エッセイ 鐘紡(カネボウ)人事部私史
第拾章 澳大利亜紀行〜建国百年・オリンピック・サマークリスマス (平成12年庚辰)
 二〇〇〇年の年末を迎えても、シドニーオリンピックの余韻は日本では消えることはなかった。北半球が冬の最中に南半球の夏を経験することは楽しみであった。今日でも英連邦の中にあるとは云え、この国の建国は丁度一〇〇年前の一九〇一年であり、先進国の中では最も新しい国である。この年逝去した慶応義塾の創始者福沢諭吉先生を偲んで『素本 世界国盡』に記載の「澳大利亜」なる国名を記す。   
十二月十一日(月)晴れ。 松山→関西空港→オーストラリア(ブレスベン)   
 軽く昼食を我が家で済ませ、十二時四十三分道後温泉発の伊予鉄バスにて松山空港に向かう。十四時発ANA四四六便で伊丹空港に着きリムジンバスで関西空港に十七時前に到着する。十七時五〇分関西国際空港四階の全日空Bアイランドに今回の全日空ハローツアー参加者全員が集まる。添乗員は福島めぐみさんでメンバーは新婚二組、熟年五組の一四名である。三和銀行で一万円をオーストラリア・ドルに交換する。レイトは七二円九九銭である。一九時五〇分発NH五八八二(全日空・アンセット航空共同便)は定刻に離陸する。ブレスベン到着は翌十二日午前五時十五分だが時差が一時間あるから日本時間では早朝四時十五分で約八時間半の飛行となる。遅い夕食と早い朝食の二回食事のサービスがある。ディナーはサラダと鱈のケイバー、コーヒー、冷菓だが、温かい調理とみずみずしい野菜やフルーツが盛りつけられており、アンセット航空のサービスに興味を抱いた。朝食は季節のフルーツ盛り合わせであった。 
 アンセット航空の創始者であるレジナルド・マイルズ・アンセットは、一九三一年弱冠二二才でビクトリア州ハミルトンの個人タクシーを始め、一九三六年に六人乗りのプロペラ機を操縦し、業績の進展とともにメルボルン・エッセドン空港に会社を移した。爾来一九八二年彼の死迄に世界有数の航空会社に育て上げた。サクセスストーリーであるが、「どこよりも充実したサービスを提供する」というアンセット哲学は、搭乗一時間後のディナーで一瞬感じた印象と一致し正直驚いた次第だ。JALやANAも見習うべきアンセット航空のサービスのエッセンスをオーストラリヤ旅行中注意深く観察しておこうと思った。 寝付きは良くなかったが少しでも睡眠をと考えて眼をつむっていた。熟睡には程遠い数時間が過ぎた。 
十二月十二日(火)晴れ。 ブリスベン→ゴールドコースト     
 定刻午前五時十五分より若干早くブリスベン空港に到着、入国審査後ロビーに出たが、日本の秋空の様に雲一つない「オーストラリヤの初夏」があった。現地ガイドは女性で富手さんという珍しい名前だ。二十台後半か。ブリスベン市内は専用バスで通過しただけなので、市庁舎やセント・ジョーンズ大聖堂、アンザック・スクエアも残念ながら印象に残っていない。ただブリスベン川が町中を大きく蛇行しており、川に沿って町が発展した様だ。オーストラリアの北方に位置するブレスベンは囚人流刑の町として開拓の一歩が刻まれたらしいが、東洋からの旅人にはその残滓すら感じることは出来なかった。 
 最初の観光地オーストラリアン・ウールシェッドまで市中心部から凡そ三十キロは離れていると思われるが、道路の周辺はコアラの好物であるユーカリの並木と林野が広がっている。九時開園前にバスはウールシェッドに到着した。食べれたものでないべちゃべちゃのご飯と味噌汁と羊肉のバーベキューをメインにしたオーストラリヤ料理のバイキングが用意されていた。食後、先ず一日五回の羊の毛刈りショウーが始まる。壇上に羊が八頭呼び込まれる。というか良く訓練されていて所定の階段に勢揃いする。メリノ、コリーデイル、リンコルン、ボーダー、レイセスター、ドーセットホルン、サフォークなど羊といえば羊だが非常に奇妙な顔つきの羊に出会い楽しめた。性質は従順でおとなしい。牛の乳搾り、小羊の授乳、カンガルーの餌づけ、牧羊犬の実演もあるが、お目当ては勿論コアラを抱っこしてのスナップ写真である。小屋には十頭近くのコアラを飼育しており、中には赤ちゃんコアラを背中に乗せて動いているものもいた。コアラは強烈な臭いはなく両手を組んでコアラのお尻を乗せると自然に身体にしがみついてきて可愛くて仕方がない位だ。コアラを抱いた写真を受け取 ったが、非常によく写っており大いに気をよくした。我が家のリビングルームに飾り、朝夕コアラと挨拶するのが楽しみである。 
