眠り月

椿祭りと常識人


非常にローカルな話であり、他県他地方の方には本当に申し訳ないと思う。
けどまあ、気を遣った結果として自分の地元のことを押し隠すような真似は、それなりに郷土愛を持っている身としてはなかなかし辛いものなので、許してもらいたい。
この機会に、こんな祭りがあるということを知ってもらえたら、俺としても嬉しい。

椿祭りと常識人

椿祭り、お椿さん、お八日。
呼び方は色々あるが、指すものはひとつだ。
俺の地元にあるそこそこ大きな神社で、毎年冬場に行われる祭りである。
いつやるかは年によって違う。
旧暦で決められているからだ。
旧暦の正月八日とその前後がその日で、今年は2月の13、14、15日がそれに当たる。
その歴史的な意味やなんかを歴史に関心があるわけでもなければ、神社のすぐ近くに住んでいるがために否応なしに祭りの準備を手伝わされるというわけでもない俺が知っているはずがない。
というか、それ自体もお椿さんと呼ばれるこの神社に祀られている神様が、一体何の神様で、何柱いるのかということも、正直把握していない。
何の神様だったっけ?
神社の成立がかなり古いという話からして、どう考えても後付けとしか思えないのだが、商売繁盛の神様ということでいいんだろうか。
まあ、それくらいものを知らない俺でも、椿祭りと聞くと心が弾むもので、毎年必ずやって来てしまうわけだ。
自転車を漕いでいくのは疲れるが、車で行くとなると親父と一緒に行かなければならないし、駐車場も恐ろしく混雑するからと自転車を選んだた。
聞く話では昔は歩いていったと言うんだから、チャリで行くくらい大したことじゃないはずだ。
しかし、ひとりで祭りに行くのも寂しいだけなので、奏と和貴も誘った。
チャリについている、通学用のため大きめのカゴには、母さん手製の布袋に入ったさぼもいる。
留守番ばかりじゃ可哀相だから、という母さんの言葉がなくても、さぼを目立たないように出来るならこうして連れて来ただろう。
さぼも嬉しそうにしているから、少々荷物になってもいいな。
ところで、今日が祭りの初日の13日かと言うとそうではない。
初日と最終日は混むものと決まっているからな。
人波に揉まれるのはあまり嬉しくないので、今日は中日の14日だ。
それも、授業が終ってすぐに家に帰り、着替えもせずにさぼを連れ出してきたので、混雑の程度も酷くない。
少なくとも、他人と肩をぶつけ合うようなことは心配しなくていい程度だ。
これならさぼを人にぶつけることもないだろう、と安心しながら歩いていると、奏が、
「あ、イカ焼き焼いてる。孝太、あれ買って!」
「…お前なぁ、まだ参道に入ったところだろ」
「いいじゃん」
「だめだ。物買うのは参拝してからって昔から決めてるだろ」
「それは子供の頃に、あれこれ迷うから先にリサーチしとけってことだったんだろ」
「とにかく、後でな。無計画にあれこれ買って腹を壊しても困るし」
「…孝太、あたしのこといくつだと思ってんだ……?」
「……いくつだ?」
素で思い出せないのは俺が16歳のまま時を止められたからとかそういうせいじゃない。
単純に、ど忘れしているだけだ。
13歳は過ぎてるのだけは確かだと思うんだが。
「…も、いい」
脱力した奏に和貴が笑いながら、
「大丈夫? 奏ちゃん」
「へーき。孝太だからしょうがない」
「ま、そうかもな」
どういう意味だ、と眉をしかめる俺に、奏と和貴は苦笑し、さぼは肩(らしい部分)を竦めて見せただけだった。
話がそれたが、椿祭りの何が凄いって、1キロ近い参道にずらりと出店が並ぶのが凄い、と神事そのものに関心のない俺としては思うわけだ。
隙間なく、と言うと言いすぎだが、必要最低限の隙間以外は店で埋められていると言っても間違いじゃないだろう。
傾向としてはさっき見たイカ焼きのほかに焼き鳥や串焼きのステーキ類の焼き物や、クレープやチョコバナナ、りんご飴といった甘味系が多いだろうか。
後は子供をカモにしているとしか思えないようなくじ引き屋も多く見える。
ゲームソフトとか銃のオモチャなんて高額商品が当たるとも思えないのに、子供の頃はよく挑戦しては玉砕してたな。
それに関する思い出で、何が一番腹立たしいって、
「お父さんにやらせて?」
という親父に任せてみたところ、一発で一番の高額商品を当てられたことだな。
しかもそれは俺が欲しかったものではなく、店の兄ちゃんを青褪めさせるだけに留まった。
以来くじ引きはしていない。
他には金平糖の店――今年は店がひとつきりになっていた。もうひとつの店はどうなったんだ?――やガラス細工の店など、毎年同じ場所(推定)で見かけるいつもの店があるのを確認しながら、参道を歩いた。
スピードがゆっくりなのは、周囲にあわせるしかないからだ。
それに、せっかくの機会なんだからゆっくり見て回らなきゃ損ってものだろう?
