第520回例会(2015・6・13) 観世流謡曲「誓願寺」における和泉式部と一遍上人 吉岡 一誠(観世流 師範) 熊野権現で霊夢を蒙り、誓願寺で「六十万人決定往生」の御札を広めているところに和泉式部が出てくる。式部の「往生の人数に限りがあるのか」との問いに念仏の功徳を説き、式部も喜ぶ。「誓願寺」とある額を除けて「六字の名号」に書き換えてくれとの式部の頼みに、額を書き換えて仏前に移すと、式部は歌舞の菩薩になって舞い謡う。以上を観世流謡曲「誓願寺」から一部を抜粋して謡い、当時、一遍上人が如何に著名であったということを紹介する。 観世流謡曲「誓願寺」 (ワキ) 教えの道も一声の。教えの道も一声の。御法を四方に広めん (ワキ) これは念仏の者一遍と申す聖にて候。我この度三熊野に参り。一七日参籠申し。證誠殿に通夜申して候えば。あらたに霊夢を蒙りて候。六十万人決定往生の御礼を。国土に広めよとの霊夢に任せ。まづ都へと志して候 (ワキ) 弥陀頼む。願も三つの御山を。願も三つの御山を。今日立ち出づる旅衣紀の関守が手束弓。出で入る日数重なりて。時もこそあれ春の頃。花の都に着きにけり。花の都に着きに けり (ワキ) 急ぎ候程に。これははや都誓願寺に着きて候。告げに任せて札を広めばやと思い候。ありがたやげに仏法の力とて。貴賎群衆の色々に。袖を連ね踝を接いで。知るも知らぬもおし並めて。念仏三昧の道場に出で入る人のありがたさよ (シテ) 所は名に負う洛陽の。花の衣乃今更に。心は空に墨染の (ワキ) 夕べの鐘の声々に称名の御法 (シテ) 鳬鐘の響き (ワキ) 聴衆の人音 (シテ) 軒の松風 (ワキ) おのれおのれと (シテ) 変われども (地) 弥陀頼む。心は誰も一声の。心は誰も一声の。中に生まるる蓮葉の。濁りに染まぬ心もてなに疑いのあるべき。ありがたやこの教え洩らさぬ誓い目の当り。受け喜ぶや上人の御札をいざや保たん御礼をいざや保たん (シテ) いかに上人に申すべき事の候 (ワキ) 何事にて候ぞ (シテ) この御札を見奉れば。六十万人決定往生とあり。さてさて六十万人より外は往生に洩れそうろうべきやらん。返すがえすも不審にこそ候え (ワキ) げによく御不審候ものかな。これは三熊野の御夢想に四句の文あり。その四句の文上の字を取りて。證文の為に書きつけたり。ただ決定往生南無阿弥陀仏と。この文ばかり御頼み候え (シテ) さてさて四句の文とやらんは。如何なる事にてあるやらん。 愚痴の我等に示し給え (ワキ) いでいで語って聞かせ申さん。六字名号一遍法。十界依正一遍體。萬行離念一遍證。人中上々妙好華。この四句の文乃上の字なれば。六十万人とは書きたるなり (シテ) 今こそ不審春の夜。闇をも照らす弥陀の教え (ワキ) 光明遍照十方世界に。洩るる方なき御法んるを。僅かに六十万人と。人数をいかで定むべき (シテ) さては嬉しや心得たり。この御札の六十万人。その人数をばうち捨てて (ワキ) 決定往生南無阿弥陀仏と (シテ) ただ一筋に念ずならば (ワキ) それこそ即ち決定する (シテ・ワキ) 往生なれや何事も。皆うち捨てて南無阿弥陀仏と (地) 称ふれば。佛も我もなかりけり。佛も我もなかりけり。南無阿弥陀仏の声ばかり。至誠心深心廻向。発願の鉦の声耳に染みてありがたや。実に妙なるこの教え。十声一声数分かで。悟りをも迷いをも迎え給ふぞありがたき。さる程に。夕陽雲に映ろひて。西にかげろふ夕月の夜の念仏を急がん夜念仏をいざや急がん はや更け行くや夜念仏の。聴衆の眠り覚まさんと。鉦打ち鳴らし念仏す (シテ) ありがたや五障の雪乃かかる身を。済け給はばこの世より。二世安楽の国にはや生まれ行かんぞ嬉 しき (地)げに安楽の国なれや。