 一路パシフィックハイウエイを南下し、南太平洋に面したゴールドコーストに出る。年間三〇〇日晴天というが、この日も快晴で目には見えないが紫外線が充満しているに違いあるまい。海岸で小休憩したが早速犬三匹を連れて海岸を散歩中の母娘と妻のスナップ写真を撮る。母親は太っているが子供は無邪気で可愛い。
 現地案内人の腕の見せ所とでもいうのか、カラスミやプロポリスなどの製品紹介と即売が車中で行われ、ゴールドコースト中心街のGALLERIA・DFS(免税品販売所)に案内される。建物内を一巡した後、真向かいにあるパラダイスセンターに入り地下のスーパーマーケットを見学し、ファーストフードのJACKSONSの軽食(鶏肉サンド&カプチーノ)で空腹の虫抑えをする。買い物に精出した人もいるにはいたが、午後一時過ぎ全員集合し、本日の宿泊先であるANAホテルゴールドコーストに入る。八階の海岸に面したツインルームであり、シャワーとバスが別々に設けてありゆったりしている。 
 ホテルで暫く休息し、通称サーファーズ・パラダイスを歩くことにする。ANAホテル二階のJCBプラザでイタリアレストランの夕食を予約し、交換レイトが良いキングス両替所を紹介してもらう。一A$六六円で一万円が一六〇A$である。出国時のレイトの一〇%増しである。一、二階はガレリアであり、大型免税店オールダーズも入居している。オーキッド通りのOK(大橋巨泉)ショップ、日本屋(コンビニ)、ドルフィンセンターをぶらぶらしてから再度パラダイス・センター内のウインドウショッピング。真向かいにあるラプティス・プラザ(入り口に日本料理の「さのや」あり)を一巡して、海岸通りを渡って砂浜を裸足で歩く。水着の女性をバックに写真を撮ろうとしたが思うようにはシャッターを切れず。そのうち何だか急に腹具合が悪くなりトイレを利用しようとマクドナルドに入ったが、日本とは大違いでトイレが不潔で結局ホテルに戻って用を済ます。 
 パラダイスセンターに沿ったカビル通りを直進しゴールドコーストハイウエイ、ファーニー通りを抜けてクルーズ発着所のあるネランダ川の川岸に出る。太陽が徐々に西に下りてきてはいるが結構明るい。付近を散策し午後六時前、予約済みのレストラン・マンゴーズに入る。日本流にいえば茅葺きのテラス風のスペースの川沿いにあるテーブルで地ビールのXXXXで喉を潤し新鮮な魚介類を食べる。JCBカードで支払う(四二A$)。ゴールドコースト沿いの店をひやかしながらショッピングを楽しみ、とある店でTシャツを求めた(八・五A$)。サーファーズ・パラダイスは僅か数百米の商店街のゾーンであり治安上の心配は全く感じなかった。ウインドウショッピングの最後はANAホテル対面にあるスーパーマーケット「コールス」も入居している洒落た比較的新しい商店街を見る。 午後九時にはホテルの客となり、豪華な室内でゆったりしていると睡魔が襲ってきた。
十二月十三日(水)晴れ。 ゴールドコースト 
 六時前モーニングコールで目覚める。カーテンを開けると広々とした南太平洋とゴールドコーストの海岸が果てしなく広がっている。ホテルのレストランでは日本食に手をつけず洋食で通そうと思ったが、味噌汁プラスお粥に手を出した。フルーツ類が見るからに美味しそうであり腹一杯の朝食となった。七時二十分ホテルのロビーに集合して、いよいよ一日の行動開始である。 
 カラビアン野鳥園はサーファーズパラダイスからゴールドコーストハイウエイを十八キロ南下したカラビアンにある面積二七ヘクタールの広大な敷地である。一時間程度の園内観光であり大自然に触れる余裕もない。入園してすぐ色鮮やかな羽を持ったレインボー・ロリキート(インコ)が飛来し歓迎してくれる。ユーカリの道を歩き丘陵地帯に出て、ペリカン、コアラ、タスマニアン・デビルや名前の知らない鳥類、爬虫類、哺乳類に「遭遇」する。園内回遊トロッコ列車でカンガルー園に出る。ここはクイーンズランド・ナショ ナルトラストが運営する非営利組織であるところが日本とは全く違うところだ。反政府的な自然保護団体活動でなく自然を護り共存共栄する自然保護活動が日本に生まれてほしいものだ。ユーカリの幹の皮を剥いで土産に持ち帰った。 
