エッセイ 鐘紡(カネボウ)人事部私史
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照会先 事務局 理事 三好 恭治 Tel&Fax 089-923-0647 E-mail
序 章  『ひと・出会い・旅」をご覧頂く方へのメッセージ(平成19年丁亥)  附 慶応義塾長 故高村象平先生に捧げる   
「日記」は小学校(正確には国民学校であるが)から断続的に書いており、ビジネスマンになってからは「業務日誌」となったが、鐘紡の人事部人事課長の任命を受けて以来今日まで「博文館日記」で書き綴っている。約40年分である。
第一章  わがグルッペ 蛍雪会物語  附 二神日満男先生 (平成9年丁丑)
小学校以来の友人であった伊賀ちゃんこと伊賀上湛君が、平成八年三月二十四日脳内出血で急逝してから、はやくも二年になる。三月二十五日、本社の会議で上京中に彼の逝去を妹の禮子さんの連絡で知り、枕元に駆けつけたのだが・・・・・
第二章  小林達二先生 (平成9年丁丑)
小林達二先生との出会いは、昭和四十年代始めのNHK高校(通信制)と鐘紡との業務連携を通して始まった。小林先生ほど気を許したお話できる教育者は数少なかった。
第三章  クピード と 山頭火 (平成9年丁丑)
昭和六十年夏から平成元年の夏までの三年間、鐘紡防府(合繊)工場長として山口県防府市で勤務した。鐘紡では「舎監・工場長・社長」がもっとも「ノブレス オブリージュ」(高貴なる義務)が求められる職位であると諸先輩に教えられ・・・・・
第四章  鐘紡退職の日々&定年旅行(カナダ)(平成10年戊寅)
人事部生活二十二年−−−−その間で人事部長として五年間、多くの退任役員の悲喜こもごもを目の当たりにしてきた。それだけに、自分にとっての退任の日々は、自分にとって決して悔やむことのない日々にしようと十年以上も前から決心していた。  
第五章 東日本への旅愁 @AB
妻との「ちょっといい旅」は、「みちのく」に向かう。 平成九年七月五日のことである。東海道新幹線と違い東北新幹線の混雑を予想できず、早起きて・・・実はこの一列車遅れが、旅程を大幅に狂わすことになるなど、東京駅では知る由もなかった。
第六章 西日本への旅愁 @A
唐津即ち唐ノ津であり、福岡市(娜大津)からは玄界灘の広々とした海洋と島々を車窓から眺めながらの一時間半の旅であった。海の向こうは朝鮮半島であり、古代から大陸を意識し、緊張感をもって対応してきたこの地域独特の風土・文化に短時間であっても触れてみたい気持ちが湧いて来だした。
第七章 思い込みの宿(平成10年戊寅)
定年退職までの東京二年間の予定された生活の中で、泊まってみたい宿は幾つもあったのだが結局「思い込みの宿」としては五軒を訪れたに過ぎない。 日光金谷ホテル・箱根宮の下富士屋ホテル・上高地帝国ホテル・軽井沢万平ホテル・尾瀬長蔵小屋 である。
第八章 歩苦(あるく)から歩喜(あるき)へ (平成10年戊寅〜平成13年辛巳)
別に人から求められた訳ではないのだが、平成九年の五月、通勤の帰途、頭に浮かんだ印象を一気に文章に纏めたのが、この一文である。 江東区の北砂のマンションに住むようになってから 、休日の散策には川と海に出会うことが多くなった。
第九 西班牙紀  (平成11年己卯)
バルセロナの主要観光地は@サグラダファミリア(聖家族教会) Aグエル公園 Bモンジュイックの丘 Cゴシック地区 Dグラシア通り Eミラ邸である。人口六〇〇万人、スペイン第二の大都会を一日で見物すること自体が無謀な試みである。
第十章  澳大利亜紀行〜建国百年・オリンピック・サマークリスマス(平成12年庚辰) 
二〇〇〇年の年末を迎えても、シドニーオリンピックの余韻は日本では消えることはなかった。北半球が冬の最中に南半球の夏を経験することは楽しみであった。今日でも英連邦の中にあるとは云え、この国の建国は丁度100年前の1901年であり、先進国の中では最も新しい国である。この年逝去した慶応義塾の創始者福沢諭吉先生を偲んで『素本 世界国盡』に記載の「澳大利亜」なる国名を記す。  
第十一章   四国の大将の贈り物 (平成12年庚辰)
「四国の大将」とは元来島どっくの社長であり「再建の神様」として七十年代から八十年代前半までマスコミにもてはやされた坪内寿夫氏のことである。暮れも押し詰まった平成十一年十二月二十八日午後四時二十六分肺炎の為松山市の病院で逝去された。享年八十五歳であった。
第十二章 革命的中国残像 (平成13年辛巳) 
中国はこれまでに二度訪れている。初回は上海から青島、そして北京には夜行列車で赴き中国薬剤公司との現地工場生産に関する交渉である。二度目はカネボウの漢方薬を取り扱う有力薬局・薬店を招待して、青島・上海を視察した。勿論それなりの観光コ−スは設定されていたが、
第十三章  高校同期会年度幹事始末(平成13年辛巳)
 平成十年十月郷里に戻ったが、翌年春の町内会の世話役(→町内会長)に推挙されお引受し、松山三田会(慶応OB会)の代表幹事、文化研究団体である松山子規会、坊っちゃん会、一遍会、伊予史談会の会員になったが強い要望があって一遍会幹事として四十年の歴史がある同会の運営を担当することとなった。その上、高校同期会の代表幹事(会長)もお引き受けすることになろうとは・・・