ゆっくりと歩くうちに植木屋の前を通り過ぎ、仮設の軽食堂みたいな店の前も通り過ぎる。
その辺りになると「おたやん飴」という金太郎飴のお多福バージョンの飴を売る店が増え始める。
そうして手水社の辺りまでくると、周辺には縁起物の熊手やなんかを売る店だらけになる。
雨避けのためかブルーシートを張り巡らせた店にはきらきらしい縁起物がぎっちりと飾られている。
時折上がる手を打つ音は商談成立の印らしい。
横目にそれをうかがいながら、更に境内を進む。
ここまで来るとさすがに人とぶつからないということは難しくなり、俺は精々さぼをぶつけないようにと気を遣うことしか出来ない。
袋は厚手の布で作ってあるみたいだし、さぼもちゃんと状況を弁えて針を軟化させてくれているはずなので、人を刺すということはないと思うのだが、念のためだ。
さぼの分も一緒にお賽銭を投げ入れて、柏手を打つ。
それで参拝が終わりかと言うとそうじゃない。
賽銭箱から向かって左手に回廊が伸びているので、そちらに進むのだ。
薄暗い回廊にも人が溢れ、壁に飾られた大きな絵馬なんてものはほとんど見えやしない。
絵馬の反対側、庭に面して開けた方向にはずらっとおみくじの箱とおみくじを結びつけるための細い縄が張られている。
俺も奏も、適当に空いている場所を見つけて、おみくじを引いた。
包みを破って取り出したのは、小さな金属製の縁起物だ。
この神社にまつわる色々なものをモチーフとしたそれは色々な種類があるらしく、たまに前に見たのと同じのが出たと思いはするのだが一体何種類あるのかと言うことになると全く見当がつかない。
それと、それをよく財布の中に入れておくのだが、一年経ってまたお椿さんに来る頃にはなくなってしまっているのは何でだろう。
くだらないことを考えていると、奏が俺の持っている「勝軍八幡神社」の扁額をモチーフとした縁起物を覗き込みながら、
「孝太何?」
「小吉」
ここのおみくじでは高確率でこれを引く気がする、と思いながら奏を見ると、晴れやかな笑みで大吉と書かれた薄紙を和貴に見せびらかしていた。
「奏ちゃんはお父さん似で運がいいとか?」
「んー、別にそんなこともねーよ。たまたま。それより、和貴は引かなくていいのか?」
「…そうだな、俺も引くか」
と和貴は百円玉を賽銭箱に似せた入れ物に放り込み、すぐ横に引っ付いた箱からおみくじを引き抜いた。
奏は笑いながら、
「この箱見ると掴み取りしたくならねえ?」
「なるねー」
「だよな! 一度やってみたいんだけどなー」
「シーズンオフに来て、やってみたら? で、掴み出した分だけちゃんと払ってみたら面白そうじゃん」
「ってかさ、神社にシーズンオフとかあんの?」
「さあ? とりあえず、忙しい時にはやらない方がいいとは思うけどな」
……なんだろうな、この微妙な空気は。
もしかして俺はとんだKYなんだろうか。
妹のデートにちゃっかり同伴してしまっているような気分なんだが。
奏よ、和貴はやめておいた方がいいんじゃないか。
いやしかし、別に奏と和貴が付き合っていると決まったわけじゃない、それに、和貴は奏の好みじゃないと思うんだが。
「孝太?」
気が付くと、きょとんとした顔で奏が俺を見ていた。
「行かねーの?」
「いや、行く」
「なら早くしろよ」
くすくすと笑いながら、奏が俺の手を握って歩きだす。
そういうのは正直くすぐったいんだが、少しばかり嬉しかったことは否定するまい。
