エッセイ 鐘紡(カネボウ)人事部私史
第20章 鐘紡技術学校〜魂ある技術者へのメッセージ〜
人事部長として工場の監督者に7年余訴え続けた経営理念・人事指針である。日本的経営・日本的人事管理を推進した軌跡である。鐘紡第2世紀から鐘紡は人事方針を大きく転換し、極端な上意下達は経営倫理の視座と機軸を喪失させ、結果として鐘紡は破滅した。在社当時の「鐘紡への遺書」でもある。
第1信 「内なる」技術学校 (「鐘星」24号1977年 昭和52年)
第2信 連合鐘星会に期待する〜ドイツ・ハンザに学べ〜(「鐘星」25号1978年 昭和53年)
第3信 連合鐘星会の歩むべき道(「鐘星」26号1979年 昭和54年)
第4信 連合鐘星会の果すべき役割〜ゲノッセンシャフトにふれて〜(「鐘星」27号1980年 昭和55年)
第5信 自己との対決 (「鐘星」28号1981年 昭和56年)
第6信 鐘星不滅 (「鐘星」29号1982年 昭和57年)
第7信 3シグマを越えるもの (「鐘星」30号1983年 昭和58年)
第8信 連合鐘星会に望む (「鐘星」31号1984年 昭和59年)
第9信 歴史を創る (「鐘星」32号1985年 昭和60年)
第1信 「内なる」技術学校 (「鐘星」24号1977年 昭和52年)
 七年振りに万国博記念公園を訪れ、十一月中旬開館の国立民族学博物館を参観した。前評判と私自身「民俗学」への興味もあったが、充分に期待を満足させてくれた。博物館は日本庭園に近く、万国博ホールに隣接して建てられており、館内には世界の諸民族の民具や道具が文化人類学の見地から膨大に集められており、その量と質の高さと探さに圧倒された。併せて、現代は一国レベルで物事を考え哲学するのではなく、広く地球次元で、言うならば万国博のテーマであった「人類の進歩と調和」の立場こそ最も肝要であると痛感した。そして、全く偶然ではあろうが、この博物館の敷地が、万国博当時のせんい館であったことを想い出した。
 テーマは「織維は人間生活を豊かにする」であり、一人の少女アコの物語を映像とレリーフで描き出し、人間の喜びと青春の素晴らしさを讃えた、正に「その場所」であった。高度成長は去り、万国博の記憶は薄れていく。然し、「その場所」は忘れてはならない場所であると思うと、ズシリと肩に重荷がかかったように感じた。それは一年前、高砂の地で感じた心の痛みにも似た歴史の重さでもあった。
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 歴史を動かしていく原動力は政治と経済の合わさった力であるという。そして歴史上の一つ一つの動きは、歴史を発展させていく一駒としての役割を果すことになる。私達は、先人から鐘紡を受け継ぎ、後輩にそれを更に大きなものにして伝えていく責務を持った歴史の継承者として位置付けられている。
 鐘紡理工学校から始まった男子技術者教育についての歴史は省略するが、技術学校の歩みをみても、昭和三十二年不況対策前夜に誕生し、天然繊維の拡充と三大紡への復帰、三十八年以降合繊転換と東レ・帝人への挑戦、四十五年以降 非繊維事業への拡大と全繊維会社中での首位奪還への各局面に於いて、技術者育成の立場から経営の要請に応え、極めて優秀な技術者を生み出し、又修了生は与えられた場でベストを尽くしてきた。千名を越す技術者が、同じ学び舎に育ち、同じ思想の中で同志的結合をし、精神力と技術力を練磨した集団は、他に求めることは不可能な強力なパワーであり、鐘紡の重要なパートを動かした原動力であったと思う。
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 鐘紡技術学校は、今ここにはない。高砂の地で同じ志を抱いて全事業場に赴任した技術者は健在であっても、又、私達の心の中には生き生きしていても、高砂技術学校とは訣別せねばならない。然し、このことは技術学校教育の挫折でも否定でもない。今日の繊維業界は、過去−現在−未来への展開に当っては、同一線上での改革は許されない程の構造的・歴史的転換期である以上、技術学校の休校も止むなしと冷静に受け止めざるを得ない。
  これからの私達の発言のスタートは、新・技術学校の構想であり、その模索でなければならない。企業は人であり、高学歴・高年令企業社会に於いては最少人員による精鋭化こそ企業存立の要件であり、又需要創造のための商品づくりと良品安価を可能にする技術力の開発と組織化こそ、企業内技術者教育の原点に外ならない。
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 技術学校の中で同志が育てた伝統は守り発展させ、次の時代の新・技術学校に伝えねばならない。未確定な明日ではあるが、鐘星会の組織化と鉄の結束により、私達の胸の中にある「技術学校」と「一粒万倍」を着実に発展させよう。今日既に転籍会社は五社を数え恐らく今後は「外なる鐘紡」 へ向ってその数は増えていこうが、鐘紡グループ連帯の証しとしてすぐれて 「内なる鐘紡」を支えるものは、鐘紡経営の根本精神であり、同時に鐘紡技術学校の精神であることを信じ、又高らかに訴えたい。
第2信 連合鐘星会に期待する〜ドイツ・ハンザに学べ〜(「鐘星」25号1978年 昭和53年)
 本年度の通信教育がいよいよ開始された。資格取得を前提にした「能力開発編」が581名、生涯教育と余暇の活用を目指した「趣味のひろば」が100名で、開始以来四回で延3800名に到達した大きな「学び心」集団へ発展した。その規模や履修状況は正直言って超一流とは言えまいが、全経費を受講者自らが負担し、多忙な職務の中で自己啓発のために時間と情熱を注いでいる企業内通信教育としては、日本のどんな企業にも負けていないと自負してもよいのではないか。
 鐘星会員も殆んどの方が今迄にこの通信教育を受講し、一人で学習することの不安やいらだちを感じ、又一方、日本中の会社企業で、鐘紡中の各事業場でコツコツと学ぶ同志がいるのだと想う時、無言の励ましになったのではないだろうか。
 連合鐘星会が結成されて二年−各鐘星会の中には、チームワークよく年間計画を達成しているところもあろうし、又活動そのものが四苦八苦のところもあろう。ともあれご苦労様と申し上げたい。母胎としての技術学校がなくなっただけに、各地の鐘星会も、又連合鐘星会も精神的な支えや、繋がりをどう保つかが今日最も急を要する課題であろう。
 現在、国際間の協調機関である国際連合、その前身である国際連盟を創りあげた精神の基盤は、十二世紀に生れ約五〇〇年にわたり続いた「ドイツ」ハンザ」にその源流を見ることができよう。オランタの北部からフィンランド湾に及ぶ広い範囲で、又利害村立や歴史や環境もまったく異った都市が、こんなに長く連合体を結成しえたのは「相互信頼」以外になにものでもなかったに相違ない。
