眠り月

錬金術師と常識人


先に言っておく。
これは原作者及び関係諸氏とはなんら関係もないただのフィクション、あるいは気の迷いに過ぎないのだと。

錬金術師と常識人


俺の部屋の押入れについて今更とやかく説明する必要はあるのだろうか。
ないと思われる方はこのまま3、40行ばかり飛ばしていただきたい。
よく分かっている方には必要のない文章だ。
で、説明しろと訴える方はざっと読んでくれ。
俺の部屋には、押入れがある。
今時押入れかよ、とは言うな、頼むから。
それに結構便利でもあるんだ。
そこが異世界なんつう非常識極まりないものにさえ繋がらなきゃな。
そんなことをわざわざ言ったのはただの比喩とか比較のためではなく、実際俺の部屋にある押入れがそうだからだ。
異世界と繋がりやすい場所の上に家が建っており、しかも俺の部屋の押入れが異世界との出入り口に最適であり、更に言うと俺が部屋にいる状態というのが最も異世界と繋がりやすくなる条件を整えるのだと言われて、誰が納得できるもんか。
それはきっと何かの陰謀だ。
陰謀を企てそうな知人には心当たりに事欠かないが、最大の候補者はルーゲンタと言う魔法使いである。
こいつはおっそろしく長ったらしい本名を持ち、ついでに自分の王国まで保有する奇矯な魔法使いだ。
何が気に入ったんだか知らないが、突然俺の部屋に現れたとき以来、頻繁に俺の部屋を訪れる嫌な客である。
来て欲しくないなら押入れを封鎖しとけとでも思うかもしれないが、俺は押入れを箪笥代わりに使っているのでそうもいかない。
大体、この家全体の広さに対してやけに狭苦しい部屋には、押入れを封鎖していいほどのスペースなど存在しない。
ゆえに、俺は泣く泣く押入れを使い続けているわけだ。
……簡単に非常識な奴等に屈服するのも嫌だしな。
そんなわけで、俺の部屋の押入れが異世界に繋がるということはお分かりいただけたかと思う。
これに付け加えるべき点があるとしたらそれは、この押入れが一方通行であり、しかも大抵は向こう側から魔力なり何なりの刺激があって初めて異世界に繋がるものだということだ。
つまり、よっぽどでない限り魔力を持った生き物(含ム無機物、魔法生物)が開けるのだ。
たまに例外的に、割と原始的な動植物が飛び込んでくる時もあるがそれはどうやら、たまたま地殻変動ならぬ時空変動的なものが起き、その弾みで来ちまったただの動植物らしい。
しかし、大抵の場合は魔力を持ったものしか通れないと思ってもらって差し支えはない。
…どんなもんでも、いつでも通れるんなら、いくら睡眠が趣味と言っても過言ではない俺だって、そうそう寝こけちゃいられねえだろ。
というわけで、――ああそろそろ、読み飛ばすのはやめて戻ってきた方がいいと思うぞ――こんな客は全く予想していなかったんだ。
誰もがよく知る、しかも異世界のお客様なんてさ。
そいつらは突然やってきた。
押入れが向こう側から勝手に開いたかと思うと、大量の砂と共に転がり込んできたのだ。
警戒を示すさぼを止め、俺はそいつらを凝視する。
やけにデカイ鎧と、反対に背の低い金髪の少年。
金髪は綺麗な三つ編みに結ってあるが、その中にも砂が混ざりこんでいるようだ。
加えて、かなり目立つだろう真っ赤なコート。
「……嘘だろぉ…」
版権物の異世界人までやってくるなんて、聞いてねーぞ!
