伊予歴史文化探訪 よもだ堂日記

当サイトは、伊予の住人、よもだ堂が歴史と文化をテーマに書き綴った日誌を掲載するものです。


日付が替わる時刻

いつごろからそうであったか定かではないが、日本では日の出直前の時間帯、寅の刻(午前4時頃)あたりが日付の替わり目と認識されていた。これと対照的に古代ユダヤの宗教暦では、日没時が一日の始まりとされていた。『旧約聖書』「創世記」の一節に「夕べがあり、朝があった」(1章23節)とあるのは、そうした時間意識が反映したもので、その背景には時を闇から光に向かうものとする観念があるという。『旧約聖書』「レビ記」(23章32節)には、一日の単位を夕暮れから次の夕暮れまでとする記述も認められる。夕暮れという点からいうと、日本の神道儀礼には、なぜか夕暮れから始まるものが多い(新嘗祭の開始時刻は午後6時頃、今上天皇の大嘗祭本祭が執り行われたのも午後6時過ぎだったという)。もしかするとこれは、日本においても日没時を一日の始まりとする観念があったということを示すものであるのかもしれない。(09年3月21日記)

[付記1] 日本では日付の替わり目がどの時刻と認識されていたかについては、専門書ではないが、下記の書にそれぞれ次のような記述がある。 「寅の刻(午前4時頃)が日付の替わり目」(日下力『古典講読シリーズ 平治物語』9頁) 「近世以前は午前4時頃、日付がかわった」(和田萃『飛鳥 歴史と風土を歩く』75頁)「平安時代は丑の刻と寅の刻の間、午前3時をもって日付の変わる時刻としていた」(山本淳子『源氏物語の時代 一条天皇と后たちのものがたり』55頁)

[付記2] 中国唐代の浄土教の大成者、善導(613−681)の『往生礼讃』という著作には、一日が「日没・初夜・中夜・後夜・晨朝・日中」という六時の順序で書き記されており、一日の始まりを日没時とする時間意識が仏教の中にもあったことを窺わせる。

(09年3月21日記)
【参考文献】
日下力『古典講読シリーズ 平治物語』岩波書店 1982年12月
浄土真宗聖典編纂委員会編『浄土真宗聖典七祖篇(註釈版)』本願寺出版社 1996年3月
太田献一監修『新共同訳旧約聖書略解』日本基督教団出版局 2001年3月
和田萃『飛鳥 歴史と風土を歩く』岩波新書 2003年8月
山本淳子『源氏物語の時代 一条天皇と后たちのものがたり』朝日選書 2007年4月