第十四章  北の旅人  〜二十四のシニアな瞳〜(平成14年壬午)
昭和四十八年(一九七三)日経連「欧米ワーク・オーガニゼーション研究チーム」の一員として九月二十二から十月十四日まで欧米の代表的な企業を訪問したが、ストックホルム経団連を訪問した時のメモの一部を掲載する。その日は国王逝去の国葬に当たり、個人的には歴史的な一日を送ったことになる。
第十五 イタリアルネサンス紀 (平成14年壬午)
語呂合わせではないのだが、十一月二十二日は「いい夫婦の日」である。夫婦で阪急交通社の「イタリアルネサンス紀行九日間」というパケッジツアに参加する。
第十六   ロシア旅愁 (平成15年発未)
昭和一桁から昭和一〇年代に誕生した世代にとっては『青年歌集』を口ずさみ愛唱した歌も多いのではなかろうか。新宿や渋谷の歌声喫茶で昼間は学生、そして夜にはサラリ−マンや勤労者が押し寄せアコーデオンの調べで大声で歌に酔ったものだった。
第十七章  ニュージーランドを駆け抜け (平成15年発未)
今年(二〇〇三)八月にロシア(サンクトベルグ・モスクワ)に出掛けたばかりだが、秋風とともに腰がむずむずしてきて、今度は南半球のニュージーランドに出掛けることにした。広大な牧場での羊との遭遇イギリス植民地時代の文化に触れることを期待して・・・
第十八章 奥道後物語・鐘紡同期燦燦会 (平成15年発未)
昭和三十三年(一九五八)に鐘紡に入社した大学卒業者は四十四名であり、現在消息がかっている仲間は三十六名である。昭和三十三年入社に因んで「燦燦会」と命名している。名幹事長の武内利夫君の尽力で毎年一回総会、懇親会とゴルフコンペを行っている。 
第十九章  鐘紡の社史社風
平成19年(2007年)カネボウは消滅し、鐘紡の遺伝子は「クラシエ」として微かに残存している。鐘紡の中興の祖である武藤山治、津田信吾両社長の企業家精神は今日「鐘淵化学株式会社」が継承している。「カネボウ」は滅んだが「鐘紡」は生き続けていると信じている次第である。
第二十章  鐘紡技術学校〜魂ある技術者へのメッセージ〜(昭和52年〜60年)
人事部長として工場の監督者に7年余訴え続けた経営理念・人事指針である。日本的経営・日本的人事管理を推進した軌跡である。鐘紡第2世紀から鐘紡は人事方針を大きく転換し、極端な上意下達は経営倫理の視座と機軸を喪失させ、結果として鐘紡は破滅した。在社当時の「鐘紡への遺書」でもある。
第二十一  応用問題を解析する自主的な態度を確立せよ(鐘紡技術学校修了生へのメッセージ)  
この一文は、昭和39年人事部教育課で始めて全事業場長宛に発した公文であり、同時に鐘紡技術学校修了生全員に対する檄文でもあった。20歳台の若輩が鐘紡の経営理念について解説した小論にもなっている。後日、全社の人事課長会議においても、同様の趣旨で発表した。
第二十二  祈りの経営について  〜日本的経営の原点〜 
平成21年2月14日、一遍会第44回例会で「祈りの経営〜共同体ということ〜」と題して講演した内容を中心に再構成した。宗教的な言及は大幅に割愛したので、宗教にご興味のある方は「熟田津今昔第三十五章  捨ててこその経営〜共同体ということ」をご覧下さい。
第二十三  45年ぶりの再会  導入主事から「鐘紡(カネボウ)39会」の友へのメッセージ   
導入主事と新入社員という関係ではありますが、四五年前の共通体験の中で私にとっても生涯忘れることのない三つの出来事がありました。 ひとつは合宿しました住道工場の食事でした。麦が半分は混ざっているようなご飯、お椀の底が丸見えのみそ汁、グニャグニャしたおしんこと惣菜が一品でしたが、諸君が何も云わず黙々ととのど(喉)に押し込んでいる姿は哀れでもありました。
第二十四   鐘紡への尋ね人  平成22年4月27日午後15時45分着信のメールからこのドラマは始まった 
昭和17年に奉天のヤマトホテルで逝去された鐘紡OBの黒田留造氏の会社でのご活躍ぶり、お人柄をお孫さんにお伝えしたい。ご記憶のある方は、ぜひ「鐘紡関所番」にお知らせいただきたい。
第二十五章  インド7つの世界遺産と聖なるガンジス河7日間
ヒンズーの教えである人生の4住期とは@学生期 A家住期 B林住期 C遊行期 を指すが、男子が生まれ、やがて男子の孫が生まれれば人生の終末に向かう。各地を遍歴し、バラーナーシーで死を待つことは最高の幸福であるらしい。沐浴場(ガート)の階段に終日坐っている老人は、貧者や非可触民ではなく、かつては大学の哲学教授であったかもしれないし、老婆はスクリーンを沸かせた女優であったかもしれない。「色」であることは「空」であるとは「般若心経」の教えだが、ヒンズー教でも輪廻を超越するには、すべてを捨てきることが求められるのであろうか。
第二十六章 鐘紡経営史について
神戸大学大学院「鐘紡研究会」からの質問に答える。
1)武藤 山治氏の精神、功績、経営の継承について 2)津田信吾氏の精神、功績、経営の継承について 3)労使関係観のけいせいにおける新入社員時の経験の影響4)三好氏の防府工場時代もご経験について・・・・・10)評価の方針、運用について 11)トップ層への登用の傾向 
第二十七章
第二十八章
第二十九章
第三十章