本殿の周りをぐるっと一巡りし、もう一度神社の正面に出た後は、二十段そこそこしかない石段を下る。
「奏、お守りはどうする?」
「えー? 別にいいって。それより何か食べたい」
「……お前な…」
まだ食い気が勝つのか、と呆れながら俺が呟くと、
「ああでも、孝太は勝軍八幡神社にお礼参りに行くんだったっけ?」
「まあな」
「んじゃ、あたしもついてく」
「当たり前だろ。この人混みで離れたらもうチャリ置き場くらいでしか会えないぞ」
「はいはい」
人の流れから少しばかり左手にそれ、少しだけ奥まった所にある小さな社に向かう。
それが勝軍八幡神社だ。
「かちいくさはちまんじんじゃ」とか「しょうぐんはちまんじんじゃ」とか好きに呼ばれているが、正式には「かちいくさ」の方らしい。
どちらにしろ、名前から分かるように、武神だかなんだかで、必勝祈願とか合格祈願で来るやつがいる。
多い、とは言えないのはそれが神社の境内にある小さな社だからだ。
しかしまあ、お椿さん自体がこれだけ参拝者の多い神社だから、こっちにも人は来てるんだろう。
俺もまた、高校受験の時に一応祈願した口なので、今日はそのお礼参りを、というわけだ。
……年齢から考えれば去年のことであるはずの高校受験と言うものが一向に思い出されないのは、日曜日の夜にあるお茶の間向け国民的アニメの面々が、去年と同じようでいて違う暮らしを、もう何十年も続けているのと同じような感覚じゃなかろうか。
俺がいつどうやってルーゲンタと出会ったのか思い出せないのも然りだ。
気がつけばあいつがいて、俺はあいつの非常識な言動にツッコミを入れるのが精一杯で、それこそ少しの疑念を挟む余地すら与えられなかったからな。
…もしかしてそのあたりに、俺が厄介ごとに巻き込まれる原因があるんだろうか。
考えながら小ぶりな賽銭箱に賽銭を投げ込み、ガランガランと音をやかましく立たせた後、柏手を打つ。
二礼二拍手一礼の順番を混乱させそうになるの、は俺の頭が悪いからだろうか。
とりあえず、合格した旨を報告し、踵を返した。
それから、またあの参道に戻る。
途中、ブルーシートの縁起物屋の前で和貴が、
「熊手とかはいいんだよな? 買わなくて」
と言ってきたので、
「ああ、大丈夫だ。父さんと母さんも後で来るって言ってたからな」
そっちに任せればいいだろう。
「というか、制服姿の高校生が買ってくようなもんでもないだろ」
「いや、孝太ならないこともないかなと」
「お前は俺を何だと思ってるんだ?」
「マザコン」
「うるせぇ」
どうせ俺はマザコンだよ。
ああ、母さんに頼まれたんなら平気で買ってったかもな。
和貴から目をそらしたところで、おたやん飴が目に留まった。
……買ってくか。
どうせ安いし。
俺は短くカットされた飴に、ぺろぺろキャンディーみたいな透明の棒が付いているのを見つけ、
「すいません、棒付きのやつ一袋ください」
と俺がそれを買い求めている隣りで奏は、
「なんで棒付きなんだよ。なしでいいじゃん。おたやん飴最大の魅力はあの長くて食べづらいのを以下に効率よく食べるかってことに頭を使うことだろ」
「心配するな、奏。そんな楽しみ方をしてるのはお前だけだから」
大体、と俺はため息を吐き、
「去年そう言って長い奴買ったら持て余しただろ。それどころか、長いまんま人の口に突っ込みやがって……。食うのに苦労したんだからな」
「いやー、あれはあれで別の楽しみ方だって」
「何だそりゃ?」
奏の返事はまたもや諦めたような苦笑だった。
……いい加減、怒っていいか?
