519回例会(2015513

明治・大正期の宝厳寺学僧 

第四五世 橘恵勝師について

三好 恭治一遍会 理事

 

 一遍上人誕生寺である奥谷・宝厳寺の学僧としては第五二世浅山圓祥師が著名であるが、今日ではまったく忘れられた存在となっている橘恵勝師は、法門にとっても、宝厳寺にとっても大切な学僧であったので報告しておきたい。

 

 橘恵勝師は明治八年(1875)大阪市東区伏見町で出生、明治二〇年頃宝泉寺(高槻市)で得度し、神戸真光寺の河野往阿師について仏教学一般について学んだ。明治三二年、二六歳で宝泉寺の寺住となった。

 明治四〇年(1907)四月に「宗学林学頭道後宝厳寺橘恵勝僧正任命」となり翌年宝厳寺に着任した。この頃、師は寝食を忘れて仏教学の研究に打ち込み多数の著書を発刊する。

 

岩田真美氏「近代日本における知識人宗教運動の言説空間―『新仏教』の思想史・文化史研究」によれば、橘恵勝(御風)は「内観主義を排す」の投稿以来、寄稿七四回(私信欄三二回)を重ねており、寄稿論文の項目には「大毘婆沙と起信論」「支那仏教史上の大小乗論」「大乗仏教逆体史観」「大般若経概論」「大宝積経概論」といったいかめしいものが並んである。

 

時宗学頭になって以来上京して幹部達と会食する機会が増えており、橘恵勝師にとって『新佛教』は宗門外の人々との交流の場として有意義であったように見える。伊予道後湯之町の寶厳寺内に「白雲居学問所」を設け、仏教専攻生を募集している。宝厳寺内での「白雲居学問所」については極めて興味深い指摘と云える。

 

国立国会図書館、愛媛県立図書館所蔵の著作は左記である。

『浄土教発達史論』 (金尾文淵堂1909

『仏教心理の研究』 (丙午出版社1916

『印度佛教思想史』 (大同館1918

『支那佛教思想歴史』 (大同館1921

『日本古代思想史』 (丸木書店1921

『生きんとする心理』 (丸木書店1922

『史学とは何ぞや』 (丸木書店1922

『東洋思想史概説』 (丸木書店1923

『日本上世思想史』 (丸木書店1923

 

橘恵勝師の逝去については、死亡年月日、墓所ともに不祥であるが、大正十一年(1922)年末に宝厳寺住職を離任し東京都巣鴨宮下に上京している。翌十二年に『明治天皇の哲学』の発刊を予告しているが未刊に終わっているので同年五〇歳で逝去されたと推察される。

 

一遍会第五一九回例会で『東洋思想史概説』に記載された一遍に関する橘恵勝師の小論(370374頁)を紹介した。