 加盟都市の代表者によるハンザ会議という最高の審議機関が随時開催されたが、その議決が全体を統轄するのでなく、各都市の自治を認めたこと、又採決には多数決でなく時間がかかっても和解をもって解決したことが大きな特徴でもあった。更に聖俗諸侯、領主の配下に殆んどの都市がありながら、ドイツ皇帝から有効な援助をうけず自由な経済活動を展開したことが、政治の対立を突き破って集団を維持しえた鍵でもあった。
 ドイツ・ハンザの首脳都市であるリユーベックの元老院会員で穀物問屋の次男でもある文豪トーマス・マンが、自らの家をテーマにした「プツデンブローク家の人々」こそ、ハンザ構成員の発展と衰微の歴史でもあった。
 連合鐘星会に求めるものは、中央からの強い統制で動くのではなく、各地の鐘星会の自由な、自治的な活動であり、技術者としての問題意識をもった仕事を通じての経営参加であります。ドイツ・ハンザが、政治から離れて自由な経済活動に終始したからこそ五〇〇年の集団の歴史と生命を保ち得た教訓に学び、今こそ技術者としての在るべき姿、求められるべき活動を自覚し、集団で行動に移すことです。このことは、鐘紡技術学校で共に学び共に悩んだことの日々の実践に外ならないと思います。
 混迷の時代に己を支えるものは歴史の教訓であり、伝統の重みであると信じます。連合鐘星会の活動の中に「鐘紡」を見出したいと願うのは決して私一人ではありますまい。
第3信 連合鐘星会の歩むべき道(「鐘星」26号1979年 昭和54年)
 ・・・・君 
 君が技術学故に入校したのは、昭和三〇年代後半だった。男子寄宿舎の一室で、深更迄鐘紡の繊維産業の将来のこと、又当時必読の書であったB・.ハウカーの「ランカシアの歩んだ道ー栄光から奈落へ−」を通して日本の繊維産業が同じ道を歩んではならなhと職制者をまじえて侃侃謂謂の議論をくりかえしたことを昨夜のことのように思い出す。
 あの時から確実に二十数年の年月が流れてhる。技術学枚創設以来三十余年、そして連合鐘星会も三年目を迎えようとしている。そしてお互いに年を重ね、「中年」と称せられる世代に仲間入カしつつある。技術修了生の多くがこの年代だろうし、まずこの間題に触れてみたいと思う。
 八月、残暑厳しい日でしたが、「日立と松下」 (中公新書)の著者 岡本康雄東大教投と偶々食事に同席する機会を得た。(この本は身近な企業をとりあげているし、又日本経営の原型といった意味で一読をすすめます) 席上、日本経営の特徴と言われる「終身雇用・年功序列」が話題となった。こゝ数年、構造不況業種を中心に減量経営が徹底し、又、高年令・高学歴社会化の嵐の中で人事諸制度も給与体系も実力主義・実績主義が表面に出て、年功序列体系は崩れ去カつつあるが、「終身雇用思想」は簡単に修正できないし、修正すべきではないとの見方が披瀝された。
 高度成長期にみられた「技術革新時代」は資源問題を絡めてて小休止に入り、量の拡大から質の充実期に入った。このことは産業界のみならず、政治レベルでも、文化レベルでも同じだし、都会の時代から地方の時代への移行でもある。
世代論でも、マスコミでは若年層は優秀で中高年層が問題だとする類型論を展開していますが、質の充実期こそ、すぐれて人生の円熱期の時代であり、知識でなく、知恵に自信と誇りを持って活躍すべき時代であります。
「終身虐用」の是非は別として、物事の成果を短期間にみるのでなく、長期雇用を前提にして技術や管理や情報を構築していかないと、その社会は次々と代る指導者によって価値観がめまぐるしく回転し、人間にとって最も必要な「真なるもの・善なるもの・美なるもの」を永遠に失なってしまうことにならないだろうか。私自身、若年層の凡てが決して優秀とは思わないが、未熟な若年層を歴史の次代の継承者として徹底的に鍛えるのは、人生の先輩としての責務であり、崇高な義務でもあると思う。
 ・・・・君
 鐘星会活動を活発にやっていますか。若い人に遠慮していませんか。君が歩んで来た繊維の技術者としての歴史に誇りと自信を持って、後輩を指導していますか。技術学校で学び誓い合ったことが、生活信条として揺るぎないものになっていますか。
 集団でも個人でも将来についてバラ色に語ることは容易ですし、マスコミ受けはしますが、その土台は実績であカ自信であるべきです。連合鐘星会が年一回のお祭りであってはならないし、一年三六五日のデイリーな活動の積みあげであるべきでしょう。アリの社会は、すぐれた集団であり組織であると言われますが、彼等は一匹では瞬時も生きられないから集団として動いているのではないのでしょうか。ライオンやオオカミは非常に獰猛であり互いに力を競い合って自分の勢力圏を死守しょうとするが、同族や若者衆やコドモ群に対しては時には保護者となり時には教育者となり、アウトローを許さず秩序を守っていきます。日本のかつてムラには存在した若者と若者・若者と年長者との肌の肌のぶつかカ合い、又、オキテの支配と従属下でホンネの社会が生まれ、ギラギラした生命力あるエネルギーが開花し、これが昇華して時代を革新するパワーになったのではなかったかと思う。
 ・・・・君
 君の社歴を見ると、繊維技術者としてスタートし、四〇年代に非繊維の技術者として転勤し今日、販社に勤務している。君が入社した当時、鐘紡は東洋紡と並んで日本のピック・スリーの地位にあった。君自身入社当時考えてもみなかった業種なり職種に従事しているのだが、人生であれ集団であれ国家であれ、未来について確実に予測することはできない。如何なる状況にあっても母国語を失なわない民族は他民族に同化されることがないように、カネボウには「経営哲学」という母国語が、そして技校には貞分達で築い「て来た「言葉」がある以上、カネボウの如何なる会社に転勤しても期待される任務を果すことが出来ると信じる。君がそのことを証明してくれている。
 この一年間の同志の軌跡が文字となって「鐘星第二六号」に凝縮していく。己の歩みに自信を持ち前進する時、道は開かれてくるのである。「ワン、ステップ・フォワード」であれ。
第4信 連合鐘星会の果すべき役割〜ゲノッセンシャフトにふれて〜(「鐘星」27号1980年 昭和55年)
 今春の関係会社を含む合同入社式で、新入社員に対し社長から極めて印象深い訓示がなされた。即ち、
(1)新入社員を当社の歴史的精神の継承者として位置付け
(2)会社組織のもつ三つの形態(利益社会・仲間社会・共同社会)とその特質を挙げ
(3)最後に二万七千人の仲間社会の一員として、当社の歴史の創造者として活躍するよう期待されて、締括られた。
  ところで、会社組織の三形態を図示すれば次のようになる。
  形     態  代表する社会    精 神   
 ゲゼルシャフト   利 益 社 会    道 義 
