拒o葉印刷所 ¥1.900
発行者 渡部 ヨシ子
幼少時の一遍・幼名 松壽丸 高さ10.0cm
著者略歴 足助成男(あすけ・たけお)
1920年(大正9)東京に生まれる。拓殖大学卒業後、中国に渡り農村に入る。 戦後帰国。
昭和45年愛媛県八幡浜学園退職、一遍上人の遺跡をたどって放浪の旅に出る。
主な著書
捨聖一遍さん(一遍入門) 若き日の一遍 絵本一遍さん 狗奴国は伊予にあった など
主な個展
砥部焼手ぴねり展 松山道後一遍堂 砥部焼手ぴねり展 東京銀座「ギャラリー四季」
作品展 「神と仏と人間と」 NHK松山ロビー 作品展「作陶による小仏さま」 東京銀座「史染抄ギャラリー」
一遍研究家として著名な足助威男氏には平成15年6月5日急逝されました。
謹んでお悔やみ申し上げます。
同氏は長らく一遍会の理事を務められ現在は顧問としてご指導を受けて居りました。
6月6日関係者を中心に葬儀が執り行われました。
掌上仏 足助威男
 私は幼い頃から人形が好きでありました。
 私の生家の「雛」(ひいな)は三月の節句にはいつも奥の間の天井近くまで幾段も飾られて、本当に私にはきらびやかに思えました。私には姉三人があったのですが、姉たちとは年が離れていましたのでお雛様はまるで末っ子の男の私のために飾られていたようなものでありました。私はうれしかった。一人、雛段の前に坐ってうっとりと人形たちを見上げたものでした。
 下の段に置いた篭に盛ったお供えのはまぐりやさざえがチュッ、チュッと小さな声をあげているのを聞きながら、上から内裏様、官女、五人雛と順々に見ていくのです。夜はぼんぼりに灯がともって雛の顔が美しく輝いて、特に今では見かけない犬を連れている宮女、「狆(ちん)引き官女」の顔が私は何とも好きでありました。
 私はおままごとの思い出はありません。女の子とは遊ばなかった様です。女の子と遊ばなかったから人形にひかれてしまったのか、人形にひかれてしまって 女の子と遊ばなかったのか、それは自分にもわかりません。
  私は小学校に入る前、東京の真言宗豊山派本山、護国寺の附属幼稚園にいたのですが、この時アメリカから人形使節がやってきて園長先生である白い髭をはやした管長さんがその人形を抱き、私たち園児一同と写した写真が大分後になるまで家にあったものです。
  五月雛も兄の代からのがありました。これはそんなに数はありませんでしたが、鎧、兜、ミニチュアの旗、指物、金太郎、鐘馗等どっしりしたものばかりで、これを見ていると何か頼もしく心が落着くのでありました。特に金太郎のチンチンの先が針のように尖っていて可愛いかったのを憶えています。私は親にものをほしいとせがんだ記憶はないのですがどういうことからか母と人形店へ行ったことがありました。どれが欲しいかと目の前に馬に乗った武者人形をいくつも並べられ、「どれにする」母が聞きますので私はちゅうちょなく武者の乗っていない馬だけのを指さしてこれがい>といいました。家へ帰って来てから母の話を聞いた無口な父は私が馬だけのを撰んだことに我が意を得たりとにこにこしていたのを覚えています。後から考えてみるのですが、むしろこの馬だけのが一番高価だったのではなかったかと思うのです。葦毛のたくましい馬の人形でありました。
  二十五年程前のことでしょうか。大洲の古物店で私は江戸時代の人形を何点か手に入れたことがあります。その店には初めていったのですが人形が欲しいといいましたら、そこの御主人は奥から「これは前に頼まれたものだがもう時効になりましたからあなたにゆずりましょう。」といってくれました。六千円位であったかと思います。紙雛、丁髷(ちょんまげ)を結った獅子舞の男、それに着せ替え人形数体、これが七、八センチの可愛いものでした。店の御主人のいうには参勤交代の時大洲藩の武士が留守家族のものに買って来たものであろうということでありました。この古い立派な人形たちはどのような人の手を経て来たのであろうか・・・'これらの人形を見ていると何か涙が出てきそうであります。
 昔、人形に恋した男がありました。私も一人暮しのせいからかいつまでたっても人形に魅せられっぱなしですが、しかし年をとるにつれ次第に雛人形から仏像へと移っていきました。私は鎌倉仏教の一遍上人追跡をライフワークと決めているのですが、数年前、上人が立ち寄られたという江の島へ調べに行った時、ここで江の島の裸の弁天様を初めて拝したのです。私はこの弁天様にすっかり参ってしまいました。今でもあのお姿を思い浮かべる度に胸が高鳴るのをどうすることもできません。
 さて、私は数年前に一遍上人の童像が作りたくなって砥部の土でこねて焼いてみました。出来は自分でも割によく出来たと思い、他の人からも可愛いとおだてられて、童形の仏や神をやたら作るようになりました。陶磁の神仏像です。
  平田郷陽、鹿児島寿蔵、堀柳女これら一流の先生方の人形は確かに美しく素晴らしい。素人の私がいくら逆立ちしても、あの方々に追いつけないのは当り前です。私は私の道を歩むより仕方ないのです。今、私はむしろ無器用そのまま、人間臭い小仏像を作っていきたいと思っています。
  私の親しい著名な書家の方から手のひらにのせて観賞する小石のあるのを聞いたことがあります。「掌上石」というのだそうです。今でもお雛様は飾ってみるもの、神仏の像は礼拝するものです。しかし私はもっと身近かな人形や神仏の像が欲しいと思います。

   手のひらにかざってみるや市の雛 一茶

  私は、掌の上にのせてみる仏や人形が作りたいと思ったのです。最も大切にしているものを掌中の玉というではありませんか。
  現在、私のさヽやかな作品はほとんど掌の上にのせてみることができる小さなものばかり。こんな仏を掌上石からヒントを得て「掌上仏」と名付けたいのです。私の遠い夢はあの江の島の弁才天の小像を掌の上にのせて拝むことであ ります。