眠り月

海と常識人


全くどうしてこいつはいつもいつもこうしつこいんだ?
夏の暑さにばてるような人間がいる時くらい、もう少し大人しくしてくれたっていいだろうに。
ルーゲンタは暑さで頭のタガが外れた人間よりも、よっぽどやっかいだった。
……そこ、いつものこととか言わない。

海と常識人

「孝太っ! 海へ行きましょう!」
弾みに弾んだ声でルーゲンタが言ったのは、例によって例の如く、常識外れな時期だった。
「海に行ってどうすんだよ」
夏休みの宿題の残りがどれくらいあるか確認をする手を止めないまま俺が問うと、ルーゲンタはクキッと俺の頭を自分の方へ向けさせて言った。
「泳ぐに決まってるじゃありませんか」
にっこりと、いい笑顔で。
「……お前なぁ、今日が何日か分かってんのか?」
「今日ですか? えぇと、こちらでは8月23日ですよね」
「そうだ」
「それがどうかしたんですか?」
きょとんとした顔で問い返され、俺は脱力した。
「お盆を過ぎたら海水浴にいかないのは常識だろ」
「えぇ? どうして行かないんです?」
「くらげが出るし、海も割りと荒れるようになるだろう。だからだ」
「波やくらげくらい、私がどうとでもしますよ」
「却下」
魔法で自然現象までいじられて堪るか、というか俺の周辺ではいじられっ放しなんだが、それでもそう簡単に認めるわけにはいかない。
魔法なんて非常識なもんに振り回されるのはもう懲り懲りだ。
「じゃあ、浜辺で遊ぶだけでもいいですから」
「嫌だ」
「なんでですかー?」
ぷぅっと頬を膨らますルーゲンタにげんなりとしながら、
「砂もぶれになって何が楽しいんだよ」
「ああいうサラサラして扱い辛い物で何かを作るからこそ、面白いんじゃありませんか。それに、カニとか探すのも楽しいですよ」
「ルーゲンタ、お前いくつだよ」
「年ですか? さて、忘れましたけど、とりあえず孝太よりは年上ですね」
「それならそれ相応の落ちつきを見せろ。それじゃまるっきり子供の行動じゃないか」
「成長しても子供の心を捨てないのは大事なことですよ」
「やかましい。とにかく、俺は行かないぞ。宿題の追い込みも掛けないといけないしな」
「そんなこと言って、」
とルーゲンタは机の上から俺の宿題を取り上げ、
「ほとんど終ってるじゃありませんか」
「だから、追い込みって言っただろ」
「宿題なんて、提出直前まで足掻くものじゃないんですか?」
「そんな効率の悪いことが出来るか」
「生真面目ですねー」
ルーゲンタの呆れを含んだ言葉はこの際、褒め言葉として受け取るとしよう。
「とにかく、お前はさっさと帰…」
「こーちゃーん、読書感想文写させてー!」
俺の言葉を遮って勢いよくドアを開け、飛び込んできたのは、言うまでもなく、奏だった。
奏はルーゲンタを見るとにたりと笑い、
「また来てんのか? 今度はどういうちょっかい掛けてんだよ?」
「ちょっかいだなんて、海に行きましょうって話してただけですよ」
ちょっと待て、その言い方だと海へ行くことに俺が同意しているみたいじゃねえか。
「俺は行かないからな。行きたければ別の奴と行け」
吐き捨てるように言うと、ルーゲンタは意外にあっさりと、
「そうですか…。それじゃあ、仕方ありませんね」
と言った。
拍子抜けしないでもないが、諦めるなら俺に言うことはない。
そう思ったのだが、ルーゲンタはくるっと奏に向き直ると、
「どうです? 海に行きませんか?」
「海ぃ? 一体どこのだよ」
「どこでもいいですよ。この近くの海でも、どこか南方の海でも、ああ、私の国の海でもいいですね。奏の好みに合わせますよ」
「そうだなー」
俺は慌てて、
「お前っ、いきなり何を言い出すんだ!」
