妻との「ちょっといい旅」は、「みちのく」に向かう。 |
平成九年七月五日のことである。東海道新幹線と違い東北新幹線の混雑を予想できず、早起きして六時に東京駅に到着したが、残念ながら「こまち十一号」は超満員で、一列車遅らして八時発の「こまち一号」に変更する。実はこの一列車遅れが、旅程を大幅に狂わすことになるなど、東京駅では知る由もなかった。 |
仙台駅近くで列車の車内放送があり、集中豪雨の為、田沢湖線が不通になり代行バスで田沢湖駅までは運び、そこから秋田駅までは新幹線が動いているとのことである。新幹線仙台駅の待合所には、随分多くの乗客が駅員の指示を待っていたが、「こまち十一号」の乗客の姿が見えないので、一時間前までは列車は動いていたのかもしれない。小一時間待たされたが、代行バスは順調に北上山脈を越えて田沢湖駅に着き、列車に乗り換えて目的地角館には、当初の予定から二時間遅れで到着する。 |
秋田杉の香りが充満している案内所で、パンフレットとビデオで観光スポットを下調べして、駅前大通りを直進し、郵便局を右折した所でやっと角館らしい町の雰囲気になってきた。小田野家、河原田家を見学中に、自称ブランティアの中島諭さん(元角館小学校校長、田沢湖中学校校長)に出会う。約四時間、詳しい説明を受けながら、角館の歴史的建物群(岩橋家--角館町伝承館--石黒家--旧制角館中学校跡--平福記念美術館)を次々見て回る。 |
お別れに名刺を交換したが、「ブランティア」には恐れ入った。 |
角館歴史散歩ブランティア |
みちのくの小京都角館へようこそおいでくださいました。 |
○伝統的建造物郡保存地区〔昭和五十一年第一回指定〕 (日本一広い武家屋敷群跡) |
○特別天然記念物 枝垂桜 一五二本 |
○国指定名勝「そめいよしの」の二㎞四〇〇本 |
○重要伝統産業品 桜皮組工 二〇〇万以上 |
○解体新書(一七七四年)の解剖図を描いた小野田直武にはじまる秋田蘭画の伝統 (陰影法と遠近法) |
温故知新 百聞は一見に如かず |
ブランティアとはブルブラしているボランティアの略称です。 |
ご家族、友人などお誘いの上。またどうぞおいでください。 |
中島 諭 |
(注)住所は割愛する。 |
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角館の印象は、薬医門、秋田蘭画、樅の木、電話一番、自在鉤、馬つなぎ、桜皮細工、旧制角館中学校校歌と詩人の交流、平田穂庵・百穂、小野田直武(解体新書図)、高松宮お手植え、枝垂れ桜、旧城下町と火除け地、そして角館歴史村と青柳家の現代への迎合など、短時間にしては強烈なインパクトを受けた。 中島諭さんの学識と人柄は、旅人である私ども二人に強烈な印象を与えて頂き、小京都角館の懐かしさとなって心の奥底に沈んでいった。 |
タクシーで駅まで飛ばし、十七時発の普通車で田沢湖町に引き返し、花心亭しらはま館に宿泊する。花心亭しらはま館の女将は、中島校長の教え子ということもあり、女将に会うのが楽しみだったが、残念ながら全国の女将さんの集まりに出席の為不在ということで残念であった。 |
翌六日は快晴で、早朝五時から田沢湖畔を散策する。秋田駒ヶ岳頂上は、生憎雲に覆われて見ることはできなかったが、辺りに人の姿もなく、湖はどこまでも神秘的である。 しらはま館の料理は品数も多いし、味もまずまずで太鼓判を押すが、特に器の気配りがあり、目でもう一度料理を味わう感じである。昨夜と今朝の二回、トロン温泉に入浴する。 |
