エッセイ 鐘紡(カネボウ)人事部私史
第拾七章  ニュージーランドを駆け抜ける (平成15年発未)
今年(二〇〇三)八月にロシア(サンクトベルグ・モスクワ)に出掛けたばかりだが、秋風とともに腰がむずむずしてきて、今度は南半球のニュージーランドに出掛けることにした。広大な牧場での羊との遭遇イギリス植民地時代の文化に触れることを期待して「阪急交通社トラピックス・まるごとニュージーランド八日間」を申し込んだ次第である。
十一月二十一日(金) 晴れ  
 関西空港発クライストチャート行きのニュージーランド航空と日本航空の共同運航便は一八時発で、関西空港の集合時間が一六時である。松山空港一五時発でぎりぎり間に合うので昼食は家で済ませ、ゆったりとした気分で出発する。二年前の一二月にオーストラリア旅行を経験しているので初夏の出で立ちである。
 トラブルで関西空港着は三十分延着し出国手続きにも手間取ったので、空港内のゆっくり休憩する余裕はなかった。添乗員は独身女性の杉野さんで、ニュージーランドは年数回出掛けているベテランである。ツアーは三十三名で夫婦ペアが過半であるが、信楽グループ、仲良しおばさんグループなどなど雑多である。一見して旅の徒然を語り合える様な同輩が見当たらなかったが、松山から参加の夫婦が我々以外にもう一組あった。離陸してから数時間は毎回同様だが気分が高揚していて落ち着かない。ビールやワインが身体を一巡し夕食の腹ごしらえが終わる。あとはトラベル・ガイドに目を通したり、映画を鑑賞したりして無為な時間を過ごす。やがて睡魔が訪れうつらうつらしているうちに・・・ 朝食は機内食である。
十一月二十二日(土) 曇り  万歩計一一、八八六歩。
クライストチャーチに現地時間九時十分に到着する。ニュージーランドはサマータイムなので時差は四時間あり、日本では朝五時であるがシニアにとっては目覚めの時刻でもあり欧米旅行時に味わう不快な時差ぼけは全く感じない。クライストチャーチはカンタベリー地方にあり、オークランド、ウエリントンに次ぐ第三の都市であり、街の中心街にある大聖堂(一九〇四完成)が地名を象徴しているように直観したが、開拓時代の指導者たちの出身校がオックスフォード大学クライストチャーチ・カレッジであったことによるらしい。北海道開拓でも出身地を地名にした箇所も多いが、アイヌ族同様マリオ族も戸惑ったに違いあるまい。ガイド書によると「イギリス以外で最もイギリス的な街」と紹介されているが、市街地を蛇行するエイボン川の清流と緑多い公園が旅人の心を癒し慰めてくれる。
 空港から二〇分程で市内に入る。エイボン川のほとりに建つ旧モナ・ベイル邸を訪れる。五五ヘクタールの広大な英国式庭園の中に一九世紀末のビクトリア様式の個人邸宅で建っている。富豪の未婚の一人娘の死去後管理が市に移管された様だ。敷地内の野鴨もアヒルも人間を警戒することもなく長閑な気分になる。地元では結婚式場やアフタヌーンティーで利用されている様である。残念ながら植物の名前はよく分からない。「ガンネラ」なる巨大葉っぱの植物をカメラにおさめる。東京から松山に引き上げる際の挨拶状に1)ガーデニングという名の草引き2)アフタヌーンティーという名のお喋り3)リーディングという名の郷土史研究と記載したが、ティーはいつの間にかコーヒーに化けているので、せめてニュージーランド旅行中は地ビール、ワイン、ティーに徹していこうと決断した。別に大したことではないのでが・・・ 
 中心部に入りクライストチャーチ大聖堂を訪ねる。高さ六三米の尖塔が美しい。もっとも背景に近代建築のビルの建物が立ち並んでおり幻滅する。斑鳩の法隆寺の三重塔を撮るとビルの建物がどうしても画像に入ってしまうという次第である。デジタルカメラで撮ってパソコンで修正した虚像でしか荘厳な大聖堂のイメージが浮かばないということか。ゲーテは「芸術は実用に譲歩する」と述べているが詩人の直観は正しかったと思う。
