眠り月

紅葉狩りと常識人


何かが変だ、何かがおかしい。
そう思った時、俺の近くには大抵ヤツがいる。

紅葉狩りと常識人

紅葉狩りに行こうと言い出したのは俺だった。
たまには山の中で美しい自然に触れ、日々侵入者に痛めつけられている心を少しでも癒したかったのだ。
妹の奏も、友人の和貴も賛成し、俺たちは紅葉狩りに行くことになった。
紅葉の名所と有名な山が俺の住んでいる町からそう遠くないところにあるので昔から気軽に出かけている。
とはいえ、一応山ではあるし、歩いていくのは面倒な距離でもあったので、バスで三人そこへ向かった。
紅葉シーズン真っ只中ということと連休中ということが重なり、バスの中も行楽色一色だった。
やはり中高年が多い中、俺たち三人は浮いていたが気にするような奴はひとりもいない。
奏なんぞはしわしわのじい様に、わしの若い頃に似ていると言われ、苦笑しながらもちゃっかりお茶とお菓子を頂戴していた。
そうして着いた山もやはり人で溢れていた。
バス停のすぐそばで伸びをしながら、俺は和貴と奏に向かって尋ねた。
「どうする?山道に進むか?」
和貴は、
「好きにしていいぞ。別にこだわりもないし」
と言ったが奏は張りきって、
「川がいい!」
と答えた。
山はちょっとした渓谷になっており、川沿いに進むと大きな岩の上を進むことになる。
その岩の上を跳ぶように進むのが奏のお気に入りなのだ。
俺は小さい頃から変わらない奏に苦笑しながら、
「分かった」
と答えて歩きだした。
大半が山道へ進む中、川へ向かう俺たちはちょっとばかり異質だった。
だが、川に浮かぶ紅葉を眺めながら進むのもいいものだ。
「――って、奏!そんなにペース上げたら回り見てる余裕もないだろうが!!」
俺が叫んでも、奏は止まらない。
野生動物か何かのようにひょいひょいひょいひょい進んでいく。
「孝太も大江も遅いぞ!」
「偉そうに言うな!転ぶぞ!」
「平気平気」
そう言って進んで行くうちに、俺たちは随分と奥の方まで来ていた。
川を進んでいても、山道は意外と近い。
だが、こちらの方へ進む人間は稀なのだろう、人影はない。
と、林の向こうに白い何かが見えた。
足を止めた俺に、和貴が言う。
「孝太?何かあったのか?」
「ああ、あそこに何か見えないか?」
「んー…?」
和貴が目をすがめる。
と、耳にかすかに音が聞こえた。
楽しそうな楽器の音だ。
こんな山の中に?
と首を傾げる俺の隣りで、下りてきた奏が言った。
「どうかした?」
「いや、何かあそこにある…っていうか、人がいるみたいで、楽器の音がするんだよ」
「楽器ぃ?こんな山の中で?耳がおかしいんじゃ…」
奏が途中で言葉を詰まらせた。
先程よりも明瞭に楽の音が聞こえる。
笛…それも雅楽に使うような笛の音だ。
それへ小さな太鼓の音がかぶさる。
更に弦楽器の調べ。
和貴はふむと唸り、
「誰か風柳なのがいるのかねぇ」
「かもしれないな」
「風柳って言うよりは酔狂に思えるけどな」
行こう、と俺が二人を促そうとしたとき、音楽の元である林から一人の女性が現れた。
雅楽の音色に相応しく、ずるずるとした着物を着ている。
「あの、もしや、雨宮 孝太様ではありませんか?」
俺はすぐさま答えた。
「違います」
そうして踵を返し、来た道を戻ろうとした。
が、女性はいつのまに近寄ってきていたのか、俺のリュックを掴んで止める。
「孝太様でしょう」
「人違いです」
「孝太様です」
「なんであんたが断言するんだ」
「孝太様は孝太様だからです」
「もしも俺が孝太だとして、だからといって何だと言うんだ」
「孝太様をお招きしたいのです」
「結構です」
「ああやっぱり孝太様なのですね」
「そこはもうどうでもいいんだよ。とにかく俺は帰るんだ。離してくれ」
「そうは参りませぬ。孝太様がいらしたなら手厚くもてなすようにとの主の命がくだっておりますれば、決して離しはいたしませぬ」
「離せ」
「離しませぬ」
「離せ」
「いけませぬ」
「離せって言ってるんだから離せ!」
「でもあれ、お連れ様はもう先に…」
「なっ!?」
慌てて振り返ると、奏と和貴が林へ歩いていくのが見えた。
「あいつら……」
「ささ、孝太様も早く…」
俺は諦めてため息をついた。