「あれ、孝太もやっぱり行きたいんですか?」
「違うっ! 奏をどうするつもりだ!」
「どうするも何も、単純に海に行くだけですよ。ねー?」
「なー」
とルーゲンタと奏が揃って首を傾げて見せた。
奏はともかくルーゲンタはちっとも可愛くない。
俺は拳を固めつつ、
「それなら、近所の手近なところで済ませろ。わざわざ奏を拉致しようとすんな」
「拉致だなんて人聞きの悪い」
とルーゲンタは眉を寄せて見せた。
「じゃあ聞くが、本当に他意はないのか?」
「ありませんよー」
「……例えば、奏に自分の国を見せておいて俺の心証をよくした挙句、そのうち俺を連れていこうとか、考えてないか?」
「えっ、ま、まあ、それくらいは…」
「顔を赤らめるな!」
ばきっと音がするほどに殴り飛ばしても、ルーゲンタには大して堪えないらしい。
けろっとした顔のまま、
「いいじゃないですかー、それくらいー。至って正道だと思いますよー?」
「煩い。鬱陶しいから語尾を伸ばすな。奏も、」
と俺は奏を睨みつけ、
「人には警戒しろとかなんとか言うくせに、自分が無防備でどうするんだよ」
奏は笑いながら、
「あたしはいつもちゃんとしてるじゃん。少なくとも、孝ちゃんよりはずっとマシだよ」
「どこがちゃんとしてるんだ。警戒心の欠片もなく和貴やルーゲンタに寄ってくくせに。それに、何で俺が警戒しなきゃならないんだよ」
「和貴やルーゲンタくらいどうってことない、っていうか、あたしが警戒するまでもないんだよねー」
やーれやれ、と奏は肩を竦め、ついでに首まで振って見せた。
思わせぶりに俺を見てるのも、無性にむかつくし意味が分からん。
何で男の俺が、曲がりなりにも女である奏よりも警戒せにゃならんのだ。
「分かってないなぁ」
でもまあ、と奏は笑い、
「あたしのこと、一応心配してくれてるんだ?」
「当たり前だろう。ひとりっきりの妹だからな」
「あたしも、孝太のこと好きだぜっ」
ぎゅっと抱きしめられたことを喜ぶべきなんだろうか。
それとも、やけに男前に見える妹を嘆くべきなんだろうか。
とりあえず、混ざりたそうにしているルーゲンタには蹴りでも入れてやりたい。
「私も、孝太のことが好きですよ」
「喧しい。予想通り過ぎるがそんなことを言われても嬉しくないしむしろ迷惑だ。とっとと帰れ」
「嫌ですよ。海もまだ行ってないのに」
「まだ諦めてなかったのかよ」
「当然です!」
とルーゲンタは胸を張り、
「孝太と海に行くまでは帰りませんからね」
俺はため息を吐き、考え込んだ。
こうやってルーゲンタが言い張ると大抵その通りにするまでは動かないんだよな。
そうじゃなかったら、ルーゲンタの主張よりも面倒なことをする必要も出てくる。
……仕方ない。
「日帰りで、少しだけなら行ってやる」
諦めと共に俺がそう吐き出すと、ルーゲンタが顔を輝かせた。
気色悪っ。
「どこに行きますかっ?」
嬉々として距離を詰めるルーゲンタを止めようと両手を突き出しながら、俺は奏に言う。
「奏も一緒に来てくれ。頼む」
奏は一瞬驚いた顔をした後、にっと笑い、
「勿論。むしろ、孝ちゃんが一人で行くって言った方が怒ったな、あたしは」
「後は……和貴でも誘うか?」
俺が言うと、視界の端で何かが動いた。
玩具みたいな小さな家にちょこんとあるのは小さな鉢植えのサボテン――動くサボテンのさぼだ。
さぼは小さな手(?)をぶんぶんと振り回して何かを訴えようとしている。
「……お前も行きたいのか?」
頭らしい部分がこくこくと前後に揺れた。
必死の主張だ。
「分かった。一緒に行こう」
ひょいと手に取ると、さぼは上機嫌に踊った。
かくして、俺はルーゲンタと奏とさぼと共に、海へ行くことになったのだった。