田沢湖遊覧は、白浜から出航し、御座石神社を拝み、たつこ像の立つ潟尻に立ち寄る四十分コース。たつこ像には、ストックホルムの人魚像をダブらせて期待していただけに落胆する。最大深度四二三・四米の日本最深の湖だが、玉川の酸性水で魚が生息出来ないのは、クリーンな湖のイメージを損なう。 盛岡から小岩井農場にはバスを利用し、昼過ぎ「まきば園」に着く。野外バーベギューで腹拵えし、岩手山を展望しながら広大な牧場を散策する。童心に戻り、羊と遊び、馬の水浴びを眺め、羊館でソフトクリームを嘗め、天文館では子供に混じってロケット飛ばしに挑戦し、二回とも八〇米近く飛ばして見事優勝し、「星座早見表」を貰う。 |
夜九時上野駅に着く。法華の太鼓とやらで天候も徐々に回復し、妻も大満足の「みちの旅」となった。 |
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角館でお世話になった中島諭さんに、早速お便りを認める。 |
謹 啓 |
角館から田沢湖畔の「花心亭しらはま館」(女将は残念ながら不在)に一泊致し、翌六日は快晴に恵まれ、田尻湖を一周の後、岩手に向かい、小岩井農場では童心に帰り岩手山を眺めながら半日を過ごしました。その節には、角館歴史散歩にお付き合い賜り、まことに有難うございました。夫婦ともども、深く感謝申し上げております。 |
仙台で田沢湖線の不通を知りましたが、盛岡駅からの代行バスで田沢湖駅まで進み列車で角館にまいりました。初めての土地に足を踏み入れ、はてどの様に歩むもうかといった東西も分からぬ不安感と孤独感は、人生の旅人の感を深くしてくれる旅の醍醐味を味わう一瞬ですが、角館駅に下車した時は、『みちのくの小京都』の印象とは全く違う舗装された大道路に戸惑いを感じました。 |
駅傍の元農協の倉庫を改造された案内所に立ち寄り、秋田杉の薫りの充満した室内と、角館美人の受付嬢のにこやかな挨拶に気分もほぐれ、案内図とビデオを拝見して雨の町中に入ってまいりました。 郵便局で突き当たり右折しましたところで、城下町特有の道普請であることを知りました。私は伊予松山で高校まで過ごし、家内は更に南に下がった旧西園寺家の荘園であった宇和町の出であり、すっかり故郷に戻ったような気分になっておりました。 |
火除地を通り、最初に出合いました武家屋敷で、幸運にも中島先生にお会いでき、わりやすい中にも学識の溢れたお話にすっかり聞きほれ、江戸時代の佐竹藩の話題と武家屋敷群の御説明に夫婦ともども『不思議な国』に迷い込んだ次第です。この上ない贅沢なご案内人の先導で『未知の奥の小京都』を旅させていただきました。目下のところは残念ながら未消化でありますが、心の底に沈んだ感激と感動と感銘を反芻しながら、私どもなりの『みちのく小京都角館』のイメージを創ってまいります。 |
華やか枝垂れ桜の浮かれも良いのでしょうが、迫り来る厳冬を前にした紅葉の彩りと、数百年を経た武家屋敷のつかのまの落ち着きを是非見たいものよと思っております。中学の先輩である虚子の句を真似れば、『今日よりは 樅の巨木の 懐かしき』であります。 |
ますますの御健勝と御多幸をお祈り申しますとともに、角館を訪れる旅人に、真実の角館の歴史、武家屋敷の素顔、伝統工芸品の復活、秋田蘭画と解体新書のロマン、旧制角館中学校歌をめぐる華麗な友情、そして枝垂れ桜と小野小町-------を語り継いで戴くようお願い申し上げる次第です。天の邪鬼発想としては、江戸期の町人層と庄屋・農民層の歴史と生活がどこかに残っているのかなと思いました。 |
私どものささやかな感謝の気持ちとして粗品を同封させていただきましたので、御笑納下さいませ。併せて、勤務しております会社の昔ながらの漢方薬を使用いたしました「葛根湯」(初期感冒用)と「ワカ末」(下痢止め)をPRさせていただきました。およろしかったら御試用くださいませ。 |
