一 遍 会
一遍会 宝厳寺 史料集 一遍会講演記録 例会35年の歩み(資料集) 三好恭治のエッセイ 「鐘紡春秋」
寶厳寺 月例会のお知らせ ホットニュース 一遍会双書(全16巻) 三好恭治の『一遍徒然草紙』 一遍会アルバム
一遍上人と寶厳寺 写真集『掌上仏』再刊(十七年振り) 故 足助威男著 三好恭治の歴史エッセイ 『熟田津今昔』
第544回 一 遍 会

 日 時 6月10 (土)  時間 13:00〜15:30 
 場 所  道後公民館三階視聴覚教室(松山市役所道後支所内))
 講 師  江刺 精久 氏 (一遍会 理事)
 演 題  国宝「一遍聖絵」のびっくり・ポン
 【講師からの一口メモ】  
今世紀最初で最後であるといわれる至宝「一遍聖絵」全十二巻同時展示を一昨年末時宗総本山遊行寺はじめ四ケ所で鑑賞しました。
生の本物の迫力に圧倒されながら一遍さんのごとくに歩いて、あるいてそしてまつわる名品展示コーナーではしばし立ち過ごし、今でもそれらが目に浮かび「一遍だけでなく何遍でも観てみたい」といのが実感です。
その特別展で確認またはゲットした幾つかのびっくり・ポンな事を映像なども交えて報告を試みます。
【講師履歴】
例会      講義テーマ
461 100710 陸奥国ひとり旅 〜縁を感じての・・・
504 140208 「江刺郡線刻須恵器」出土について
516 150214 北方の城 「岩谷堂城・江刺城」について
卓 話  「一遍語録」を読むN
              
講 師  杉野 祥一 氏 (一遍会 理事)
平成29年6月度「一遍会ニュース」
 
T 平成29年6月(544回)例会 
□日 時: 6月10日 (土)  時間 13:00〜15:30   
□会 場: 道後公民館三階視聴覚教室(松山市役所道後支所内))
□講 師: 江刺 精久 氏 (一遍会 理事)
□演 題: 国宝「一遍聖絵」のびっくり・ポン
【講師からの一口メモ】 
今世紀最初で最後であるといわれる至宝「一遍聖絵」全十二巻同時展示を一昨年末時宗総本山遊行寺はじめ四ケ所で鑑賞しました。
生の本物の迫力に圧倒されながら一遍さんのごとくに歩いて、あるいてそしてまつわる名品展示コーナーではしばし立ち過ごし、今でもそれらが目に浮かび「一遍だけでなく何遍でも観てみたい」といのが実感です。
その特別展で確認またはゲットした幾つかのびっくり・ポンな事を映像なども交えて報告を試みます。
【講師履歴】
例会  年月日     講義テーマ
461 100710 陸奥国ひとり旅 〜縁を感じての・・・
504 140208 「江刺郡線刻須恵器」出土について
516 150214 北方の城 「岩谷堂城・江刺城」について
◇講 師  杉野 祥一 氏 (一遍会 理事)
◇卓 話  「一遍語録」を読むN
U 平成29年7月(545回)例会 予告
□日 時: 7月8 (土)  時間 13:00〜15:30   
□会 場: 道後公民館三階視聴覚教室(松山市役所道後支所内))
□講 師: 前園 実知雄 氏(奈良芸術短大教授)
□演 題: 「真言僧からみた神仏習合」
◇講 師  杉野 祥一 氏 (一遍会 理事)
◇卓 話  「一遍語録」を読むO
V 平成29年8月(546回)例会 予告
□日 時: 8月12 (土)  時間 13:00〜15:30   
□会 場: 道後公民館三階視聴覚教室(松山市役所道後支所内))
□講 師: 三好 恭治 氏(一遍会 理事)
□演 題: 子規と一遍 〜生死への執着と安心〜
◇講 師  杉野 祥一 氏 (一遍会 理事)
◇卓 話  「一遍語録」を読むP
W「一遍会報」は隔月(実績は年間9〜10回)に発行します。 どしどし投稿してください。

「一遍会報」第389号は6月度例会で配布します。
会員で「一遍会報」欠番の方はお申し出下さい。 尚、非会員でご入用の方には実費1部100円にてお分けします。(送料込み)
X 一遍会について詳しくお知りになりたい方は「一遍会」のHPをご覧下さい。

ホームページには@例会案内AホットニュースB掲示板C熟田津今昔D一遍徒然草紙などが掲載されています。毎月1日に全面更改しています。一遍会や一遍さん、時宗に関してのお問い合わせにも応じています。気軽にご利用下さい。 

一遍会月例会案内のインターネットサービス、例会欠席時の資料サービスを行っています。希望者は事務局(三好)まで申し出てください。

尚、一遍会例会の第1回からの講話名と講師名、特記事項が 「熟田津今昔」第22章「一遍会講演記録 例会35年の歩み」 に掲載中です。
「インターネット会員」(年会費 3,000円 郵送料込み)には「レジュメ」ほか資料を別送(隔月)しておりますのでご覧下さい。
お問い合わせはメールで事務局までお願いします。E-mail
年会費は3,000円です。期中入会大歓迎です。会費は12ヶ月間有効です。
一 遍 会  講 演 記 録
一遍会 平成14年度 の活動  〜  一遍会 平成20年度 の活動

一遍会 平成29年度 の活動
(未定を含む)

542  4月 8日(土) 小沼 大八 一遍会 代表 柳田民俗学における神の問題
平成29年総会
543  5月13日(土) 八束 武夫 一遍会 会員 河野氏の遠祖を探る(3)
  −河野氏系図・家譜人名譜の信憑性ー
杉野 祥一 一遍会 理事 卓話「一遍語録」を読むM
544  6月10日(土) 江刺 精久 一遍会 理事 国宝「一遍聖絵」のびっくり・ポン
杉野 祥一 一遍会 理事 卓話「一遍語録」を読むN
545  7月 8日(土) 前園実知雄 奈良芸術短大教授 真言僧からみた神仏習合
杉野 祥一 一遍会 理事 卓話「一遍語録」を読むO
546  8月12日(土) 三好 恭治 一遍会 理事 子規と一遍 〜生死への執着と安心〜
杉野 祥一 一遍会 理事 卓話「一遍語録」を読むP
547  9月 9日(土) 圓増 治之 愛媛大学名誉教授
杉野 祥一 一遍会 理事 卓話「一遍語録」を読むQ
上期末理事会
548 10月14日(土) 杉野 祥一 一遍会 理事
三好 恭治 一遍会 理事 卓話、
549 11月18日(土) 今村 威 一遍会 理事
杉野 祥一 一遍会 理事 卓話「一遍語録」を読むI
550 12月 9日(土) 大本 敬久 県歴史文化博物館専門員
杉野 祥一 一遍会 理事 卓話「一遍語録」を読むS
551  1月13日(土) 永井 信子 一遍会 会員
正月懇親会
552  2月10日(土) 武智 利博 伊予史談会名誉会長
杉野 祥一 一遍会 理事 卓話「一遍語録」を読む(21)
年度末理事会
553  3月10日(土) 竹田 美喜
子規記念博物館館長
一遍生誕会法要