 市内のコースはよく分からないが、エイボン川が右左に見える。タウン・ホール、カジノ、ハグレー公園、アートセンター、追憶の橋、キャップテン・スコット像をぐるりと一巡し、市内の家庭にお邪魔してアフタヌーンティーを楽しむ。主人は大工さん、奥さんは園芸が趣味、お嬢さんの趣味は?だが、手作りの内装、手作りのガーデニング、家族三人で三〇数名のアフタヌーンティーの接待は心温まるホスピタリティである。居室は総てオープンであり、シャワー、トイレにはドア(扉)が無いのは意外であった。お世辞にも美味しいとはいえないサンドウイッチと熱くない(温過ぎる)ティーを三〇分程休憩する。 お決まりのショッピングは、大橋巨泉の「オーケーギフト」と免税店の「REGENCY」に入る。初日から土産を買い込む人が多いのに驚く。十五時過ぎに大聖堂近くのホテル「コプソーン セントラル クライストチャーチ」にチェックイン。ホテルの前がヴィクトリア広場でありエイボン川が流れている。部屋に荷物を置き早速に市内見学に出掛ける。 
 観光スポットを回っているトラム(チンチン電車)の軌道に沿って歩くとエイボン川を渡りアートセンターに向かう。二〇数年前まではカンタベリー大学の校舎であったゴシック調の建物である。広場で野外マーケットが開かれており衣料、ジュエリー、石鹸、革製品、木工品が所狭しと並べてある。随分安いらしい。建物の中は小売り店の集合体になっており、製作者たちの溜まり場でもあるらしい。 ハグレー公園を少し散策してエイボン河畔にあるキャップテン・スコット像、追憶の橋に立ち寄り、大聖堂の堂内に入る。ステンドグラスが鮮やかである。一三四段を登る展望台は土日は閉鎖されていた。大聖堂前のチェリス(聖杯)は説明がなければ現代彫刻かなと思えるカンタベリー創設一五〇周年記念の作品である。ホテルの夕食後日没まで時間があるので、ヴィクトリア広場のタウンホールに立ち寄り大聖堂界隈を散策する。入浴後睡魔が襲い就寝する。 
十一月二十三日(日)晴れ。  万歩計一一、六六九歩  
 朝五時半モーニングコールで六時半バスにてホテルを出発する。カンタベリー平原を一時間半程南下したフェアリー近くの道路に面した「SHAKE HANDS」なるレストランで和食風バイキングである。日系の経営者らしくウェイトレスは日本人である。食事の前に羊二頭を前にして記念写真を撮る。羊肉ではあるが醤油味で旨い。ライスは豪州米ではあろうが家で食べている米の味とあまり変わらない。ご飯はお代わりする。みそ汁も良し。ここからテカポ湖迄の数時間は草原と羊の放牧と時に牛と鹿の牧場が続く。単調と言えば単調そのものだが広大な草原に圧倒される。疲れが出てきたのか乗客の殆どは目をつむったままである。 
 添乗員の目覚まし代わりの予告に目覚めた一行の目の前に突然テカポ湖が広がる。南アルプスには万年雪ルプスには万年雪を化粧し、山々を写している湖の風情はニュージイランドに抱くイメージそのものだし、湖の青さは日本では見ることの出来ない。東山魁夷画伯に描いて頂きたい独特の青の色調である。英語ではミルキーブルーと言うらしい。「善き羊飼いの教会」の祭壇奥は湖畔が見える大きな窓になって南アルプスの山並みを借景しており、建築家安藤忠雄的世界でもある。教会の近くに牧羊(バウンダリー)犬の像が建っておりカメラスポットとなっている。テカポのバス発着所近くのレストラン「湖畔」でサーモン丼を食べる。ここも日本人の 「湖畔」で経営であろうか日本酒が置いてある。 四〇〇人程の町でありクライストチャーチとマウント・クックを結ぶ中継(休憩)地点に 当たるらしい。