紅葉降りしきる林の中、張り巡らされた幔幕に敷き詰められた緋毛氈。
ああ、また変な事に巻き込まれるのかと、俺はため息をついた。
座らされたのはイグサの匂い漂う円座。
どこからか香の薫りも漂ってきている。
目の前に並べられた御馳走もどこか古めかしい。
完全に異世界に取り込まれた気分になる俺のやや後ろ左右に奏と和貴が座らされている。
そして俺の前には嫣然と微笑む美女。
――普通なら、よろめくんだろうな。
などと思っている俺を異常だと思う奴こそおかしい。
こんな山の中、十二単を着た女性がいるなんてありえない、と気付いていないということになるのだから。
俺は警戒しながら女性に言った。
「どこかでお会いしましたか?」
「いいえ、初めてお会いいたします」
艶やかな笑みを浮かべたまま、彼女は言った。
「わらわの名は更科。人はわらわを更科姫と呼びます。…孝太様の噂はかねてから耳にしておりましたの。こんなところでお会い出来るなんて感激ですわ」
「う、噂…」
ひくりと自分の頬が引きつったのが分かった。
一体どこからどんな噂が流れているのか知れたもんじゃない。
だが更科姫は優しい声音で、
「あれ、なにをそんなに固くなっていらっしゃるのかしら。菜にも手をつけられずに…」
「いえ、まだ空腹ではないので…」
「それは残念ですわ。ではせめて、舞をごらんにいれましょう」
と更科姫が言うと侍女らしい女二人が進み出た。
扇を手に構えれば、他に誰がいるとも思えないのに楽の音が流れ始める。
そうして侍女が舞い踊る。
それは詳しくもない俺にして見ればゆっくりすぎてつまらない物で。
知らぬ間に、俺の意識は沈んでいった。