一遍会 平成28年度 の活動
題名をクリックすると講演の「あらまし」を表示します

530 4月 9日(土) 小沼 大八 一遍会 代表 病院死を考える
,
蜂須賀俊一
一遍会 理事
宝厳寺落慶法要について
平成28年総会
531
5月14日(土)
宝厳寺落慶法要
532
6月11日(土)
圓増 治之
愛媛大学 名誉教授
一遍上人と聖達上人の一期一会の一刻
  ・・・・太宰府聖達上人の湯殿にて・・・・
杉野 祥一
一遍会 理事
「一遍語録」を読むF
蜂須賀俊一 一遍会 理事 宝厳寺落慶法要について(報告)
533 7月 9日(土)
前園実知雄
奈良芸術短期大学 教授
大仏の来た道 ―則天武后と光明皇后―
今村 威 一遍会 理事 一遍上人生誕寺・宝厳寺文学碑について
杉野 祥一
一遍会 理事
「一遍語録」を読むG
534 8月13日(土)
武智 利博
伊予史談会 名誉会長
一遍の後を歩く(鉄輪)
杉野 祥一
一遍会 理事
「一遍語録」を読むH
535
9月10日(土)
大本 敬久
県歴史文化博物館専門学芸員
南海地震と道後温泉不出
杉野 祥一 一遍会 理事 「一遍語録」を読むH
上期末理事会
536
10月 8日(土)
八束 武夫 
一遍会 会員
河野氏の遠祖を探る(2)
−河野氏系図・家譜人名譜の信憑性ー
杉野 祥一
一遍会 理事
「一遍語録」を読むJ
537
11月 5日(土)
大西 善和 
真言宗 岩屋寺住職
一遍聖と真言宗
杉野 祥一
一遍会 理事
「一遍語録」を読むK
538
12月10日(土)
戒田 淳
一遍会 会員 横谷連峰と弥勒寺伝承
三好 恭治
一遍会 理事
一遍父(河野通広)「七郎明神社」の所在
539
1月14日(土)
永井 信子 
一遍会 会員
紙芝居
正月懇親会
,
540
2月11日(土)
田中 弘道
一遍会 理事
「鯖江市小黒町在の河野氏」のルーツを考える
杉野 祥一 一遍会 理事 「一遍語録」を読むL
年度末理事会
541 3月11日(土) 青山 淳平 作家  一遍と今をあるく
一遍生誕会法要
一遍会 平成27年度 の活動
   
題名をクリックすると講演の「あらまし」を表示します。

518  4月11日(土)
小沼 大八
一遍会 代表  
,
平成27年度総会
519  
 5月 9日(土)
杉野 祥一
一遍会 理事
519
三好 恭治
一遍会 理事 明治・大正期の宝厳寺学僧 橘恵勝師について
520
 6月13日(土)
圓増 治之
愛媛大学 名誉教授
一遍上人の『遊戯三昧』の世界 ・・・・・よろづ生きとしいけるもの踊りまはりける・・・
520
吉岡 一誠
観世流 師範
観世流謡曲「誓願寺」における和泉式部と一遍上人
521  7月11日(土)
前園 実知雄
奈良芸術短期大学 教授
521
杉野 祥一
一遍会 理事
522  8月 8日(土)
八束 武夫
一遍会 会員
522
杉野 祥一
一遍会 理事
「一遍語録」を読むA
523  9月12日(土)
三好 恭治
一遍会 理事
523
上期末理事会
524 10月10日(土)
杉野 祥一
一遍会 理事
「一遍語録」を読むB
524 三好 恭治 一遍会 理事 一遍の師・聖達上人と伊予河野氏
525 11月21日(土)
田中 弘道
一遍会理事
525
杉野 祥一
一遍会 理事
「一遍語録」を読むC
526 12月12日(土)
大本 敬久
県歴史文化博物館 専門学芸員
526
杉野 祥一
一遍会 理事
「一遍語録」を読むD
527  1月  9日(土)
正月懇親会
紙芝居「一遍さん」 永井信子氏
529  2月13日(土)
堀内 統義
詩人
528
杉野 祥一
一遍会 理事
「一遍語録」を読むE
529  3月12日(土)
今村 威
一遍会 理事
年度末理事会
一遍会 平成26年度 の活動
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506 4月12日(土) 小沼 大八 一遍会代表  愛媛大学 名誉教授 一遍上人の遊行と山人の世界
506 小沼 大八 一遍会 代表(議長) 平成26年度 総会
507 5月10日(土) 大本 敬久 県歴史文化博物館 専門学芸員 特別展「弘法大師空海展」
507 三好 恭治 一遍会 理事 南予巡察バスツアー (県歴史文化博物館、43番霊場明石寺、真言宗別格本山出石寺)
508  6月14日(土) 前園 実知雄 奈良芸術短期大学教授 空海と最澄を考える
508 三好 恭治 一遍会 理事 100年前の遍路の実相
〜相原熊太郎述『四国遍路の話』〜
509  7月12日(土) 圓増 治之  愛媛大学 名誉教授 一遍上人の住み処 ・・・・念仏まうす起ふしは 妄念おこらぬ住居かな・・・
509 三好 恭治 一遍会 理事 謡曲「一遍上人」と善光寺如来出現譚
510  8月 9日(土) 三好 恭治 一遍会  理事 「一遍会史」の試みA 〜浅山圓祥師と門弟の時代
510 田中 弘道 一遍会理事 韮山紀行
511  9月13日(土) 杉野 祥一 一遍会理事 仏教の源流を求めて
511 期末理事会
512 10月11日(土) 戒田 淳 伊予史談会 会員 河野通忠(通有・長男)と伝柚之木谷館跡
512 蜂須賀 俊一 一遍会理事 宝厳寺本堂再建について
512 三好 恭治 一遍会理事 一遍上人の木像について
513 11月15日(土) 今村 威 一遍会理事 謡曲「遊行柳」について
513 三好 恭治 一遍会理事 続 一遍上人の木像について
514 12月13日(土) 田中 弘道 一遍会理事 遊行上人と天徳寺
514 三好 恭治 一遍会理事 一遍上人の銅像について
515  1月10日(土) 湯之町商店街関係者 「道後温泉音頭」について
515 正月懇親会
516  2月14日(土) 三好 恭治 一遍会 理事 「一遍会史」の試みB 〜越智通敏と町衆、同志たち〜
516 江刺 精久 一遍会理事 北方の城 「岩谷堂城・江刺城」について
517  3月14日(土) 青山 淳平 作家 手束妙絹尼〜お四国遍路みちの女良寛〜
517 期末理事会
一遍生誕会&松壽丸湯浴み式
(宝厳寺本堂焼失につき中止)
一遍会 平成25年度 の活動
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 4月13日(土)
永井 芳枝
一遍会 理事
仏教の女性差別観
杉野 祥一
一遍会 理事
一遍聖絵」を絵解きする(38)
 