 テカポからプカキ湖を通り二時間弱で世界遺産テ・ワヒポウナ内のマウント・クック(アラオキ)国立公園に着く。ハーミテージ・ホテルで休憩する。上高地に帝国ホテルと言いたいのだが山小屋風ではなく堂々たる高級ホテルの構えである。ここで二時間のミニハイキングを楽しむことになるのだがガイドのネパール人は自称五木ひろし君であり目元は実に良く似ている。ホテル従業員、ガイドはじめこのヴィレッジで生活する住民も多く小学校も設置されている。二〇〇〇米級の山々が林立しているがマウント・クックは三七五七米の最高峰で一際目立つ存在である。ミューラー氷河、ホッカー氷河、タズマン氷河、フォックス氷河フランツ・ジョセフ氷河などが散在しアルピストにとっては憧れの山岳地帯なのであろう。散策のルートはブッシュウォークとマウント・クック観光スポット迄の各一時間である。 
 ホテル本館前の銅像はヒマラヤ最高峰に初登頂したイギリスのヒラリー卿であり、登頂前のトレーニングをマウント・クックで行ったという。近年ハーミテージ・ホテルに立ち寄り高齢で登山はしなかったがヘリコプターで思い出のマウント・クックに対面したと自称五木ひろし君なるガイドの説明があった。 
 一汗かいた後バスにてヘイズ湖を通りクイーンズタウンに向かう。クイーンズタウンはワカティプ湖畔に広がる観光地であるが一九世紀中頃にはゴールドラッシュに沸いた町であった。夕食は「キーウィ&バードライフ・パーク」のレストランである。閉店後の野鳥公園は我がパーティの借り切りであり鳥小屋を観察して歩く。トゥイ、モアポーク・オウル、ブラック・スティルト、レッド・クラウンド・パラキート、ブラウン。ティール・ダックなどの珍しい鳥たちである。キーウイは夜行性であり暗くした小屋の中でゆっくりと観察できた。夕食ではキーウィワインを味わい両親と子供たち三人の家族経営でのディナーを楽しむ。二億年前に地球に出現した爬虫類のクワタナを触ったり、いたづら好きのキーアの芸?を楽しんだり、最後に子供がキーウイに変装して一緒にキーウイダンスを踊る。家族全員が役割分担しての夕食のひとときは楽しかった。一同、山手にあるメルキュール・リゾート・クイーンズタウン(旧ノボテル・クイーンズタウン)に直行する。疲れてもおり、南十字星を眺めることをすっかり忘れてしまって就寝する。 
十一月二十四日(月)晴れ。  万歩計七、八八八歩   
 クイーンズタウンとミルフォード・サウンドを東西に直線で結べば五〇乃至六〇キロ位だろうが山越えの道路は無く、南下してモスバーン、ティアナウを経由してミルフォード・ロードを北上することになる。U字型の片道三〇〇キロのコースであるが、途中で「ミラーレイク」や「アベニュー・オブ・ディスアピアリング・マウンテンズ(山が消えていく道)」などの説明を受ける。ハイライトはフィヨルド特有のU字谷と切り立った岩肌を目のあたりにして次いでホーマー・トンネルを一気にくぐり抜けるスリルであろうか。しばらく下ってから一周一五分位の遊歩道を歩いて滝を見物する。 
 ミルフォード・サウンドでは観光船内で日本食の昼食弁当を食べ、船上のデッキで二時間の船旅を楽しむ。北欧フィンランドのフィヨルドの様な神秘さは全く感じない。氷河から流れ落ちる数百米の滝もそれほどの迫力は感じない。この一帯は豪雨地帯で快晴に出会うのはむしろ稀と言えるとガイドに記されているが、ここ数日は稀の連続らしい。一旦雨になると所々に滝が現れるらしい。サウンドとは入江の意味であることを始めて知った。 行きと同じコースを通ってクイーンズタウンに戻る。車中では虚ろに車窓に広がる大自然を眺めていたので残念ながらこれという印象は殆どない。クイーンズタウンの中華レストラン「文華海楼」で夕食を取り、「AOTEA」のショッピングを案内される。町の中を散策したかったが、飲食店とみやげ物店しか営業していないのでホテルに戻る。 
十一月二十五日(火)晴れ。  万歩計六、七五八歩  