まことに、まことに有難うございました。 家内からも、お宜しく申してあげております。 先ずは御礼とご挨拶迄。 敬 具 |
平成九年七月七日 |
三 好 恭 治 |
中 島 諭 様 |
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数日をおいて、中島諭さんから丁重な返事を戴く。 |
広長威彦氏が描いた角館町伝承館の絵葉書で【伝承館通り ■木立から見え隠れする伝承館。その自然との見事な調和】の説明があり |
間もなく暑い盛りを時期に、いくらかでも涼しい感じの、冬の角館の風景を紹介します。 |
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と一筆書き加えてある。本文には、人の縁を感じさせる文章が綴られている。 |
梅雨の晴れ間ですが、九州では水害、その前、関東はカンカン照りと、異常な天気が続いています。 この度は、身勝手な案内を申し出て、かえってご迷惑だったと思いますが、それにもかかわらず、ご丁寧な礼状と心こもる贈り物をいただき恐縮しております。 ほんとうにありがとうございました。 |
それにつけても不思議な縁で、娘が豊中にいた時、神戸で大震災にあわれた由。それに今おすまいの北砂は、家内の親友が南砂におり、娘は習志野と、何かと近い所におられます。それに、松山は退職後一番最初に訪れたところです。 |
御奥様にもおよろしくお伝えください。 |
三 好 恭 治 様 |
奥 様 |
中 島 諭 |
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数日経って、花心亭しらはま館の女将からのハガキが届いた。 |
この度は、当しらはま館をご利用いただきまして誠にありがとうございました。 快適にお過ごしいただけましたでしょうか。 |
今後とも皆様に心からおくつろぎいただける日本の宿として、よりよいサービスの向上とおもてなしに努力いたす覚悟でございます。またのご清遊を心からお待ち申し上げます。 |
貴重な御意見ありがとうございました。是非秋からのキリタンポ鍋を召し上がりにいらして下さいませ。 女将 |
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冬の角館に出掛けることは出来なかったが、来年春には横手・角館・弘前の桜見物の計画を立てて、早々に旅館の手配を完了した。ご縁があったら、お会いできるのであろうか.。 |
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「みちのく旅」に心を駆り立てる衝動は強いものがあるが、今年は特に「みちのく」との出会いが幾つもあった。 |
七月十八日に「みちのくトーク・セッション」が有楽町朝日ホールで開催された。テーマは「東北の文化の深層---みちのくの魅力とあたらしい旅」で、基調講演は宗教学者の山折哲雄氏の「日本の深層としての東北」で、私にとっての「未知の奥」の知的関心が噴き上がってきた。私自身の、これから挑戦しようとする「みちのく旅」の視座は、まさに山折哲雄氏の世界であり、続いてのト-クセッションでの、石井幹子(照明デザイナー)、大橋力(千葉工業大学)、作家長谷部日出夫ほかの識者の話の「切り口」は、「みちのく旅」の視角を示してもらえた。 |
征服と抗争、政治と宗教支配を通して神社仏閣をみれば、京都・鎌倉とは異質の文化だし、柳田民族学の原点へのアプローチ、大和・都言葉の伝播の蝸牛論、山の文化・森の文化など、日本人でありながら触れることの少なかった世界が目の前に出てきた。 |