 ゲノッセンシャフト   仲 間 社 会    信 義
 ゲマインシャフト  共 同 社 会    恩 義
 「ゲゼルシャフト」、「ゲマインシャフト」については、F・テンニースが「共同社会と利益社会」の中で明確に定義した社会学上の基本要語であり、当社の経営理念を語る時には常にロにする言葉であるが、「ゲノッセンシャフト」については聞き慣れない言葉と思うので、その意味付けを通して仲間社会のことを考えてみることにする。
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 「ゲノッセンシャフト」についても、F・テソニース(一八五五〜一九三六)は同書の中で、.「生命(ゲノッセンシャフト)を獲得するためには、精神(ゲマインシャフト)は生命能力、従って発展能力を有する身体(ゲゼルシャフト)と合体しなければならない。」としている。同時代のドイツの学者達をみてみると、K・マルクス(一八一八〜一八八三)は「資本制生産に先行する諸形態」の中で、集団的土地所有を、アジア的・ローマ的・ゲルマン的と定義し、ゲルマン的共同体をマルク・ゲノッセンシャフトとした。法学者O・ギールケ(一八四二〜一九二一)は「ドイツ団体法論」でゲルマンにおける成体は総有団体(ゲノッセンシャフト)であり、団体成員としてのみ個人存在を認めるとしている。
 今日の吾々の経済生活において、「各人の働きに応じて」がゲゼルシャフトであり、「各人の必要に応じて」がゲマインシャフトであり、両者の統合こそが人類の悲願でもある。余り抽象的な議論の展開は避けて、もっと一般的な中世の農村社会からゲノッセンシャフトなるものを描いてみたい。 
 イギリスでもドイツでも、又日本においても、近代社会が成立する以前に中世と呼ばれる農業・牧畜を中心にした農村が経済の主役であった。一つ一づの村落は独立した封鎖的な自給体制をとっており、神を共有してウジ神を祭り、自ら私有する田畑のほかに村人だけが入会地として利用できる森林や牧草地を共用したが、他の村落とは敵対して独自性をカで王張した村落共同体(ゲマインシャフト)が一般的であった。
 然し、田植えとか台風の時期になると、村と村を結びつけている河川が、村人にとって死活問題となる。田植えの時期に村々が勝手に河川から水を村に引き込むと全体として水不足をきたしてしまうので、上流の村から順番になるし、洪水の危険が迫ったときには堤防の高さを両岸で揃えておかないと低い堤防が決壊して半分の村落が、水浸しになり大損害を受けることになる。
 そこで、各々の村はエゴを捨てて、より大きな利害(目的)のために水利施設を共同管理し共用することになった。「井郷」と呼ばれる日本の制度なり、「マルク・ゲノッセンシャフト」と呼ばれるヨーロッパの森林牧草地の共用は、共同体(ゲマインシャフト)の利害を越えて村と村とを結びつけた大きな地域集団であり、これこそ「仲間社会」そのものであり、「ゲノッセンシャフト」 であると考えられる。
 時代は大きく飛ぶが、賀川豊彦氏達のクリスチャンが「一人は万人のために、万人は一人のために」と提唱し、大正時代神戸の無産者階級に呼びかけて鈷成した協同組合運動は、今日の大量消費社会では一見華々しい変身をとげたように見えるが、その出発は、組合員のみの商品の共同購入と必需品の自力生産を目指して町々の小臨体が集結して、より大きな購買組合や生産組合を指向したもので、中世の村落共同体と同じような性格を持つものであった。
 歴史を播く時に、共同体の独自性を専重しつつそれを包含した大集頗があり、大集団をとりまとめる理念があったことを知る時、「集頗と個」の問勉を解決していった当時の人間の叡智に改めて畏敬の念を覚える。
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 吾々が参加する集団には自然的な集団と人為的な集団があり、前者は血のつながりを持つ 「血族」、土地のつながりを持つ 「地域」、生活規範のつながりを持つ 「祖国」があり、後者には「体験」を共有したり「利益」を共用したり「創造」を享受する集団がある。同時にこれらの集穎を維持するために集団毎に秩序があり、法があり、道徳がある。当社自体150社以上のグループ会社があり、鐘星会も会社別に、工場別に編成されており、一つ一つの集穎は、共同体であり、共同社会を営んでいる。
 連合鐘星会は各鐘星会を結びつけ包含している大地域集団であるとすれば、それはすぐれてゲノッセンシャフト的な仲間社会でなけれはならないし、又それを支える「井郷」の源泉は信義であり友愛であるに違いない。各鐘星会を結びつけている河川は井郷に価する河川であろうか。
 如何に大河であっても、道義も信義も恩義もない汚海した魚一尾住めぬ河川であれば、秋の収穫は期待できないし、勝手に水をとりこめば大河自体枯渇し、多くの村落は砂漠化してしまうに違いない。大河は誰から与えられるというものではなく、その河川を利用する凡ての村人によって大切に守っていかぬ限り、後世の人に誇りを持って譲り渡すことはできなくなる。
 鐘紡という「大河」は、業績において、従業員倫理(モラル)において、勤労意欲(モラール)において、技術開発において、日本を代表する他の企業に較べて、嘗てのように比類なき水量と水質と流速を誇れるだろうか。答えは残念ながら否である。然し、吾々の弛みない努力で昔通りの大河に戻さねばならない。その先頭に立つ村人こそ、鐘星会諸兄でなくして、誰が代りうるだろうか。
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 今日の吾々にとって必要なことは、「外なるカネボウ」への際限のない発展でも、又「内なる鐘紡」の前途梗塞感でもなく、「外なるカネボウ」と「内なる鐘紡」を調和させていくゲノッセンシャフト(仲間社会)の連係強化に外ならない。そのためにも、鐘星会員が各鐘星会に集結し、地域別鐘星会を発展させ連合鐘星会による全力ネボウとしての強力なる運動展開こそすぐれて今日的課題であると云える。
 鐘星会諸兄の活躍を心より念ずる次第である。
第5信 自己との対決 (「鐘星」28号1981年 昭和56年)
 今年は春から夏にかけて、私の住んでいる神戸は時ならぬ賑わいを見せた。御存知のボートピア博覧会の開催である.一回では到底無理なので三回にわたって、パビリオンや、内外のショー、種々の展示場を見てまわった。万国博覧会の当時は、流れ出る画像の渦にとまどったが、ボートピア博覧会は更に一時代進んでおり、画象と人間との対話が数多くのパビリオンで体験できた。観客が、情報を与えられるだけでなく、情報を選択し、参加し、共感していくシステムは、トフラーの「第三の波」が描くように、すぐれて近未来の社会のモデルでもあった.