 5月11日(土)
前園 実知雄
奈良芸術短期大学教授
幸せの国ブータンを訪ねて
今村 威
一遍会 理事(議長)
平成25年度 総会
 6月 8日(土)
杉野 祥一
一遍会 理事
「一遍聖絵」を絵解きする(39)
 7月11日(土) 圓増 治之  愛媛大学 名誉教授 阿弥陀仏の慈悲、一遍上人の慈悲
田中 弘道 一遍会 理事 一遍ゆかりの山陽道の社寺仏閣
 8月10日(土)
杉野 祥一
一遍会 理事
「一遍聖絵」を絵解きする(40) 最終回
 9月16日(月) 田中 弘道 一遍会 理事 バス研修(神戸・真光寺ほか)
10月12日(土) 小沼 大八 一遍会代表  愛媛大学 名誉教授 一遍上人の遊行
11月16日(土)
田中 弘道
一遍会 理事
時宗二祖・他阿真教上人と『遊行縁起』
12月14日(土)
大本 敬久
県歴史文化博物館 専門学芸員
触穢の成立ー日本古代における穢観念の変遷ー
 1月11日(土)
杉野 祥一
一遍会 理事
正月懇親会
504  2月 8日(土) 三好 恭治 一遍会 理事 「一遍会史」の試み@
〜相原熊太郎・北川淳一郎・佐々木安隆〜
505
 3月 8日(土)
今村 威
一遍会 理事
一遍生誕会&松壽丸湯浴み式
(宝厳寺本堂焼失につき中止)
一遍会 平成24年度 の活動
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 4月14日(土) 小沼 大八 一遍会 代表  愛媛大学名誉教授 最澄と空海 ―仏教の日本化をめぐって―
杉野 祥一 一遍会 理事 卓話「一遍聖絵」を絵解きする(30)
 5月12日(土) 前園 実知雄 奈良芸術短期大学教授 チベットの歴史と仏教
平成24年度 総会
 6月 9日(土) 杉野 祥一  一遍会 理事 常啼菩薩(じょうたいぼさつ)の求道物語
−大乗仏教の成立を考える−
加地 和夫  一遍会 理事 新居浜史談会 輪鼓(りゅうご)と一遍上人
 7月14日(土) 圓増 治之  愛媛大学 名誉教授 一遍上人の死とそのあと 
杉野 祥一 一遍会 理事 卓話「一遍聖絵」を絵解きする(31)
 8月11日(土) 田中 弘道 一遍会 理事 元弘の兵乱 (星岡の戦い)
杉野 祥一 一遍会 理事 卓話「一遍聖絵」を絵解きする(32)
 9月 8日(土) 石野 弥栄 愛媛大学 講師  「戦国期伊予の高野山信仰とその史料」(補説)
 ―「南行雑録」所載記事の史料評価をめぐって―
杉野 祥一 一遍会 理事 卓話「一遍聖絵」を絵解きする(33)
10月13日(土) 今村  威, 一遍会 理事 一遍さんの和歌
杉野 祥一 一遍会 理事 卓話「一遍聖絵」を絵解きする(34)
11月10日(土) 堀内 統義 日本現代詩人会会員 詩を読み、楽しむ
杉野 祥一 一遍会 理事 卓話「一遍聖絵」を絵解きする(35)
12月 8日(土) 大本 敬久 県歴史文化博物館 専門学芸員 伊予の愛宕信仰ー武神から火防神へー
杉野 祥一 一遍会 理事 卓話「一遍聖絵」を絵解きする(36)
 1月12日(土) 大西 修史 一遍会 会員 卓話
正月懇親会
 2月 9日(土) 三好 恭治 一遍会 理事 当麻山無量光寺と「麻山集」
 〜もうひとつの一遍・遊行上人物語り〜
杉野 祥一 一遍会 理事 卓話「一遍聖絵」を絵解きする(37)
 3月 9日(土) 青山 淳平 作家 一遍に生きる〜足助威男
一遍生誕会&松壽丸湯浴み式
一遍会 平成23年度 の活動
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 4月 9日(土) 杉野 祥一 一遍会 理事 空海と即身成仏
. 田中 弘道 一遍会 理事 卓話 道後湯之町・先史
 5月14日(土) 前園 実知雄 奈良芸術短期大学教授 牽午子塚古墳と越塚御門古墳の被葬者
. . . 平成23年度 総会
 6月11日(土) 堀内 統義 日本現代詩人会会員 金子みすゞ 浄福のポエジー
. 杉野 祥一 一遍会 理事 卓話「一遍聖絵」を絵解きする(23)
 7月 9日(土) 圓増 治之  愛媛大学 名誉教授 道具秘釈私解(西洋哲学の観点から))
. 杉野 祥一 一遍会 理事 卓話「一遍聖絵」を絵解きする(24)
 8月13日(土) 小沼 大八 一遍会 代表   愛媛大学名誉教授 空海の宇宙観
杉野 祥一 一遍会 理事 卓話「一遍聖絵」を絵解きする(25)
 9月10日(土) 石野 弥栄 愛媛大学・東雲女子大学 講師 「伊予河野氏と応仁の乱」再考
.杉野 祥一 一遍会 理事 卓話「一遍聖絵」を絵解きする(26)
10月 8日(土) 今村  威, 一遍会 理事 平安古謡 催馬楽「伊予の湯」をめぐって  
. 杉野 祥一 一遍会 理事 卓話「一遍聖絵」を絵解きする(27)
11月12日(土) 小沼 大八 一遍会 代表   愛媛大学名誉教授 県下の文化財について(研修バス視察)
12月10日(土) 大本 敬久 県歴史文化博物館 専門学芸員 東北地方と伊予―歴史的・文化的つながり―
. 杉野 祥一 一遍会 理事 卓話「一遍聖絵」を絵解きする(28)
 1月21日(土) 蜂須賀 俊一 一遍会 理事 卓話
. . .  正月懇親会
 2月11日(土) 三好 恭治 一遍会 理事 遊行上人の伊予回国 〜聖と俗の狭間で〜
. 杉野 祥一 一遍会 理事 卓話「一遍聖絵」を絵解きする(29)
 3月10日(土) 竹田 美喜 市子規記念博物館 館長 子規と道後
. . .  一遍生誕会&松壽丸湯浴み式
 