西日本では強く感じたことのない「山と湖の文化」が「みちのく」には現存している。 空前のヒット作となった「もののけ姫」のテーマは「山と湖の文化」と「平野と鉄の文化」の葛藤でもあった。映画鑑賞での私の視座は、いつの間にか「みちのく視角」になった。 |
鐘紡記念病院での大腸がん手術後半年が経過し、順調に回復しているように思えるので、多少無理をしても、私にとっての処女地「みちのく」に足を伸ばしたいと願った。まず五月上旬には、四泊五日の越後・佐渡周遊を企画し、足ならしをした。六月の中旬、上高地帝国ホテルで二泊して、大正池、明神池を朝夕散策し、穂高の見える横尾まで足を伸ばした。凅沢への登山は、身体のこともあり逸る心を抑えた。下旬には、尾瀬で二泊して尾瀬が原と尾瀬沼の神秘さと湿原の華やかさを満喫できた。 |
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こうして、やっと実現した「みちのくの旅」の第一段は、角館・田沢湖・小岩井農場周遊であり、この旅が私だけでなく 妻の気持ちにも火を付け、夫婦ふたりして「みちのく旅」への誘いは止まらなくなった。十月中旬、妻を誘って出掛けた二泊三日の出羽三山行(羽黒山、月山、湯殿山)では、雪中で湯殿山の霊湯に足を浸し、大宇宙の霊気に一瞬触れた感覚を得た。十月下旬の中禅寺湖へは、全山紅葉と秋雨のなかで、石ノ戸からゆっくりと数時間かけて奥入瀬の渓流を上り、汚れない大自然の豊かさを身近に感じた。湖の自然美を脳裏に刻もうと、時間をやり繰りして二回も遊覧船に乗り、山々や湖面に映る紅葉を満喫した。 八幡平は標高壱千米を超えると山の様相が急変し、トドマツ、クマザサ、ナナカマドの世界が広がり、初雪が溶けずに残っている。厳しい「みちのく」の冬を暗示しているようであった。 |
十一月始めに裏磐梯に出掛ける。 白雲荘に一泊して、自らの足を頼りに、五色沼(毘沙門沼、赤沼、深泥沼、竜沼、弁天沼、瑠璃沼、青沼、柳沼)や中瀬沼遊歩道・桧原湖畔遊歩道湖(約五キロ)を散策し、再び五色沼遊歩道(三・七キロ)を歩き、裏磐梯の自然に溶け込んだ。 それにしても磐梯山は表と裏の山容の差異に驚く。野口英世の見た猪苗代湖からの表磐梯は世俗化しててはいるが、人情の素朴さは残っている。東山温泉で二泊目を過ごし、会津若松と会津喜多方を回る。上高地でも、尾瀬でも、角館・田沢湖でも、出羽三山でも、中禅寺湖でも、裏磐梯でも同じなのだが、山のもつ独特の霊気と湖の誘う温かみが、四国で生まれ育ち、成人してからは関西暮らしが長かった私ども夫婦の心の底にあるマグマを振動させ、感動させたのは事実であった。 |
かつての都人が「道の奥」と感じた辺境の地にも道を通じ、道を通して人が、物が、文化が交流していったが、西の文化を頑に拒絶する壁こそ山と湖ではなかったのだろうか。その頑に拒絶する壁に対面して、文化の虚飾を身に纏った現代人が改めて裸の自分に戻って、自らを見つめることになるのだろうか。 |
歴史に埋もれた文化を多いのだろうが、私にとっての「みちのく旅」は、歴史の知識を総動員して「理解する」といった愚かな行為は避けて、山、湖、風、木々、道との「対話」を通した感動の集積で「みちのく旅」を綴っていきたいものだと願っている。歴史に埋もれた文化を多いのだろうが、私にとっての「みちのく旅」は、歴史の知識を総動員して「理解する」といった愚かな行為は避けて、山、湖、風、木々、道との「対話」を通した感動の集積で「みちのく旅」を綴っていきたいものだと願っている。 |
来年は、津軽まで足を伸ばし、蝦夷の文化と白神の森の神に会いたいし、夏祭を通して坂上田村麿と蝦夷の怨念を体感したいものだ。 また、銀河鉄道に乗って賢治の世界を彷徨い、「奇妙な料理店」で食事をし、遠野の河童と螢火を眺めてみたいものだ |