戦争を刻む碑(2)
日清・日露の両戦争当時、政府は民間に戦利品を配布するということを盛んに行った。原田敬一著『日清・日露戦争』には、次のようにある。「日清戦争以後戦利品を国内各地に配り、戦争を記憶し、国家と軍隊への敬意を養成する装置として機能させることが始まり、日露戦争でも続けられた。(中略)民間への戦利品配布は、学校や神社、寺院、役所に積極的に行われた」。日露戦争の時の戦利品の配布は、三津の厳島神社にも行われた。厳島神社の境内には、戦利品の奉納を記念する石碑がたっている。その碑文は次のとおりである。
戦利兵器奉納ノ記 是レ明治三十七八年役戦利品ノ一ニシテ我カ勇武ナル軍人ノ熱血ヲ濺キ大捷ヲ得タル記念物ナリ 茲ニ謹テ之ヲ献シ以テ報賽ノ微衷ヲ表シ尚皇運ノ隆昌ト国勢ノ発揚トヲ祈ル 明治四十年三月 陸軍大臣寺内正毅(花押)
碑文は「尚」の文字の後で、改行し「皇運…」が行頭にくるように刻まれている。これは古文書で用いられていたいわゆる平出(平頭抄出。「律令」公式令に規定がある)の書式で、文書中に敬意を表すべき特定の語(「皇祖」「天皇」「皇帝」など)がある場合、改行してその語を行頭におくものである。敬意を表すべき語に施される書式としては、他にも闕字(けつじ)や擡頭(たいとう)などがあって、古くより用いられていたが、明治5年(1872)8月、新政府は平出・闕字・擡頭の書式を繁文縟礼(はんぶんじょくれい)とし、公文書に対しては用いることを停止した。
(09年3月9日)- 【参考文献】
- 『國史大辞典(12)』吉川弘文館 1991年5月
- 原田敬一『日清・日露戦争』岩波新書 2007年2月