眠り月

川と常識人


今年は早くから暑くてたまらなかった。
だから、どうせ後で後悔するんだと分かっていても、俺はルーゲンタの申し出を断れなかった。
「川にでも、行きませんか?」
そうルーゲンタはさわやかに笑って言ったのだ。

川と常識人

俺の住む町から、山の方へ少し車を走らせたところに、ちょっとした避暑地になっているところがあった。
川が流れ、涼しい風が吹き抜けていく。
ちょっとした、どころか、まさに避暑地。
俺は上機嫌で車を降りた。
車は誰のかって?
もちろん、ルーゲンタが魔法で出したに決まっている。
俺はもう、こいつの非常識さに突っ込みを入れるのも面倒になっているのだ。
――危険な兆候かもしれない。

「って思ったけど、お前ってやっぱ非常識」
俺は呆れも蔑みも隠そうとせず、ルーゲンタを見た。
「何で、川にサボテンを持ってくるわけ?」
「だって、留守番なんて可愛そうじゃないですか。サボテンには言葉が通じるんですよ?」
「あーそー」
深く関わりあうのもバカらしい、と目をそらそうとした俺の声に反応したのか、いきなりサボテンが動いた。
うごうごと。
一昔前のおもちゃのように。
手に見える部分を大きく振って。
「なっ、う、動っ!?動いたぞ、それ!!」
「やだなー、言葉が通じるんですから動きもしますよ。孝太が適当なこと言うから怒ったんですよ。ねー?」
今度は頷くように揺れる。
「うえぇ……」
「ほら、ちゃんと意思の疎通が出来てるでしょう?ゴラちゃんって言うんですよー」
「ってまさか、マンドラゴラかよ!!」
「はい、そんな感じです」
「感じって…お前がつけたんだろ?」
「まぁまぁ、そんなことよりもさっさと着替えて泳ぎましょうよ」
「…ああ」
泳ぐ前から疲れながら、俺は着替えの袋に手を伸ばした。
が、
「えいっ☆」
一昔前の魔女ッ子か何かのような声とともにルーゲンタが指を振るった。
そのとたん、俺の水着がふんどしに姿を変えた。
ふんどしはふんどしでも、越中ふんどし……。
マニアックだ。
「……ってそうじゃねぇよ!ルーゲンタ、何しやがる!!」
「え?泳ぐんでしょう?」
「こんなもんで泳げるかぁっ!!」
「もう、わがまま言っちゃいけませんよ!」
「かわいらしく怒るな馬鹿野郎!!」
「しょうがないなぁ」
甚だむかつく呟きとともにふんどしは水着に戻った。
ルーゲンタの姿も変わっている。
男らしくふんどしに。
――。
「おやぁ?どうかしましたか?」
「…ウン、ナンデモナイヨ?」
「あはは、まるでロボットですね」
さあ行きますよ、と言うルーゲンタから、俺は出来るだけ離れて歩いた。

ざばざばと水を手で掻きながら泳げば、機嫌が直る俺って、単純だろうか?
冷たい水の感触が心地よい。
「…あれ?ルーゲンタは?」
気がつくとどこにいったのか姿が見えない。
あいつのことだから、どこかにもぐっているのかもしれない。
ぐるりとあたりを見回すと、白いものが目に入った。
あれは、もしかして。
「……ふんどし?」
それは下流へ下流へと流れていく。
まさか、うっかり水着を流しちゃったってなオチだろうか?
「って、ルーゲンタ!?」
本体込みで流れてやがった。
――このまま放って置いたら今みたいな非常識世界から抜け出せるんだろうか。
そんな考えが一瞬よぎった。
が、常識人を自負する身としてはそうするわけには行かない。
俺はあきらめてルーゲンタを追った。

幸い、川の流れは緩やかで、俺は大した苦労もなくルーゲンタを救出できた。
とりあえず気道を確保し、呼吸を確かめる。
……息が止まってやがる。
「死んでも、人工呼吸なんかしてやらねぇ」
「酷いなぁ」
むっくりと体を起こすルーゲンタ。
「やっぱり生きてやがったのか」
「あは」
「あはじゃねぇよ。何企んでやがる」
「えー?いろいろと」
にっこりと笑った。

結局、体を休めるどころではなく、俺は疲れきって車に乗った。
ゆっくりと車が走り出す。
後部座席のゆったりとしたシートに体を投げ出すと、隣から声がした。
「あ、ゴラちゃんを忘れちゃいました」
誰が運転してるのかなんて、考えたくもない。

数ヵ月後、奇妙なサボテンの噂が町中に広がった。