不貞腐れながら参道を戻りつつ、今度こそ止めようのない奏が出所のうかがい知れない潤沢な資金であれこれ買い込むのを見ていた。
イカ焼き、金平糖、ドングリ飴、ケバブ、それから東京ケーキ。
食い物ばかりだから字面的には愛嬌があるかもしれない。
しかし、実際にはその量は大したもので、俺は奏が胃下垂か何かじゃないかと疑ったくらいだ。
それに、東京ケーキは、例年のことながら行列が出来ていたからな。
何十分も待たされた挙句、やっと口にすることが出来た丸っこいカステラ状のケーキは、ふんわりと軽く、しかししっとりとして美味しかったので、並んでよかったとも思う。
が、やっぱりこの寒い中数十分のたちっぱなしは堪えた。
「そろそろ買い物は諦めてさっさと帰るぞ」
「えー」
唇を尖らせる奏に、
「もう十分だろ。途中でまだ欲しいものがあったら買うくらいはいい。でも、わざわざ戻ったり並んだりするのは却下だ」
「へーい」
不機嫌にしながらも一応頷いてくれたので、ほっとした。
奏が嫌だと言ったら俺のいうことなど聞くはずがないからな。
そうして足を速めたのだが、次に足を止めたのは俺の方だった。
袋の中でずっと大人しくしていたさぼがもぞもぞと動いたからだ。
「どうしたさぼ、お前も何か欲しいのか?」
袋を頭の高さにまで持ち上げて俺が聞くと、さぼは戸惑うようにうごうごと動いていたが、やがてガラス細工の店を指した。
「……ガラス細工か」
さぼの普段の行動を思うと少し意外な気もするが、さぼのあの可愛いサボテンハウスには似合うだろう。
「どれがいい?」
人混みに紛れながらそっと店に近づく。
店主や他の客にさぼを見せないようにしながら、さぼに商品を見せるのは一苦労だったが、それでもなんとかなった。
さぼが選んだのは、ガラスで出来た小さな鉢植えのサボテンで、俺はそう高くもないそれを購入し、さぼの入っている袋に入れてやった。
嬉しそうに動くさぼに、
「こら、あんまり動いてて見つかったら困るだろ」
と笑いながらたしなめてやり、奏たちのところへ戻ると、
「孝太ってさぼに甘いよね」
と奏に言われた。
「甘くはないだろ。…日頃世話になってるから、そのお礼だ」
「なるほどね。確かに、孝太はさぼがいないと困るよね。朝起きれなくて」
「ほっとけ」
笑いながらしばらく歩き、最後に奏が綿飴を買って参道を抜けた。
日は傾き、そろそろ暗くなり始めている。
自転車で来て正解だと思ったのは、家までの道程が腹ごなしにぴったりだったからだ。
奏に付き合って、俺もなんのかのと色々食べてたからな。
数時間とはいえ、こんな風にのんびりと過ごせて楽しかった、と満足しながら家に帰った俺を迎えたのは、
「孝ちゃん、奏ちゃん、お帰りなさい」
という母さんの声と、
「お帰りー」
という父さんの間延びした声。
それから、
「もうっ、酷いですよ孝太! どうしてお祭りだってこと私に教えてくれなかったんですか! 知ってたら私もお祝いに駆けつけたのに」
と可愛くもないふくれっ面を披露するルーゲンタで。
俺は母さんに対して浮かべた笑みのまま、袋に手を突っ込んでさぼを取り出すと、ルーゲンタに向かって思いっきり投げつけてやった。
「せっかくのいい日を最後の最後に台無しにするんじゃねー!!」
と怒鳴りながら。