のこと、戒名のこと
 妻はわたしより長く生きると思いますので、真美子と西澤孝一さんにお任せします。普通のお方と同じく葬式をしてもいいでしょう。ただ戒名だけはわたしが彼女らしくつけておきます。わたしの戒名もわたしらしくつけました。
戒 名
詩国院蒲公英朴真民   (居士号など不要です)
徳光院愛真華久代     (大姉号不要です)
四つ ・ その他は、また書きます
新刊紹介
致知出版社から「念に生きる」が刊行されました。
私としては最後といってよいでしょう。扉書きしてお送りします。送料入れて 2,180円です。
賦算誌「詩国」を毎月ご発行、一度たりとも休刊されることなく、この2002年2月に第500号目発行
賦算誌「詩国」第501号目から改名し「鳩壽」第一号(2002年3月1日号)

  朴から hoo kara buna he

朴庵例会の会長 稲荷喜久夫さんは 天国に行かれ

わたしは 朴(ほお)と別れ (ぶな)と共に 旅して行くことになった

これはわたしの 新しい出発だ

お互い 夢を持とう 古国(ふるぐに)の 阿蘇の幣立(へいたて)神宮には

大宇宙大和神という 神がいられる

わたしの余生も 少ないが 夢だけは大きく持とう


   yume

百歳をめざせ 百歳を祈れ 人に笑われてもいい

夢は 大きい方がいい

白神山地の 林(ぶなりん)の なかで わたしは祈った

四国から 青森まで 飛んで行った

わたしの夢を わかってくれた (ぶな)たちよ


  乾皮症とブナ(ぶな)たち kan pi syou to buna tachi

足の爪先から 頭の髪の毛 一本一本まで

烈しい痒みを越えて 烈しい痛みとなり

毎夜眠れず ヨブ記の ヨブ以上の 苦痛のあけくれ

観音経を 唱えながら わたしが会得(えとく)したものは ブナになることでした

しんみんさん 無(む)になれ

無(む)になれと 叫んでくれた

ブナたちでした ああ白神(しらかみ) 山地の ブナたちよ

巻頭の詩
飛天となり
茜(あかね)*を連れて
飛天となり
娑婆(しゃば)の世界に
生きる人たちの
幸せを祈ろう
どうか皆さん
茜の雲が 浮かんだら
じっと仰いで ください
真民さんは、「まだ小さかったお嬢さまおひとり」を亡くされたようです。
そのお嬢様はいま茜色のお召し物を召されてまるで菩薩様のような姿で、大勢のほかの水子さんと一緒に並んで、
横浜の朴積寺境内で静かにしずかに微笑んでいます。
真民さんは、この「茜ちゃん」を連れて飛天となるのだ、とおっしゃっている ようです。
湘南通信より引用
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