眠り月

転校生と常識人


本来なら非日常という扱いになるだろう珍しい事柄さえ、自分の日常生活においては大して取り上げることもないようなことに思えるのはどうしたことだろうか。
……責任の一端が、あのどうしようもない魔術師にあることは、まず間違いない。

転校生と常識人


ゴールデンウィーク後、中間テスト前、という中途半端な時期に転校するのは何かの流行なのだろうか、と思いながら俺は、転校生の噂で浮き足立つクラスメイトを冷めた目で見遣った。
今更ひとり野郎が増えたところで鬱陶しさが増すだけだろうに、何がそんなに面白いんだろうな。
「凄く可愛い子らしいぞ」
「なんか日本人形みたいだと」
なんて信憑性の有無も怪しいような情報が飛び交っているが、どんなに可愛かろうとうちの高校が男子校である以上、転校してくるのは男子生徒だ。
どこぞの漫画やゲームじゃあるまいし、女の子が転校してくるはずもない。
それなのになんで転校生の容姿の噂でそこまで騒げるんだ。
お前等本気で危ないんじゃないか?
「孝太は興味ないのか?」
と和貴が嬉々として聞いてくるのに、心底鬱陶しいという意思をこめて目を向けてやり、
「あるわけないだろ」
「冷たいな。同じクラスになったらこれから当分一緒に過ごしてく仲間が増えるってことなんだぜ? どんな奴か気になるのが普通じゃないか?」
「どうあったって関係ないだろ。当分ってのがいつまで続くか分からないんだし、そもそもなんで季節は繰り返すしこうして新しい要素も増えるってのに俺たちは進級出来ずに同じ年を繰り返すことにな…」
「孝太、それ、禁句だから」
そんなお約束に配慮する気力すらなくなってきてるってことが分からない和貴でもないだろうに、
「なんでご丁寧に突っ込むんだ? 俺を無駄に疲れさせたいのか?」
「…まあ、疲れて憔悴しきった孝太を介抱してやったり、家まで送ってくってのも楽しそうではあるけどな」
「おい」
「今はとりあえず、そんな今更五月病みたいなこと言ってんじゃねぇよって鉄拳のひとつもかましてやりたい気分かな」
……笑顔で言うのはやめてくれ。
「で、一応はちゃんと迎えてやれよ。実際、長い付き合いになる可能性も高いんだし?」
「その前に話が終わらなけりゃな」
「だから禁句だっての。何? そんなに疲れてんのか?」
「疲れもするだろ…」
と俺はため息を吐くしかない。
何しろ昨夜からルーゲンタが来ていて、親父と一緒にどんちゃん呑み騒いだ挙句、俺の趣味と言っていい睡眠の時間を邪魔してくれたんだからな。
おかげで俺は寝不足だ。
「あと3時間くらい寝てやりたい気分だ」
「それは寝すぎだろ」
そう笑いながら和貴は俺の頭に手を置くと、
「10分でよけりゃ寝ろ。ショートホームルームが始まるまでには起こしてやるから」
「……和貴」
「うん?」
俺は楽しげに笑っている和貴を恨めしく思いながら、
「俺だって少しでも寝ておくつもりでさっきまで寝てたんだが、それをわざわざ叩き起こしてくれたのは誰だった?」
「文句があるなら永遠に寝てもらってもいいんだぞ?」
「――すいませんでした」
「聞き分けがいいのはいいことだ。うん」
果たしてこいつを友人と呼んでいいのだろうかと思いながら、俺は短い睡眠をとった。
しかし、和孝という奴はこういう時に限って有言不実行をよしとしない男になりやがるため、ショートホームルームの開始を告げるチャイムが鳴る一瞬前にまたもや叩き起こしてくれたのだった。
睡眠不足に加えて、何度もそうやって叩き起こされた俺が、上機嫌でいられるはずなどあるわけがなく、俺はいつにも増してぶすったれた顔でまだ担任の来ない教壇を睨みつけていたのだが、数分遅れでやってきた担任は、どよめきを巻き起こすような奴を連れてきた。
噂の転校生だということはそのどよめきを聞くまでもなく分かった。
これまで校内にいたのなら間違いなく一度は目に留まっていただろうと思うくらい、目立つ奴だったからな。
だからと言って容姿が派手というわけでもない。
きちんとしたお坊ちゃん然とした、大人しげなやつだ。
年より上にも下にも見えないが、どこか妙な落ち着きがあり、それでいてどこか浮世離れしてもいた。
そいつが、こちらを見る。
そうして、にっこりと微笑んだ。
わっと教室内がざわめくのは、その美少年が自分に向かって笑いかけたと思った奴等がいたせいだろうか。
……そんな状況で勉学に励んでいるかと思うとそういう意味でも非常にげんなりするし、ぞっとするのだが、それとは違った意味で嫌な予感がする、と思った俺の本能もやはりおかしな意味で磨きが掛けられているということだろうか。
