眠り月

卒業と常識人


「おもえば、いと疾し、この歳月…」
そう歌う声がどこか遠くにあるように聞こえる。
本当に、時の経つのは早いと思った。

卒業と常識人

常識で言うならば、卒業式というものは涙を流すべき場なのだろう。
けれど、涙など出ない。
むしろ、せいせいしたという気持ちでいっぱいだ。
これで少しは苦労が減るんだから。
俺は笑みさえ浮べて、「仰げば尊し」を歌い終えた。
隣りから和貴がつついてくる。
何だよ、と見れば眉を寄せて、小声で言ってきた。
「流石に笑顔はまずいだろーが」
「いやだって、なぁ?」
「…気持ちは分からないでもないけどよ……先輩たち、泣くぞ?」
「…それはうざい」
「なら、俯いてろ。そしたら泣いてるように見えないでもないから」
「了解」
和貴の忠告に従って、俺は俯いた。
それが、余計に事態を悪化させるとも知らずに。

「孝太!」
「雨宮!!」
「こーちゃん!」
…以上、野太い男の声でどうぞ。
いや、中には見目麗しい、ほんとに男かよって感じの人もいるけど、涙と鼻水でぐちゃぐちゃだから関係なし。
そんな鬱陶しい集団に、俺は囲まれていた。
頼みの綱の和貴はとっとと離脱済みだ。
……覚えてろよ。
四方八方を塞がれて、逃げ場はなし。
俺は観念するしかなかった。
「俺たちの卒業式で泣いてくれるなんて…」
いや、泣いてねーし。
「こーちゃんは永遠に俺たちのアイドルだよぉ!!」
げろげろ。
「これ、第二ボタン…もらってくれぃ!」
嫌だって言いたい。
でもって逃げ出したい。
「俺のも!」
「あ、俺のも!!」
…嫌だっつうの。
そろそろ限界、と思った頃に、囲みの外から何かが投げ込まれ、俺の頭に当たった。
小石を包んだ手紙だ。
広げると和貴の字で、俺への指示が書かれていた。
…従うのも嫌なほどだったが、他に道はなかった。
俺は俯いて口を開いた。
「…俺も、先輩たちが卒業するの、寂しいです」
「雨宮!!」
「『仰げば尊し』、歌いましたね。あの歌は、俺の気持ちそのものです」
うっと言葉を詰まらせ、袖を目に当てる。
そして、
「…失礼します!」
押しのけるようにして脱出を図っても、誰も止めようとしなかった。
そのまま俺は全力で走る。
後ろの方から声がした。
「身を立て、名をあげ、…会いに来るよ!!」
来るな、と心の底から思った。
「仰げば尊し」云々の所のことだが、俺が言ったのは嘘ではない。
「今こそわかれめ」、というのを「分かれ目」だと思っている奴は多いらしい。
が、本来の意味は、「さあ、別れよう」という意味だ。
俺的に言うなら、「さぁっ、別れるぞ!!」
解釈するのは勝手だけど、夢見てちゃいけねぇぜ。
ちなみにもらったボタンはちゃんと持ってる。
そのうちなくした奴に一個10円で売ってやろう。

そう言えば今日はルーゲンタを見なかったなと俺は思った。


先輩方、卒業、おめでとう。
心の底から寿いだ。