一遍会 平成22年度 の活動
題名をクリックすると講演の「あらまし」を表示します。
                                           
 
 4月10日(土)
前園実知雄 奈良芸術短期大学教授
史跡久米官衙遺跡群と道後温泉
, 杉野 祥一
一遍会 理事
「一遍聖絵」を絵解きするN
 5月 8日(土) 圓増 治之 
愛媛大学法文学部 教授
一遍上人の踊念仏〜南無阿弥陀仏が南無阿弥陀仏を踊っている〜
, .   . 
平成22年度 総会
 6月12日(土) 今村  威,
一遍会 理事
関東地方の鹿舞と時衆
, 杉野 祥一 一遍会 理事 「一遍聖絵」を絵解きするO
 7月10日(土) 杉野 祥一 
一遍会 理事
.心は存在するか ー禅からの答えー
, 江刺 精久 一遍会 会員 陸奥国ひとり旅 〜縁を感じての・・・
 8月14日(土) 永井 芳枝 一遍会 会員 我国の遊女について
, 杉野 祥一 一遍会 理事 「一遍聖絵」を絵解きするP
 9月11日(土) 石野 弥栄
愛媛大学講師
伊予等妙寺の縁起と説話
, 杉野 祥一 一遍会 理事 「一遍聖絵」を絵解きするQ
10月 9日(土) 田中 弘道 一遍会 理事 南源禅師 と 彼をめぐる戦国の人々
, 杉野 祥一 一遍会 理事 「一遍聖絵」を絵解きするR
11月20日(土) 小沼 大八
一遍会 理事
こころコロコロ.
, 杉野 祥一 一遍会 理事 「一遍聖絵」を絵解きするS
12月11日(土) 大本 敬久
歴史文化博物館 専門学芸員
.現代の葬儀と墓を考える
, 杉野 祥一 一遍会 理事 「一遍聖絵」を絵解きする(21)
 1月 8日(土)
岩井 昭
一遍会 会員 
卓話  正月懇親会
 2月12日(土) 三好 恭治
一遍会 理事
時宗十二派の来歴〜時宗奥谷派の定義〜
, 杉野 祥一 一遍会 理事 「一遍聖絵」を絵解きする(22)
 3月12日(土) 二神 将,
伊予史談会監事.
漱石が下宿した愛松亭及び愚陀仏庵と再建問題について  
, , , 一遍生誕会&松壽丸湯浴み式
一遍会 平成21年度 の活動
題名をクリックすると講演の「あらまし」を表示します。
4月11日(土)
 圓増 治之  愛媛大学法文学部教授  一遍の「白道」
.  杉野 祥一  一遍会 理事  「一遍聖絵」を絵解きするG
5月 8日(土)  犬伏 武彦  松山東雲短期大学 教授  建物に浮かぶ時代・・・愛媛の近代
., , ,
 平成21年度 総会
6月13日(土)  今村  威  一遍会 理事  『予州亥之助漂流記』〜漂流百十日、十三名全員の命を救ったもの〜
..  杉野 祥一  一遍会 理事  「一遍聖絵」を絵解きするH
7月11日(土)  小沼 大八  一遍会代表 愛媛大学名誉教授  病気を考える
..  杉野 祥一  一遍会 理事  「一遍聖絵」を絵解きするI
8月 8日(土)  杉野 祥一  一遍会 理事  一遍が尊敬した平安念仏者たち
..  三好 恭治  一遍会 理事  一遍時衆を陸奥国江刺(祖父通信墓」)まで案内した男
9月12日(土)  石野 弥栄    中世伊予の熊野信仰について〜地域領主との檀縁関係をめぐって〜
..  杉野 祥一  一遍会 理事  「一遍聖絵」を絵解きするJ
10月10日(土)  平田 玲子  仏教美術史家  親鸞聖人の御影(絵像)について
,,  杉野 祥一  一遍会 理事 「一遍聖絵」を絵解きするK
11月 7日(土)  海老塚 和秀  五台山竹林寺
 土佐国巡察
12月12日(土)  大本 敬久  歴史文化博物館 専門学芸員 .文楽(人形浄瑠璃)と愛媛
.  杉野 祥一  一遍会 理事  「一遍聖絵」を絵解きするL
1月  9日(土)  山岡 公三  一遍会 会員  
 卓話  正月懇親会
2月13日(土)  森原 直子  詩誌「野獣」主宰  詩とはいったい何だろう
.  杉野 祥一  一遍会 理事  「一遍聖絵」を絵解きするM
3月13日(土)  三好 恭治 . 一遍会 理事 . 一遍生誕寺・宝厳寺の大位牌〜河野通信・河野通広・得能通俊夫妻〜
, , ,
 一遍生誕会&松壽丸湯浴み式
一遍会 平成14年度 の活動  〜  一遍会 平成20年度 の活動
道後公民館 3階 視聴覚教室 市役所道後支所
伊予鉄道道後公園前又は道後温泉駅(終点)下車、両駅の中間に所在、電車線路沿いの市役所道後支所に併設。交通量が激しいですから横断には十二分に気をつけて下さい。
「道後駅(終点)」で下車、「カラクリ時計」を左に見て直進、「ふなや」を右手に見て直進、「伊佐爾波神社」を左折、三叉路「湯月稲荷大明神」を右折、坂の上が「宝巌寺」。徒歩約15分。
第525回例会(2016・11・21)
明治期の天徳寺
田中 弘道 (一遍会理事 )
明治維新・廃藩置県に伴ってなされた上知は天徳寺のような古寺に大きな打撃を与えた。奈良の興福寺の五重塔が売りに出された時代である。
「明治四辛未年五月、當寺十二世現住鵞山白 江西山天徳寺明細記」に「河野通宣、加藤嘉明、蒲生忠知、寛永十六年・・旧領主真常院御時代以来の寺領百石の内、半分現米五拾石去歳庚午十二月廃止相成申候」・・本山妙心寺宛の報告である。
太政官布告で現在の境内地だけを除き、外の社寺領を上地させたのである。さらに境内地も「民有の証ナキモノ」は官有地に編入された。廃藩置県により寺社領の法的根拠が失われ、地租改正によって全ての土地に地租を賦課する原則を立て、全ての土地に対する免税特権を廃棄することを目的としていたのである。
「明治二十五年一月 嘆願書 下書き」
「明治二十五年一月廿日 愛媛県知事宛嘆願書」
(佛殿、方丈、・修繕、再建ニ付下賜金願)に当時の状況が記されている。
「・・住職河野鵞山ハ自然負債ヲ相高メ明治十
年二月末寺景徳寺ヘ転居仕り因リ・・亦明治十九年暴風雨ノ為ニ伽藍建物多クハ破損転倒仕候・・(下書き)」
「・・残ル五拾石ハ山林免租地ヲ以テ給セラル(此山林ハ過ル明治九年地租改正ノ際当寺の所有リ除カシ方今官有地ト成レリ)・・・檀家モ十中ノハ九皆士族ニシテ大抵家禄ヲ奉還シ檀林ノ凋落亦極レル・・明治十年来殆ニド廃寺ノ惨ヲ現シ開山以来ノ宝物什器散失・・実ニ当寺ハ古 勅願道場トシテ中興本派開山大定聖應国師ノ遺跡・・時ナル哉回復ノ運来リ明治十六年来歴ノ正シキ古社寺御保存ノ御趣旨アル亊ヲ奉戴セリ・・・有志ノ輩躍然タリ因テ即ハチ従来所有ノ宝物目録及再興建築ノ絵図面並ニ将来維持ノ方法書等相添ヘ進達致候・・奉懇願候也・・(嘆願書)」
藩政改革、地租改正により、天徳寺の伽藍の維持は困難を極める。明治十年、寺は無住となり「寺什器宝物等散乱少なからず」の惨状を呈するにいたった。【慶長十七年臨済録抄 南源和尚教衆】などが流失したのはこの頃である。
この文書は幸いにも北鎌倉の「松が岡文庫」の所有となった。同文庫は鈴木大拙の発願に賛同する有志(石井光雄、岩波茂雄、安宅弥吉、小林十三、五島慶太ら)により昭和二十年に設立された。大拙博士の蔵書が中心でおよそ七万冊におよぶ貴重な専門書が収められている。安藤嘉則はこれら蔵書の目録整理作業中に「南源臨済録抄」を発見された。柳宗悦が収集し、松ヶ岡文庫に寄贈された佛書の中の一冊である。
天徳寺には古代寺院・弥勒寺伝承などを伝える多くの資料がある。大半は藩政時代中期以降に書かれたものである。臨済録抄は本来講義録であるが、面白いことに、その中で弥勒寺伝承を語っている。こうした臨済録抄の発見は、天徳寺伝承が慶長年間からあること、多幸山天徳寺から伝えられたことを示すものであり、天徳寺の由緒を考える上で貴重な文書である。
明治十九年、末寺、檀徒が協議を重ね、末寺の祖満和尚が天徳寺に在住し法務を務めることになる。彼の任務は廃寺の危機にある寺の経営を安定させる事であった。祖満和尚は岡倉天心の活躍など新しい時代の動きを感じ取り、そこに活路を見出していったのである。
以後、祖満和尚は「古社寺保存法」に期待を寄せた。