「これ」
低い声が聞こえた。
どすの聞いた声。
俺は薄目を開けて驚いた。
先程まであんなにも優雅だった更科姫がぎっとこちらを睨んでいた。
だが、俺が目を覚ましているとは気付かないようで、
「…この様子ならしばらく大丈夫であろう。行くぞ」
と侍女を従えて山の中へ消え去った。
俺は奏と和貴の安全を確かめようと体を起こした。
が、二人は完全に寝こけている。
「起きろよー!!」
いつ更科姫が戻るかとひやひやしながら小声で言うと、とんとんと足拍子が聞こえた。
「大丈夫か?」
声に引かれて顔を上げると山伏のような格好をした、俺と同い年くらいの男が立っていた。
「俺は、大丈夫です。だけど、こいつらが…」
「ふん、香と食事で眠らされたな。どれ、起こしてやろう」
そう言った次の瞬間、彼はどんと足を鳴らした。
その音ときたら山が揺れたかと思うほどの大音量で、俺はくらくらしながら尋ねた。
「貴方は、いったい…」
「わしはこの山の神、山神じゃ!」
そう答えて笑い、どん、ど、どん!と足を踏み鳴らした。
俺は思わず揺れる地面にしがみついた。
その音がやっと終わったと思うと、山神が言った。
「孝太、これをやろう」
差し出されたのは小さな刀。
「これは?」
「霊剣小烏じゃ。それで更科姫を討ち取れ。さもなくば元の世界には帰れまいぞ」
「元の世界?…てことは、ここは……」
「お前の知る山とある意味では同じではあるが、違う山でもあるのじゃ。わしは昔からお前を見ていたゆえ、こうして助けにきたが、わしもこの世界のものではない。介入できるのはここまでじゃ。武運を祈るぞ」
と山神は姿を消し、変わりに奏と和貴が目を覚ました。
「…あれ、孝太……?」
「なんでこんなところに…」
俺はため息をつき、
「いいから、ここで待ってろ。俺は更科姫を追う」
「更科姫って誰?」
奏が問い、俺はまじまじと奏を見た。
「お前、もしかして最初っから意識がなかったのか?」
「うん?孝太が立ち止まったから戻ったのは覚えてるけど…」
「……まあ、いい。とにかく、そのへんに隠れてろよ」
俺は小刀を抜き、駆け出した。
更科姫は山の奥へ入っていった。
戻ってくる気だったようだから、そんなに行かないうちに出くわすかもしれないと思いながら。
走るうちに気になり始めたのが姫の名と、先程の山神、それから手の中にある小刀の事だ。
どれも聞き覚えがある気がする。
何かで見聞きしたような気がするのだ。
なんだったか――と考えているうちに、前方に赤いものが見えた。
もっさりとした赤い髪の毛に白い角――鬼だ。
これがさっきの姫かと呆れながら、俺は言った。
「待て!」
鬼が振り向く。
「これはこれは…孝太様。あのまま待っておられれば良かったものを」
「そうもいかないんだ。……俺たちをもといた山に戻してもらおうか」
「あれ…そんなことまでご存知とは、誰ぞ余計なことを申しましたな」
「戻せと言うのが聞こえないか?」
「はい、聞こえませぬ」
そう言って鬼はにぃと笑った。
口が大きく裂けて見えた。
「せっかく捕らえたものを逃がすわけがありましょうか」
その笑みのまま襲いかかってきた鬼に、俺は小刀を突き出す。
「あれ」
鬼が悲鳴を上げて逃げ出した。
それを追えば、鬼が松の木に登っているのが見える。
そこで俺は思い出した。
そして、叫ぶ。
「茶番は終りだ!!ルーゲンタ、出てきやがれ!!!」
世界が一瞬真っ暗になった。

光が戻った時、俺の目にはルーゲンタの笑みが映っていた。
「どうして分かったんです?」
「分かりやすいだろ。俺なんか鈍い方だ。――あれは『紅葉狩』だ。違うか?」
「そうです」
『紅葉狩』は歌舞伎や能の演目のひとつだ。
ストーリーはほとんど俺が体験したのと同じだったはずだが、俺は詳しくないのでよく分からない。
ただ、更科姫も山神も名刀小烏丸もそれに出ていた。
俺はため息をついて言った。
「全部幻か?」
「いいえ、私の友人に頼んで演じてもらいました。もちろん、ところどころの効果は魔法ですけど」
「あっそ。…それで?なんのためにこんな手の込んだことをしたんだよ」
「孝太を楽しませてあげたくて」
「楽しめるかああ!!!」
「それと、私の国を知ってほしかったんです」
俺は辺りを見回した。
いつもの山とそっくりだが、よく見ると生えている木が違っていたり、見慣れない動物がこちらをうかがっていたりする。
「……ここがお前の国だって?」
「ええ。多少変えたんですけどね」
「…お前、そんなに俺をこっちに呼びたかったのか?」
「ええ」
「………」
俺は深くため息をつき、
「分かった。たまには来てやるから今回みたいなふざけた真似は二度とするんじゃねえぞ」
「ありがとうございます。でも…楽しくありませんでしたか?」
「冷や汗かいたわ!!!」
そうルーゲンタを怒鳴りつける俺を見ながら、奏と和貴は顔を見合わせて言った。
「なんのかんの言って、孝太ってあいつに甘いよな」
「だな。…でもまあ、こっちが譲歩してやらないと際限がないからって気もするけど」
「確かにな」
「で、奏ちゃんは楽しかった?」
「……てか、ずっと意識なかったからな。大江は?」
「俺?俺は面白かったな。意識ないふりしてずっと見てたから」
「……お前って意外と強いんだよな」
「ありがとう」
にっと和貴は笑って見せたのだった。