 朝六時モーニングコールで七時に朝食を済ませ七時四五分にホテルを出発する。最初の観光はクイーンズタウン郊外(北東約二〇キロ)のアロータウンである。一八六〇年代アロー川から金塊が発見され最盛期には七〇〇〇人の町に膨れ上がった          始業前であり博物館、旧監獄、郵便局も入口を閉ざしており、大通りに当たるバッキンガムストリートを往来した。アメリカ映画では保安官が居て西部のならず者との決闘というお決まりのストーリーが展開するのだろうが、どうも風の如く来たり風の如く去っていったゴールドラッシュであったらしい。
 その後北上してワナカ湖に向かう。こじんまりした静かな町で観光案内所に立ち寄りパンフレットやカード類に目を通す。リタイア後の住まいや別荘地として居を構える人が多いらしい。ワナカから北東に向かい車で一時間ほどは放牧地が展開するがやっとオマラマのプロヒビジョンロードに在るチェーンヒルズ・ファームビジッツに到着する。この牧場で牧羊犬の羊追いを見学し羊の炭焼きの昼食。一二五〇エーカーに二五〇〇頭の羊が放牧しているとのこと。  
 ここから再びプカキ湖、トカキ湖を経由してクライストチャーチに向かうことになる。プカキ湖でマウント・クック(アオラキ)を遙かに望み霊峰に別れを告げる。三日目に立ち寄ったテカポ湖畔の「善き羊飼いの教会」を遠望し,レストラン「SHAKE HANDS」で休憩し、暗くなってから「リッジズ クライストチャーチ」に到着しフラワーディナーを楽しむ。大聖堂周辺を少しぶらつく。  
十一月二十六日(水)曇り一時豪雨(スコール) 万歩計一四、〇二九歩  
 朝六時モーニングコールで六時半朝食、七時ホテルを出発する。八時四〇分クライストチャーチから北島のオークランドに飛び立つ。一〇時オークランドに着き「エラズリーフラワーショー」会場に向かう。二、三月には花に埋め尽くされる会場であろうが、園芸関係の施設、器具、苗などなどが出展されている。初夏ではあるがやや季節外れの感がする。もっともニュージーランドの人々の花、草木に寄せる愛着は凄まじいものがある。
 トーテムポールが出迎えるハミルトンホテルで昼食を取り、今回の旅行の目玉の一つであるワイトモ鍾乳洞のツチボタル見学に向かう。ツチボタルはグロウウォームというハエの一種で幼虫が光を発して獲物である昆虫をおびき寄せるらしい。日本のホタルとは全く違うのだが、ツチホタルの名付け親は日本人の観光客らしい。主要な洞窟は三つあるが、ワイトモ洞窟(ワイトモ・ケーブ)がツアー用らしい。期待して洞窟を進んでいったが連日の大雨で洞窟内が増水し見物用のボートが使えず、入口から天井を仰いで星座のようなツチホタルの妖しい光を眺めた。残念であった。ワイトモ・ケーブにはビジターセンターや博物館もあり一泊して付近を探索する観光客も多いらしい。
 今夜の宿泊地ロトルアは温泉があり原住民マオリ文化を体験できる観光地である。繁華街から徒歩一五分程のキングスゲートホテル・ロトルア(旧クオリティ・ホテル・ロトルア)に泊まる。口の字型のホテルで内庭に向けてベランダも設けておりリゾート的な雰囲気である。夕食はホテルでマオリ族の伝統料理なるハンギディナーを頂き、マオリコンサートを鑑賞する。指や腰のひねりによる表現が感じられないのでなんとも単調な踊りである。九時過ぎにロトルアの町を散策する。大通りを真っ直ぐ歩けば繁華街に出るので道に迷うことはない。スーパーで土産を兼ねて紅茶やチョコレートを買い求める。一〇時過ぎにホテルに戻ったが、直後にスコールとなる。天井が抜けるような雨の叩きつける轟音に驚く。傘など到底役立たないことが分かる。一時間ほどでスコールは止まったが、夜中数回雨の音に叩き起こされた。  
十一月二十七日(木)晴れ 万歩計一六、一七七歩     
 朝七時モーニングコールで朝食を取り八時半ホテルを発ってロトルア市内観光に出掛ける。「台風一過」ならぬ「スコール一過」の快晴である。ロトルア湖に沿ってレインボー・スプリングス(虹の泉)がある。入口近くのフェアリー・スプリングス(妖精の泉)には無数のマスがしなやかに体をくねらせながら泳いでいる。キーウィもいるのだが一日に二〇時間は眠っているとかで小屋を通過する。  
