一月二十二日(木)曇り、雪 |
【JASエンジントラブルで欠航】 |
「松山空港から一飛びで福岡空港へ・・・」と記述する予定であったが、そう簡単には事は運ばなかった。今回の九州小旅行は二ヵ月前にJASの超割(松山・福岡間料金七千五百円)を購入していたが、二十日過ぎから寒波の大襲来で日本全土が冷蔵庫に入った様な今年一番の寒さとなり、特に日本海側と九州北部一帯は大雪に見舞われた。更に一月十九日にはJASが採用しているMD81型機と87型機のエンジンに不具合が発生し緊急に全機に対し整備点検を実施することになった。ほぼ全機のエンジンの同一箇所に亀裂が生じていることが判明し、当分の間相当数の旅客機の就航が不能になり欠航が続く恐れが出てきた。テロによる旅客機事故は人為的で予知も可能だが、エンジン事故は完璧に修理が完了しない限り、突発的にエンジンが停止し飛行機もろとも一巻の終わりとなるのは必定である。二十一日夜八時、JAS松山支店から出発予定日の八七〇便欠航の連絡が入る。危惧していたのだが、万事休すである。 |
急遽松山観光港から小倉港行き「シーマックス」に切替えることにして石崎汽船に予約をいれると一月中は船体定期ドッグ入りでこれまた欠航である。いささか慌てる。次ぎなる手段で広島行き「スーパージェット」を予約したが、天気予報で明朝の大雪警報を流しているので、広島からのJRの運行が心配であるが運を天に任す外はない.。 |
早朝六時三〇分道後温泉駅から松山市駅経由で松山観光港に向かい、八時発の石崎汽船の「スーパージェット」で呉港に着く。広島電鉄でJR広島駅に直行し、一〇時十六分発「ひかり三三三号」に乗車し十一時四十五分過ぎに雪の博多駅に到着する。JR九州線は積雪の為、各列車とも一時間から二時間の延着である。十二時〇二分発の「かもめ十七号」で長崎に向かう予定であるが、十一時〇二分発の「かもめ十三号」すら入線していない。南国に雪は禁物である。プラットフォームで待つこと一時間で、「かもめ十三号」が二時間遅れの十二時五十分に発車し、午後十五時に小雪ぱらつく長崎駅に到着する。JAS利用の場合は十四時到着の予定だったので、ともかく危機管理でトラブルを乗り切ったことになる。「窮すれば通ず」ということわざがあるが、「時刻表」という情報システムを熟知しておれば対応は可能だ。 |
【和蘭商館跡】 |
ところで、一難去って又一難である。雪避けにフードつけたので視野が狭くなったのかチェックイン予定のサンルート長崎を通り過ぎ、大波止ターミナルと出島ワープに出てしまった。中島川沿いの和蘭商館跡と出島史料館を探してあぐねて、女子学生に訊ねてもはっきりしない。 今回の長崎訪問の目玉にしており、江戸時代の和蘭商館への個人的な思い込みが強く期待していたのだが、実物はいかにもつくりものの感じで大いに失望する。翌日観光したハウステンボスの出島のセットの方が作り物としては遙かに良く出来ている。古き歴史を持つヨーロッパの観光客が長崎を訪ね、此処の和蘭商館跡に立ち寄ったらどのような感慨をもつだろうか。一昨年ハンザ同盟に興味があるのでフィンランドのベルゲンを訪ねたが、もしベルゲンのハンザ跡が和蘭商館跡の施設であったら馬鹿にするなと唾を吐いたかもしれない。非常に寂しい気持ちになって電車で大浦天主堂下停留所に向かった。 |
【市内電車】 |
長崎電気軌道㈱の市内電車は今回が初めての乗車である。四系統(①赤迫・正覚寺下 ②赤迫・蛍茶屋 ③正覚寺下・蛍茶屋 ④石橋・蛍茶屋)で丸一日居れば概ね頭に入るし市内の観光スポットはこれで網羅している。何より有難いのは運賃が一〇〇円であり、繁華街入り口の築町では乗り継ぎが出来るので感激する。一日乗車券五〇〇円を求めるつもであったが、当日は大浦天主堂、グラバー園、新地中華街、翌朝は平和公園と原爆落下中心地を観光して合計四〇〇円であった。乗車賃一〇〇円の設定は、長崎市内の意外に狭い坂道では車は却って不便だという地理的要因も強いと思うが、市内電車の椅子席は常時満 席の繁盛ぶりには驚いた。 |
松山市の伊予鉄道の電車は一回一五〇円で一日乗車券は三〇〇円であるが、長崎流の運賃システムの方が売上増に結びつくのではあるまいか。JR松山駅から市内電車、ロープウエイ、松山城見学で合計一三〇〇円は観光客には高すぎる。「坂の上の雲」散策一日観光を二〇〇〇円迄で抑え込むプランを考えたいものである。 |
【グラバー園】 |
