第529回例会(2016・2・13) 田中冬二の叙情 堀内 統義(日本現代詩人会会員) 田中冬二(明治二十七年〜昭和五十五年)は籠居の詩人ではないか。旅の詩が多い冬二をそう呼ぶことに矛盾はないと考える。臥遊の詩人といってもいい。ひとり自分の心に坐し、籠もって空想にふける。彼の詩の本質には、そうした傾きが見られる。 代表的な作品を読んでみよう。 ふるさとにて ほしがれひをやくにほひがする ふるさとのさびしいひるめし時だ 板屋根に 石をのせた家々 ほそぼそと ほしがれひをやくにほひがする ふるさとのさびしいひるめし時だ がらんとしたしろい街道を 山の雪売りが ひとりあるいてゐる 少年の日郷土越中にて 白く乾いた街道。板ぶきの屋根に石をおいた家々が、ひっそりとつらなっている。がらんと人気ない気配がわびしい。山の雪売りが歩く昼飯時であるというのに、ここに注ぐ光は弱い。夏とも思えない光線、光量の乏しさではないか。 越中は彼の両親のふるさと。冬二はそこで暮らしたことはない。 冬二は七歳で父を喪う。父は明治財界きっての傑物安田善次郎の知恵袋、懐刀といわれた人物。安田銀行の東北への勢力扶植推進を担って秋田にあったが急死したのである。 東京に在住する母方の祖父・太田弥五郎の強い希望で残された冬二一家は東京へ。 この太田弥五郎の妻、つまり母方の祖母は安田善次郎の妹。 ところが、冬二が十二歳の晩秋、母も病に倒れて死別するのである。幼い弟や妹はそれぞれ縁を頼って親族に引き取られ、離ればなれに。彼は母の弟安田善助に引き取られる。 冬二の全集年譜には、幼い頃作文に才を示すとあるが、こうした生育環境下、孤独で精神的な飢えを心中に堪えた少年は、それを埋める空想癖を養い、それが作文の才に反映しているといえよう。そのように生きたからこそ、詩人田中冬二が形成されたのだ。ひとり自分の心に坐し、籠もって空想にふけった少年時代は、いつまでもこの詩人の基層に確固として存在したのだ。 もうひとつ代表作を読もう。 青い夜道 いつぱいの星だ くらい夜みちは 星雲の中へでもはひりさうだ とほい村は 青いあられ酒を あびてゐる ぼむ ぼうむ ぼむ 町で修繕した時計を 風呂敷包に背負つた少年がゆく ぼむ ぼむ ぼうむ ぼむ・・・ ・・・ 少年は生きものを 背負つてるやうにさびしい ぼむ ぼむ ぼむ ぼうむ・・・ ・・・ ねむくなつた星が 水気を孕んで下りてくる あんまり星が たくさんなので 白い穀蔵のある村への路を迷ひさうだ この作品では、冬二の詩の大きな特徴である「悲しみ」や「寂しさ」という要素が、絵画的にあるいは音楽的に均衡、調和し、もっとも輝かしい諧調に彩られて、ここに祝福されている。 「あられ酒」とは、もち米の粕が溶けきれずに、あられのようにまじっている味醂酒。みぞれ酒ともいう。 星空をいただく遠い村への眺望、清澄な山気と、その星明りに村がとけあっている。少年の孤独な思いそのものとして、時計が幻聴のように「ぼむ ぼむ ぼうむ ぼむ ・・・ ・・・」と、ものがなしく鳴る。 歩き疲れ眠気に襲われる少年。はたしてこの道はどこまでつづくのか。不安に包まれ、村への路に迷いそうになる。 ここに描かれている景色は、彼がつくりあげたイリュージョン。幻想ではあるがゆえに読者だれもの胸を、青い風のように吹き抜けて小さな物語を紡いでいる。 くずの花 ぢぢいと ばばあが だまって 湯にはひつてゐる 山の湯のくずの花 山の湯のくずの花 黒薙温泉 昭和三年七月から銀行が、土曜日の半休を実施。銀行員であった冬二は、その恩恵による時間を小さな旅にあて詩の制作に励んでいる。 黒薙温泉は、越中の黒部渓谷から一寸側に入った谷間にある。俳画のような温雅静閑の詩情。越中は仏教の盛んな地域。何ごとにも南無阿弥陀仏を唱える。この老夫婦も湯に浸かりながら念仏を唱えたであろう。それは省略された。「だまって」というのはそのあとの心のやすらぎといえる。 ひなびた山村、山間の温泉への旅を重ねる冬二。旅という動的な側面と、周縁の山村や温泉場に籠もり、自らの孤独に耳を傾ける静的な側面との不思議な共存。「くずの花」のぢぢいとばばあの湯は、冬二の夢想を育て揚げる小宇宙。くずの花は冬二にとって聖痕ともいえる。 この田中冬二が若いころ憧れたのが越智水草。立教中学時代、早稲田の英文学科進学を夢見たが、家庭の事情で果たされず銀行員に。 山陰出雲今市に赴任した下宿の自室を「草愁詩社」と名づけたが、それは冬二がもっとも愛した越智水草の名作『草愁』にちなんだこと。 「文章世界」「中学世界」の投書家中の俊秀であった越智水草は、松山子規会会長をつとめ、『子規歳時』など多くの著作がある若き日の越智二良氏である。 |