 これからの企業社会にあっては、人材育成は会社から与えられるものではなく、従業員一人一人が選択し、参加し、共感していくものであり「自己との対決」が更に重大な意味を持つ時代が近づいたことを痛感した。
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 経営(MÅN月GEM月NT)は、ヒト(MÅN)、モノ(MATERIAL)、カネ(MONEY)の三Mからなり、ヒト(MÅN)は、意欲(MORALE)、倫理(MORAL)、動機(MOTIVATION)の三Mにより生き甲斐が生まれてくる。日本の労務管理に関して、特に年功序列、終身雇桐、企業別組合の功罪が欧米の学者、ジャーナリストにより広く採り上げられているが、私自身は、「一社懸命」即ち一つの会社に一生を賭けるところに日本の経営の特色があり、企業と従業員は共同体(ゲマインシャフト)の中で運命を共享する所に欧米が真似できない強さがあると信じている。
 「人材育成の意味 」
 ひとりひとりの従業員にとって「人材育成」はどのような意味をもつものだろか。。大さく五つの時代に分け、その特徴を挙げてみよう。
(1)新人の時代
 学校を卒業し、社会人として全く経験のない組織に入っただけに不安が先立つ。ともあれ、新しい職場で、レクリエーシ∋ン活動で、仲間として認められ、友人として声をかけられる、誰もが持つ懐かしいフレッシュマンの時代である。 怖いもの知らずで、上司、先輩とも喧嘩もするが、仲間(メンバーシップ)に目覚めていく。全てのものが目新しく、選択することもなくインプットされている.より多く吸収し消化した者が、やがて大きく育っていくことになる。
(2)実務のエキスパートの時代
 プレーヤーとして最も活躍する時代であり、よき先輩、上司から「原理原則」を徹底して仕込まれ、原理原則(棲準化)に基づいてバリバリと仕事をすすめていく。一方、無責任、無関心、無気力、無感動という「四無」社員も生まれ、やがて集団の中から脱落していくことになる。よき上司、先輩を「師」として接し、フォロアーソップを学んでいく時代と言えよう。
 フォロアーシップとは上司への接し方であるが、「上司の実践したいテーマを自分のニーズとして裏方に徹して実行し、自分が実践したいテーマを上司を通して実現する」ことだと思う.
(3)問題処理のエキスパートの時代
 プレイングマネージャーとして一番苦労する時代であるが、上司と部下の間で、自分なりにモノを考え、自分のコトバで語り、相手を説得し、ヤル気を起こさせ集団の目標を必達させねばならない.何事でも相談しあえる友(スタッフ)を持ちうるか否かが、戦術を実行するに当って大きな差を生み出すことになろう。
 山本五十六元師の言葉として「目に見せて言って聞かせてさせてみて、ほめてやらねば人は動かじ」の一節を記憶しているが、人を指導していく難しさをつくづく感じる。子供の教育も同じであり、最近の家庭内暴力の記事を見るにつけ「親はあっても子は育つ」(坂口安吾)感が強い。集団における指導を「褒める」「叱る」のマトリックで示しておこう。
自主参加(妥協型) 独裁(陣頭指揮型)
仲良しクラブ(共同体型) 自主独立(放任型)
↑  褒める  ↓
(4)組織運営のエキスパートの時代
 野球で言えば監督、集団ではオヤジさんであり、ゼネラルマネージャーである。平時ではヘッドシップは目立たないが、火災、事故といったイザという時に信頼感となって現われてくる。専門的能力なり人間的魅力を持つ人物であろうが、究極は、全てを投げうって集団のために自己の責任を果す優れたリーダーのことを指す。嘗ての武士やイギリスの貴族に求められたものは祖国のために死を覚悟して先頭に立った士(サムライ)の心(ココロ)であり、志(ココロザシ)を持つものと言えよう。今日、我々に求められているものも、又、「率先垂範」であり、「目標必達」であり、「職責完遂」である。
(5)退役の時代
 指導者にとっての最後の要件は、いかに良き後継者を育成するかであり、自分の分身を数多く育てあげた誇りを持ってハッピーリタイヤしていくことになる。 社内外に幾十年にわたって築き上げた人間閑係を将来にわたって保持していけるかどうかは、正にその一人一人の会社生活における自己啓発の全てにかかっていると言えよう.
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 このように会社生活を眺めていくと、時代が如何に変ろうとも、人間としての生き方が急変することはないし、又自己変革が急激に、且つ容易にできるものでもない。むしろ、時代の確実な変化の中にあって、如何に自己と対決し、自己を冷静に見つめつつ、「学び心」を以って時代に挑戦し、そこから生まれる「ヤル気」を「一社懸命」に賭けてこそ、真に魂あるカネボウ人が次々と生まれてくるのではあるまいか.カネボウの大いなる未来のために鐘星会諸兄の一層の努力と発展を期待したい。、
  (注)昭和56年(1981)5月末、高槻第一工場鐘星会の依頼により「工場中堅社員に望むもの」として、約2時間講演した。本稿は、その中の人材育成についての話しを要約したものである。 
第6信 鐘星不滅 (「鐘星」29号1982年 昭和57年)
 秋虫の清冽な小さな魂を聴きつつ古いアルバムを整理するひとときがあった。昭和三十年代の写真は保存が悪いためか、戦前の写真を見ているような錯覚すらする。今は亡き渡辺庄一郎主事、二宮辰郎主事のあの懐しい暖かみのある微笑が語りかけてくる。田中清助校長、小林敏弥校長の厳格な顔がそこにはある。
 写真を眺めていると先生方が今にも語りかけてくださるような気がしてならない。確実に「鐘星」は輝やいている。「鐘星」を仰ぎつつ、鐘屋会員各位に最近の活動の一端を伝えたい。
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 本年度人事部としては、「組織風土の活性化」と「課単位の精鋭化」を重点指向し、工場事業場幹部に強くその必要性を訴え続けた。
(1)「統合・CI・コンセプト」ーーー統合、分社の混在する状況下で社内におけるコーポレイト・アイデンティティ確立のため経営思想の統一化をはかる。
(2)「人材・OD・活性化」ーーー組織活性化の重点を「開発」に絞り開発指向型生販研システムの確立を目指す。
(3)「機能・OA・効率化」ーーーオフィス・オートメイションによる業務の標準化と、管理部門の生産性の向上をはかる。
の三つを基盤にしたが、想いは高く現実は厳しいものとなった。
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 「組織風土の活性化」というより「燃える集団づくり」といった方が現実味もあろうし、鐘星会活動とも無縁ではなくなるに違いない。辞典を播くと不 〔燃〕.・難 〔燃〕・防 〔燃〕・可〔燃〕・自〔燃〕 とあり、自 〔燃〕 は自 〔然〕 であるという。
 人間も又同じことであろう。諜や係が一体となって売上拡大やコストダウンに努力しているのに、超然としてチームに参加しようとしない不〔燃〕社員、最後にはうしろから付いてくるのに、当初はああでもない、こうでもないと批評ばかりする難 〔燃〕 社員、トップの指示に意気を感じて全力投球すべきであるのに周囲の出方に気を配る防 〔燃〕社員では絶対に困る。一緒に燃えて苦労を共にしてくれる可 〔燃〕社員や、業務改善を積極的に提言し献身的に日々夜々業務に没頭する自 〔燃〕社員の集団こそが、燃える集周といえよう。 
