愛媛県松山市味酒町3−1−1
祭神 大山積命 高神 雷神 味耳命 合祀 面足神 惶根神 神八井耳尊
古事記の中の神々の系譜
神紋は、河野氏の家紋・折敷に縮三文字
阿沼美神社 阿沼美神社2 阿沼美神社3
味酒は所謂「ほのぎ」です。おいしい酒を造ることに長けた部族の住む地域。阿沼美神社は酒造りを司る神を祀る神社。
と何かの書物で読んだ記憶があります。私の本籍は味酒地区松前町で、阿沼美神社の氏子でした。
その昔、松山城を築城した加藤嘉明公の頃、阿沼美神社は味酒神社と呼ばれた頃もあったとか。


左は樗堂、右が子規の句碑



浮雲也ま多降雪の少し郁々

松山市味酒町三丁目阿沼美神社境内右手
句碑の文字は樗堂自筆の拡大
昭和16年暮 発起人 味酒吟社 久保清溜ほか
阿沼美神社境内に入ってすぐ、
左右に句碑がある
さまざまの事おもひ出す桜かな
芭蕉
名月や伊豫の松山一万戸
子規
紗空楽都閑(桜塚(さくらつか))

木のもとにしるも膾(なます)もさくら哉

はつさくら華(はな)の世の中よかりけり

「文化十二年乙亥三月」    
(正面)

(松尾)芭蕉(左)

(栗田)樗堂(右)

(裏)
 芭蕉と樗堂と二句一体の碑。二句とも桜の句であるので「さくら塚」という。文化12年(一八一五)は樗堂死去の翌年に当る。市内の芭蕉の句碑では四番目に古い。太山寺の「柳塚」が県下で最古の句碑であるが、芭蕉の句と竹翁という郷土の俳人の句と、二句一体の碑である。その「柳」に対し、こちらは「桜」。そして芭蕉と樗堂という組合せは、県下最古の太山寺の句碑に因(ちな)んだものかもしれない。この芭蕉の句は、郷里伊賀、上野の花見酒の宴席に桜の散りかかる景を詠んだ元禄3年(一六九〇) の句。樗堂の句も明るい、楽しい気分の句。句碑の手前の手洗石は芭蕉と同時代の貞享4年(一六八七) のもの。樗堂の妻は三津・松田家の人。梓堂は娘を妻の出里に嫁がせ、その孫娘の入婿・寒桃三千雄と、その離れの「帯江楼」や樗堂が名づけた「九霞楼」(三津一丁目)でしばしば俳諧を楽しんだ。樗堂と三津との縁はきわめて深い。
松山市神田町(厳島神社)
四角さん と 八角さん の鉢合わせ
むかし昔のわらい話をひとつ。阿沼美神社の宮司さんの息子、田内逸信君は付属小学校の同級生です。
巫女?の一人が言いました。
「お坊ちゃま、今駅前の第二大衆館に面白い映画が来ています。ご一緒して見に参りましょうか」と外題(げだい)はときくと、
曰く
「なるきちおもいのあせ」と言います。
・・・・実は「ジンギスカン(成吉思汗)」のことでした。
かんらからからと大笑いした事をいまだに覚えています。
PS
「殺生禁断の池」で魚を釣ったり、境内で「立ち入り禁止」の看板など何のそので「カクレンボ」したり、・・・・・でした。
せっしょう‐きんだん【殺生禁断】 シヤウ
仏教の慈悲の精神から、一定地域での鳥・獣・魚などの狩猟を禁ずること。