一体どうしたらいいんだ、こういう時は。
うろたえながらも、とりあえずこれ以上の砂の侵入は避けたかったので二人を何とか部屋の中に引きずり込み、押入れを閉めて気がついた。
「……やばい」
慌てて襖を開いたがもう遅い。
そこには砂漠など影も形もなく、いつものうちの押入れがあった。
この押入れの特徴にもう一つ追記事項がある。
それは、他の世界に繋がった状態であっても、一度閉めてしまえばそれは途切れてしまい、誰か世界を繋いだり出来るものでもいないことには、再び同じ世界に繋げることは不可能となるということだ。
そうして、今ここには俺と某兄弟しかいない。
ルーゲンタも血鬼もいない。
さぼはいて、流れ込んだ砂と戯れつつ、闖入者の観察に勤しんでいるものの、さぼは世界を渡るほどの魔力は持っていないはずだ。
となると、どうなるか。

――錬金術師二人、お預かり決定。


さぼによって、軽度の脱水症状と世界を渡ったことによる身体への負担により気絶中と診断(口が聞けないので推定)された二人が目を覚ましたのは、それから少し後だった。
先に目が覚めたのは大きな鎧の弟くんの方で、それは多分、鎧だけで中身がない分軽度で済んだってことなんだろうな。
「あれ…ここは…?」
鎧の中で響いているような特徴的な声がして、弟くんが起き上がる。
「気分は?」
「えっと、大丈夫ですけど……お兄さんは…?」
これだけ大きな奴にお兄さんと言われると変な気分だが、中身はまだ小さいと思うと仕方がないのだろう。
俺は軽くため息を吐き、
「ただの一般人だ。…あんたらからすると、そうでもないかもしれねえけど」
「ええ?」
「ここ、どこか分かるか?」
「分かりません。なんだか…見たことない感じがしますけど……」
だろうなぁ。
それにしても言葉が通じるってのはどういう原理なんだろうかとくだらないことにこだわりつつ、
「ここはあんたたちのいた世界とは違う世界だから」
「……え?」
唖然とする弟くんに俺は言う。
「異世界って分かるか?」
「なんとなく…理解は出来ますけど……でも、本当に?」
「ああ。あんたらを元の世界に戻してやりたいんだけどな。俺にはそれだけの力がないんだ。だから、それが出来る奴が来るまで、悪いが待っててくれ」
「はあ…」
ちんぷんかんぷん、と言った様子の弟くんに、
「あんたらは何してたんだ? めたらやたらと砂に塗れてたけど」
「ええと……僕たちは…」
「ああ、街の名前なんかは別に言わなくてもいいぞ。どうせ分からんからな。どういう場所で何をしてたのかだけ教えてくれ」
その方が色んな意味で手間もかからん。
「はい。…僕たちは、ある町に行こうとして、ちょっとした砂漠地帯を歩いてたんです。普段はそんなに荒れたりしない場所なんですけど、酷い砂嵐に巻き込まれてしまって……」
「気がついたらここにいた、ってことか」
その砂嵐が怪しいな。
おそらく、世界と世界の間に生じた歪みか何かなんだろう。
と推測するも俺は別に専門家じゃないから違っている可能性も高い。
「……まあ、こうしてうちに来ちまったのも何かの縁だと思うし、しばらくゆっくりしてけ」
「いいんですか?」
驚いた様子で言う弟くんに、俺はかりかりと耳の穴なんぞほじりつつ、
「他にどうしようもないだろ。部屋なら客間が余ってるし、滞在費用なんかも気にしなくていいから」
それより、と俺はまだ眠っている兄の方に目を向け、
「君のお兄さんはどうすりゃ目が覚めるのかね。抱き上げるには重いから、自分で歩いてもらいたいんだけど」
「あ、だったら僕が運びますよ」
そう言って弟くんは軽々と兄を抱き上げた後、ちらりと俺を見ていった。
「……でも、お兄さん、よく僕が弟で兄さんが兄だって分かりましたね」
うっ…、これは……まずった、か…?
ひきつりつつも、
「なんとなくだ」
と返すと、弟くんを首を傾げていた。
「それより、ほら、部屋に案内するから」
俺はそう言って弟くんと共に階段を下り、一階の客間に入った。
その前に台所に寄り、
「母さん、ちょっと客が来たんだ。長くなるかも知れねぇから、客間使わせてもらうな?」
と声を掛けると、母さんは動じた様子もなく、にこにこと、
「お客様は何人?」
とそれがさも嬉しいことであるかのように聞いてきた。
「二人。でも食事は多分一人分くらいで大丈夫だと思う」
「じゃあ、準備しとくわね。シーツの場所は分かる?」
「大丈夫だって」
今晩はご馳走かな。
そう思いながら弟くんと共に客間に入り、手早く布団を敷く。
敷きながら俺が、
「ベッドに慣れてたら使い辛いかもしれないけど、堪えてくれ」
「野宿の方が慣れてますから大丈夫です」
弟くんは本当にいい子だな、と目を細めつつ、
「若いのに大変だな」
「そんなことは…」
謙遜する弟くんに、
「お兄さんにはちょっと大きいかもしれないけど、まあこんなもんだろ。寝かせてやってくれ」
と言った時だった。
さっきまで完全に昏睡していたはずのエドがくわっと目を見開いて飛び起き、
「誰が小さいって!?」
と怒鳴ったのは。
……小さいとは言ってないんだけどな。
「兄さん!」
慌てて止めようとしている弟くんに俺は思わず声を上げて笑いながら、
「元気そうでよかったな」
と言ってやった。
それから、俺は弟くんの方にしたような話を少しばかりして、元の世界に戻せるような奴が来るまで滞在するようにと言った。
「ここは本当に別の世界なのか? 単純に外国とかじゃなく?」
そう訝るエドに、
「ああ。悪いがそうだ。だから自力で帰ろうとは思わない方がいい」
「別の世界、ね…」
呟いたエドはじっと俺を睨むと、
「…あんた、俺たちのことは何も聞かないんだな」
「聞いただろ。何をしていたのか、ってな。大体、聞いたところで大して意味はないんだ。異世界なんて俺には行けないもんだし、行きたいとも思ってないからな」
「じゃああんたは、素性も知れない奴でも、異世界から来たなら簡単に泊めたりするのか?」
眉を寄せながらの言葉に俺は苦笑し、
「流石に怪しい奴なんかは泊めないし、とっとと送り返すに決まってるだろ。ただ、今回は俺がうっかりして扉を閉めちまったせいであんたたちをすぐに返せなくなっちまったからな。責任を感じてるんだ」
「それだけか?」
「それだけだ」
言いながら、苦しいなと自分で思った。
どうせならもっと興味を示すべきだったか?