 ゴールドコーストに戻りシーワールドに入園する。大して期待もしていなかったが、テーマパークとしてはなかなかの充実ぶりである。園内が一望できるレストランでの食事をはさんで@ドルフィン(いるか)コープショー A壮観!水上スキーショー Bパイレーツ(海賊)3Dアドベンチャー Cゴールデンシールの冒険やモノレールで園内一周など夫婦ともに子供に戻って無邪気に楽しむ。ディズニーランドと同様に異国を感じさせない非現実的なハレの遊園地であった。「バイキングの復讐・谷川の船乗り」という呼び込みのスリルのある乗物は先頭の座席なので水を被ってしまった。 
 三時過ぎにホテルに戻る。再度街中をぶらつき、午後六時前全員正装?してシーフードディナー(ビールはVB)を食べ、カジノのあるコンラッドホテルに乗り込む。ラスベガス程ではないが日本ではまずお目にかかれない、言葉は理解できなくても結構楽しめる華麗なショウであった。なかでも四十数才のコメディアンでもありトランポリンの名手でもある男性の三十分にわたる独演ショーは爆笑爆笑の連続であった。カジノはラスベガス、ナイアガラに次いで三度目。大きな賭け事には勇気がないのでスロットマシンを楽しむ。一〇A$儲けてホテルの朝のチップ代の稼ぎ?で終わった。     
十二月十四日(木)晴れ。 ゴールドコースト→ブリスベン→メルボルン 
 午前八時四〇分アンセット航空にてメルボルンに向かう。一時間の時差(サマータイム)があるので正午前に到着する。現地ガイドは自称コーラさんなるベテランの子持ち離婚の元スチュアデスである。 
 市内中華街のシャーク・フィン・ハウスでの二〇種の皿物の飲茶で一息つく。広東料理だが確かに旨いし日本人の舌にも合う。市内観光を期待していたがフィッツロイ・ガーデンのキャップテン・クックの家と熱帯植物の温室であるピープルズ・パスウエイだけで日本語が通じるアルトマン&チャーニーなる店に送り込まれる。ゴールドコーストの現地ガイドの商品斡旋は観光地でもありまだ許せたが、コーラさんは観光説明は付け足しで商品斡旋が主になっている。困ったものだが日本人観光客の中には買い物ツアー中心の客も多いのだろう。午後三時過ぎにグランド・ハイアット・メルボルン・ホテルに着く。さすがにグランドの名称がつくだけに重厚さと伝統を感じる。居室で暫しの休憩のあとセーフティボックスに貴重品を預け、地図を片手に市内探訪に出掛ける。
 グランド・ハイアットを出てファッションの高級店が揃うパリスエンドの一角にあるコリンズ・プレイスで妻のショルダーバッグを求める。日本料理店乾山もある。エントランスには豪華なクリスマスツリーが飾られている。ホテル・ソフィテルを抜けて、スプリング通りを北上する。右手に一八五六年建設の州議事堂、更に奥にはセント・パトリックス・カテドラルの優美な塔が見える。ロンステール通り、ラッセル通り、ラ・トロープ通りを回り一八四五年設立の州立図書館から対面にあるメルボルン工科大学の構内に入る。帽子を被りガウンを着けた女子学生が記念写真を撮っている。南半球での卒業式は一二月即ち夏休み前なのであろう。大学の構内を通り抜けると一八五一年に建設され一九二三年まで監獄として使用された旧メルボルン監獄があった。ネッド・ケリーなる有名な盗賊が絞首刑に処せられたのもこの監獄とのことだが盗賊のことは全く知らない。スワンストン通りを下るとメルボルン・セントラル駅へ出る。ここは大商業ゾーンであり歩道橋を結んで二ブロックに跨がっており、大丸デパートがメインテナントである。なんとなく気安さもあり館内をぶらぶらし妻の 見立てでゴルフも楽しめるポロシャツを求める。閉店が六時とガイドブックには載っており気が急いたが、クリスマス期間は午後九時閉店と知り改めてゆっくりとショッピングを楽しむ。地下のテイクアウトの食堂で軽く炒飯とアイスクリームを食べ胃腸の満腹感を調整する。夕方七時になり日没が心配だったがまだまだ明るくスワン通りを下って若者が屯し映画館なども多いパーク通りからクイーン通りを折れて暗くなったコリンズ通りのウインドを眺めながら午後八時頃ホテルに着く。途中、卒業のコンパで賑あうパブやレストラン、学生の姿が目につく。約四時間半の足で確かめた市内観光である。   