古社寺保存法(明治三十年六月十日)とは 
 第一条 古社寺ニシテ其ノ建造物及宝物類ヲ維
持修理スルコト能ハサルモノハ保存金ノ下付ヲ内務大臣ニ出願スルコトヲ得
第二条 国費ヲ以テ補助保存スヘキ社寺ノ建造物及宝物類ハ歴史ノ証徴、由緒ノ特殊又ハ製作ノ優秀ニ就キ古社寺保存会ニ諮詢シテ内務大臣之ヲ定ム・・・等の内容を含んだものである。
申請に当たっては、県、国を納得させる「由緒書、明細書」の提出が必要であった。その原典になるのが、
「明治二十四年十一月十一日 由緒書」である。
その末尾に「依願本山妙心寺ヨリ繁山祖満和尚住職ヲ命ス 同月十一日入院式ヲ執行ス」とあり、祖満が住職になった時作成されたものであることが分かる。作成の目的ははっきりしないが、内容は天徳寺の由緒である。
「多幸山天徳寺ヲ今ノ地ニ移サレ江西山
  天徳寺ト改メラレ以後由緒左ノ如シ」
など、章を明確にしていること、
「一 明治三年庚午藩政改革ニ付寺領廃止」
「一 同十九年乙戍八月三日鵞山和尚示寂後住之義法類末寺及檀徒協議数會ニ及フト明治三年以来寺宇衰癈□一方依テ復住之良法不□立末寺浄福寺前住祖満和尚ニ依頼シ在住シテ法務ヲ勤ム」 など、箇条書きを徹底していること、古文書の引用を良く用いることなどの特徴を有する。特に幕末明治期の記録は他に例がなく貴重である。
由緒作成に当たっては、何を撰び出し、何を選び出すか、如何に書くか、歴史観が重要である。・・歴史観、価値観は二十年前に書かれた鵞山の明細記とは明らかに違う。祖満和尚は先人から引き継がれてきた寺の由緒にも見直しを行い、修正することを厭わない、明細帳では箇条書きを徹底するなど、分かり易い表現を用いている。こうした彼の姿勢、性格が、明治という激動の時代に天徳寺を復興させた要因のひとつであろう。
古社寺保存法に向けての申請作業は数年間に渡って行われ、その間に作成された複数の「由緒書(申請書)、明細書(添付資料)」が天徳寺に残されている。寺の歴史を研究する上で貴重な資料になっている。・・明治三十年五月二十八日に認可を得ることができた。

申請書・最終版と思しき資料を紹介する。
「 當寺者 人皇三十四代 推古天皇御宇四年即法興六丙辰歳冬十月念五日 勅詔厩戸皇子當伊豫国ヘ行啓アリ葛城大臣並高麗国ノ高僧恵慈恵總ニ大法師等モ扈従而當国司散位大夫乎智宿祢益躬に令旨アリシカシテ熟田津就田津飽田津乃三津に三大伽藍ヲ草創即当寺ハ斯一ニシテ伊與邑石湯ノ奥餘戸谷ヱ建設在処ノ天徳山弥勒寺ノ後ナリ抑日本全國四十六ケ寺ノ一ニ列スル処ノ勅願所ニシテ国家鎮護ノ霊場ナリ・・・」
明治六年の地租改正条例に基づく官民有区分では祭典・法要に必要な境内地も「民有の確証」のないものは官有地に編入された。昔からの慣習に基づいて土地を利用していた社寺にとって非常に厳しかった。
明治三十二年の「国有土地森林原野下戻法」は、その行過ぎを是正し「民有の証」があるものについては下戻処分により元の所有者に返還する処理を行うものであった。天徳寺は明治二十六年に一度払下願をして却下された経験があり、天徳寺の対応は早かった。申請を行い、明治三十八年に聞届けられた。以下に天徳寺の動きの一端を以下に示す。
【明治廿六年上地官有地所払下願 却下  】
【明治三十三年頃 上地山林下戻申請書却下】
【明治三十六年十月 境内地編入願    】
【明治三十八年三月内務省指令
境内編入ノ件聞届ク  】
【明治三十八年 社寺明細帳記入届    】      
【明治四十一年 不要存置国有林払下願  】    
【明治四十一年 山林伐採並びに果樹植付願】  
【明治四十二年 寺有山林藪現在届    】
【明治四十二年 得能通義檀徒総代選任届 】     
【明治四十四年 宝物境内外出陳認可願  】    
【明治四十四年 宝物、古文書、
古建造物調査書届  】
【明治四十四年 佛堂建物整理調査届   】     
【明治四十四年 山林地開墾上申書     】 
 