お盆を過ぎただの暑いだの言っても、やっぱり海に行くというのは違うものであるらしい。
吹き渡る潮風も、焼けた白い砂も、それなりに心地いい。
さぼが奏の肩に乗っているのがいくらかムカつかないでもないのだが、サボテン相手にうだうだ言ったところで俺が変人扱いされるだけなので止めておく。
サンダルを乾いた砂の上に脱ぎ、波打ち際まで足を進めると、思ったよりも冷たい海水が足先に触れた。
「気持ちいいな」
思わず呟くとルーゲンタが、
「でしょう?」
「そうやってわざわざ言うお前がいなきゃもっと楽しかっただろうよ」
嫌味を言ったところでルーゲンタに堪えるはずがなく、
「酷いですね。ツンデレも行き過ぎると萎えますよ」
「ツンデレって何だよ」
またよく分からんことを言い出しやがって。
というか、やっぱりとでも言いたげに肩を竦めるな。
胸糞悪い。
説明を求めたところで苛立つだけの気がするから聞かないでおこう。
「それより、」
とルーゲンタはやけに近づいてくると、
「こうやって二人で並んで歩いていると、恋人同士に見えますかねぇ?」
「断言してやる。絶対、そんなことにはならん」
そもそも、何でそんなことを思うのかがまず分からんな。
「というか、それ以上近づくな。蹴るぞ」
「つれないですね」
予告通りに繰り出した蹴りはちゃんとルーゲンタの脚にヒットしたのだが、ルーゲンタには効かなかったらしい。
無駄に丈夫な奴め。
俺は大股にルーゲンタから離れ、
「ほーらさぼ、塩水だぞ、塩水っ。塩漬けにしてやろうか?」
とかやってる奏と、砂の上に下ろされて、うごうごと抵抗しているさぼを微笑ましい気持ちで眺めた。
「あんまりさぼを虐めるなよ?」
俺が言うと、奏は笑いながら、
「大丈夫だって。な、さぼ!」
とさぼの脚であるらしい小さな素焼きの鉢を突いた。
さぼはぴょんぴょんと跳んで奏から離れると、俺の足元に来た。
それを拾い上げて肩に乗せてやると、さぼが何かを指差した。
「なんだ? ……って、おい」
TPOも弁えず、いつも通りに持ち歩いていた邪魔っけな杖で、砂浜にルーゲンタがラクガキをしている。
それはまだ許容範囲というか、常識的な遊びの一つだろう。
だが、書いている内容が悪い。
別に卑猥だとかなんだとかいうんじゃない。
ただの相合傘だ。
相合傘なんだが……
「なんで俺の名前とお前の名前を並べられにゃならんのだ」
「やっぱりだめですか?」
「当たり前だ」
「じゃあ…」
とルーゲンタは何を思ったのか、足で名前を踏み消すと、ごろん、と大きな相合傘の上に寝そべった。
上…というよりむしろ、傘の下と言うべきなんだろうか。
「お前何やってんの?」
「えぇ? 分からないんですか? ほら、孝太もここに横になってくださいよ」
と指し示すのはルーゲンタの隣りだ。
俺は手を伸ばし、
「ルーゲンタ、その杖貸せ」
「はい? どうぞ」
ごちゃごちゃと鬱陶しいことこの上ない杖を振り上げた俺は、容赦なくそれをルーゲンタの腹へ突き立てた。
蛙をチャリで轢いたような音は無視して、俺は笑顔で言った。
「奏、ルーゲンタを砂に埋めてやらないか?」
「いいなー、それ。やらせて!」
「でかいスコップでも持ってくりゃよかったな」
「その杖でいいよ。なんか代わりになりそうな形してるし」
「だな」
とか何とか言いながら、さぼもまじえて砂をルーゲンタに掛けまくった。
帰りのことを考えると後で掘り出してやるかどうかしなければならんのだろうが、一時間や二時間炎天下に放置したところでルーゲンタがくたばるわけもないので、それくらいはしてやってもいいだろう。
頭までルーゲンタを砂に沈めた後は、奏と水を掛けあったり、サボテンらしく砂地が気に入ったらしいさぼのために綺麗な砂と飾り用の貝を集めてやったりして、至って楽しく過ごした。

たとえ時期が外れていようと、やっぱり夏は海だな。
うん。