伊予歴史文化探訪 よもだ堂日記

当サイトは、伊予の住人、よもだ堂が歴史と文化をテーマに書き綴った日誌を掲載するものです。


戦争を刻む碑(1)

三津の厳島神社(神田町)の境内には、日露戦争の表忠碑(戦争から無事帰還した人の名も記されているので、忠魂碑ではない)がたっている。碑表は秋山好古(1859−1930)の筆で「表忠碑 陸軍大将秋山好古書」と刻されている。日本騎兵の父といわれた秋山好古は晩年、郷里松山に帰り、北予中学校の校長をつとめて教育に専心した。もともと好まなかった揮毫も晩年には快く依頼に応じ、松山の内外にはその筆になる碑が数多く残っている。

この表忠碑の碑陰には「明治三十七八年戦役従軍者芳名」とあり、「戦病死者」として陸軍18人・海軍1人、「出征者」として陸軍119人・海軍26人、「共働従軍者」として陸軍95人・海軍4人、計263人の名が記されている。すべてこの三津浜の地から戦地に送られた当時の若者たちの名である。「共働従軍者」については、それがなにを指すのかはよくわからない。日露戦争では25万人以上が輜重輸卒として戦地に動員されたというが、碑陰ではこれを「共働従軍者」と称したのであろうか。

(09年3月8日)
【参考文献】
片山雅仁『秋より高き 晩年の秋山好古と周辺のひとびと』アトラス出版 2008年7月
小松裕『日本の歴史14 「いのち」と帝国日本』小学館 2009年1月