眠り月
午後の過ごし方(番外編)
お昼ご飯の後、勉強に集中するのは集中力を少し余計に要する。お腹がいっぱいになると眠くなってしまうのは仕方のないことだからだ。
特に、俺みたいにまだ体が未発達だと眠くなりやすいらしく、うとうとしそうになるのをぐっと堪えて、文字の練習帳に集中する。
けど、そんなことは先生はおろかお母さんにもお見通しらしい。
優しく微笑んで、
「少しお昼寝しない?」
と言われてしまった。
ふるふると頭を振る俺に、お母さんはちょっと困ったように、でも優しい笑顔はそのままで、
「お母さんは少しだけお昼寝したくなっちゃったの。…リィちゃんも一緒に寝ましょ?」
と言われると、迷った。
どうしよう、と戸惑いながら先生を見ても、先生は答えてくれない。
それくらいのことは自分で考えろということなんだと思う。
でも、どうするのがいいんだろう。
お母さんが俺に気を使ってくれてそんなことを言ってくれたのは俺にも分かる。
でも、お母さんはただ甘やかすためにそんなことを言う人じゃない。
つまりは、俺にはお昼寝が必要ということなのかも知れない。
だとしたら、おとなしく一休みした方がいいのかな。
だけど俺はもうちょっとでもいいから勉強したい。
だから、
「…このページ終わったら、お昼寝します」
と答えた。
お母さんはにっこり笑って、
「分かったわ。じゃあもう少しだけ頑張りましょうね」
そうして、もう少しだけ勉強した後、お母さんはリビングの日当たりのいいところにお昼寝用のマットを敷いてくれた。
そこに二人一緒に寝転がると、すぐにまぶたが重くなるのに、お母さんは更に、優しく俺の額を撫でてくれる。
俺はあっという間に眠ってしまって、少し不思議な夢を見た。
お母さんよりも母様よりも大きくなった俺は、とってもとっても大きくて、大きすぎて、母様が見えなくなってしまうのだ。
大きな建物よりももっと大きくなって、他の人に怖がられて、でも俺は、母様の姿が見えないことが何より怖くて泣きそうになる。
でも、泣いてはいけないし、そもそも、こんなに大きくなったのに泣くのは恥ずかしい。
それで頑張って堪えるんだけれど、堪えきれなかった涙がぽつりと落ちて行った。
その時、母様の優しい声が、
「リィ!」
と俺を呼んでくれて、振り向いたら、俺よりも大きくなった母様がいてくれた。
「母様…!」
足元の建物を蹴倒して母様に駆け寄ると、母様は困ったような顔をしながらも俺のことを抱きしめてくれて、
「大丈夫だ、なんとかしてやるから」
「母様、母様…」
泣きじゃくりそうになるのを堪えてしがみつくと、母様は優しく俺の背中を撫でてくれる。
「…母様、大好き」
そう言ったところで目が覚めた。
目を開けると、自分がお母さんにしがみついて寝ていたことに気が付いて、思わず顔が真っ赤になったのが分かった。
慌てて離れても、お母さんはまだ寝ててくれた。
よかった、とほっとしながらも恥ずかしい。
先生には見られただろうな、と思ってあたりを見回し、先生の気配を探るけれど、先生は近くにはいないようだった。
……もしかして、わざわざ席を外してくれたってことなのかな。
それはそれで照れくさいと思っている間に、お母さんが目を開けた。
「おはよう、リィちゃん」
にこっと笑って体を起こしたお母さんは、外を眺めて、
「そろそろ洗濯物も乾くかしら」
と呟いた。
「洗濯物を取り込むのなら、手伝います」
「そう? ありがとう」
そうして、二人で洗濯物を取り込んだ。
と言っても、俺はまだ背が低いから、お母さんがハンガーから外したものを部屋の中に入れて、仕分けるだけだ。
それから、お母さんと一緒に洗濯物を畳んでいく。
きれいに畳むのもまた修養のひとつになるんだと先生も言っていたから、俺は気合を入れてきっちりと畳んでいく。
それが終わって、そろそろ鍛錬をという頃になって、先生がひょこりと現れた。
「あら、さぼちゃんどこに行ってたの?」
というお母さんの問いかけに、先生は、