 祖満和尚の単独の編纂物も一部あるが、、申請書などは住職・祖満と檀家総代の連名で行われる。檀家総代は山本、宇高、奥平などの旧藩士である。異色の存在は得能通義である。彼は明治二十五年から天徳寺の事務方の仕事をしている。明治四十二年に檀徒総代に任命される。それまでは彼の仕事は裏方であり、檀家総代不在の時、代印を押すことはあったが、普通は彼の名が出ることはない。彼の存在は明治四十四年まで確認できる。
大正三年三月廿三日  得能通義 
大量院直翁通義居士没
大正六年九月二日 繁山祖満
前住當山萬谷祖満長光禅師
第526回例会(2016・12・12)
歴史的事実の「記憶」と創出される「伝統」
大本 敬久(愛媛県歴史文化博物館 専門学芸員)
1 「伝統」と「集合的記憶」

民俗学界では一九九〇年代に「伝統の創出」に関する論議が盛んとなった。その先駆はホブズボーム『創られた伝統』(前川啓治他訳、紀伊国屋書店、一九九二年)と岩竹美加子『民俗学の政治性―アメリカ民俗学百年の省察から―』(未来社、一九九六年)である。ホブズボームは、「過去」が政治的変動や権力の移動により塗り替えられ、「伝統」も現在の政治的な目的によって創造されることを示し、特に近代的な国民国家論の中で「創出される伝統」論を展開した。従来、「民俗」が過去から連綿と伝承されてきた自明のものであるという一種の幻想を克服するために、近代においていかに変容・伝承されてきたのかを問い直す動きであった。
民俗学の創始者柳田國男が終戦後に「日本人」の自己認識を促す研究傾向を強めたのも、政治・
社会との関連で位置づけられる。柳田は日本人の一体性を強調するため『先祖の話』(一九四五年)を公表した。それまでの仏教式の六道輪廻、地獄極楽中心の死後観念から、日本人独自の死生観を抽出、提示し、さらに『海上の道』(一九六一年)では日本人の先祖が列島へ渡ってきた経路を、大陸南部から沖縄、日本列島へ広がったと主張したが、これは、沖縄を含めて日本が一つだということを強調する意図が垣間見えるものであった。
 「伝統」は一般的に過去と現在との間の文化的、社会的継続として理解される。自然の時の流れとともに連なっていると感じられるが、ホブズボームは、歴史的に脈々と継承されているとされる伝統は、多くの場合新しいもので、比較的短期間の間に成立したものであることを指摘し、また儀礼やシンボルを用いて巧みに演出されることにより、ある慣習と関連づけられ、伝統として定着するメカニズムを論じた。「伝統」が創出されるのは、多くの場合、政治的権力が移行した直後や、社会的状況が激変した場合が多く、「伝統」が現状にそぐわなくなれば、新たな「伝統」が創出されるとし、これを日本の歴史に当てはめれば、戦国時代から江戸時代初期、幕末から明治維新期、昭和二〇年代、高度経済成長期がその時期に該当するともいえる。愛媛県内の民俗芸能など「村」において伝承されてきた民俗の起源伝承が戦国時代もしくは幕末から明治時代初期に求められるのも、この社会的状況の激変による「伝統」の創出といえるだろう。
 「伝統」の持つ特徴としては「集団の安定化」が挙げられる。同じ集団(国・地域・家)の中で、共通認識としての「伝統」意識を有することは、集団内部の自己同一性を高め、集団は安定する方向に向かう。つまり、政治的権力の移行や、社会的激変期において「伝統」を創出することは、新たな社会集団を安定化させる手段といえる。江戸時代の幕藩体制の確立期、明治新政府の確立期、戦後復興に関する研究には「伝統の創出」という視点は有用であろう。ホブズボームの「伝統の創出」論は、近代国家と民俗との相克という土俵の上での研究であったが、もっと広く個人・家・地域を基礎とした議論も必要であり、「過去」・「現在」を「伝統」を通して考える場合の重要なキーワードに「記憶」がある。
実は「伝統」の創出も一種の「記憶」の一作用であり、集団によって記憶が構築される「記憶実践」と位置づけられる。これは「集合的記憶」であり、モーリス・アルヴァックスが提唱したものである(『集合的記憶』行路社、一九八九年)。「記憶」は集団を集団たらしめる接着剤としての要素を持っているとし、「記憶」を数種に分類している。一つは「実際の体験者の記憶」(一次的記憶)であり、二つ目は「見聞者の記憶」(二次的記憶)、そして「情報収集者としての記憶」(三次的記憶)である。これらは、別々に存在するものであるが、集団の中で物語化されることによって共有化されていく。これが「制度化された記憶」であり、ここに集団の中での伝承性の萌芽が見られ、これにある種の権力が作用することによって「伝統」として創出される場合がある。つまり、「伝統」は単に意図的に創出されるというよりも、個人と集団の間柄の中で生み出されるプロセスがあることに注目すべきことを指摘している。