 この自 〔燃〕 集団が自[然]集団化するには、日々の積み重ねしかない。一つは「デイリー・デモクラシー」であり、一年或いは一月一回の交流でなく、毎日毎日が心のふれあいであり対決でなければならない。他の一つは、「デイリー・セルフディベロップメント」であり、学び心を絶やすことなく自己啓発していくことである。
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 「課単位の精鋭化」は、決して最少化を目指すことでもないし、ましてや減量経営の極限は無人化ではない。人的パワーは、量〔人員〕 ×質(能力)であり、繊維産業等成熟産業の量的拡大はないのだから質的アップこそが生き残る道である。
 高度成長時代の経営の特徴の一つはラインアップ主義(人数揃え)であり、ランチェスター戦略の強者の理論、即ち、同じ技能レベルであれば技能者が多い方が必ず勝つことが自明であった。低成島時代の戦力化は、如何に非戦闘員を少なくするかであり、不〔燃〕社員、難〔燃〕社員、防〔燃〕社員を、可〔燃〕化、白〔燃〕化することに他ならない。
 工場も同様に「コウジョウ」として投資した資金が有効に動いているかどうか管理しているシステムでなく、市場に直結した「コウバ」として、絶えず商品開発し、操業維持のために受託し、自ら所属する市場の論理で動いていかなければならない。「コウジョウ」の主役は設備であるが、「コウバ」 の主役はあくまで職人である。
 中国から来訪した幹部が、日本の最先端の技術水準には驚いたが、当社が古い機械を職人の腕で立派に生かして使っているのに感動したとの話が長浜工場総合加工工場開場式で社長から披漉された。
職人の強さが精鋭化につながるのであり、知識プラス知恵・工夫により価値が付加されてくる。職人は、一日一日、一口竺品が勝負であり、弁解が許されない。まさに経営そのものである。 「課単位の精鋭化」は、ヨーロッパにおける親方(マイスター)と弟子との絆そのものであり、弟子を徹底的に仕込み一人前の職人に仕上げることと、たとえ歴史に名を残さなくとも作品(業績)だけは誰にも負けないものを創りだす自負と自信に他ならない。
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 「組織風土の活性化」と「課単位の精鋭化」は、決して目新しいテーマではなく、鐘星会員各位が高砂の地で探求し実践してきた「魂ある技術者」への自己革新と組織づくりそのものではないかと思う。現状に満足すれば安定志向となり、問題意識を持って現状に挑戦する限り、自己革新はつづけられていくに違いない。鐘星会員各位の平均年令も四十才を越え熱年になりつつある。
 知的能力や体力は、残念ながら歴史のあとからやってくるより若い世代に追い越されていくだろう。然しながら、幹部として、ベテランとして、職人としての態度能力即ち勇気とか公正とか職責完遂とか献身とか、人間が真に人間として生きていくに必要な能力だけは、更に一層の磨きをかけてほしい。まさに、この一点こそは「天に星、地に花、人に愛」 であり、不滅の 「鐘星」 であると信じて疑わない。
第7信 3シグマを越えるもの (「鐘星」30号1983年 昭和58年)
 今夏、俳人中村草田男が逝去した。その「人となリ」は知らなくとも、代表作である「万緑の中や吾子の歯生えそむる」や「降る雪や明治は遠くなりにけり」は、日本人の記憶の中に幾世代に亘って生き続けるに違いあるまい。
 「降る雪や・・・・・」に先立って、郷里松山の先輩である高浜虚子が師である正岡子規を偲び「瀬祭忌明治は遠くなりにけり」という句を残している。草田男は大正期上京して東京帝国大学に学ぶが、大雪の日、本郷界隈の学童が長靴を履き雪投げをしながら登校する光景に出くわす。四国の田舎町にはゴム靴はなく高下駄であり、下駄の歯と歯の間に雪が潜って転びながら、時には鼻緒が切れて足袋を脱いで泣きながら登下校したことを回想する。
 詩人は、文明の本質を直観し、安易さを拒否すると共に、子規と共に歩んだ燃えるような俳句革新の灯が今や消え去ろうとする時代に対する憤りを込めてこの句を唱いあげたことを知る人は今日殆んどいないだろう。正岡子規によって新しい生命を得た俳句は17文字の小詩型であるが、数字で言えば、仮名48文字の17乗で総ての組合せが可能であろうし、コンピューターでは短時間で作成も可能であろう。然し、生涯を掛けて俳句の美を探求し続ける俳人から、一句(多くとも数句)後世に残るその人の代表句が生れるプロセスを我々はどのように理解すべきなのだろう。幾千、幾万句の中の珠玉の一句は、作られるものでなく、全体のレベルアップの中から生まれるべくして生まれたものに違いない。           
 当社への応募学生は、ここ数年、ダイレクトメールの返戻八千人、二千人以上の会社訪問、そして一〇〇人〜二〇〇人の採用となる。面接試験に先立って種々テストを実施するが、その一つに「総合人格調査」がある。
 結果は総て正規分布による点数で表示される。2シグマ内にある学生は勿論合格圏内であるが、所謂「学校秀才」が多い。3シグマ内の学生は、点数で掴むことは危険だし、面接官の眼で詳しく確かめる以外に良策はない。下世話で「天才と馬鹿は紙一重」と云うが、人間把握にあたっても、3シグマ者は「プラスの不適応」として凝ってかかる。その結果、正に真物であれば、企業にとっても素晴らしい可能性を秘めた人材を確保できたことになる。
 ZD運動で欠点ゼロが実現した時、無災害記録において長期間の無事故記録が達成された時、最も重要なことは、「作られた記録」 でないかどうか関係者一人一人が自らに問うことであろう。検査ミス、赤チンミスの削除によりZD運動やQC運動で賞讃される成果を挙げても砂上の楼閣に過ぎず、他人を欺けても己にとっては空しい心痛める成果である。最近、他社の成功例が誇らしげに紹介されているが鵜呑みにせず、自らの眼で確かめる必要があるのではないだろうか。
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 日本と比べて欧米では「従業員身分制度」が明白であり、差別化が徹底している。嘗て海外企業の組織管理研究の為欧米に出張したが、イギリスのT・C・T社では、経営学者F・ハーズバーグ氏が参画し、職務充実化のための組織改革に着手していた。
 研究所内の実験担当者は研究員に較べ、一般的にモラールが低いし又学識に劣るとされているが、この迷信に挑戦することからスタートした。まず、実験グループには大巾な権限と責任を与えることにした。
(技術面)
 @研究プロジェクト報告の執筆責任者として明記
 Aプロジェクト実験計画に参画
 Bアイディアの提案義務付け。
経費面)
@材料器具の請求起票
A分析依頼保守サービス指示権。
(管理面) 
@新人教育訓練作成及び実行 
A実験室助手の第一次考課評定)。
他のグループは現状通りとした。