「少しばかり付近の巡回に行って参りました」
と答えたけれど、お母さんにはやっぱり通じないから、俺がそう伝えると、お母さんはにこにこと、
「そう、いつもありがとうね」
と言ってくれる。
先生はそれでも厳然と、謙遜する姿勢を示す。
先生のこういう謙虚なところにも憧れる。
俺もそうありたいと思う。
つくづく、俺は恵まれてると思う。
一生をかけてでも出会いたいと思うような師に、こんな早くから出会え、かつ、教えを受けることが出来ているのだから。
先生と二人で庭に出て、朝とは違う鍛錬を行う。
今度は精神修養とでも言ったらいいのか、集中力を鍛えるのが主体になる。
自分の呼吸に意識を集中させて、自分の感じているものに集中する。
そうすることで、体と心のズレに気づくと、動きが変わる。
体と心が一致しているなんてことはそうなくて、体が心を操っていたり、その逆だったりする。
だから、それをすり合わせるか、あるいはズレを計算にいれた上で、うまく動けるようにならなきゃいけない。
じっと立ってそうしているだけでも全然違うんだと、少しずつ俺にもわかり始めている。
変にざわめこうとする心を感じれば、心は静かになるし、体の不調に気づけばそれも収まっていく。
そうしているうちに、結構な時間が過ぎたみたいで、
「リィちゃん」
と小さな声を掛けられた。
目を開けると、お母さんが顔をのぞかせていて、
「私は夕飯のお買い物に行くけど、リィちゃんとさぼちゃんはどうする? お留守番しててもいいし、お買い物についてきてもいいんだけど……」
と言っているお母さんが、本当は外出を促したいのだと分かる。
俺はまだ一人で外に出られる年じゃないから、こういう時についていかないと外に出られないのだ。
俺は、
「お母さんのお手伝いをしたいです」
と答えて、お供する旨を伝えると、お母さんはにっこりと笑ってくれる。
「じゃあ、一緒に行きましょうね」
お母さんは小さめのバッグをひとつ肩から下げて、そこそこ大きなバッグを手に持った。
先生は留守番をしてくれるというので、お母さんと二人だけで家を出る。
お買い物に行くスーパーまでは歩いて数分しかかからない。
スーパーにつくとお母さんは野菜コーナーから見ていくんだけれど、俺には、
「好きに見てていいわよ。食べてみたいものがあったら教えてちょうだいね」
と言ってくれるばかりか、
「それから、おやつにひとつだけお菓子を買いましょうか」
とも言ってくれた。
「それとも、おやつは一緒に作る?」
そう聞かれ、俺は少し考えた後、
「……パウンドケーキが食べたいです」
と答えた。
「それなら材料はお家に揃ってるから、帰ったら一緒に作りましょうね」
お母さんは俺のわがままをむしろ喜ぶように言ってくれる。
それがくすぐったい。
でも、やっぱり嬉しい。
お母さんはにこにこしたまま、
「でも、今から作るとおやつじゃなくなっちゃいそうね。おやつは何か別のものを買いましょうか」
「え? 別に……」
「遠慮しないの。ほら、好きなお菓子を選んでて」
そう優しく背中を押されて、俺はお菓子コーナーに向かって歩くことになった。
……本当にいいんだけど、と思うし、たくさん並んでるお菓子の袋を見ても、それがどんなものなのか、俺にはまだちょっと分からない。
でも、中には前に母様が食べていたのを見たことがあって、なんとなく知っているものもあったから、それにしてみた。
カタカナで大きく、「ポテトチップス」と書いてあるから、そういう名前のお菓子なんだと思う。
「うすしお」と書いてあるのが好きだって、母様は言ってた。
だから、とそれを選んだら、お母さんは少し苦笑して、
「孝ちゃんの好きなお菓子ね」
「…母様と一緒に食べたい」
小さく答えると、お母さんは優しく俺の頭を撫でて、
「リィちゃんは本当にいい子ね」
と言ってくれたけれど、どうしてそうなったのかはよく分からない。
でも、頭を撫でられるのも、お母さんの優しい目も好きだと思った。