2 「記憶実践」と「忘却実践」

現在、私の「記憶」についての関心は、災害や戦争の歴史的事実がいかに次世代に受け継がれていくかという点である(災害の記憶化のメカニズムについては近刊『愛媛県歴史文化博物館研究紀要』二一号で公表する予定)。先に挙げた愛媛県内の民俗芸能も起源伝承が戦国時代の武将の慰霊をもとに始まったとする事例が非常に多く、戦争という歴史的事実を後世に「記憶」として伝承させる一種の装置として民俗芸能は機能しており、それは村落においての「集合的記憶」であるといえる。
同時代的な問題としては、太平洋戦争の体験(歴史的事実)をめぐる「記憶」は、民俗学における「過去」と「現在」の関係性を考察する上で、重要なテーマに位置づけられる。例えば、明治時代の日清・日露戦争の「記憶」・「伝承」は、もはや直接的聞き取りでの情報収集は不可能に近く、「記録」および、集合的記憶の媒介となる物質(モニュメント等)から、戦争の歴史が再構成されるのみである。戦争体験とは、戦闘行為のみならず、その時代を経験した各個人の体験も含まれる。当然、兵士を送り出した家族も戦争体験者であり、各個人の体験という事実は膨大な歴史的情報量といえる。これに対して、次世代に「記憶」として継承される情報量はごく一部である。歴史的事実の継承にあたっては、「語り」と「記録」がその媒体となる。その「語り」についても、「語られること」・「語られないこと」があり、戦争体験で言えば、「語りやすいこと」・「語りづらいこと」が明確に分かれる。また、公文書・メディアよる記録は膨大であるが、個人的体験の記録は、前者に比べて多くはない。すべての戦争体験者が自分の体験を綴るわけではなく、記録するのはごく一部の体験者である。また、 体験者の中でも差異が見られる。以前、愛媛県内の図書館に収蔵されている戦争体験記の一覧を作成したことがある。それは『戦争体験の記録と語りに関する資料調査』(国立歴史民俗博物館、二〇〇五年)にて公表しているが、その一覧を作成してみて気づくことがある。元兵士、学生時代に勤労動員した方々、戦災に遭った方々の体験集は多いが、それに比べて戦争未亡人・遺児が直接語った体験集は少ない。戦争未亡人・遺児は、最も身近な人を戦争で失った悲しみを経験しており、しかも昭和二十年代後半までは国家補償もない状態での生活を余儀なくされた。この方々の戦争体験集が少ないのは、体験を綴るには、あまりにも現実が厳しく、書くに書けない、もしくは伝えるに伝えられない状況があったと察する。「語りづらい」、「記録しづらい」代表例だといえる。また、戦争体験記を執筆した年代を分類すると、昭和二〇年代には少なく、昭和三〇年代後半〜五〇年代前半に多いという傾向がある。これは遺族会や戦友会の活動の活発化や記念誌の発行が一つの要因といえる。歴史的事実のうち、個人の体験が「語り」「記録」化(個人史的記憶)されるのは、世代の交代による「記憶」の薄れ へ の危機感が契機になる場合があるが、この時期の体験記の増加はそれにあてはまるといえるだろう。
「語り」は口頭伝承となって次世代に伝えられ、「記録」されたものも、後世に引き継がれ、やがて「歴史」として再構成される材料となる。しかし、それは歴史的事実の総体からいえばごく一部である。そして「語り」や「記録」された内容も執筆者個人の取捨選択により、「語られること」・「語られないこと(語りづらいこと)」、そして「記録されること」・「記録されない(記録したくないこと)」に選り分けられているのである。
 「伝統」は、国家などの権力による創出の側面があると指摘したが、個人レベルの体験・記憶・記録に関しても、様々な取捨選択が行われている。日清・日露戦争の場合、戦争体験は「ナショナルな語り」(国家による集合的記憶・制度化された記憶)によって歴史が再構成されている現状があるという印象があるが、「ナショナルな語り」に回収されない個人的体験の語り・記録も当然、存在する。歴史的事実の伝承(「記憶」・「記録」)は、国レベル・地域レベル・家レベルのそれぞれの次元があり、それぞれの存在の相互作用があることを忘れてはいけない。近年の戦没者祭祀の議論でいえば、祭祀を国家に回収することに力点を置き、地域や家が行ってきた戦没者祭祀との関係性の議論が希薄という印象がある。国家による戦没者祭祀が一種の「伝統」として国家によって創出されている側面も垣間見える。これは祭祀を対象とする民俗学に課せられた重要なテーマといえるが、同時に、戦争という歴史的事実が、集団的そして個人的伝承として後世にどのように「語り」・「記録」されていくのかという同時代的な動きを注視することも、民俗学の課題といえる。それは個人、そして集団による「 記憶実践」がテーマの中心になるといえるが、現在の戦争観・社会的状況や「語らない」・「語りづらい」体験を鑑みると、「記憶実践」とは逆に「忘却実践」という視点を強調した上で、これを歴史学・民俗学の中で概念化する必要があるのではないだろうか。「記憶」と「忘却」のはざまで、過去は再構成され、集団にとってあるべき「伝統」(言葉は悪くいえば「都合のよい伝統」)が創出されるのであり、今後は歴史的事実の「記憶」・「忘却」を国家・地域・個人の各レベルで考察する視点がますます重要となると考えている。
第524回例会(2016・1・10)
一遍の師・聖達上人と伊予河野氏
三好 恭治 (一遍会理事 )
一、 はじめに
 時宗(時衆)の祖である一遍智真は、浄土教の始祖法然上人の曾孫弟子に当たる。法系図(「法水分流記」「浄土法門源流章」)によれば、法然の直弟子が証空(浄土宗西山派)、証空の弟子に聖達、華台、如仏(河野通広 一遍父)、聖達の弟子に聖観(聖達実子)、一遍、仙阿(時宗宝厳寺派祖)、聖戒(時宗歓喜光寺派祖)が続いている。一遍の父如仏は法然の孫弟子に当たる。
 一遍に浄土教を教授した聖達上人について、既に公表されている文献と、聖達が入寂した「原山松岡院知恩寺」の由緒譚から、一遍の師・聖達上人と伊予河野氏の縁を訪ねてみたい。

二、「一遍聖絵」による聖達上人と一遍
「一遍聖絵」には、聖達門への入門から熊野の神託を受けた一遍の再々訪までの三箇所が描かれている。

(一)第一巻@ 建長三年(一二五一)
 建長三年の春、十三歳にて、僧善入とあひ具し、鎮西に修行し、大宰府の聖達上人の禅定にのぞみ給ふ。上人、学問のためならば、浄土宗の章疎文字よみをしてきたるべきよし、示し給ふによりて、ひとり出て、肥前の国清水の華台上人の御もとにまうで給ひき。
上人あひ見て、「いづれの処の人、なにのゆゑにきたれるぞ」と問ひ給ふに、事のおもむきくはしくこたへ申されければ、処の上人、「さては、昔の同朋の弟子にこそ。往事のまだわすれず。旧好いとむつまじ。さらばこの処に居住あるべし」とて、名字を問ひ給ふに、随縁と申すよし答へ申し給ふに、「随縁雑善恐難生」といふ文あり。しかるべからず」とて、智真とあらため給ひき。
さて、彼の門下につかへて、一両年研精修学
し給ふ。天性聡明にして、幼敏ともがらにすぎたり。上人、気骨をかゞみ、意気を察して、「法機のものにはべり。はやく浄教の秘蹟をさづけらるべし」とて、十六歳の春、又、聖達上人の御もとに、おくりつかはされ給ひけり。

