エッセイ 鐘紡(カネボウ)人事部私史
第弐拾壱章  応用問題を解析する自主的な態度を確立せよ(鐘紡技術学校修了生へのメッセージ)
この一文は、昭和39年人事部教育課で始めて全事業場長宛に発した公文であり、同時に鐘紡技術学校修了生全員に対する檄文でもあった。20台の若輩が鐘紡の経営理念について解説した小論にもなっている。後日、全社の人事課長会議においても、同様の趣旨で発表した。
20台の若輩なりの学生っぽい文体であるが、人事・教育行政を担当する立場になっても、「応用問題を解析する自主的な態度を確立せよ」の基調はあまり変わりなかったと思う。
もっとも、この檄文により、所感文を提出した数百名の中堅技術者にとっては迷惑至極であったかもしれない。40年ぶりにご覧頂いて、如何なる感想をお持ちになったかを聞かせていただきたいものである。
全事業場長殿宛      教育課長発状(昭和40年1月19日付) 
 
                                   技術学校修了生追指導の件
技校修了生徒が真に「魂ある技術者」として成長することをきたいする所極めて大でありますが、技校在校中は素地を与えたのであり事業場に於ける絶ゆまざる追指導と自己研鑽こそ最も肝要であり、それによって始めて教育の成果の開花結実することが出来るのであります。
 先般実施した6ヶ月間の月報によれば、必ずしも追指導の実が稔らざる修了生も散見致しますので、完全な個人掌握の上に計画的に追指導を今後共推進願います。
 尚別紙の通り修了生宛書状を作成致しましたので事業場長より直接お手渡しの上趣旨の徹底を計られると共に、所信を教育課宛提出することと致しますので取り纏め方重ねてお願い致します。  以上   
                          応用問題を解析する自主的な態度を確立せよ
1、19世紀後半300年にわたった鎖国を解き、一挙に世界史の渦にまきこまれた日本が、幾多の激動と試練の荒波に遭遇しながらも、近代国家としての生成発展を続けたことは誠に特筆すべきでものがあった。
悠久の歴史の中で明治100年の期間は、文字通り一瞬の間であったとも云えよう。しかしながら、それゆえにまたいだ伊佐爾波であったとも断言しうるのであり、それを支えてきた先達の偉業を民族の誇りして改めて再認識せねばなるまい。而して、斯くの如き日本経済の発展は一に繊維産業に負うところ大なりと云って良く、特にその中核となったものが、先進国イギリスを凌駕した日本の紡績技術であったと指摘しても決して過言ではないであろう。
2、鐘ヶ淵において幾多の先人が樹立した技術は、70有余年にわたり、脈々として受け継がれ世界に誇る伝統を形成してきた。例えばナイロン建設において示した当社の技術は、スニア社をして「もし一隻の船ありせば鐘ヶ淵の技術者をスニア社に運びたい」と感嘆せしめたものであった。この技術こそ、既存の繊維部門の培った伝統技術に外ならない。
3、この優れた技術を伝承し、次代の鐘ヶ淵を担う当社中堅技術者の養成を目指して鐘紡技術学校は設立された。その淵源は古く、明治39年創設の鐘紡職工学校に由来し、其の伝統を継承する修練の道場を意味している。そして技術学校のみに限定しても、すでに修了生295名に達し、当社男子技術者の1割に優に達するのである。終了制覇全員技術学校の研鑽を地盤に今日まで其の重責を担って鐘ヶ淵の発展に寄与し、社中の期待に応えてきた。
4、しかし、ひとたび此処の修了生に目を移すとき、修了生全般に対する評価がなお課題であり、一人ひとりの進歩は不十分であると感ずる面なしとしない。「魂ある技術者」として研鑽した諸君の意欲が、旬日の経過とともに色褪せる者なしとしないのである。技術学校にて習得せる技術と信条は決して諸君の凡てではなく、終了後GK(グレイター鐘紡)建設の最前線たる事業場にて日々実践してこそ真に自己のものとなるのであり、自己のものでなくして、何でその技術と信条を衆に及ぼすことが出来ようか。修了生としての栄誉は事実を持って示してこそ真の栄誉となりうるのであり、単なる称号は一片の砂上の楼閣に過ぎない。
5、新入社員養成に於ける標準動作の徹底は技能を習得せしめる上での最小不可欠の要件である。中堅技術者にとっても、基本的基礎的原理の必要なることは弦を待たないが、真に重要なことは、それに立脚した識見、判断力、洞察力、分析力、総合力を以下に企業の中に発揮せしめるかであり、日日の実践を通じてヒューマニズムを基調としつつ科学的合理主義に基づく業務を貫徹することにこそ在る。日日の生ずる問題は凡てこれ応用問題であり、Aと非あという捉え方でなく、そこに介在するエトバス(何かあるもの)を正しく理解し、問題の本質を解く鍵を把握することが肝要なのである。
そのためには
(1)問題意識を持ち、一つ一つの事象の底辺にあるものを知るように努めること。
(2)盲目的に権威とか既定の知識に縛られることなく、自主的な態度を持ち、問題を処理すること。
(3)ONE STEP FORWARD(人より一歩先へ)を心掛け、開拓者精神を持って困難にぶつかること。
(4)事実相互の関係を考え、広い視野から観察し、分析し、結論づけること。
(5)自己の業務や考え方を作文することなく、真実を語る勇気をもつこと。
が肝要と考えられる。