 約一ケ年周かけて八項目即ち@知識A理解力C統合カC評価力D創意E積極性F勤勉G報告書作成技術について評価したが、結果としては、予想(仮説モデル)通りであった。即ち
(1)研究プロジェクト評価から判断して、研究員と実験担当者とは同一レベルにあること。
(2)実験グループは、環境の変革によって、評価点が大巾に上ったこと。
(3)非実験グループも実験グループに引き摺られて一時的にはレベルアップしたが、やがて高原状況に達したこと。
(4)高原状況に達しても、実験グループに編入すると成果はすばらしく向上したこと。
が特記される。 職務拡大や職務充実による生産性の向上はハード面のレベルアップと共に、ソフト面のレベルアップが非常に重要な要素であることを、この実験は物語っている。
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 最近、「日本的経営」フィーバーが落ちついて、例えば『シンポリックマネージャー』や『エクセレントカンパニー』・『一分間マネージャー』という、米国直輸入の経営関係書籍がベストセラーズとなっているが、低成長下において企業を支える原動力なり原点は「人間」 であり、意欲であり、理念であり、ロマ/であり、愛であることを強調している。
 当社はあと四年で創立一〇〇周年を迎えることになる。日本の近代以降、株式会社は泡沫のように生まれ消え去っていった。一世紀に亘って、存在し発展する企業は、全体からみれば、殆んどあり得ない程の比率、即ち3シグマを超えた存在であろう。科学的な合理的な経営が土台にあったとは云え、鐘紡集掃を率いてきた理念がすぐれて人間的であったことが希有な存在を確かなものZしたに相違ない。
 鐘紡のコーポレイト・アンデソティティーの再確認が各事業本部問を超えて、例えば健康食品分野で、バイオ・ケミカルの分野で協同して開発中であるが、「ライフ・インダストリー」 「ビューティー・インダストリー」を骨格として、一〇〇年に及ぶ 「鐘紡経営の根本精神」を血液として第二世紀へと突入する日も間近くなった。共に不滅の鐘星を仰いだ諸兄をして「不可能を可能にする」意志と闘魂をもって、新たなる大鐘紡建設の礎之とならんことを祈るや切なるものがある。
第8信 連合鐘星会に望む(「鐘星」31号1984年 昭和59年)
 昭和五十九年四日一日、本部管理部門は元の都島地区に引越して釆た。一昔も二昔も前に「綜合研究所」と呼ばれていた建物を改装し、そこに総合企画・財務・人事・技術管理・技術開発の各本部と大阪事務所がすっぽりと収まった。半年も住んでみると元々の住民という気持にもなってくるが、なにかが日々変っているように思えてならない。
 一年前には一棟しか建っていなかったベルパークシティのマンションも既に三棟が完成し、若い夫婦や団塊の世代であるニューファミリーが入居している。近代建築ではあるが、秋の陽射しをうけてベランダに布団や衣服が干されている光景は、いかにも日本だなという感じがする。
 数ケ月前は、卒直なところ、工場現場そのものであり、トラクターや建設機械が縦横無早に動きまわり「破壊」が眼前にあった。今同じ場所に佇むと、そこには緑多いヒューマンな生活を前面に打ち出して「建設」が進捗している。「破壊」から「建設」ヘーまさに近代であり、進歩を支える自己否定を克服した創造の力が、日々新たにその場所に居る人に「変革」を呼びかけてくる。
 それにしても、このベルパークシティは、旧本部、淀川・樹脂工場の跡地であるが、更来年には西日本で最も高い36階のマンションを含めて、広さにおいても高さにおいても他に追随を許さない大プロジェクトが完成する。この巨大なマンション群と当社の建物が同じ生活ゾーンの中で共存し二十一世紀を迎えることになる。
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 昭和五十九年八月十日、研究所講堂で挙行された会長・社長就任式で、岡本進新社長は次のことを要望された。
 昭和六十二年五月の当社百周年を「栄光ある百周年」として迎え、輝く第二世紀に突入するために、各部門における技術開発力の徹底強化を図り、先端技術に対応して「技術のカネボウ」を創りあげる必要を強調、「明朗闊達なる社員たれ」 「失敗を恐れぬ実行力ある社員たれ」と。この言葉は、同時に鐘星合の同志へのメッセージであり、技術学校建学の精神でもあると私は信じる。
 昨年末、当社の新規プロジェクトが検討されてきたが、いよいよ今秋から九つのプロジェクトが発足した。併行して情報開発プロジェクトや菊池電子鞄凾フエレクトロニクス関連事業も芽生えつつある。先端技術に吾々が直接に参画し、その実践部隊に編入される程、今日の技術やシステムは甘くはないだろう。併し冷静に今日の技術を考察すると大きく三つのゾーンがあると思う。
 一つは「科学」 − 即ち基礎理論・基礎技術を中心にする「サイエンス」である。当社のファインケミカル分野では、この第一分野での研究を期待する声もあるが、サイエンスだけでは実際に物はつくれないし、企業よりは大学なり専門研究機関が深くかかわりを持つ分野であろうし、日本でも数多くのノーベル賞が生まれるよう期待したいものだ。
 この科学を実際に使って物をつくる技術を確立することが第二の分野であり、「技術」即ち「テクノロジー」に外ならない。米国の宇宙開発の国家プロジェクト等は好例であろうし、吾国の制ガン・VANプロジェクトも同様であろう。一企業というより数企業が合同して、産学協同或いは国家プロジェクトの一員として参画するケースが多い。
 然し、これでも充分でなく、これをいかにうまく更に改良して発展させていくか、つまり「生産体制」が重要となってくる。「マニュファクチャリング」である。
 今月先端技術として(1)新素材(例 ファインセラミクス) (2)バイオテクノロジー (3)ハイテクノロジー(例 新エネルギー (4)エレクトロニクス (5)コンピューター分野が挙げられているが、当社の志向する新規プロジェクトも当然この範疇に入るものである。日本の産業は、歴史的にみても、うまく「科学」 「技術」を統合して第三の「生産体制」を確立したが、「技術のカネボウ」が真に確立するには、この段階から更に一歩進んで、「技術」即ちテクノロジーの段階でライバル企業に差をつけ、独自商品を開発し、技術の独自性を主張できなければ、明日のカネボウの繁栄はないかもしれない。同時に新しい技術に対応する生産体制の整備、確立も急がなければならない。
 新経営体制下、各部門毎に「技術のカネボウ」を支える中長期計画や実行プランを策定しているが、人事部も又例外ではない。人事部の使命は、当社の技術革新を支えるものは、最終的には「人」であり「教育」であると考え、長期的に人材育成をはかると共に、人を生かす組織づくりを主要テーマとして「技術のカネボウ」を支援していくことになる。
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 昭和五十九年十一月一計、横浜と須磨の化粧品教育センターに二〇〇名を越す六十年入社の大学生の最終試験をおこない内定した。