(二)第一巻A 弘長三年(1263)から数年後  
 建長四年春のころより、聖達上人に随逐給仕し給へり。首尾十二年、浄土の教門を学し、真宗の奥義をうけ給ひし程に、弘長三年癸亥(みずのとゐ)五月廿四日、父如仏帰寂の時、本国に帰り給ひぬ。(略)「しかじ、恩愛をすてゝ無為にいらむには。たゞし、いま一度師匠に対面のこゝろざしあり」とて大宰府へおもむき給ふあひだに、聖戒も出家をとげて、あひしたがひたてまつりき..。

(三)第一巻J 建治二年(1276)
 国中あまねく勧進して、いづちともなくいで給ひぬ。次の年、又事のゆゑありて、予州をとほり九州へわたり給ひて、聖達上人の禅室におはしたりければ、なのめならず悦び給ひて、わざと風呂結構して、たゞ両人いり給ひて、風呂の中にて仏法修行の物語し給ひけるに(略)

三、 聖達上人と一遍の父・通広

 建久三年(一一九二)源頼朝が征夷大将軍となり源平の戦いで勲功のあった伊予の河野氏の統帥河野通信(一遍の祖父)は幕府の重臣として迎えられたが承久三年(一二二一)の承久の乱では鳥羽上皇方に組し敗北、通信は江刺に流罪となり、伊予の河野領はすべて幕府により没収された。その子通広(一遍の父)は京で浄土門(証空門下)の修行中であり災難を逃れた。修行中に聖達や華台との接点(「昔の同朋」(『一遍聖絵))があった。(病気説もある)
 嘉禄三年(一二二七)の「嘉禄の難」以降、通広は京を離れ伊予に向かったと思われる。一方、師である証空は奥州へ弘法の旅に出て、「同朋」の聖達は京に残ったが、嘉禎二年(一二三六)以降証空の命により伊予へ弘法に赴く。伊予の拠点は府中のあった今治(桜井)と推定されるが、ここで川野執行の寡婦と再婚している。「川野」は河野であり「執行(しぎょう)」は河野氏の氏神である大三島神社の神宮寺の上首として寺務を行う僧職であったと推量される。川野執行と通広は河野一族として縁戚であり、通広も執行を頼って府中に着ており、聖達と再会したものと思われる。川野執行の妻は薩摩国地頭伊集院某氏の女であり、聖達は隣国の肥前国藤津荘地頭の出身であり両家が遠縁であったとも考えられる。その後、聖達は川野執行の子(題意・通教)を養子とし、妻子を連れて大宰府三笠郡の弘西寺に移る。
後年、通広の子である一遍が成長し、『一遍聖絵』によれば、建長三年(一二五一)に「僧善入とあひ具し、鎮西に修行し、大宰府の聖達上人の禅定にのぞみ給ふ」ことになる。近世初期に成立した『一遍上人年譜略』によれば、この年、通広(出家して如佛)が「同朋」の聖達を僧善入を伴って尋ねており、一遍一行は出掛けていない。真偽は現在では確かめられていない。聖達上人と一遍は父通広を通じて、「同朋の子」として、「河野氏の子」としての縁により強く結ばれていたのは歴史的な事実と云えよう。

四、聖達上人の生涯
 元久元年、肥前国藤津郡古枝村通山(現・鹿島市)で誕生する。藤津郡地頭大村一族の総領家の嫡子で、幼名は託羅丸という。幼時に母を亡くし、近隣の菩提寺で得度した。承久三年十六才で京都西山華台往生院の善恵房証空に入門し、証空門下の法興房浄音に預けられる。
嘉禄三年(一二二七)の「嘉禄の難」により証空は門弟を連れて奥州に弘法の旅に出るが、
聖達は往生院に残留する。その後、証空の命を受け、伊予国を弘法し、川野(河野)執行(詳細不明)の寡婦と再婚、執行の息子道教(通教ヵ)を継子とする。この時期に、河野通広(一遍の父)と再会していると考えられる。
 宝治元年(一二四七)証空は示寂するが、その頃に聖達は筑前国正覚寺から大宰府三笠郡弘西寺に移っている。原山寺とは別寺である。建長三年(一二五一)から聖達の元で10数年修行することになる。
 文永六年(一二七〇)六七歳で肥前国藤津郡古枝村(現・鹿島市浜町)に帰郷、「原山知恩院」に入る。開山は聖達、第二祖は継子聖恵(詳細不明)である。建治二年(一二七六)一遍の再訪時に、継子聖恵は一遍の遊行に同行する。
弘安二年(一二七九)七六歳で原山松岡院知恩寺(はるさんしょうこういんちおんじ)で入寂している。寺の山号は、聖達上人が滞在した大宰府原の地名と肥前国藤津郡の大村一族の氏神・松岡権現からとり命名したと云われる。

五、一遍の遊行と聖達上人継子聖恵 

 聖達の継子聖恵の詳細は不明であるが、伊予国の河野執行の息子である可能性は否定できない。聖達は執行の寡婦(薩摩国地頭伊集院某氏の女)と再婚するが、継子とした息子は道教(通教ヵ 法名題意)しか判明しない。数名の男児がおり、それらを継子として引き取ったかもしれない。
「原山松岡院知恩寺由緒譚」によると継子聖恵は建治二年(一二七六)に一遍に同行しているが、『一遍聖絵』では建治元年(一二七五)に伊予国から九州に渡り聖達上人の禅室を訪ねている。「由緒譚」では文永六年(一二七〇)に肥前国の「原山知恩院」に入山している。通説は大宰府の禅室である。
 豊後国の守護大友兵庫頭頼泰の帰依もあり二年余九州に滞在し、「他阿弥陀仏はじめて同行相親の契りをむすびたてまつりぬ。惣じて、同行七八人相具して、弘安元年(一二七八)夏の此、与州へわた」(『一遍聖絵』)っており、「由緒譚」の記述とは全く矛盾しない。
継子聖恵が一遍遊行同行七八人の一人であれば「時衆過去帳」(遊行寺)に記載されている可能性もある。

六、おわりに
本拙論は一遍会例会卓話(平成二七年九月)の講述である。現地(鹿島市浜町 原山松岡院知恩寺)での調査は未実施である。
『一遍聖絵』『一遍上人年譜略』『宝厳寺蔵 河野系図』(平成二五年焼失)と「原山松岡院知恩寺由緒譚」を現地資料として活用した。「由緒譚」については福岡在住の山村信明氏論文と大宰府史跡解説員の杢尾幹雄氏論文による。拙論への引用、掲載を許可頂き厚く深謝します。併せて、橘俊道・梅谷繁樹共著『一遍上人全集』(春秋社二〇〇一)をテキストとして用いた。