いやでも、実際どうでもいいんだよな、異世界なんて。
ろくな奴がいるとも思えんし、常識が懸け離れている以上行きたいとも思えん。
何より、この二人のことが気になるなら続きが出るのを待って買って読みゃいいわけだし。
うーん、と考え込んでいると、
「なあ、あんた、やっぱりなんか隠してるだろ」
とエドに言われ、弟くんにも、
「さっきから不自然ですよね。まるで僕たちのことをよく知ってるみたいな……」
と言われてしまっては仕方がない。
俺は肩を竦めて天を仰いだ。
「あんたたちに信じられるかどうかは知らないが、」
と前置きして、彼らのことがこちらの世界で読み物になっていることを教えた。
驚く二人に、
「だから俺はあんたたちの名前も、何を探してるのかってことも知ってるっつう訳だ。……難なら読むか?」
俺が聞くと、二人は迷うように顔を見合わせた後、頷いた。
「ちょっと待ってろ」
と言って俺は客間を出た。
単行本は俺じゃなくて奏が買ってるものだから、奏に借りなきゃならん。
そう思いながら階段を上り、奏の部屋のドアをノックすると、
「ほーい」
と返事が返って来てドアが開いた。
「孝太、誰かお客さん?」
「ああ。それはともかく、ちょっとハガレン貸してくれ」
「ハガレン?」
首を傾げながら奏はTシャツに最後まで頭を通し、袖から手を出した。
それから脱ぎ散らかしていたズボンを拾い上げて足を通しつつ移動して、
「孝太、読んでなかったっけ?」
「読んだけどな。客が読みたがってるんだ。…最初の方の巻だけでいいから」
「ふーん…」
奏はズボンのチャックを閉じて、本棚から単行本を引っ張り出した。
「客ってどんなの?」
「ちっさいのとでかいの」
「なんだよそれ」
そう笑って、奏はにんまりと唇を歪め、
「あたしも会いたいなー」
……しょうがないだろうな。
「じゃあ来いよ。客間にいるからな」
「りょうかーい!」
楽しげに笑いながら奏はそう言って俺に単行本を手渡しもせず、部屋を出た。
俺はその後からため息なんぞ吐きつつ付いて行くだけだ。
「…うわー……本物? コスプレ? いややっぱ本物だよな? うわーすげー!」
というのが奏の反応で、度肝を抜かれたのはむしろエドとアルの方だった。
「喜ぶのはいいから、さっさとその本渡してやれ」
「へーい」
奏は畳の上に座り込んでいたエドに単行本の一巻を手渡すついでに、
「あたし結構好きなんだ。大変だろうけど頑張れよ」
なんて言いながら、ちゃっかり握手をしていた。
「あ、ああ…」
ぽかんとしながらエドがそう答えると、奏は上機嫌ににっかり笑って、今度はアルに握手を求めにいった。
全く、こういうところは変にミーハーなんだよな。
俺は呆れながらエドの隣りに腰を下ろし、自分たちの姿が大きく描かれた表紙を見つめているエドに、
「中も見てみたら?」
「あ、ああ、そうだな…」
そういや、字も読めるのかね。
「読めるか?」
俺が聞くと、
「読めるけど……」
「どういう原理なんだか。本来言語も違うはずなんだけど」
「ああ、そっか。そうだよな。どうなってるんだ…?」
考えるのはいいが、
「多分、錬金術の考え方じゃ無理だと思うぞ。世界を渡るってのはどうやら魔術らしいからな」
「魔術、か。そんなのが実在するのか?」
「この世界で、って意味ならこっちにだって実在なんかしねぇよ。こっちには錬金術だってない。ただ、他の、魔術なんかが存在する世界からやってくるやつらがいるからな、俺も多少は聞きかじって知ってるんだ」
「世界を渡っても、魔術は使えるのか」
「そうらしい。それがあいつらの素質に由来するものなのか、誰でもそうなのかは分からんが」
「…ってことは、錬金術も使えるかもしれないんだな」
「……試すか?」
「いいか?」
「元に戻してくれるんならな」
「んじゃ、」
エドがぱんと手を合わせると、弾かれたように奏が振り返った。
そうして状況を悟ったらしく、目をキラキラ輝かせている。
アルはどこか心配そうだが、何を心配してるんだ?