6、時あたかも戦後未曽有の厳しい経済状況下、当社は第二GK計画に突入した。諸君が鐘紡技術学校で学び得た「魂ある技術者」としての自覚を深め、更に日々の実践の中で技術の練磨と人格の陶冶に努力され、率先して明日の鐘ヶ淵の担い手ととなることを社中が切望すること今日より急なるはない。この要請に尾正しく応え、初春とともに新たなる意欲を持って精進されることを強く期待するものである。
( 参 考 )
1、科学的思考について
 人間の精神的営みが、知・情・意に区分され、知は信を求め、情は美を求め、意は善の行なうことを、技術学校の輪読会で、河合栄次郎著『学生に与ふ』などを通して理解していると思う。茲で採り上げようとする科学的思考は既に学んだことの整理である。
(イ)独創的な疑問を持て
 存在するものは否定することから疑問が生まれる。例えば、アイザック。ニュートンが「何故月は地球に向かっておちないか」という疑問を出し、この非常に独創的な疑問から「月はやはり地球に向かって落ちている」と結論し、ホイゲンスの研究した遠心力とその考え方を結合して万有引力の法則を確かなものにした。「リンゴは何故落ちるか」という俗説めいた話もあるが、いずれにしても、「何故」ということからスタートしていることは事実である。現状の肯定のみからは進歩はなく、発展もありえない。諸君の思考も、疑問を持つことから出発すべきである。このことは又、ただ漠然と事象を眺めているだけでは疑問は湧かない。虹を見る人は太古から現在まで数知れないが、美しいなあという美的感覚から「何故?」が生まれてこなければ虹の解明は不可能である。
(ロ)詳しく観察しよう
 観察には、大別して@実験とかモデル設定とか能動的な観察がある。物事を先見的に判断すると、基底が間違っている場合、正反対の結果が出る場合がある。まず、客観的に現象や事物を観察して、いろいろな可能性、考え方を想定し、次に実験やモデル設定に移るわけである。このことは「どんなによい包丁でも材料が揃っていなければ、充分な料理を作れない」ことを意味する。最近手法とか方法論を偏重するきらいがあるので、特に強調しておきたい所であるいよいよ能動的な観察(実験、モデル設定)に入り、事実を確かめ、だれもが真実であると認めないわけにはいかない根拠を持つことになる。
(ハ)真理は発展していくものだ・・・妄信するな
 実験によって確かめられた真理(法則、公理、定理)が全く否定されることはないが、未知の真理が発見されると、それまでの真理は更に大きな真理に包含される。
例えばボイルの法則は17世紀にボイルとマリオットによって立てられ、それに基づきシャルルやゲイリュックにより気体の圧力が一定の時、体積と温度の関係がどうなるかについて法則が立てられたことは周知の所である。そして両者をまとめて、ボイル=シャルルの法則が成立した。即ち上位の法則が成り立つと下位の法則は範囲を限定されて成立する。真理が固定でなく発展していくから科学は発展していくことになる。
(ニ)科学的思考の場は無限である
 旧来の仕事の方法に固執するのは「職人仕事」である。諸君は職人ではなく、技術者であり、自らを改善し、より新しいものを吸収していく科学的思考の持ち主でなければならない。ガリレオの振り子の等時性の発見や、物体の落下の法則が、あたり前の場所と一寸した工夫で確認されたように、積極的に科学的思考を持続すれば、諸君にとっての未知の世界が解明されていこう。
2、科学とヒューマニズムの精神
 前節で科学的な思考を強調したが、現在我々が知っている科学的な知識の土台は、あくまでも人類の経験にある。科学は人間が創り出したものであり、又、人間の福祉の貢献することが科学の根本的な存在理由である。然し現実には、科学に裏付けられた技術の高度の発展と、結果としての巨大な機械文明が存在する。産業界には一見人間自身が機械に使われている様相があることも否定できない。このような社会ではとかく人間中心の思想が薄れ、[人間疎外]の問題が生じたのである。
 社会科学の分野でも、産業革命の18世紀には、ラメトリの『人間機械論』によって代表されるような機械的な自然観や、又人間の心情を捨象したデイドロに代表される唯物論思想が生まれてきた。然し真実の科学的な精神とは、ガリレオが地動説の故に宗教裁判にかけられ罪人になった時「それでも地球は回る」とつぶやいたという逸話に象徴されるように、科学的精神は不誠実なものへの批判精神でなければならない。又、真実なるものをあこがれる理想主義の精神が底流にある。真なるものを求めてやまない「知」の世界こそ、科学の精神と云えよう。
 ヒューマニズムは本質的には人間尊重の精神であり、人類の歴史を通じて一貫して流れる理想であった。近代史を彩るルネサンスや宗教革命を通してヒューマニズムは中世的意味に於ける神からの会報を通じて、その在るべき姿を位置づけられた。ルネサンス期において、神からの人間解放により近代科学とヒューマニズムが同義語であったように、相互の働きかけによって、科学的合理主義とヒューマニズムは、より真なるもの、より美なるもの、より善なるものを実現する大なるエネルギーとなったのである。諸君は、毎日の生活、言動を通して科学的合理主義とヒューマニズムの統合を目指すことが肝要である。(『新しい労使関係』参照のこと)
3、むすび
 当初における「愛と正義のヒューマニズム」と「科学的合理主義」は「会社の繁栄は従業員の反映」たる鐘ヶ淵の経営哲学を実現する二本の柱である。技校入校・修了式にあたって社長訓示にある「魂ある技術者」に成長していく為に、日日職場で二本の柱を実現すると共に、静かに内省し「自分のもの」を形成されることを期待する。以上