平成21年4月度例会講話
一遍の「白道」
圓増 治之
 文永八年の春、信州善光寺に訪れた一遍は、『一遍聖絵』によれば、参籠に参籠を重ねた末に、、自らさとりを得て、「二河白道」の図を本尊として描いたという。この「二河白道図」を携えて一遍は故郷に帰り、浮穴郡の窪寺というところに閑室を構え、その東壁にこの図を本尊としてかけて、念仏三昧の生活に入ったということである。

 「二河白道」は善導の『』の散善義に説かれた譬えである。それによると、人が西に向かっていくと、忽然と二つの河に出会う。北に水の河、南に火の河があり、その間に一筋の白い道が西に延びている。その白い道は、絶えず両側から押し寄せる火と水に洗われ、嶮難である。この「水の河」は衆生の(執着心)を、「火の河」は衆生の(怒り憎む心)を、「白道」は極楽往生を願う清浄の信心を表すとされ、一心に白道を直進することで、西岸に達して浄土に到ることが出来ると説かれている。

 通常、「二河白道図」では、上段に阿弥陀浄土の光景が描かれる。そこは、金殿玉楼が建ち並び、宝樹にかこまれて阿弥陀仏が説法している。その左右には観音、勢至の二菩薩が脇侍している。天空には飛天が舞い、宝地には蓮が華咲いている。中段には右に「水の河」が黒く、左に「火の河」が赤く、中央に白い道が細く描かれている。下段には群賊悪獸が跋扈する現世の様が描かれていることが多い。

 例えば、「二河白道図」の逸品として知られる神戸の香雪美術館臓の図も基本的にはこのような構図になっている。ただ、香雪美術館の「二河白道」ではその特徴として、「火の河」のなかには弓で人を殺めようとしている武者の姿が、「水の河」のなかには数々の財宝に囲まれた貴族の男女が描かれ、妄念にとらわれた娑婆世界が表されている。また、説法形の阿弥陀三尊とともに来迎形の阿弥陀三尊が描かれている。

 いずれにせよ、普通このような「二河白道図」は阿弥陀浄土に往生するためには、阿弥陀仏の本願を頼りとしてひたすら念仏を称えよという浄土教の教旨を説く手段としてもちいられたのであった。この場合、「南無阿弥陀仏」の名号を唱えることも、極楽浄土に行くための道、すなわち単なる手段となりかねない。

 これに対して、一遍にとってこの「南無阿弥陀仏」という名号は、将来極楽に往生できるための単なる方便ではなかった。一遍によれば、白道は「南無阿弥陀仏」の名号であるという。『』の一説に「南無阿弥陀仏の名号は過ぎたる此身の本尊なり」というまさに「南無阿弥陀仏」という名号自体を一遍は本尊としたのである。「南無阿弥陀仏」を本尊として「南無阿弥陀仏」という名号を唱えるなら、我ら衆生は、「南無阿弥陀仏」を称える一念一念に於いて、阿弥陀仏の法会の場に現在しているということになる。我ら衆生は、「」で言われるように、「大会に坐す」のである。

 そのような意味で、「南無阿弥陀仏」の「白道」は、この世からあの世への道、過去から未来への道ではない。敢えていうなれば、衆生と阿弥陀仏とが行き逢い出遇う場であるといえるかもしれない。しかも、「南無阿弥陀仏」の称名において衆生が阿弥陀仏と出遇う時、単に衆生は阿弥陀仏と出遇うだけにとどまらない。衆生が「南無阿弥陀仏」と阿弥陀仏に帰命することで、「南無阿弥陀仏」に於いてすでに衆生は阿弥陀仏と一体となっている。そこに於いてはまさに「仏も我もなく」、「善悪の境界、皆浄土なり」なのである。したがって、「南無阿弥陀仏」を称える只今に於いて、過去・現在・未来へと続く因果応報の流れは断ち切られ、「無始無終の往生」が遂げられ、そこに極楽浄土が現在しているともいえるかもしれない。

 このことをよく表したのが益田の萬福寺の『二河白道図』ではないだろうか。ここの『二河白道図』には、宝地宝殿の極楽も、群賊悪獸の娑婆世界も描かれていない。また、普通娑婆世界に描かれる発遣の釈迦と極楽世界に描かれる来迎の阿弥陀が横並びに描かれている。火の河、水の河にはすでに蓮が咲いている。とに満ち「地獄」ともいうべき此の世界が、あたかもそのまま蓮が花咲く極楽に変容しつつあるかのようではないか。

この図で示されるように、極楽は とに満ちた此の世界とは何処か別のところにあるのではなく、 とに満ちた此の世界に於いて「南無阿弥陀仏」を唱えることにによって、その地獄が、そのまま極楽に変容するのではないだろうか。

 まさに一遍の賦算して歩いた「白道」の路傍のいたるところで蓮が華咲いたにちがいない。