 グランド・ハイアットは三三階建ての高層ホテルだが、コリンズ通りからロビーまでのスペースはショッピングとレストランがあり、ケーキ&コーヒー(五A$)で最後の仕上げをする。ゆったりした一〇階の客室で妻との語らいが続く。   
十二月十五日(金)晴れ。 メルボルン    
 午前中はフリータイムであり、朝六時半軽装で散歩に出掛ける。先ずは州議事堂の裏にあるセント・パトリックス・カテドラルを訪れる。丁度七時で教会の鐘がなっており、朝のミサに参列する。極めて厳粛かつ静寂の中で朝のひとときを送る。この寺院は一八六三年に着工し一九三九年に完成したゴシック様式で尖塔は一〇三米あり一際目立つ。教会の庭園を抜けてフィッツロイ・ガーデンズ、トレジャリー庭園を散策する。昨日訪れたキャップテン・クックの家やチューダー様式の建物を集めたミニ・チューダー・ヴィリッジやレストランに立ち寄る。                             
 ホテルで朝食を済ませ、メルボルン市を南北に分かつヤナ川を渡ってアレキサンドラ・ガーデンズ、クイーン・ヴィクトリア・ガーデンズ、キングスドメイン、王立植物園といったオーストラアを代表する庭園を気儘に散策する。柵もない広大な緑地といった感じである。二十年以上も前にロンドンのハイドパークを散策した記憶が思い出される。さすがに妻も疲れた様だ。ヤナ川を渡った所にフリンダーズ・ストリート駅があり十字路の斜め前の荘重なゴシック様式のセント・ポールズ・カテドラルに立ち寄る。        
 シティ・スクエアではクリスマスの歌が流れ、周辺のタウン・ホールやトラベルセンターで旅の情報を集める。ホテルのあるコリンズ通りの一つ上手のリトル・コリンズ通りで妻は気に入ったブティックに入りアウトウエアを試着したりウインドウショッピングを楽しむ。昼時になったのでリトル・パーク通りの中華街まで足をのばすが食欲が今ひとつでホテル近くのテイクアウト店で巻き寿司を求める。ご飯が美味く炊けており一応は合格点である。                               
 午後三時フィリップ島のフェアリーペンギン・パレードの見物に一行出発する。フィリップ島はメルボルンの南東一二二キロというからたっぷり車で二時間の距離である。時間調整もあり、とある所でトイレ休憩三〇分。時間を持て余したが、TVでクリケットの試合を放映中。見ていても全然面白くないのだが、店の人が時々TVを見ては歓声を上げている。オーストラリアではクリケットとラグビーが最も人気のあるスポーツだそうだ。  
フィリップ島は本土と橋で結ばれており、ペリカンのいる漁村と別荘地を回って夕暮れの海を眺めるレストラン「テーラーズ」で蟹料理を食べる。このレストランにはGO−SHU(豪酒)という日本酒が置いてある。灘の小西酒造(小西新太郎社長)が地元資本と提携して一九九五年サンマサムネ工場を開場した由で、ビールに代えて早速日本酒を注文する。アンセット航空の機関誌プラス・ワン創刊号に紹介記事が四頁にわたって掲載されている。七時頃ビジターセンターに到着し館内の陳列やビデオを見て夕暮れを待つ。夏とはいえ日暮れになると気温が下がるのでホテルが用意してくれた毛布を頭から被りペンギンのお出ましを待つ。九時前にやっとフェアリー・ペンギンが群れをつくって上陸し、足早やにねぐらに向かう。見学用の観覧席から手すりのある回廊に出て体長僅か三〇センチ程の小さなペンギンの姿を追い求める。可愛いし見飽きることがない。ホテルには深夜十一時前に戻る。 
十二月十六日(土)晴れ。 メルボルン→シドニー      