安く生まるる蓬莱乃臺の縁ぞ真なる (シテ)ありがたや五障の霊乃かかる身を。済け給はばこの世より。二世安楽の国にはや生まれ行かんぞ嬉しき (地) げに安楽の国なれや。安く生まるる蓮葉の臺の縁ぞ眞なる (シテ) ありがたや。ありがたや。さぞな始めて弥陀の国。涼しき道ぞ頼もしき (地) 頼みぞ眞この教へ。或いは利益無量罪 (シテ) 又は余経の後の世も (地) 弥陀一教と (シテ) 聞くものを (地) ありがたやありがたや。八万諸聖経皆是阿弥陀仏なるべし。この御本尊も上人もただ同じ御誓願寺ぞと。佛と上人を一體に拝み申すなり (シテ) いかに上人に申すべき事の候 (ワキ) 何事にて候ぞ (シテ) 誓願寺と打ちたる額を除け。上人の御手跡にて。六字の名号になして賜り候へ。 (ワキ) これは不思議なる事を承り候ものかな。昔より誓願寺と打ちたる額を除け。六字の名号になすべき事。思いも寄らぬ事にて侯 (シテ) いやこれも御本尊の御告と思し召せ (ワキ) そも御本尊の御告げとは。御身は何処に住む人ぞ (シテ) わらはが住処はあの石塔にて候 (ワキ) 不思議やなあの石塔は。和泉式部の御墓とこそ聞きつるに。御住処とは不審なり (シテ) さのみな不審し給ひそよ。我も昔はこの寺に。値遇のあれば澄む水の。春にも秋や通ふらし (地)掬ぶ泉のみずからが。名を流さんも恥かしや。よしそれとても上人よ。我が偽りはなき跡に。和泉式部は我ぞとて。石塔の石の火乃。光と共に失せにけり光と共に。失せにけり (シテ) 仏説に任せ誓願寺と打ちたる額を除け。六字の名号を書きつけて。仏前に移し奉れ ば (ワキ) 不思譲や異香薫じつヽ。不思議や異香薫じつヽ。花降り下る音楽の声する事のあらたさよ。これにつけても称名の。心一つを頼みつヽ。鉦打ち鳴らし同音に (ワキ) 南無阿 弥陀仏弥陀如来 (後シテ)あらありがたの額の名号やな。末世の衆生済度の為。佛の御名を顕して、仏前に移 すありがたさよ。我も仮なる夢の世に。和泉式部と云はれし身の。仏果を得るや極楽の歌舞 の菩薩となりたるなり。二十五の (地) 菩薩聖衆の御法には、紫雲たなびく夕日影 (シテ) 常の燈火。影清く (地) 宛ら此処ぞ極楽世界に。生まれけるかとありがたさよ そもそも当寺誓願寺と申したてまつるは。天智天皇の御願。御本尊は慈悲萬行の大菩薩。春日野明神乃御作とかや (シテ) 神と云ひ佛と云ひ。只これ水波の隔てなり (地) 然るに和光の影広く、一體分身現れて衆生済度の御本尊たり (シテ) されば毎日一度は (地) 西方浄土に通ひ給ひて、来迎引摂の。誓ひを顕しおはします 笙歌。遥かに聞ゆ。孤雲の上なれや。聖衆来迎す。落日の前とかや。昔在霊山の御名は法華一佛。今西方の弥陀如来。慈眼視衆生現れて。娑婆示現観世音。三世利益同一體ありがたや我等が為の悲願なり (シテ) 若我成仏の。光を受くる世乃人の (地) 我が力には往き難き。御法の御舟乃水馴棹さでも渡る彼の岸に。至り至りて楽しみを極むる国の道なれや。十悪八邪の迷ひ乃雲も空晴れ。真如の月乃西方も。此を去る事遠からず。唯心の浄土とはこの誓願寺を拝むなり (シテ) 歌舞の菩薩も。さまざまの (地) 仏事を為せる。心かな (シテ) ひとりなほ、佛の御名を。尋ね見ん (地) おのおの帰る法の場人。法の場人法の人乃 (シテ) げにも妙なる。称名の数々 (地) 虚空に響くは (シテ) 音楽の声 (地) 異香薫じて (シテ) 花降る雪の (地) 袖を返すや返すがえすも。尊き上人の利益かなと。菩薩聖衆は。面々に。御堂に打てる。六字の額を。皆一同に。禮し給ふは。あらたなりける。奇瑞かな |