数回訪問しているのだが、動く歩道が完備し、車椅子での園内散策コースは充実している。老人、障害者に優しい施設であるというのが第一印象である。旧三菱第二ドックハウス、旧長崎高商表門詰所、旧ウォーカー住宅、旧長崎地方裁判所長官舎、旧リンガー住宅、旧オルト住宅、旧スチイル記念学校、旧リンガー住宅、旧自由亭、旧グラバー住宅から長崎伝統芸術館を二時間ほどかけて回る。全国には明治村をはじめ数多くの建物陳列施設はあるが、明治維新から明治初期に長崎居留地に住んだ人々の生活の匂いを感じることが出来る素晴らしいトポスである。以前はグラバー邸と呼んでいたのをグラバー住宅に変更したのは理由があるのだろうか。「住宅」よりは「邸宅」の方が相応しい建物群である。 |
高台から長崎湾を展望しつつ、江戸時代を通じての出島やオペラ「蝶々夫人」や坂本竜馬の「海援隊」や明治・大正・昭和初期の三菱造船の威容を想像する。まさに「坂の下の海」こそ文明開化の象徴に他ならない。キリンビールのモチーフはグラバー旧住宅の温室の傍に座っている狛犬で、髭はグラバー自身の髭がモデルであると紹介している。キリンビールの前身「ジャパン・ブルワリー・カンパニー」の創立者の一人がグラバーだけに逸話としては面白い。 |
【長崎燈會】 |
夕暮れにグラバー園を去り、大浦天主堂を入口から礼拝する。商売熱心で入園料を取るのは如何なものか。これではキリスト教の信者は日本では増えまい。日本キリスト教の最大の悪弊というか悲劇は、明治以降の布教に当たり知識人、富裕層を対象にしたことだろう。戦国末期のポルトガルのザビエル以下の伝教師たちも戦国大名に取り入り勢力を伸長させ、大名と共に滅んだ。隠れキリシタンとして生き延びたのは貧困層であったが、その教訓を明治に入って生かせなかったのは何故か。(注)浦上天主堂は入場無料である。 |
正田美智子さんの天皇家へのお輿入れは、ローマ法王による洗礼取消によって実現したのは知る人ぞ知る秘密であるが、天照大神の末裔である天皇家から受礼者が出ないという保証はあるのだろうか。昭和天皇がアメリカの占領下時代にキリスト教への改宗を真剣に考えたことも公然の秘密であるが、庶民のキリスト教への漠然とした嫌悪感は一神教への直観的な嫌悪感なのだろうか。 |
長崎は「日本の中の異国」でありキリスト教特にカトリック教会が多いが、一月二十二日の今宵は旧正月であり中国色一色に染まる長崎燈會の初日である。大浦天主堂から活水女子大脇のオランダ坂を下ると新地中華街に出る。夕六時から湊公園でランタン(提灯)が一斉に点灯された。湊公園会場のほかに中央公園、唐人屋敷、鍛冶市、鉄橋、興福寺会場でも同様のイベントが開かれるとガイドに記載されている。竜踊りや中国獅子舞は日本の伝統踊りよりもショウ的で、銀世界の会場は一気に異国ムードが高まった。唐人屋敷通りをぶらつき、中華街では町行く人に味自慢の店を訊ね「京華園」で長崎タンメンと皿うどんを注文する。「サンルート長崎」で宿泊する。 |
(注)「福」の飾りを逆さまに飾っている。「福」の逆さま(倒)と同音の(到)は来るの意味であり「招福」を表現している。漢字の国だけのことはある。 |
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一月二十三日(金)曇り |
【長崎・原爆投下】 |
長崎の平和公園は三度目である。松山町の電停のすぐ近くにある。雪の舞う厳しい寒さの中で巨大な平和記念像に額ずく。記念像は北村西望の作である。この場所は元は刑務所であり受刑者は職員共々一瞬にその生命を失った。昭和二十年八月六日、ポツダム宣言を受諾し戦争が終結した八月十五日を遡ること九日前のことである。観光客があまり訪れない平和公園のすぐ近くにある原爆公園の方が印象深い。 その一つは浦上天主堂で僅かに残った塔の一部である。天主堂は昭和三十四年に再建されており貴重な記念塔ではあるまいか。もう一つはバーチャルな空間であるが、原爆投下の真下から数百米上空を仰ぎ見て爆発の閃光を心眼を開いて見ることである。アメリカは原爆投下を勝利者の正義の名に於いて正当化した。 |
戦争を知らない子よ、決してこれを正義だと信じてはならない。戦争には正義はないのだ。ベトナム戦争はケネディ大統領の決断であるが、ケネディは現代の神話として生き続けている。イランへの正義の侵略も同様に生き続け、アメリカが覇権国である限り肯定されよう。正義とは所詮バーチャルな概念でしかないのだろうか。今日テロは否定されるがフランス大革命もソヴィエト革命も中国の抗日戦線もレジスタンスというテロ(ゲリラ)活動により成就されたことを忘れてはなるまい。 |
【ハウステンボス】 |
