「俺、これ好きなんだ」
俺は珍しく上機嫌で言った。
目の前に座っている非常識男ルーゲンタが本当に珍しく、俺の好物を出したのだ。
いつだって、俺の癇に障るようなことしかしない男が出した物だと言うのに、喜んでしまう俺ってかなり単純だろうか。
そう美味しそうな餃子を見ながら思った。
ごく普通の焼き餃子なのに、どうしてこんなに美味しそうに見えるのか。
俺は嬉々として箸を伸ばし、ひとつを小皿に取った。
ごくりと生唾飲み込んで、それを口に運ぼうとした途端、背後から突然抱きつかれた。
「孝太〜!」
「うわぁっ!?」
驚いた拍子に餃子が落ち、小皿で受け止めるとタレが飛び散った。
「誰だっ!!」
至福の一時を邪魔された所為でかなり苛立ちながら振り向くとそこには……なんと言えばいいのだろうか。
古代中国とか飛鳥時代とかの服、といえば分かるのだろうか。
とにかく、妙に派手な着物をきた男がいたのだ。
黒い髪に赤い眼、赤い唇、白い肌。
顔立ちは整っていると言っていいだろう。
むしろ、モデル顔負けと言うか…とにかく、俺のコンプレックスを刺激するような美形だ。
言っておくが、俺は顔は普通だと思う。
そんなにかっこいいと言うわけでも醜いと言うわけでもないから。
さらに言えば顔にそんなにこだわったりはしない。
そんな俺でもそう思うような美形が俺の首に手をまわし、俺を背後から抱き締めていた。
彼は楽しげに笑って言った。
「久し振り、孝太」
「久し振りだって?俺は、あんたに見覚えはない」
大体、黒髪に赤目でなおかつこんな格好をしている男が突然現れたのだ。
どこから現れたのかなんて考えなくても分かる。
押入れだ。
俺の部屋の押入れはどういうわけかいろいろな世界に通じているらしい。
そして俺の側からはどこへも行けないのに、あちらからは結構人が来る。
魔術師のルーゲンタもそうだし、以前は幽霊まで訪ねて来た。
こいつもそんなのの一人でまともなものじゃないと俺は判断し、冷たくそう言い放った。
だが、例によって例の如く、こいつも図太いらしい。
ククク…と楽しげに笑ってさらにきつく抱きついてくる。
「ひどいなぁ、孝太は。昔あんなに遊んだのに…ねぇ?」
「記憶にない!離せっ!!」
「思い出すまで離さない〜♪」
「離せっ!!!」
空気が足りなくなりそうで俺はこいつを振り払おうと首を振った。
そして、見てしまった。
――恐ろしいほど冷たい笑みを浮かべたルーゲンタを。
「ル、ルーゲンタ…?」
「…楽しそうですね、孝太」
「ばっ!!これが楽しんでるように見えるかっ!?」
「では、なんです?」
「苦しんでるに決まってるだろうが!!」
これだから常識のない奴はっ…と心の中で吐き捨てた。
「なら、言うべきことがあるでしょう?」
一転して、ルーゲンタは楽しげに目を細めた。
そこで俺ははたと思い出す。
ルーゲンタはこれまでに俺が言ったことをすべて実行してきた。
星座を動かしたりすることも出来た。
なら、この状況も何とか出来るのだろうか。
「…助けろ」
「…そうじゃないでしょう」
猫がネズミをいたぶるような目だと思った。
「助けてください、でしょう?」
「…っく」
それははっきり言って屈辱だ。
こんな奴に助けを求めるなんて、屈辱以外のなにものでもない。
だが、いよいよ首に巻きつく手の力は強まってくる。
俺は悔しさに目を閉じ、言った。
「助けて…くださいっ……」
「よろしい」
目を閉じたままでもルーゲンタが笑ったのが分かった。
ルーゲンタは言った。
「彼が何か、孝太が思い出せば離すのでしょう?なら、思い出させてあげますよ」
その言葉を合図にするように俺の意識は急速に落ち込んでいった。
……そうだ、あれは小学校上がる少し前の頃だ。
押入れから現れたのはやはり一風変わった着物をきた子供だった。
彼は俺に言った。
「僕、血鬼っていうの。ねぇ、一緒に遊ぼう?」
「ケッキ…?」
「吸血鬼、って言う人もいるね。僕は中国で育ったんだ」
「中国って知ってるよ」
地図を眺めるのが好きだった俺は地球儀を引っ張ってきて中国を指差した。
「ここでしょ?」
「そうだね。でも、ちょっと違う中国なんだ」
と血鬼は笑った。
「同じだけど違うんだよ」
「同じなのに違うの?」
わけがわからなくなった俺に血鬼は笑っただけだった。
それから一緒に地図を眺めたりして遊び、日が暮れる頃になって血鬼は言ったのだ。
「ねェ、君の血をちょうだい?」
「――え?」
「いいよね?」
「ちょっ……!?」
俺は抵抗するまもなく抱きつかれ、首に噛みつかれた。
痛みはない。
ただ、むずがゆさがあった。
そしてそのまま力が抜け、意識を失い、気がついたときには俺は部屋で眠っていた。
血鬼の姿はなく、夢だと思おうとしたのに、首筋には噛み傷が残っていた。
それから血鬼の姿を見ることはなかったが時折その首筋の噛み傷が新しくなることがあり、吸血鬼とは何か知ってからというもの俺はかなりそれを怖がったものだった。
意識を取り戻した俺は叫んだ。
「離せ、血鬼!!!」
「思い出してくれたんだ」
嬉しそうに血鬼は俺を抱き締める。
「離せって言ってんだろ!?大体誰が遊んだんだよ!最初の一回だけだろ!?」
「そうだっけ?」
「そうだよ!後はずっと俺の血を吸いに来るだけで」
「それはごめんね?」
「謝るより、離せ!!あ、ほら、お前吸血鬼だろ!?そこに餃子があるんだから逃げ出せよ!!!てか、昼間っから出てくんな!!」
「中国育ちだって言っただろ?十字架なんて怖くないし、ニンニクは好物ですよ。それに、昔あったときも昼間だったじゃないか」
「じゃあせめて俺の血じゃなくて女の子の血でも吸えよー!!!」
「綺麗なら男でも女でも気にしないんだ。孝太の血も綺麗で美味しいよ」
と血鬼は俺の首筋に噛みついた。
「やめっ…!!」
またあの感覚だ。
懐かしいような、かなり不快に思える感覚。
貧血で気を失う直前、俺は恐ろしく怒ったルーゲンタの声を聞いた。
「私の玩具を取らないでください!!」
誰がお前の玩具だ!!――と叫びたいのに叫べなかった。
気がつくと俺はベッドで眠っていた。
体を起こすとルーゲンタが言った。
「気分はどうです?」
「…最悪」
「餃子でも食べましょう」
「…食べたい、けど、ルーゲンタ……」
俺は恐る恐る尋ねた。
「血鬼はどうしたんだ?それに、なんで餃子増えて……?」
ルーゲンタはにやりと笑い、それ以来俺は餃子が食べられなくなった。
血鬼は数日立ったら現れて、また俺の血を吸っていきやがったわけだが、かなりずたぼろになっていたことからしてルーゲンタにかなり恐ろしい目に遭わされたと言うのは分かった。
それこそ、俺でさえ同情してしまうほどに。
俺は鏡で噛み跡を見ながら呟いた。
「血ィ吸われても吸血鬼にならないって…やっぱり非常識な奴」