 学校教育と企業内教育とはまったく同じ教育ではないが、いかなる教育であっても「知育・体育・徳育」が根幹でなければならない。今日、体育徳育が極端に軽視され、一方知育は受験体制の中でいびつな形で、○×式とか詰め込み式とかで進められているのは残念なことである。当社が必要とする人材は、豊かな感性と理性をあわせ持ち、自ら研究し行動するパワーを備えた自律人間であり、私自身は、ヘッド(頭)とハート(心)とハンド(手)の一体人間と呼んでいる。
 先端技術に対応する技術風土の確立のためには、当分は知育(科学知識)を重点に展開すべき時期にあるようだ.。科学知識や科学技術が前段階としての経験や実用的な知識を土台にして生まれたものには違いないにしても先端技術はもはや常識では理解できまい、より純粋な、より高度な、より抽象的な世界の知識体系になってしまっている。企業内の研究専門職・大学との協同研究、他企業との共同プロジェクト化により専門技術者が多数誕生したが、工場を中心とする基幹技術者はどのように対応すべきなのか。
 まず第一に平凡なことだが、食わず嫌いにならず新しい情報・技術修得のために「勉強」するということである。
 最近普及が著しいパーソナルコンピューターだが、一九八〇年に米国内のマネジャーに「キーボード操作ができるか」と問いかけたところ、「NO」が二九%、「ほんの少しだけ」が一二%で、全体の四〇%がキーボード操作があまりできないとの結果がでた。日本の調査でも三〇%の人が「NO」と答えている。「テレビゲーム世代」の子供が成人になる頃には、キーボードを操作できなければ企業で働くことができないかもしれないし、今日の先端技術を骨格にした機械、システムは、メカニズムを理解してからでは遅すぎるし、「時進日歩」であるから間口を広く開き、新しいものに関心を持ち続けることが肝要である。
 百科事典を買い求めて「ア」から順番に読んでみても余り役立たないし床の間に飾っておくだけでは無用の知識にすぎない。然し (1)あらゆる科学・字問知識をひとまとめにした百科事典を座右に持っているということ、(2)事典の引き方を知っているということ。(3)疑問にぶつかった時こまめに調べるという行動がそなわれば、百科事典を完全にこなしていると云えるのではあるまいか。
 第二には、「生涯教育」である。今日「科学知識」が極端に先行している時代ですが、先述したように、サイエンス→テクノロジー→マニュファクチャリングの過程で、経験が生かされるのは第三の段階であり、企業化工業化の段階である。経験とか熟練とかは、個々人に積み重ねられた能力であり、その能力が説得力を持つには一定年数が必要である。一生を通じて技術に対するあくなき挑戦力を持つことが結果として自発的に「生涯教育」を持続することになるのである。「アメリカの車は週初めと週末生産分は買うな」と云われるが、日本人が、日本の企業が欧米に比しマニュファクチャリングで最も進んでいるのは、日本人の真面目さ、器用さが支えている面も無視できないと思う。
 第三には独創性を開発するトレーニングである。残念ながら当社の企業内教育は全く貧弱で個々人の能力と努力によって支えられている現状である。「技術のカネボウ」に対応する「技術開発センター」を是非実現したいと念じている。金太郎飴の技術者を多数つくることよりも、少数でも良いから独創性のある技術者、研究者、管理者を育てることが急務である。「前例がないからやってみよう」という集団つくりが、明朗闊達な、失敗を恐れぬ実行力ある社員をつくることにもなるのだ。これが当社第二世紀の「技術学校」であってほしい
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 昭和六十×年×月×日− 二十一世紀を迎えようとする「技術のカネボウ」をイメージしてみることにしよう。
K(KNOWLEDGE)
 知識・教育産業−人間の叡智と人間尊重を土台に、情報を中心にしたVAN、情報開発事業、人材開発事業。
A(APPAREL)
 アバレル情報産業1二十一世紀の文化産業、女性中心産業化の中で七大繊維とファッション事業のトータル化の実現。
N(NATURAL又はNATlVE)
 自然志向産業−化粧品、薬品、食品、住宅分野においても、ゆとりや自然、天然の「本物」志向が一大潮流となり人間らしい生活の確立をはかる。
E(ELECTORONICS)
 エレクトロニクス産業・・・VLSI・光ファイバー・コンピューター・ロボットを中心に、ポストペンタゴンの強力な事業化。
B(BIO・CHEMICAL)
 バイオケミカル産業−生物機能を利用したバイオテクノロジーを軸にして化粧品、薬品、食品の技術再統合化。
O(ODOUR)
 芳香産業−香料合成の飛躍的な発展による「にほひ」が衣食住の演出の重要なファクターになり、人間行動のTPOを変える。
 KANEBOの持つ企業文化は第二世紀を迎えるにあたって新しい主張をすることになろうが、一〇〇年の歴史を支えてきた経営哲学は不滅である。この経営哲学が真にみずみずしい生命を保つためには、時代にマッチした、又時代を変革する新しい物をつくりだす技術の力と、需要を創造するマーケティングカが必要となる。K・A・N・E・B・0こそは二十一世紀を志向する名称であり、ロマンなのだと信じていきたい。
 カネボウの技術を支える鐘星会同志の活躍を心から念じる次第である。
第9信 歴史を創る (「鐘星」32号1985年 昭和60年)
 昭和五十九年七月社史編纂室が設置され、室長には昭和三十二年技術学校開校時の教育課長であり推進者でもあった山田毅一元副社長が就任された。その後、社内外の関係者と精力的に面談され、彪大な資料にも目を通され、自ら「鐘紡百年の語り部」と称されながら、歴史と伝統ある当社百年史を執筆中である。恐らくは、鐘紡技術学校についても理工学校から引継がれた「魂ある技術者」づくりに果した歴史的役割が評価され、後世に確実に残る歴史の証言として、大冊の中に書き綴られるに違いない。
 社史に名を連ねる人物の背後に、栄光の歴史を支えた名も知らぬ幾十万、幾百万人の鐘紡の名の元に参集した人材があったことを忘れてはならない。同時に、今日の我々も歴史の一駒一駒ではそれを支えた一員としての自覚と自負を持って、新たなる歴史と社風創りに積極的に参加しょうではないか。
 入社試験の面接時に「私は鐘紡社員四代目になりたいのです。曽祖父は隅田で働いていました。祖父も父も私も社宅で生れ、煙突を見て育ちました」と誇らしげに自己紹介する学生を前にすると、その学生を通して一世紀に垂んとする鐘紡の歴史の重みを感じ、大鐘紡復活のビジョンを描くのである。
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 百周年を迎える当社の将来像が示され、次々と経営施策が展開中であるが、ほんの一部を抜き書きしてみよう。
(1)経営理念について
 申す迄もなく鐘紡経営の根本精神は不変不滅であるが、C・T(コーポレイト・アイデンティ一丁イ⊥として『美と健康と価値ある生活を創造し提案する企業』と規定された。一般には『フォービューティフルヒューマンライフ』が、カネボウのC・Tを直裁に表現している。
(2)経営計画について
 創立一一〇年に、売上一兆円・経常利益五官億円が挑戦目標であり、必達目標である。プレセンチュリー計画としては、創立百周年(昭和六十二年度)に売上四千億円・経常利益百億円・配当一割が至上命題である。