非常識な出来事に慣れすぎていることを思うとなんとも言いがたいのだが。
俺は頭を抱えながらそいつから目をそらし、小さくため息を吐いた。
ため息を吐いたってなんにもならないことくらい知ってる。
が、そうすれば多少余計なものが出てってくれるような気もするからこそ、ため息をつくことが止められないのではないだろうか。
俺のくだらない思考など意に介した様子もなく、転校生が自己紹介をしていたが、俺は全力でそれを右から左へ聞き流した。
俺が名前を覚えなくても他の奴等が俺の分まで覚えてくれるだろう。
名前だけでなく、あれこれ余計なこともな。
俺としては、新しい犠牲者の登場で先輩方や同級生等の興味が俺からそっちにそれてくれれば万々歳で言うことはない。
――と、思っていたのに、
「こんにちは。一緒に食べてもいいかな?」
などと、話しかけられてるんだろうな。
転校生は綺麗過ぎる顔ににこやかな笑みを浮かべていたが、俺と和貴はそれとは対照的にぽかんとした間抜け面をさらした。
机を寄せ合い、さて弁当を食うか、とカバンから弁当箱を取り出したところでそう声を掛けられれば誰だってそうなるだろう。
俺にとっては全くの予想外のことであり、余計に唖然とせざるを得ない。
しかし、和貴はどこかで予想していたのか、すぐに回復すると、
「他の連中が一緒に食べたがってんじゃないのか?」
と言った。
基本的には敵意をむき出しにしたりしない和貴にしては珍しく直截な言い方に思えた。
いや、直裁というには遠回しか。
ただ、訝しむ様子が分かりやすく出ているようだった。
転校生は笑みを崩さないまま、
「うん、でも僕は、」
と和貴ではなく俺に視線を戻し、
「君と一緒に食べたいな」
「……なんで俺なんだ?」
「だめかな?」
……それは質問の答えになってないと思うのだが、しかし、だからといってにべもなく断るのは難しい。
俺は今日何度目か分からないため息を吐いて、
「机借りて来いよ」
「椅子だけ借りてくるよ。机の上にスペースは十分あるみたいだし」
人見知りなど全くしないタイプらしい転校生は、やけに立派な弁当包みを俺たちの机の上に置くと、近くにあった椅子を持ち主に声を掛けて借りてくると、そこにちょこなんと座った。
俺が手をあわせて、いただきます、と言えば、和貴も転校生も同じようにした。
そうして開いた弁当箱はそれぞれに個性が滲んでいたが、中でも転校生のそれはどこかの料亭のもののようだった。
純和風。
それもえらく手が込んでいる。
「それ、親が作ったのか?」
俺が尋ねると、転校生はちょっと苦いものを笑みに滲ませ、
「お手伝いさんが、だよ。うちの母親は料理なんてしやしないから」
「そうか」
まあ、色々だろうな。
どうやらいいとこのお坊ちゃんらしいし。
「君のは?」
と聞かれ、俺は一瞬ぎくりとした。
何故なら、今日の弁当は純粋に母親が作ったものだけではなく、血鬼が作ってきてくれた餃子なんかも紛れ込んでいるからだ。
それだけなら別に慌てる必要などないのだろうが、転校生の目が血鬼の作ったものだけを的確に見つめている気がして、あの嫌な予感が膨らむ感じがした。
「うちのは、母親の手作りだ」
「そう。羨ましいね」
そう笑った転校生の目から隠すように、俺は自分の弁当箱を取り上げると、慌ただしく口に放り込むことにした。
その後も、転校生はそんな感じだった。
昼休みの間中そうして俺と和貴にくっついていただけでなく、放課後、家に帰る段になっても、
「同じ方向なんだ」
と嘘だか本当だか分からないことを言って俺たちについてきた。
それだけならまだいいし、別に文句を言う必要などないのだろうが、なんとなく、この転校生には気に入らないところがあった。
それがどこかということに俺が気付いたのは、放課後になってからだった。
転校生にあわせて、チャリを押して帰っていると、不意にそいつが言ったのだ。
「君は、面白い人だね。吸血鬼と契約を交わしている割に、穢れていないようだし」
一瞬、スルーしかかったのは、何を言われたのか理解するのが遅れたせいだ。
ワンテンポばかり遅れて目を見開き、転校生を見れば、そいつは相変わらず底知れない笑みを浮かべていた。
「何のことだ?」
「してるだろ? 自覚してないのかもしれないけど、吸血鬼に血を与えてるのは間違いないよね?」
「……お前は何だ?」
警戒心を露わにしながら問うても、そいつは気にする様子などなかった。