 十時にホテルを出発しアンセット航空十二時発でシドニーに向かう。機内食あり。十三時二十分シドニー到着後市内観光。現地ガイドは珍しく男性で西垣内君と呼ぶ独身青年である。彼は多弁にして早口でシドニーの説明をするのだが、ダウンタウンのキングス・クロスの説明が一番熱が入る。コカ・コーラの看板がキングス・クロスのシンボルであること、昼間もゲイが集まりドラッグも盛んであることなどが印象に残っている。新宿歌舞伎町のムードか。ミセス・マッコーリズ・ポイント、オペラハウスではバスを下車し、シドニーの街を眺望しスナップ写真を撮る。オペラハウスはシドニーのシンボルであることは間違いないが、TVや写真で見飽きているだけにあまり感動も湧かない。富士山は遠望が相応しい様にオペラハウスも近くでみると建築の傷みが相当あり美のイメージが崩れていく。お決まりの免税店(多分サーキュラー・キー駅に近いオールダースDF店と思うが)に送り込まれた後ANAホテル・シドニーに夕方五時頃到着する。 
 暫く休憩してオーストラリア第一の大都市の夕暮れの街へ繰り出す。今になって冷静に執筆できるのだが、この時点ではシドニーの中心部であるロックスやシティセンターの地図が頭に入っていなくて不安な気持ちで出掛けることになった。せめてジョージ通りが幹線道路であることが分かっていると安心できたのだが・・・・
 ホテルからサーキュラー・キー駅に出て海辺を歩く。夕涼みのラフな恰好の人に混じって正装した男女が現代美術館のロビーに集まっている。妙だと思ったがこの時は分からなかった。港の光景にも厭きてジョージ通りを真っ直ぐに歩きはじめた。週末でもありビルの中の店は殆ど閉まっている。マクドナルドの看板が明るく目立つ。マーティンプレイスの広場の椅子に腰を下ろしたが、大勢の大人や子供がぞろぞろとドメインの方向に歩いていく。中にはドレスを着た女性とそれに相応しいエスコート役の男性もいる。隣のウェスティン・シドニーのテラスでは夕食をする楽しげな光景が目に入る。マーケット通りに突き当たり左に折れてAMPタワーで展望しようかと考えたが料金が二五A$であり、ポケットには七〇A$しか持ち合わせがなく諦めざるをえない。持参した「JCB・PASSPORT」でJCB利用可能のレストランをチェックの上、ピット通りのビッグストリートモールをウインドショッピングしながら、オーストリアスクエア四七階のサミット・レストランに着く。シドニーでは高級レストランであり予約をしていないので心配したが、地獄に仏と云うか日本人の ウエイトレスが勤務中で予算とメニューを相談の上テーブルに座る。サラダと魚料理とコーヒーとビールを注文する。                
 サミット・レストランは回転展望レストランなので市内の夜景を眺めながらの夕食とな る。オペラハウスが見える頃突然花ながらの夕食とな火が上がる。十二月ではあるがオー ストラリアの夏の夜空に花火はよく似合う。食欲を満たし視覚も十分に堪能して九時半頃 ホテルに戻る。なんとなくTVのスイッチをいれると野外でのクリスマスコンサート−− なんと花火も打ち上げているではないか。今夜はシドニーにとっての最大のクリスマスシ ョウの夕べであったことに気がついた。場所は恐らくドメイン内の広場であろう。マーテ ィンプレイスを急いで歩いていた人達は観衆であり、正装の男女はゲストかコーラスか演 奏グループだったのかもしれない。TVに釘付けになって馴染みのあるクリスマスソング を口ずさんだ。サマー・クリスマス−−−そんな言葉が浮かんでくる。「ホワイトクリマ ス」は雪のないスキー場でのビングクロスビーの名演技であったし、四十年以上も前の喜 劇と思うが加藤大助の「南の島に雪が降る」という映画でも南の島の舞台に雪が降った様 な記憶がある。クリスマスには日本の様な馬鹿騒ぎはなく教会に出掛け家庭やレストラン  で団欒のひとときを送るのが市民の常識なのだろう。残念ながらこの催しに参加できなか ったが、レストランの花火とTVの録画を見て、シドニー市民と時と場を共有・共感した 気分になった。一足早いサマー・クリスマスである。クリスマスの度に思い出すであろう オーストラリアのサマー・クリスマスであった。もっともサンタクロースの水着姿は似合 わないので、もう一つのクリスマスを七月の真冬に祝う家庭もあるとか・・・・ 
十二月十七日(日)晴れ。 シドニー   