(3)新規事業について
 エレクトロニクス関連、バイオテクノロジー関連、新素材関連、情報関連の各事業の具体化。
(4)百周年記念事業について
 記念事業として正式に決定されている訳ではないが、本年七月九日の日経産業新開に掲載された内容は、鐘星会同志にとつて待ち望んでいたニュースではなかったかと思う。
……人材の育成を図るためにも「社内に技術学校を設立する」 (岡本進社長)という。鐘紡は昭和三十二年に紡織、電気、化学の技術研修を目的にした技術学校を綿紡の工場だった高砂工場(兵庫県)に設立、業績悪化で休校した五十二年までに延べ千五十人を教育した実績がある。新技術学校は新規事業に関連した技術を対象とする考えで、詳細を百周年記念事業委員会(委員長・伊藤淳二会長)で詰めていく。(以下省略)…・…
 当社の企業風土には、先駆者としての開拓者精神が横溢しているが、一方不況や苦難に堪えぬいた不榛不屈の精神も厳として存在する。今日、プレセンチュリー計画を達成し、栄光の百周年を迎えるには、岡本社長が常々力説されるように「繊維事業部門が主役とならねばならない」。化粧品事業等が生みだす利益をいつまでも食べることは許されないし、繊維事業が確実に浮上してこそ鐘紡の第二世紀がはじまるのである。組織・人事・教育の各部門も経営戦略の要請に応えつつ、個々人の無限の可能性を信じて、原点に根ざした企業風土づくりを提言し、個々人のモラル(倫理)とモラール(意欲)に応えていかねばならないと考えている。
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一、実力が評価される企業風土
 「技術には歴史がある。しかし技術者には過去がない。ただ創造あるのみ」とは、ある先端企業の社長の印象深い言葉である。技術者の実力とは模倣でなく創造する力である。実力は決して過去の実横の積みあげではなく、未来に挑戦する意欲や可能性が加味されないと、単なる形骸にすぎなくなる。
 明日へ向って生き生き伸び伸びと発展する職場は、自己の挑戦目標を自らが申告し、自分の果した仕事の成果が達成率・伸長率・成長率等客観的な形で公表され、全員が納得していくシステムに変っていくのだろう。然し時代がどのように変ろうと、勇気とか責任とか献身という真に崇高な人間的行動が職場の中で高く評価されてこそ、信賞必罰の実力主義の企業風土に魂が入っている証拠であり、大切に守り育てなければならない。
二、正直者が馬鹿をみない企業風土
 「静かな湖こそ底が深い」というドイツの諺がある。真面目にこつこつと働く人物が一昔前には尊敬され、一云に秀いでた人物が名人・名工として高く評価された時代もあった。然し今日では時代のテンポが早く、技術は短期間で陳腐化し、技能者自身が不用者、無能者としてスクラップされていく。自ら手を汚すことは″ダサイ”であり、″カッコウヨク″生きていくことが″スマート”な生き方だと云われるようになった。
 然し、底に潜んでいる人材を職場の中で見つけていこう。例えば、公私のけじめをはっきりさせている人、不言実行の人、困難な仕事を率先してやる人、手柄をひとり占めしない人、「ノー」と言う前にまず実行する人…:…と並べていくと、素晴しい職場集団が目に浮んでくる。キラリと光る人材や、一隅を照らす人こそ「人間社宝」であり、大切に守り育てなければならない。
三、おもいやりのある、いたわりのある企業風土
 「友の愁いに吾は泣き 友の喜びに吾は舞ふ」ことは大変に難しい。「イジメ」の時代とか「魔女狩りの時代」とか云われているように、豊かな社会になり、多くの人が中流の意識を持ち同じような生活行動をしていると、そのグループの中で新しい差別が生れてくる。大衆社会が「少衆」社会に分解され、同じ感覚人間が群れたがり、他の感覚人間とは「カンケイナイ」として無視し、自らが侵されまいとして加害者グループに入る。現在は企業外の話題であるが、早晩企業内の大問題となろう。
 人間らしい職場・差別のない職場づくりこそ、これから直面しなければならないテーマであり、自分自身で対決する「心の問題」でもある。部落、男女、身障者、学歴、年令・…:・:と差別そのものはいろいろな事象に現われるが、「愛と正義の人道主義」を実践することこそ人間らしい生き方であり、先輩が築いてきた企業風土に外ならない。「女工哀史」の中に描かれた工場は陰滲陰湿であるが、その時代に当社が展開してきた社内報・注意書箱・幸福増進係・共済組合等の人道主義に基く施策をみても、すぐれて歴史の証言である。第二の「女工哀史」を生みだしてはならないし、差別のない、また差別を許さない明るい会社づくり・職場づくりを目指していくことを決意しよう。
四、失敗が許される(敗者復活のある)企業風土
 TQC活動が定着し多くの実績を挙げているが、日本における改善提案の歴史は明治三十六年の「注意書箱」に始まっており、このことを誇りに思っているカネボウ人も多くいることだろう。
 昭和六十年発表の提案制度全国統計では、一位・松下電器産業が六五七万件(一人当り九一件)、二位・日立製作所が四六五万件(一人当り八一件)・・・となっており、一人が一週間に二件提案していることになる。 自らが提案し、仕事の主人公になり、仕事を完遂する中に悦びがあり、達成を通して自己実現ができる。試行錯誤のくりかえしであり、失敗も多いだろうが、挑戦につぐ挑戦であけ、陣痛の後で美しみどり児が誕生するのである。
 研究開発・新規事業という大プロジェクトでなく、職場の身近にあるテーマを発掘し、仲間と考え、提案し、夷践し、失敗し、反省していくなかで、職場は活性化し燃える集団となっていく。仕事は、人生における最重要な「ゲーム」であり、職場集団はゲームをするチームである。ゲームは勝つこともあり負けることもある。ルールに従ってフェアプレイに徹することは当然であるが、ゲームは楽しみ(エンジョイメント)、興奮(エキサイトメント)し、鼓舞(エンカレッジメント)しあうことで成立する。「技術の鐘紡」こそ、常に挑戦する技術者集団になっていなければならない。
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 本年度全社中目標として岡本社長から改めて「伐こう」と呼びかけられ、私共一人一人がこの一年間、真剣に仕事に取り組んできたが、この一年悔いのない生産人に徹することができたかどうか反省をし、来年への飛躍を期したい。
 仕事(WORK)について工場での議義を求められた時次のことを力説した。
 W  WILL(やる気)
   自分で目標を立てて挑戦していこう。
 0  0RGANIZATION(組織づくり)
   ワンマンプレーでなく、チームワークプレイに徹しよう。
 R  RESPONSIBILITY(責任)
   失敗を恐れず、勇気をもって決断し、結果には責任を持とう。
 K  KNOWLEDGE(業務知識)
   自分の仕事については第一人者だと自覚のもとに勉強しよう。
 私達は、仕事を通じて、鐘紡の新しい歴史づくりに主体的に参加していくのである。鐘星会同志も「まなびの庭のともがら」と共に「明日の技術」と「明日の飛躍」を目指し、歴史の傍観者になることを断固として拒絶し、限りなく鐘紡の明日へ挑戦しようではないか。ご活躍を心から念じる。