ポルセレインミュージアムやシーボルト出島蘭館、カロヨンシンフォニカ、ホライゾンアドベンチャー、ミステリアスエッシャーは十年一日の如く何も変わっていない。マリーンターミナルは無人の港である。高度成長からバブルが崩壊し活力を失った日本そのものを象徴している様だ。裸になった日本・・・そうだ。「ハウスノンボス」の視点で此処を眺めるとなかなか面白い。つまらないと言いながらも十九時四十分から始まった葉加瀬太郎プロデュースの「フォーシーズンズ イン ザ スカイ」ファイナルショーを楽しんで、園外に在る一泊朝食付き一万円の「チューリップホテル」に宿泊する。年金生活者には手頃なホテルではある。 |
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一月二十四日(土)曇り、雪 |
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【オペラ座の怪人】 |
翌朝JRハウステンボスから早岐(はいき)に出て、みどり八号で博多駅に定刻十一時に着く。福岡は雪で時折強い風が吹いている。福岡空港から松山空港行きのJASは危惧していた様に欠航である。キャナルシティ博多(北極エリア)のシアタービルの福岡シティ劇場に急ぐ。此処はかつての鐘紡の博多工場の跡地である。本社の人事課長当時、博多工場跡地は鐘紡不動産と鐘紡ホリデイの管理下にあり、年一度は事情聴取で労働組合の幹部と一緒に出掛けていた。日本最大の企業であったカネボウの跡地を活用したのは日本最大の流通産業のダイエー、そしてダイエーの解体、野村証券グループの野村プリンシパル・ファイナンスによる再生・・・「平家物語」ではないが「盛者必衰の理」のサイクルは永遠の真理である。現在福岡シティ劇場は浅利慶太氏が主催する劇団四季の常設劇場である。今回上演中の「オペラ座の怪人」は超ロングランのミュージカルであるが、私ども夫婦には特別の思いがある。大阪上本町の近鉄劇場で上演していたのは丁度九年前で、一月十七日の神戸淡路大震災で神戸の自宅が全壊し鶴橋に疎開していた時期であった。「オペラ座の怪人」は罹災者にと
っては地震そのものが「地球の怪人」であった。 |
一九一一年パリオペラ座で劇場に縁のある品々がオークションに掛けられている。ラウル子爵がペルシャ風の服を着た猿のオルゴールを落札する。三〇年前の「歌劇ハンニバル」や「ドン・ファンの勝利」のリハーサルと上演時のあの事件を思い出すラルウの「ア・コレクターズ・ピース」の歌から始まる。 コ-ラスガ-ルのクリスティ-ヌとオペラ座の新しいスポンサーで幼なじみのラウル子爵と正体不明の「オペラ座の怪人」ファントムを軸にドラマが進展する。怪人ファントムはクリスティ-ヌを愛するが、彼女はラウルの元に走る。やがて・・・ |
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男の純愛は「ノートルダムの傴僂男」や「美女と野獣」の世界だし「シラノ ド ベルジュラック」の世界であるかもしれない。リアルの世界を忘れた三時間のミュージカルの世界が終わった。劇場を後にする頃には天候も回復し、博多駅発十六時三十五分発「ひかり三七二号」で広島駅に向かう。呉港駅には出航一分前に到着し、必死に桟橋を走って「スーパージェット」に跳び乗る。松山観光港に十九時四〇分に着く。二十一時には帰宅したので博多・松山四時間半の旅である。 |
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長崎・博多への小旅行では、過去と現在と未来が交錯し、オランダ、中国、アメリカ文化(ミュージカル)が微妙に入り交じった「場」と「時」を過ごすこととなった。「般若波羅密多心経」が説く「空不異色 色不異空 色即是空 空即是色 受想行識 復如是」の世界に外ならなかった。
(注)経文の現代語訳を示す。(岩波文庫版「般若心経 金剛般若経」より) |
この世においては、物質的現象には実態がないのであり、実態がないからこそ、物質的現象であり得るのである。 |
実体がないといっても、それは物質的現象を離れていない。また物質的現象は、実体がないことを離れて物質的現象があるのではない。 |
このようにして、およそ物質的現象というものは、すべて実体がないことである。およそ実体がないということは、物質的現象なのである。 |
これと同じように、感覚も、表象も、意志も、知識もすべて実体がないのである。 |
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