その疑問はすぐに解決された。
畳にエドが手をつくと、恐ろしく悪趣味な木製のモニュメントがそこに現れたからだ。
どういうわけか黒光りしていて、コウモリの翅だのドクロだの牙だの、不気味なモチーフがやたらとゴテゴテについている。
「兄さん…」
とアルが呆れていることからしてどうやらこのセンスの悪さを心配したらしい。
しかし奏は、
「おーっ、すっげぇ! いいなーこれ、欲しい!」
なんて言っていやがる。
畳が足りなくなるだろうが。
「欲しいんだったら後で何か要らないもので作ってやるよ」
とエドが応じると、奏は笑顔で、
「約束だかんな!」
と言った。
エドは畳を元に戻し、
「こっちには錬金術はないんだったよな?」
「厳密に言うと、あるにはある。ただし、お前たちのとは違う。ただの科学……あるいは似非科学だ。それでも、文献なんかはちょこちょこあるな」
「それ、読めないか?」
「研究熱心だな」
それだけ必死ってことか。
俺は奏に聞く。
「奏、ネットで出るか?」
「いくらでも出るだろ。ちょっと調べてくる」
「頼む」
「オッケー」
いつになくフットワークが軽いのは、珍しい状況を面白がってるからなんだろう。
そうじゃなけりゃ、俺の頼みなんてなかなか聞いちゃくれねえからな。
妹ってのはこれだから……。
はあ、とため息を吐いた俺に、アルが聞く。
「あの、ネットってなんですか?」
「あー………一言で言うと高速の情報通信網だけど、分かりやすく言えば、どこからでも誰にでも利用できる図書館みたいなもんかな。場所としてあるわけじゃないんだけど」
俺はやっぱり説明下手らしい。
兄弟は顔を見合わせて首を傾げていた。
実物を見て、分かってくれれば助かるんだが。

しかし実際、旅から旅の生活をしているからか、はたまたあれこれ巻き込まれているからか、彼らは非常に順応性が高かった。
夕食を食べる頃にはすっかり馴染んでいて、母さんもご機嫌で成長によさそうなものをせっせと与えていたし、奏とはマニアックにも錬金術関係の話題で盛り上がっていた。
アルはさぼに興味を持ったらしく、さぼの観察なんかもしてたな。
だが問題は、こうして待っている時に限って、ルーゲンタも血鬼も来ないってことだ。
「どうしたもんかね」
既に滞在も一週間を過ぎた頃になって俺が呟くと、エドは笑って、
「俺としてはこっちで色々調べられるのはありがたいんだけどな。いつまでも迷惑かけるのはちょっとまずいよな」
「ああいや、別に迷惑なんかじゃない。うちは一応余裕もあるし、母さんも親父も客が来るのが嬉しいってタイプの人だからな。ただ、このまま戻れないとお前らも困るだろ?」
「…そうだな。賢者の石のことはやっぱり、俺たちの世界の方が調べるにしてもいいらしい」
だろうな。
こっちのなんてわけの分からんレシピしかないんだし。
となると……最終手段か。
これだけは使いたくなかったんだが仕方がない。
俺は、
「うまく行くかどうか分からんが、とりあえず呼ぶだけ呼んでみるから、ちょっと耳ふさいどいてくれ」
とエドとアルに言った。
いや、アルに耳があるのかは分からんが、気分的に。
そうして俺は二人が聞かないようにしてくれているのを確認して、自室のドアや窓をしっかりと閉めた上で叫んだ。
「ルーゲンター! 十秒以内に現れたら、ひとつだけ何かしてやってもいいぞー!」
――とな。
いいのか悪いのか、十秒も待つ必要はなかった。
いきなり押入れが勢いよく開いたかと思うと、
「何でもいいんですか!?」
と気色悪いくらい興奮した笑顔と共に馬鹿魔法使いが顔を出したからな。
俺は思わずその顔面を蹴り飛ばし、
「嘘だ」
「酷いです…。……って、おや? お客さんですか?」
じっとエドたちを見つめる……というかむしろ睨んでいるルーゲンタに、