くすっと楽しげに笑って、
「僕は人間だよ。ただし、退魔師、って言ったら分かるかな? 日本版エクソシストとか、陰陽師の同類、って言ってもいいけど。――そういう、ちょっとした特技を持ってるだけの、人間」
人間ね。
血鬼のほうがよっぽど人間臭く思えるのは、俺の気のせいだろうか。
「契約云々ってのはどういうことだ?」
「そのままの意味だよ。君からは明らかに、吸血鬼の匂いがする。定期的に血を与えてるんだろ?」
「……」
この転校生も、奏や和貴同様、沈黙は肯定と取るタイプのようだ。
「吸血鬼が血を吸っておいて、同族に加えることも、殺すこともなく、定期的に血を吸いに来るってことは、君と何らかの契約を交わしているということだよ。何か、ないかな? 血を吸わせる代わりに、してもらってることが」
「何かって………」
「別に、言触らしたりするつもりはないから正直に言って欲しいな。君がどんなことを対価として要求してるのか、興味があるんだ。ああ、別に契約を解除しようとか、その吸血鬼を消そうなんてことは考えてないよ? 君がそうして欲しいのならしてもいいけど」
そう笑いながらも、言い逃れを許さないような迫力が、転校生にはあった。
というか、俺の周辺にいる奴はこんなのばっかか。
「…餃子とか、作ってもらってるくらいだ」
ため息混じりに答えると、はじめてそいつの表情が崩れた。
子供みたいに大きく目を見開いていることから、驚いているのだと分かる。
俺の返答はよっぽど予想外のものだったらしい。
「……餃子?」
「ああ」
何か悪いか?
「……っ、ぷ、は、ははは…!」
いきなり噴出したかと思うと、俺や和貴が驚くのも構わず、それこそ腹を抱えてそいつは笑った。
「凄いね、傑作だ。吸血鬼にそんなことを要求する人なんて、初めて聞くよ」
涙が出るほど笑って、そいつは俺の肩に手を置くと、
「この町に越してきたのはたまたまだったんだけど、いっそのこと、運命って思いたいな。君と出会えて、嬉しいよ」
「……」
俺はあまり嬉しくないんだが、とは流石に言いかねて黙った俺を見透かすように、そいつはまたもやくすっと笑って見せると、
「よければ、君のご友人に会ってみたいな。ご家族にも、是非」
「…友人なら、もう会ってるだろうが」
そう言って俺が和貴を指すと、転校生は浮かべていた笑みを意地の悪いものに変え、
「彼は普通すぎてつまらないよ」
と言った。
その時になってやっと、俺は気がついた。
どうしてこいつが気に入らないのか。
それは、こいつが和貴のことを極力無視しているせいだ。
さり気なくではあるが、興味のないもの、どうでもいいものとして扱っている。
それが、気に食わない。
「悪いが、」
と口にした自分の声が意外に硬質なもので、それに自分で驚きながらも俺は続けた。
「俺は友人でもなんでもないような奴を家に上げるようなことはしないんだ」
「そう? 残念だな」
口で言うほど残念がっている様子もなく、転校生は俺から少し離れた。
「でも、友人になればいいんだよね?」
それには答えず、俺は和貴に目を向ける。
「和貴、悪いな」
「何がだ?」
と答えた和貴は、別段怒ってもいないらしい。
「気ぃ悪くしただろ」
「そりゃ、多少はな。でもまあ、俺のために孝太が怒ってくれたし? それなら俺としては言うことはないってもんだろ」
「…さっさと帰るぞ」
「照れるなって」
「照れてない」
そう返しながら俺はチャリに跨り、転校生を振り返った。
「先に帰らせてもらうからな」
「うん。またね」
またの機会なんてものは来ないでもらいたいが、同じ高校の同じクラスに通うのであれば仕方ないだろう。
俺はため息を吐いて、ひらひら手を振るそいつに背を向けると、いささか急ぎがちにチャリを漕ぎ出した。
家に帰り、母親に空になった弁当箱を差し出すと、
「孝ちゃん、今日は何か面白いこととかあった?」
と聞かれたが、俺は少しも考えず、
「別に? いつもと大して変わらなかったけどな」
と返した。
後になって、割といつもとは違う一日だったことに気がついたのだが、やっぱり俺の感覚も大分ずれてきてるってことだろうかね。
あるいは非日常に対して鈍化していると言うことだろうか。
それが何よりも気が滅入ることだ、と思いながら俺は夕飯までの時間、今日の不足した睡眠時間を補うために使うことに決め、機嫌よくベッドに潜り込んだ。
――まさか気に食わない転校生が、自分の家の隣りに引っ越しており、その挨拶で起こされるなんてことを、少しも予想などせずに。