眠り月

雪と常識人


白い雪が空から降っていた。
それは早すぎると言っていいほど早く降り出した。
雪が降ってきたからとはしゃぐような年でもないけど、初雪はやはり気分がいいもので。
俺はじっと空を見つめていた。

雪と常識人

その背に、どんと衝撃が降ってきた。
その正体は、見なくても分かる。
ごてごてした服に、邪魔っけな杖。
――そう、ルーゲンタだ。
「ルーゲンタ……」
地獄の底から響くようなと表現されたことさえある、低い声で言うと、ルーゲンタはにこにこ笑って言った。
「おはようございます、孝太」
「朝っぱらから来んなバカ」
「おや、雪ですか」
「人の話を聞け!てゆーか退け!!」
「白い雪もいいですけど、私の国ではこんな雪が降るんですよ。おめでたい時とかには特にね」
えいっ、とルーゲンタが杖を振り上げると、雪の色が変わった。
血のように赤黒い色に。
「止めんか気色悪い!!」
思わず叫ぶとルーゲンタは不思議そうに、
「え、いけませんか?綺麗なのに」
「どこがだ!とにかく消せ!!」
「はいはい」
仕方ないなぁなんて言いながら、雪を戻すルーゲンタ。
「あんなのが綺麗なんて、趣味悪いな、お前」
「いいえー、それほどでもー」
「照れるな!喜ぶな!褒めてない!!」
「私も昔、赤い雪の祝福を受けたことがありますよ」
人の話も聞かずに、ルーゲンタはそう言った。
その目は俺を見ているようで、見ていない。
どこか遠くを、あるいは俺ではない誰かを、見ていた。
そんなルーゲンタを見たことがなかった俺は驚いた。
「ルー…」
「孝太、」
俺の言葉を遮って、ルーゲンタは言った。
「お願いがあるんです」
「お願い…って…お前には魔法があるだろ?なんで俺なんかに…」
「魔法には限界があります。けれど、人の心には限界など無い…」
何をクサいことを、と思いつつ、それを口に出来なかったのは、ルーゲンタが真剣だったからだ。
ルーゲンタは俺の手を握り、
「…もし、私が、心を無くしてしまったら、孝太や他の人に非道をするようになってしまったら、どうか、私を止めてください。お願いします…」
そう、頭を下げた。
「な、何言ってんだよ」
「杞憂に終わればよいのですが…私には、自信がありません。抑えきれるかどうか…分からないんです」
「どういうことだ?」
「……」
ルーゲンタはふいっと視線を逸らし、そして、
「…なんちゃって」
にっと、悪辣な笑みを浮べた。
「冗談ですよ、冗談。やですねー、本気にしちゃったんですか?」
俺は呆然としてルーゲンタを見た。
そして、ふつふつと怒りが込み上げてくる。
「ルー……ゲン…タァあああ…!!」
「きゃーあ」
楽しそうに逃げるルーゲンタを追い、俺は部屋を飛び出した。
階段を駆け下り、開け放たれたドアを抜け、庭へ出る。
そこにあったのは、巨大な雪像だった。
サボテンの形をしていなければ、札幌の雪祭りもかくやといったところだろう。
「ルーゲンタ!人ん家の庭になんてもん作りやがんだ!!」
「えー、いけませんかー?」
「俺は、サボテンなんか大っ嫌いだ!!」
思わず大声で叫ぶと、ごごご…と低い音がした。
ルーゲンタはにやにやしながら、
「あーあ」
と呟く。
「孝太のせいですよ?」
「何がだよ!?」
「な・だ・れ♪」
次の瞬間、俺は白い流れに飲まれたのだった。