眠り月

好奇心と常識人


どうして突然そんなことを思ってしまったのかは分からない。
ただ、気がつくと妙に気になっていた。
……さぼの植木鉢ってどうなってんだ?

好奇心と常識人

普段、さぼはあまり食料も水分も要求しない。
動くとはいえ基本的にはサボテンだから、空気中の水分を吸収し、身体に溜め込んでいるため、そう必要にはならないらしい。
それでも栄養分は必要だろうと、植物用栄養剤を与える時もある。
が、それより圧倒的に多いのは、それ以外のものだ。
今も母さんが俺の目の前にいるさぼに向かって、
「はい、さぼちゃん、ご飯ですよー」
と言ってふわふわの卵焼きを差し出していた。
さぼはそれを捧げ持つような形で受け取ると、鉢の中にある土を掘り、そこに埋めた。
口がないサボテンなんだから、そうやって養分を吸収するのは当然だろう。
しかし、卵焼きなんてうまく吸収出来るのか?
塩分が植物にはよろしくないような気がするんだが。
しかしさぼは母さんの、
「さぼちゃん、おいしい?」
という問いに、こっくりと頷いている。
……味覚、あるのか?
うぅむ、と唸ってる隙に、俺の皿から卵焼きが消え、奏の口へと消えて行き、俺は思考を中断させた。
「奏、何してんだ」
「ん? 要らないんじゃなかったの?」
「んなわけあるか。返せ」
「もう食っちまったもん」
「じゃあ、お前の分のオカズを寄越せ」
「しょうがないなぁ。ほら」
「……奏」
「なんだよ」
「卵焼きの代償が海苔の一枚ってのは納得がいかないんだけどな?」
「いいじゃん、ケチ」
どっちがケチだ、と思いながら俺がため息を吐くと、心配そうに見上げてくるさぼと目が合った。
いや、見上げるとか目が合ったとか言いはしたものの、実際にはさぼには目などない。
ただ、そんな風に見えただけだ。
「大丈夫だ。妹の非常識さが堪えただけで」
と返してやると、ほっとしたように見えた。
……サボテンの心情をなんとなく分かると言うのも、少しばかり変な気はするけどな。
しかし、それなりに付き合いも長くなってきているし――ここで年は取らないくせに、などと的確なツッコミを入れてはならない――、毎朝目覚まし時計代わりと言う重要かつ面倒な役をしてもらっているくらいなんだ。
一応の飼い主として、ある程度分からなければならないだろう。
どうせさぼの言葉は俺には通じないんだし。
――そう言えば、通じる奴がいるにはいたな。
あいつらならさぼのことが分かるんだろうか。
分からなかったとしてもさぼ自身から聞き出すくらいのことはしてくれるだろう。
どうせなら、血鬼が来てくれるとありがたいのだが、そううまくはいかないんだろうな。

数日後、俺のところにやってきたのは、案の定、ルーゲンタだった。
いつものように底抜けに明るく絶好調としか言いようのないルーゲンタを、何があろうと相手にしたくないという自分の心情に正直になることにして放っておくと、大抵ロクな目に遭わないことは俺もよく理解している。
だから俺は、ルーゲンタが、
「孝太っ、遊びましょうっ!」
と馬鹿げた声を上げるなり、
「ルーゲンタ、お前さぼと話出来るんだよな?」
と聞いた。
無理矢理会話に持ち込めば、それがよっぽどルーゲンタの意に沿わない会話でない限り、不満を言われることも、その結果として妙な魔法を使われることもないということは既に学習済みだ。
思った通り、ルーゲンタは一瞬きょとんとした顔をした後、小首を傾げ、
「出来ますけど……さぼが何かしたんですか?」
ルーゲンタの言葉に、さぼは不安を感じてか、その住居であるサボテンハウスから顔を見せた。
「いや、さぼが何かしたとかじゃないんだ。ただちょっと、気になることがあってな」
言いながら俺はさぼに目を向けると、
「あの鉢って、植え替えとかしなくていいのか?」
ストレートに鉢の中身が気になると言ったところで見せてもらえないだろうと思ってそう言ったのだが、ルーゲンタは平然と、
「必要ありませんよ」
と答えた。
「…なんでだよ」
目論見が外れるもいいところだ、と思いながら言うと、
「だって、あの鉢も含めて、動くサボテン族ですから」
「……はい?」
「だから、あの鉢は孝太の身体でたとえると足とか下半身とかその辺なんです。靴やズボンじゃなくて」
「つまり、外れないってことか」
「え? いや、それはどうでしょう…。私もやってみたことはないですから分かりませんけど、でも、身体の成長にしたがって大きくなるので、少なくとも植え替えは必要ありませんよ」
「そうか」
じゃあ、あの土もさぼの体の一部なんだろう。
もしかすると、さぼの口なんだろうか。
……となると、いつだったかに海に行った時、砂地をあんなに気に入っていたのは何だったんだ?
あの時持って帰った砂は、サボテンハウスの一角に綺麗に敷き詰められている。
単純に踏み心地が気に入ったとかそういうことなんだろうか。
うーん、と考え込む俺に、ルーゲンタが伸し掛かり、
「それより、何かして遊びましょうよ」
「うるさい。用事は済んだからとっとと帰れ」
「孝太は酷い人ですね。私が浮気してもいいんですか?」
「浮気って何だ」
「浮気は浮気です」
「……もしそれが、お前の興味が俺からそれるという意味なんだったら、俺は大歓迎だぞ」
それはつまり俺の負担が軽減されると言うことに他ならないからな。
ルーゲンタは不満そうに唇を尖らせると、
「あーそうですかっ!」
と俺に背を向けた。
向かう先は押入れだ。
珍しい。
大人しく帰るのか、と思いながら、
「じゃあな」
軽く手を振ってやったのだが、いつもならそれなりに喜ぶはずのルーゲンタは、ぷいっと俺から目をそらした挙句、
「浮気してやります!」
と宣言して出て行った。
……拗ねるような言動は正直言って寒いとしか言いようがない。
俺は虚脱感に襲われながらさぼに目を向けると、
「あいつは本当に何を考えてるんだろうな?」
と呟いた。
さぼは困ったように肩を竦めて見せるだけだったので、俺もそれにならってやった。
どうせまたしばらくすれば、ルーゲンタが面倒事を俺のところに持ってくるんだろうなと思うと非常に気が重い。
どうせなら、平穏な時間が少しでも長くなればいいと祈りながら、それが永遠に続くとは思えないのが何とも言えず悲しかった。
しかし、ルーゲンタと言う男は非常識だと言うだけでなく俺の予想の遥か上から厄介ごとを振りまいてくれる奴であるということは、間の抜けたことに、すっかり忘れてしまっていた。