「県民性」論をくつがえす視点
『人国記』という著者不明、成立年代不明(16世紀の成立であることはまちがいないが)の書がある。同書は日本60余州それぞれの国の住人の気質について述べたもので、今流行の「県民性」本のいうならばこれがはしりである。同書、伊予の国の条をみると、「伊予の国の風俗、大形(おおかた)半分々々に分かれ、東郡七、八郡は気質柔らかにして、実儀強き形儀なり。それより西はすべて気強く、実は少なく見ゆるなり。古(いにしえ)よりこの国には海賊充(み)ち満ちて、往来の舟を悩ますの由、聞き及ぶに違(たが)はず、今も猶(なお)徒党を立てて、一身の立つる族(やから)多し。誠に関東の強盗、この国の海賊同じ業(わざ)にして、武士の風俗一段手強しといへども、武士道吟味これ無き故、危ふき事のみ多き風俗なり。末代も人の気質に替りは有るまじきものなり」とあって、かなり辛辣なことが書かれている。
愛媛県人の気質ということになれば、よく知られているのは、三予人を比較して述べた次のような立言ではないだろうか。「もし100万円が自由に使えるとすればどうするか?東予人はそれを資本に商売に精を出し、200万、300万と儲けて増やすことを考える。中予人は最も有利な貯蓄に回して利子で趣味や娯楽を求める。南予人は大散財を考え、一晩で使いきれるだろうかと思案する」(河出書房新社編集部編『県別日本人気質』)。これはもとはといえば、昭和38年5月20日付の朝日新聞連載記事「新人国記」に、ある銀行家の言葉として引用されていたもので、その記事では「仮に1万円が手元にあったとすると、東予人は商売につぎこんで、あの手この手で2万円、3万円に殖やそうとする。中予人は銀行にあずけて利子で温泉にはいったり俳句をひねろうと思う。南予人ならば思い切って大散財して、また1万円もうければよいと考える」となっていたらしい。
県民性なるものについては、長談義を控えることにしよう。そういう関心を離れて、もう少し別の観点から地域の特性を考えたほうが有益だと思うからである。すでに故人となられたが、網野善彦氏(日本中世史)は森浩一氏(考古学)との対談の中で、「海に面して生活する伝統をもった地域に住んでる人たちは、動き方が内陸部とは決定的に違う」という指摘をしている。全国第5位の長い海岸線を有する愛媛県は、網野氏のこの指摘がまさしくあてはまる地域である。網野氏自身もその対談の中で、「(歴史的にみると)伊予という国は海の匂いが非常に強くて、しかも朝鮮半島や大陸とも意外に関係が深い」と述べている。「動き方が内陸部とは決定的に違う」という、その具体的なありようを究明していくと、これまでの自己認識をくつがえすような伊予人像、愛媛県人像が浮かびあがってくるかもしれない。
(09年3月14日記)- 【参考文献】
- 大石慎三郎監修『日本歴史地理大系39 愛媛県の地名』平凡社 1980年11月
- 河出書房新社編集部編『県別日本人気質』河出書房新社 1983年10月
- 浅野健二校注『人国記・新人国記』岩波文庫 1987年9月
- 網野善彦・森浩二『馬・船・常民 東西の日本列島史』河合出版 1992年5月