 シドニー西方約一〇〇キロに位置するブルー・マウンテンズは車で一時間半のコースである。海抜一〇〇〇米前後の山々である。高原の空気というか、現地ガイド西垣内君の説明だとユーカリの木から発散されるオイル分で山全体が青く霞んで見えるのでブルー・マウンテンズと呼ぶらしい。見渡すかぎりの山々はユーカリの樹林だが、残念ながらコアラは住んでいない。これも現地ガイドの受け売りだが、オーストラリアの樹木の八割近くがユーカリだが、八〇〇種類のユーカリの内コアラが食べるのは四〇種類位とのこと。またコアラが夜行性で昼間は殆ど眠っているのはユーカリの葉に含まれるアルコール成分が体内で発酵して酔っぱらっている状態で眠っているのだとか。コアラはユーカリの葉以外は一切口にせず水も飲まないとか。パンダよりも徹底した偏食である。         
 観光ポイントというかフォトスポットはスリー・シスターズでエコー・ポイントからカメラを構える観光客で一杯である。原住民アボリジ人で大相撲の横綱曙クラスの大男が、一A$でモデルになってくれる。一緒に記念撮影し握手した。次いで空中ケーブルとトロ ッコ列車で渓谷美やスリルを楽しんだ。時間の余裕があれば是非山道を歩きたい誘惑にか られた。昼食はペッパーズ・フェアモント・リゾートで、プールやテニスやゴルフ場の不属設備を持つホテルでのランチ。東京在住時何度かゴルフを楽しんだ蓼科高原の東急リゾートホテルの雰囲気である。                            
 ホテルへの帰途ダーリング・ハーバーに立ち寄る。東京でいえばお台場である。ここで私ども夫婦は一行と別れて、ピアモント橋を渡りハーバーサイド・ショッピング・センターやジョーダンス・シーフード・レストラン街をぶらつく。土、日は休業が多いシティーやダウンタウンと違い、日本の盛り場同様に観光客や地元の人も多く大盛況である。土産の選択に苦労したが、ダージリン紅茶のアール・グレイ・ティの香りと味に魅了されたので、日本でも売ってはいるのだがこれに決めた。現地の主婦がショッピングするスーパーマーケットを探すことにした。ピアモント橋を戻りマーケット通りから左折してヨーク通りに入りウインヤード駅の地下にダイエーの赤丸に似たスーパーマーケットのコールズあり、紅茶を中心に土産を求め、今晩のビール代五A$を残して財布を空にした。五時半過ぎにホテルに戻り早速アフタヌーン・ティを楽しむ。                 
 夕方七時にオーストラリア旅行の最後のエベントであるジョンカドマン・ディナークルーズに出発する。世界三大美港(といっても他の二港は知らないが)と言われるだけにシドニー湾やウォルシュ湾から眺めるシドニーの夜景は箱庭の様に華やかで美しい。瀬戸内海のクルーズでの景観が日中だとすればシドニーのクルーズは夜景だろうと思う。十四名の一行も最後の夜だけに和やかな雰囲気でデッキから時間を忘れて眺望と雰囲気を楽しんだ。十時過ぎにホテルに戻り、明日の帰国を控えて荷物の整理をする。  
十二月十八日(月)晴れ。 シドニー→関西空港→松山  
 朝一〇時二五分シドニー空港を発ち一路関西空港に向かう。一八時着で時差一時間を加えて九時間の空の旅である。日中でもあり機内のビデオを楽しむことにする。恥ずかしいながら生まれて始めて任天堂のゲームを楽しむ。トランプありマージャンありゴルフあり積木あり、子供が「嵌まってしまう」のは当然と思うほどスピード感とスリルと仮想世界での冒険がある。映画は「キッド」と「オータム・イン・ニューヨーク」は見ていたので二流映画である「シャンハイ・ヌーン(ジャッキー・チェーン)」「フリークエンシ(亡父と子の異次元対話)」「Xーメン(地球征服)」を楽しむ。機中食はランチとディナーの二食だが、ビールとワインで軽く酔う。定刻より三〇分早く到着したので慌てることもなく一九時発の松山行きのエアーニッポンに乗換えたが、天候不良で大揺れの三〇分延着でやっと到着する。今回の旅行で最もひやひやした空の旅であった。          
 カナダ、スペインに次いでオーストラリアは三度目の夫婦旅となったが、道後温泉前のローソンで求めたお握りを頬張りながら、今朝シドニーのホテルで朝食を食べたことを思い出し南半球との時間的近親感を率直に感じた。  
さて来年はどこへ行こうか。