 ロトルアの観光の目玉である「ファカレワレワ地熱地帯」と隣接するマオリ・アートクラフトセンターに入る。白い湯気と硫黄に臭いは鼻につく。別府の鉄輪温泉の地獄巡りの記憶がよみがえる。泥の中から温泉が沸く坊主地獄(フロッグプール)や熱湯の川、特に印象的なのは間欠泉である。間欠泉とはいえ常時温泉を噴き出しており最高で一五米に達するとか。硫黄の臭いはするのだが周辺の木々の緑は鮮やかであり、箱根始め全国各地のの地獄谷に見られる木々が枯れ果てた姿でないのが正直なところ解せない。マリオ・アートクラフトセンターではマリオ族の青年たちが伝統的な木彫りをやっている。独特の模様、デザインはマオリ族の固有の文化なのだろう。もっとも即売しているが購入する観光客はいなかった。園内にはマオリ族の建物が復元されている。集会場では工芸品の制作が披露されている。教会はキリスト教であるがマオリ伝統の彫刻が施されており、靴のままで教会内に入ったら神聖な場所なので靴を脱いでほしいと注意された。カソリックでもプロテスタントでも教会内は靴履きが当然と思っていたが、マオリ族では儀式は素足でということなのだろうか。 
 レインボウ・スプリングスの近くのノンゴタ山にゴンドラで登る。頂上レストランで昼食をとる。頂上からの展望は良く、ロトルア湖やロトルア市街を遠望し、山の斜面には羊や牛の放牧を散見する。全長一キロにも及ぶリュージュを楽しむ子供も多い。バスにてオークランドに向かう。オークランドはニュージーランド最大の都市であり人口は約一二〇万人で全人口の三分の一を占めている。ここ数日間、人間より遙かに多い羊の群れを眺めて過ごしただけに、都会の騒音が気になってしょうがない。海に面しており神戸のイメージだろうか。  
 マウント・イーデン(一九五米)に登り頂上からオークランド市街と海を眺望する。風は四六時中吹いている。展望台から噴火口跡を見下ろすと蟻地獄のようであり、これがグラスバンカーであれば五番アイアンでは脱出できそうもない。時には放牧の牛の姿が見えるそうだが生憎山腹にいるらしい。ガイドではオークランドに五〇余りの死火山がありマウント・イーデンのそのひとつである由。南島と違い北島は火山島とすると、地質学的には全く異質の島で生物も植物も島での起源を別にしているのだろうか。例によって免税店に立ち寄ってコプソーン・ハーバーシティ・ホテルに入る。国立海洋博物館、アメリカズ・カップ・ビレッジが目と鼻の先にある。ホテル近くのレストラン「大黒」で鉄板焼きを食べる。醤油の味がなんともいえない。もやしの量が少なすぎることを除けば申し分ないニュージーランドの最後の晩餐であった。
 食後、メイン通りであるクイーンストリートに沿ってウィンドウショッピングする。アオテア・センター(市民ホール)や映画館街をうろつき、免税店(大橋巨泉経営)でニュージーランド$を全て「清算」し「文無し」となる。モスクワでの同様だが、ドルとユーロは別だが、外貨を全て使い切るのも海外旅行の楽しみの一つである。夜遅くまで港の光景を眺める。 
十一月二十七日(金)晴れ 万歩計一六、一七七歩  
 朝六時モーニングコールで六時四〇分ホテルを出発しオークランド空港に向かう。往路と同じくニュージーランド航空・日本航空の共同運航便にて九時一五分離陸し、十一時間の空の旅となる。日中の移動であり、機内で映画を三本見る、昭和三〇年代の映画全盛時代には三本立て映画をよく見たものだった。仮眠することもなく関西空港に一六時過ぎに到着する。一八時に松山行きANA便に乗り込む。夜八時には帰宅して夕食を食べる。日本時間に換算すれば、午前二時にオークランドを発っており一日の行程である。地球は狭くなった、されど・・・である。