「そうなんだけどな。そろそろ帰りたいのに帰れなくて困っているんだ。それで、お前に渡してもらいたくってな」
「渡すって…世界をですか」
「ああ」
「まあ、それくらいいいですけど……見返りはいただけるんでしょうね?」
にたっと笑ったルーゲンタに、
「お前そんなにケチだったか? お前のことだから気前よくタダでやってくれると思ったんだがな。だめならいい。滞在期間が延びるだけだ。二人を帰すのは血鬼が来てくれた時にでも頼むとしよう。そういうわけだから、お前は帰れ」
と笑顔で言ってやると、ルーゲンタは生意気にもため息なんぞ吐いた上で、
「ほんっと、足元見てくれますよねー。孝太は」
そこもいいんですけど、なんて戯言は聞かなかったことにする。
「で? やってくれるのか? 嫌なら帰れよ」
「やりますよ。今すぐお帰りいただいたんでいいんですか?」
「いや、準備とかあるだろ?」
俺が聞くと、エドとアルは頷いて、
「一応、荷物もあるしな。それから、プリントアウトしてもらったりコピーしてきてもらった資料ももらって帰りたい」
「じゃあ、準備してくれ」
二人が出て行った後、
「孝太っ! 改めて、久しぶりですね!」
などと嬉々として叫びながら、ルーゲンタはいきなり俺を抱きしめてきたが、俺は殴り飛ばすのをぐっと堪えた。
「あれ? 抵抗しないんですか?」
不思議そうに言ったルーゲンタに、
「…これが礼代わりでいいだろ」
「……ええ、十分です」
さっきのニヤケ面はどうしたと思うくらい、大人しくなったルーゲンタは俺を抱きしめて、やけに嬉しそうにそう呟いた。
こういう風に子供みたいなところばかりなら、もう少し嫌わずに済むような気もするんだが、それこそ気の迷いと言うものだろう。
よしよしと頭を撫でてやっていると、鎧の擦れる音と階段を駆け上がってくる音が聞こえてきたので、俺は今度こそ躊躇いもなくルーゲンタを突き飛ばした。
その時なかなか凄い音が響いたので、襖を開けたエドたちが、
「…何やってたんだ?」
と聞いてきたが、
「……なんでもない」
と誤魔化すしかなかった。
「母さんや奏にも挨拶はしたんだろ?」
俺が聞くと二人は頷き、
「ああ。本当に世話んなったな」
「気にするな。こっちも楽しかったからな」
床からやっと起き上がったルーゲンタが杖を押入れに向かって振りかざす。
そうしてそのまま杖の先で押入れを開けると、そこにはあの時見たような砂漠が見えていた。
「さ、ここから帰れますよ」
と上機嫌な理由は考えたくない。
「じゃあ、これで…」
と送り出しかけて、俺は気がついた。
「そうだ。お前ら、漫画は全部読んだんだよな?」
エドはきょとんとして、
「え? ああ、そうだけど…?」
「じゃあ、このまま帰らせるのはまずいよな。お前らにしてみれば、自分たちの未来を知っちまったようなもんだし」
ルーゲンタ、と俺が呼ぶだけでルーゲンタはどうやら察したらしい。
「その漫画に関する記憶だけ封印したらいいですか?」
「頼む」
エドたちが驚いている間にルーゲンタが指を鳴らすと、二人はその場に倒れこむ。
ルーゲンタが更にもう一度指を鳴らすと、二人の体が浮き上がり、押入れを越えて砂漠に放り出された。
「じゃあな、エド、アル。頑張れよ」
そう声を掛けて、俺は押入れを閉じる。
もう一度開けてみても、そこにはいつも通りの正常な押入れがあるだけだった。
「ルーゲンタも、ありがとな」
「いえいえ、これくらいどうってことありませんから」
そう笑顔で言っておいて、
「でも、孝太の気が済まないってことでしたらもう少し何かしてくださってもいいですよ」
「だからお前はそういうところが図々しいんだよ」
調子に乗るんじゃねぇ、と俺はルーゲンタを改めて蹴り飛ばしてやったのだった。